裁定の鎮魂歌
彼の脚の状態ではそう遠くへは行けないはずなのだが、付近にそんな気配もない。
「いませんね・・・・・・あなたの言うとおり、彼は私を欺いていた、ということなのでしょうか」
永書記が裏切った――正確には表返ったというべきか。とにかくそのことに対してそこまでのショックはない。
元々彼をそこまで信じていたわけではないし、いつかは裏切られる関係だったと自負している。玉座を探す方法がなくなったのは残念極まりないが、仕方ない。
――マリョクヲカンジル。マダ、トークヘハ、イッテナイハズ
「彼は脚を痛めていましたから。まぁ、それが演技だったのかどうかまでは、知るところではありませんが。近くから私達の様子を窺っているのかもしれませんね」
「誰の話をしているんですか?」
声がした。そこにいたのは、両手に赤い果実を握りしめた永書記だった。痛めているはずの脚は、濡らした布を巻いている。
「その方は?」
――永書記?
「はい」
「ど、どうしたんですか? それに、その方は――」
永書記が近づこうとすると裁定者は黒馬から飛び降り、純騎士を守るように出ると同時に二本の西洋剣を抜いた。
その早業に、戦士ではない永書記は思わず両手の果実を落とし、遅れながらに脇に挟んでいた本を開き、ペンを具現しようとする。
が、それを裁定者が許すことはなく、素早く永書記の首に剣を向け、切っ先を突きつけて動きを封じた。わずか数ミリ先の刃に恐れ、永書記の具現は止まる。
「な、何を――どういうことですか、純騎士さん!」
「あなたに虚偽の疑いがあると、そこの首なしの騎士が教えてくれました。故にあなたを裁定し、真偽のほどを見極めます」
「そんな・・・・・・確かに今の僕は、あなたに何もできてません。迷惑ばかりかけてます。でも、だからって嘘をつくだなんてこと・・・・・・」
「ここからは彼に任せます。彼の質問に、正直に答えてください。何もないというのなら、問題ないはずです」
「・・・・・・わかりました。お受けします」
顔のない裁定者が、ニヤリと口角を持ち上げた気がした。
それと同時、裁定者は永書記に向けていないもう一方の剣を深々と突き立てる。するとそれはどんな類いの魔術か、彼を中心として世界が大きく歪み、小さな世界が構築された。
それは裁判所。被告を裁き、裁定する審判の場。
裁くのは無論、裁定者の名を冠した首なしの騎士。そして裁かれるのは、自らの潔白を謳う永書記という名を持つ青年。
二人の間に境界はなく、向けられている剣が裁定の断首刀。一度でも嘘を語れば、その首は制裁のために無慈悲に首を断ち切り、命を殺すだろう。
美しい光沢を放つ純黒の裁判所に、三人は転移していた。
いつの間にやら世界が変わっていたことに、純騎士は驚きを禁じ得ない。
自らの魔力と世界を漂う魔力を結合させ、固有の世界を作り上げる魔術を結界魔術と呼ぶが、それは大魔術師でもそうできるものはいない超高等魔術だ。
つまりはこの首なしの騎士が、それほどの実力者だということである。さすがこの戦争の裁定者を名乗るだけはある。彼に刃向かえ、かつ勝てるのは、世界規模で見ても、指折りの実力者だろう。
――永書記、イマカラミッツノシツモンヲスル。ショージキニ、ホコリヲモッテコタエヨ
「・・・・・・わかりました」
――デハ、神ニイノレ
裁定者の言うとおり、永書記は黙祷し神に祈る。その神はおそらく天界ではないのだろう。神と名乗るこの戦争の支配人は、この現状を打破できないのだから。
――第一問。シンジツニテコタエヨ
――ソナタハダレダ、ドコノダレダ、ナヲナノレ。コエタカラカニ、ウタイアゲヨ
