【手帳の中の物語 ⑥】
『◭ボクの犯した罪の話』
ついに裁判の日です。
裁判は夜からの予定で、テレビ中継されるそうです。
でもそれまでの時間にボクはこの作文を完成させるつもりです。
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ボクは全ての記憶を取り戻しました。
バイクでの旅、途中で見た風景、工場や農場で働いていたロボットたち、アトランティスを取り囲んでいた巨大な壁、穴を掘って隠れたこと、アトランティスからの脱走、外の世界に広がっていた大きな石や葉っぱだらけの荒地、巨大な海と月。
そして捕まったこと、記憶を奪われたこと……
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そうです。ボクは記憶を奪われていたのです。
でもそんなことはちっともかまいませんでした。
ボクは塀の外の事に全く興味がなくなっていたからです。
それが『記憶』と一緒に『動機』を奪われたせいだとは分かっていましたが、怒りのようなものはわいてきませんでした。
ボクは今の生活に、優等生になって、みんなに褒めてもらえる今の生活に、とても満足していたからです。
心に取り付けられたドアだって気に入っていました。
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でもカズンは違いました。
カズンは友達として、ボクの身に起こったことを自分のことのように怒り、ボク以上に悲しんでいたのです。
そしてちょうど一週間前、ボクがこの刑務所に入れられた日の前前日、カズンがまた真夜中にボクの部屋にやってきたのです。
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「起きろ、スケイプ。でかけるぞ!」
「カズン、今は真夜中だよ」
「かまうもんか、さっさと服を着ろ、ホラっ!」
そう言われて、ボクは言われたとおりに服を着ました。
カズンがボクのためにやってくれていることだと分かっていたので、逆らう気にはなれませんでした。
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「スケイプ、【カモフラージュシート】と【穴掘りスプーン】を忘れるな、それから【ウィルスカード】も」
「また塀の外に出るの?」
「当たり前だ! オレはどうしても知りたいんだよ。どうして塀の外にあんな世界があるのか、なんでお前の記憶を奪う必要があったのか、全部知りたいんだ!」
カズンはわめくようにそう言いました。
それからボクたちは再びバイクに乗りました。
そして脱走した日と全く同じ道をたどって、塀の外を目指しました。
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その途中、ひとつだけ不思議なことがありました。
ボクはバイクに乗ったあのきれいな女の人に再び会ったのです。でも挨拶したのはカズンのほうでした。
二人は知り合いみたいで、しばらくバイクを並べて一緒に走り、やがてまた分かれていきました。
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そして翌日の夜、ボクたちは再び目的の塀までたどり着きました。
正直脱走が上手くいくとは思いませんでした。二度目で、同じ手を使うからです。
でもカズンは絶対に大丈夫だと言いました。
ボクはまた穴を掘ってバイクを隠し、カードスロットにウイルスカードを差し込み、落とし穴の上にカモフラージュシートをかぶせてロボットたちがやってくるのを待ちました。
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デジャブというのでしょうか、ボクにはロボットたちがあの日と全く同じ行動を取っているように見えました。
ドアのチェックの仕方から、不思議そうに首をかしげる様子、そして最後に少しだけ開かれたドアの隙間、全てが同じようでした。
そしてボク達もあの日と同じように、一瞬のタイミングをとらえ、アクセルを全開にして、穴から飛び出しました。カズンがよろけたロボットを蹴飛ばし、ボク達はわずかに開いたドアの隙間に飛び込んでいきました。
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「やったぜ!」
カズンは一瞬、ハンドルから両手を離してガッツポーズをとりました。
「してやったぜ! スケイプ! 言った通りだったろ!」
そのうれしそうな顔を見ると、ボクまで何だかとてもうれしくなりました。
「オレに不可能はないッ!」
カズンが吠えるように叫び声を上げました。
なんだかボクまで心臓がドキドキするのが不思議でした。
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ボク達は壁の中のトンネルを抜け出しました。
あの日と同じく、やはり月が出ていました。
月の光に青白く染められた世界は、巨大な荒野でした。
巨大な石ころと巨大な葉っぱ、葉の影からのぞく巨大な月。
すべてあの日見たあの光景でした。
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「よく見ておけよ、スケイプ!」
「見てるよぉ!」
「これは絶対になにかおかしいんだ。こんな巨大な植物が存在するなんてありえない!」
「そうかなァ? でも実際あるんだし」
「少しはものを疑えよ、見たものを信じすぎるぜ、お前はよ」
ボク達はバイクを飛ばし、風の吹く方へ、海の見える高みへと走っていきました。
やがて風がどうにもならないほど強くなり、波の音が聞こえてきました。
ボク達はバイクをあきらめると、二人で這うようにして歩き出しました。
△
「見ろよ! 海だ! 巨大な海だ!」
カズンが叫びました。ボクたちは断崖の上に立ち、海を見ろしました。
あの日と同じように巨大な月が浮かんでいました。
あの日とは月の欠け方が少しだけ違っていましたが、あのデジャブのような感覚はずっとボクにつきまとっていました。
いまにも後ろからロボットの声が聞こえてきそうな気がしました。
するとやはり、あの日と同じくロボットが追いかけてきたのです。
ただ、今回現れたロボットは一人だけでした。
△
「また、あなたですか」
ロボットはボクを見てそう言いました。ボクは何だか恥ずかしくなり、また記憶を奪われることが何となく恐ろしくなって、うつむきました。
「もう一度処置を受けていただきます」
そのときです。カズンの声が波音より大きく響きました。
「やめろ!