「……リブリラの、永書記。リブリラで十年間世界の史実を書き留め、記し続けた者。リブリラでは、僕のことをそう呼んだ」
――第二問。シンジツニテコタエヨ
――ドウシテコノミチヲイク。ドウシテコノヤマヲコエル。コタエヨ、コエタカラカニ、ホーコーセヨ
「それは……」
天界の玉座をも見つけられる、永書記の物探しの魔術。これは言うなれば、この戦争の常時使用の切り札だ。他の参加者に知られるわけにはいかない。
もし裁定者が嘘をついていて、他の参加者の使い魔や刺客だったなら、この情報はその参加者に渡ってしまうだろう。永書記はそれを懸念しているのだ。
だが純騎士は、言ってしまえと顔で示す。今まで多くの魔術を見て来た騎士の勘が、ここは嘘を言ってはいけないと告げていた。
その警告を聞き入れて、永書記は重くしていた口を開いた。
「僕には玉座を探す方法が、参加者を倒す以外にあります。失せ物探しの上位版、と言えばいいですか。その魔術で、僕は玉座を探し当てることができる。今回はこの山を越えるのが、最短ルートだと思ったまでです」
ここまで二問。
相変わらず文章で会話しているので――というか、そもそも表情というものが首なしの騎士にあるわけもないので、彼の反応がまったくわからない。
片手は絶えず次々と文章の刻まれた紙切れを出しているというのに、もう一方の手は一ミリも動くことなく、永書記の首筋に切っ先を向けていた。
まだ信用に足らないのか。彼の中で行われている判定は、最後の一問で完成するのだろうか。それら一切が読み取れない。
故に永書記はもちろん、側で見届けている純騎士ですらも、固唾を飲んでその場に立ち尽くしていた。
――サイゴノトイダ、イツワリナクコタエヨ
――コノバショノナハナンダ。コノタキノナハナンダ。セイカイヲノベヨ、コタエヲソー、コエタカラカニ、ウタイアゲヨ。ウタウノダ
それが最期の問い。だがその内容を聞いた純騎士は、何故そんなことを聞くのかわからなかった。永書記が嘘をついているのかどうか、それを知るための質問ではないと思うからだ。
もっと彼の素性とか、魔術の正体とか、そういうものを突き詰めると思っていたのに。彼の質問は、名前を訊いて、この山を越えた理由を訊いて、そしてこの場所を訊いただけ。
一体何がしたいのか、その意図がわからない。
だがもしかして、やはり裁定者は誰かの刺客なのではないだろうかという疑問がここで再沸する。
最初と最後の二問はダミーで、二問目こそ真の問い。その答えを聞くためだとしたら……なるほどその線は充分にあり得る。
だとしたら、裁定者は敵だ。情報を持ち帰るまえに、始末しなくては。実力はおそらく自分より上だが、二人係ならまたなんとかなるかもしれない。
かなりの賭けではあるが、可能性は低いが、ゼロではない。
そう思って、いつでも突撃できるようにレイピアに手をかけ、右脚を半歩前に出した。何かしらの動きさえあれば、突撃する。
――と思っていたのは、永書記がその問いに答えるまでだった。
「僕は知りません。ここに暮らしているあなたの方が、ご存じなのではないですか?」
「え……」
「え?」
数秒の沈黙。純騎士は永書記の回答に疑問を抱き、永書記はそんな反応をしている純騎士に何故という反応を示す。
そして数秒続いた沈黙を破ったのは、周囲から聞こえるノイズだった。
最初はとても小さく空耳かと思ったが、それは段々と大きさを増し、やがてそれが人の声だとわかるまで広がってきた。
裁判所の四方八方から、酷く雑音が混じった声で彼らは騒ぐ。
イッタ」
「イッタ*
「タシ*ニイ*タ
「ウタエ*イッ*ノニ」
「コエ*カ*カニト*ッタ*ニ
ウソツキダ
「ウソツキダ
「リ*リラノ永*記ハウ*ツキダ」
「そ、そんな、僕は何も嘘だなんて――!」