その一言でロボットの動きが止まりました。
それは魔法をかけたような、不思議な一瞬でした。
△
「これは規則なのです。アトランティスで暮らすための古いルールなのです」
ロボットはスタンガンを取り出しながら、風に逆らってボクたちのほうに歩いてきました。
スタンガンの爪の間で青白い火花がバチバチと音を立てています。
「止まれ! チャールズ! ストップだ!」
カズンがまた叫びました。
その瞬間にロボットの背筋がビクンと震えました。歩き出そうと片足を持ち上げた姿勢のままピタリと動きを止めたのです。
ロボットはそのままの姿勢で、しばらくなにか考えているようでした。それからすっくと足を揃えボクたちの方を向きました。そしてお腹のあたりで右ひじを曲げ、少し頭を下げたのです。
△
「シェフ、新しい御命令を」
そのロボットは確かにそう言いました。
『シェフ』と呼びかけられた意味もよく分かりませんでしたが、それよりロボットがこんな状態になるのを見るのは、初めてのことでした。
どうやらカズンがしゃべった言葉がロボットの基本的なプログラムに引っかかったらしいのです。
カズンはにやりと笑いました。
△
ボクはカズンに聞きました。
「ねぇ、どういうこと? このロボット、なんだか初期化されたみたいだよ?」
「そうみたいだな。まぁ偶然だよ。それより、奴は新しい命令を待ってるぜ。何か言ってやれよ」
「ボクが決めていいの?」
「ああ。お前が決めろ」
△
ボクは考えました。
ボクは働いているロボットたちの事を思い出していました。
毎日毎日四角いビルの中で働いているロボットたち。人間の代わりに畑を耕し、家畜の世話をしているロボットたち。家の中で人間たちのためにご飯を作ったり洗濯したりしているロボットたち。
彼らのおかげでボクたちは遊んで暮らしています。でも一番働いているロボットたちには自由もなく、遊ぶ時間もありません。ただただ人間のために二十四時間働いているのです。
△
「ボクはロボットだけに働かせるのは不公平だと思う」
ボクはカズンにそう言いました。
カズンの顔にゆっくりと笑みが広がりました。
ボクにはお兄さんがいませんでしたが、いたらきっとこんな感じだろうな、そう思いました。カズンはなんだかとても嬉しそうに、誇らしそうに、ボクの頭をクシャッと撫でました。
「まったくいいアイデアだぜ、スケイプ!」
△
「人間が少しでも働けば、彼らの負担も減るし、そうしたらもっとみんなで楽しく暮らせると思うんだ」
「その通りだ!」
カズンはボクの首をがっちりとつかみ、うれしそうにぶんぶんと振り回しました。
ロボットはボクたちの前に立ち、無言でそれを眺めています。
それからカズンはロボットの前に立ち、こう命令しました。
「チャールズ。お前は自由だ!」
△
ロボットはそこに立ち止まったまま、じっとボクたちを見つめていました。
彼の体の奥からモーターの低いうなりが聞こえてきました。
なにかものすごい計算をしているようでした。
「あの、私は何をすればいいんでしょう?」
しばらくしてロボットがそう言いました。
「自分で考えるんだ」
「はい、考えます」
ロボットはくるりと振り返り、坂を下っていきました。
と、カズンがそのロボットを呼び止めました。
「おい、ちょっと待った、チャールズ! この命令を他のロボットにも伝えてくれ。このアトランティスで働いている全てのロボットに!」
「かしこまりました」
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ロボットは去っていきました。
ボクはロボットの背中を眺めながら、なんだか誇らしい気分になりました。
ボクたち人間に新しい仲間ができた、それを自分たちがやりとげたのだ、そう思いました。
△
それからボクたちはしばらく海を眺めていました。
巨大な海です。
やがて水平線がきらきらと輝きだし、まるで海の中から生まれるように、巨大な太陽が昇り始めました。
アトランティスで見る太陽の何百倍もの大きさがありました。
その圧倒的な巨大さ、光の量、何よりその美しさにボクたちは感動しました。
太陽の光はゆらゆらと揺れながら、空を埋め尽くしていた真っ暗な夜を追い出し、星の光を消し、輝いていた月を白い鏡に変え、空を蒼く染め上げていきました。
△
「さぁ、そろそろ帰る時間だぜ」
カズンがボクに言いました。