「イ*ヤウソ*キ*
*ソ**ダ
「ダ*テソ*タハニカ*モウソ*ツ*タ」
ニカイ*ウソツイ*」
ソノウ*ヲウタイアゲヨウ」
「コエタカラカニ、ウタイアゲヨウ」
「サァ、ウタエ。
次々と口走るノイズ達が、徐々に黙り始める。そしてしばらくすると、今までと違ってずっと澄んだ、高級な楽器で奏でているような高価な音が鳴り始めた。
そして周囲の席に黒い何かが現れる。黒く細いその塊からは、小さな口だけが見えている。そして彼らは等しく口角を持ち上げ、怪しい笑みを浮かべて曲に乗っていた。
そして歌う。
♪ さぁ! 嘘つきは誰? 嘘をついたのは? (リブリラの リブリラの リブリラの 永書記だ)
さぁ! 罪状は? 嘘つきの罪状は? (無慈悲の 無慈悲の 無慈悲の 鉄槌を)
これはゲーム 玉座を奪い取り 座れば勝ちの シンプルゲーム 自分以外は 皆が敵さ 心を許すな 共に闘うなど 決して
(台詞:嘘をつき、騙し合い、お互いを牽制し合う Liar game! だなんて、そんな心理戦他でやればいい! 座れ! 座れ! たった一つの玉座を巡って、奪い合え!)
王の命を受けて ゲームに参加した 元は何も できやしない 男
(台詞:戦士でもなければ魔術師でもない。この戦いのために禁忌に等しい魔術を植え付けられ、人格すら変えられた)
それが この男
さぁ! 鉄槌を! 鉄槌を! 鉄槌を!
落とせ 下せ
喝采される拍手もなければ、轟く歓声もない。歌と音楽によって彩られた裁判所は再び漆黒に包まれた静けさを取り戻し、裁定者は切っ先を向ける剣に力を入れた。
「い、今のは一体……」
「審判の時だ」
不意に、それは喋った。
今まで紙切れで会話し、首がない故に発言することが不可能だと思われていた裁定者が、どこにもない口を開いたのだ。
低く、それでいて重い声だった。一度でも返答を間違えば、その声に静められてしまいそうなほど、恐ろしいと聞こえた。
「裁定の時だ」
「判決の時だ」
「断罪の時だ」
消えたかと思っていた黒の細い塊も、まだそこにいた。裁定者に合わせ、口々に続ける。だが裁定者が待てと手で指示をすると、彼らは一瞬で黙った。
「三つの問いに対して、其方は二度偽りを持って答えた。故に裁く」
「そんな、どうして……どうして僕が嘘をついてるだなんて言えるんですか? 僕の答えが嘘と、何故言えるんですか?」
「まず第一に、何故私がこのアトランティアに住んでいると知っていた」
そう、それが純騎士の疑問。何故そのことを知っているのだと、表情に問うたことだ。それが明らかな謎だった。
そのことに、今頃永書記は気付いたらしい。少し表情が強張ったと思えば、薄い蒼白になって目を一瞬だけ見開いた。
だがすぐさま表情を元に戻す。まだその顔にはかなりの緊張感と恐怖がにじみ出ているが、それでも平静を保とうとしている様子だ。
だが今更遅いと、裁定者の低い声色が告げる。
「其方は言ったな。ここがどこだかわからない、と。
「そ、それは……」
「第二に、其方の魔術で玉座を見つけ出すのは不可能だ。失せ物探しは魔力を辿り見つける術。だがあの玉座は、天界の長にも解明できぬ魔力をまとわぬ物質でできている。故に、そなたに玉座の場所を知ることはできぬ」
「そんなバカな! だって、僕はこうして探して――! 現に反応だってあったんです! そんなはずはありません! 僕の魔術は、玉座を探せます!」
ここに来て、永書記が初めて声を荒げる。
だがその必死さも、純騎士にはわからなかった。
理不尽な言いがかりをつけられて憤慨しているのか、それとも事実を突きつけられて困惑しているのか、それとも嘘を見抜かれて焦燥しているのか。