ボクは立ち上がってズボンについたほこりをはらいました。
でもカズンは立ち上がるようすがありません。
「カズンは帰らないの?」
「ああ、オレは残る。ひとまずここでお別れだ。バイクはやるよ」
カズンは右手をボクに伸ばしました。
ボクはその手をつかんで握手しました。
本当は一緒に帰りたかったのだけれど、そうできないことは何となくわかっていました。だからボクは坂を下っていきました。
途中で一度だけ振り返ると、すでにカズンの姿は消えていました。
△
ボクはバイクに乗ると荒地を引き返し、塀の内側、アトランティスへの帰り道につきました。
トンネルをくぐり、塀の内側に入ると、ずいぶんと静かなことに気がつきました。
重そうなドアを閉めると、少し離れたところに警備のロボットたちがいるのに気がつきました。彼らはひとかたまりになって、何事か話しているようでした。
ボクを捕まえにくる様子はありませんでした。
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ボクはそのまま自分の家に向かって走り出しました。
酪農エリアでは、牛や豚がずいぶんと道路に寝そべっていました。
ロボットたちは木陰でひと固まりになり、近付いてくる鶏に餌をやっていました。
そしてボクの姿を見ると、手を振ってよこすのでした。
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農業エリアでもロボットたちは労働をやめていました。
このエリアのロボットたちも集まってなにやらおしゃべりしていました。
それでもボクが通ると、みんなで一斉に手を振ってくれました。
工業エリアは全てのビルの明かりが消え、がらんとしていました。まるでゴーストタウンのようです。
しばらく走ると、彼らが街に繰り出している事が分かりました。
公園では老人や子供たちに混じってロボットの姿が見られました。
考えてみればこれは今まで見たことのない光景でした。
でもそれはとてもすばらしい光景だと思いました。
△
ボクはそのままバイクを進め、やがて首都のブライトに入りました。
ここでも同じように、ロボットたちが町の中で人間と一緒にいるのを見ました。
でもここでは少し混乱が起きているようでした。
よく見るとお店のドアがほとんど閉められていました。
それにあちこちで人間がロボットになにやら命令しているのが見えました。
まぁ初めてのことだから無理もないな。
ボクはそう思い、バイクを出そうしました。
△
そのときです。
「君がスケイプ君だね?」
黒のスーツにサングラスをかけた人が、ボクのバイクのハンドルをつかみました。
「はい、そうですが……」
「ちょっと一緒に来てもらうよ」
「どうしてですか?」
「君が犯罪者だからだよ」
ボクは怖さのあまり、一瞬逃げ出そうと考えました。
たぶん相手にもそれがわかったのでしょう。
その男は胸ポケットからスタンガンを取り出し、素早くボクの首に当てました。
それっきりボクの意識は消えました。
△
ちょっとあっけないけど、これがボクの冒険の最後でした。
△
こうしてボクは捕まって、ここにやってきました。
そして二百年ぶりの裁判を受けることになったのです。
ボクが話せるのはこれで全部です。
【おわり】
【追記】
これから裁判が始まります。
何度も言いますが、ボクはなにも悪い事をしていません。
もちろんカズンもそうです。
チャールズもモノも父も母も、誰も悪くはありません。
ボクは人間とロボットが仲良く暮らす社会がくれば良いと、今でもそう思っています。それが悪いことだというなら、ボクの何かがこの世界からずれているということなんだと思います。
でも正直に言うととても不安です。
そのせいなのか分かりませんが、ボクの頭の中には今、あの衝動がよみがえってきています。
なんでこんな時にそう思うのか分からないけど、ボクは今、無性に自分の頭を殴りつけたくなっています。
頭の中に弾け飛ぶ、あの無数の銀色の小さな火花。
あの美しい火花がボクの心の中一杯に広がって輝いています。
たぶんボクはこの衝動に勝つことは出来ません。
ボクはいつだってあの光の中に飛び込まずにはいられないのです。
だからやっぱり作文はここまでです。
E.スケイプ
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