どんな理由で彼が今声を荒げたのか、純騎士には決めることができなかった。
だが裁定者は違う。
憤慨だろうと困惑だろうと焦燥だろうと、言葉は言葉。永書記の感情に関わらず、彼から出た言葉を呑み込み、噛み砕く。そしてそこから見出される真実と虚偽を、識別しているようだった。
「残念だが、それはありえない」
「何故そんなことが言えるのですか?! 何か証拠でもあるのですか!?」
形勢を逆転しようと、永書記が吠える。
だが確かに、玉座が魔力を帯びていない物質だという確証はまるでない。何せここには玉座はなく、その証拠もないのだから。
だがそれは、永書記もまた同じだった――
「ではそちらも、玉座を見つけられるという根拠はどこにある。今まで一度だって、その魔術で玉座に辿り着けたか」
「それは……」
そう、永書記はまだ、この魔術で玉座まで辿り着けたことはない。まだ三日目ということもあるだろうが、それでも事実だ。
それにこれまでに二度永書記が見つけているそれが、玉座であるという確証もない。本当は何も見つけていなくて、どこかに誘導しているという可能性もあるのだ。
それを否定できない永書記は、言葉を失って唇を噛み締める。
「そして、これはまだ罪とは呼べないが――其方は今、純騎士殿を殺そうとしているな」
「な、何を――」
「証拠は……その果実なり」
そう言って、裁定者は剣を持っていない方の手を翳す。すると落ちていた果実がゆっくりと浮遊し、裁定者の手に納まった。
「この森の植物、果実はそのほとんどが猛毒である。中には命をも奪うものもある。この果実がそうだ。食せば数時間昏睡状態に
「確かに……僕は純騎士さんと食べようと思って取って来ました。だけど、それは僕がこの果実のことを知らなかったからで――」
「知らなかったと申すか。ならば、それはどうした」
裁定者が軽いモーションで果実を当てたのは、痛めているはずの永書記の脚。そこは何かが濡らしていて、永書記のズボンから度々垂れているのだ。
それを浮遊した果実は器用に
「この猛毒の森の中で、何故其方が塗ったその草が薬草だと知っていた。その薬草が生えているのは、この森でもこの付近のごく一部。この滝壺に休憩場所を決めたのも、それを知っていたからだろう」
「そ、それも偶然――」
「で片付けるのか」
「無理があるな」
「こじ付けだな」
「言い訳にしても見苦しい」
周囲の黒が、再び口を開く。全員が口々に、偶然と言い張ろうとしている永書記を責め立てた。
彼らの罵声の雨の中で、裁定者は一番小さく低く、しかして一番響く声で言った。
「其方は私のことを知っており、この大陸のことも知っている。玉座の探知は叶わず、其方は別の目的で純騎士殿をここまで連れて来た。以上、真実は歌い上げられた」
再び音楽が鳴り渡る。
座っていた黒は立ち上がり、その巨大な口を開けて再び歌い出した。
♪ 嘘つきの裁定 これにて終わり
嘘つきの罪は たった一つ
(台詞:嘘つきの罪。それは人を騙したこと? 人を殺そうとしたこと? 否! その嘘でもって、ルールを犯そうとしたことにある!)
断罪の鉄槌を 裁定の一撃を 判決の歌を
落とせ!
(台詞:審判は下った。被告、リブリラの永書記の刑は――)
無期懲役!!!
黒が同時に消え去り、代わりに永書記を漆黒が包む。そのときの永書記の表情はと言えば、純騎士からはチラリとしか見えなかったが、酷く落ち着いた様子で吐息していた。
そして、目の前の裁定者にもギリギリ聞き取れないかくらいの微かな声で、告げる。
「もう少しだったのにな……」
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