かがやく名前

 その夜、ばんご飯を食べながら、お父さんがさりげなくあたしの名前をよんだ。

「美由」

「なあに?」

 お父さんは小首をかしげてこまったように小さく笑うと、真顔にもどって言った。

「学校で何かあっただろう」

 見破られた。まあ、魔法使いなんだから当然だ。あたしは素直に白状することにした。

「うん」

 でも、歩音ちゃんのグループをぬけたことについては、何も言う必要はない。正しいことをしたって自信があるから。問題は笠寺さんだ。こっちについては、せたかさんのアドバイスが必要だと思った。

 あたしの話を一通り聞くと、お父さんは言った。

「そう言えば、あだ名についてはあんまりしっかり教えてなかったね」

「うん。ちょこっとだった。『そっくりな人形じゃなくてもいい』って」

「よし、では今夜は、〈名前の魔法〉の補習ほしゅう授業をやるとしよう」

「補習授業って?」

「ふつうの授業で教え切れなかったところを、おぎなう授業だよ」

「ふうん。分かった」

 そうしてごちそうさまの後、順番におふろに入り、パジャマに着がえて、久しぶりに祭壇の前に……と思ったら、今夜は居間で映画を見るという。一体どんな授業が始まるんだろう。


          *


 お父さんは映画好きだ。お父さんの部屋には昔の映画がずらっとならんだDVDラックがあって、休みの前の日にはそこから好きなのを選んできて、居間で楽しそうに観ている。あたしはその横で宿題をやっていることが多い。お父さんが同じ映画を何度も観るせいで、ストーリーが全部頭に入っているからだ。でも、今夜のは初めて見るタイトルだった。

「これはお母さんとの初デートで観た映画なんだ。君が魔法使いになったら観せようと思って取っておいたんだよ」

 と、お父さんがせたかさんのしゃべり方になりながら、DVDのビニールをはがす。

「お母さん、どんな感想言ってた?」

「残念ながら、君の母親はとちゅうでねてしまったのだ!」

 あたしはおかしくてくすくす笑った。初デートでねちゃうなんて、お母さんもあたしに似てぬけたところがあったんだな……。いや、あたしがお母さんに似てるのか。

 トレイに置かれたディスクがプレイヤーに飲み込まれ、映画が始まった。それはアメリカの西部劇せいぶげきで、ある白人の兵隊がインディアンの部族と出会い、仲良くなっていくという話だった。面白かったのは、インディアンの人たちがみんな、〈ける鳥〉とか〈風になびくかみ〉とか、一風変わった名前をしていたことだ。

「みんな変な名前だね」

「うん。あれはインディアン・ネームといって、あだ名のようなものだ。本当の名前は、本人と名付け親以外には、おたがい秘密にしているんだよ」

「ふうん。魔法使いみたい」

「魔法使いさ。あの時代のインディアンは、一人残らず〈正式な魔法使い〉だったんだよ」

「へえー!」

 魔法使いの一族! なんてかっこいいんだろう。

 ところがずっと見ていると、一人のインディアンが兵隊のぼうしを勝手に自分の物にして、口げんかになるというシーンがあった。

「魔法使いなのに、ぬすんだぼうしをあんな堂々とかぶって、見破られないと思ったのかな」

「残念ながら、〈正式な魔法使い〉になったからって、必ずしも高い能力が手に入るとは限らないんだな。しっかり修行しないと、ダメな魔法使いになっちゃうんだよ。ヒイラギさん」

「うへえー。がんばります……」

 それは痛いほどよく分かる。ヒイラギミユキになったのに、あたしはまだ一度もまともに魔法を使えていない。きっと甘粕くんや丹原くんのほうがすごい魔法使いなのだろう。なにしろあたしはクラスで一番年下で、魔法を教わり始めたのも一番おそいから。

「さあ、ここが一番大事なところだ!」

 映画がずいぶん進んだところで、せたかさんがあたしに注意をうながした。それは、ヒロインの〈こぶしをにぎって立つ女〉という人が、なぜそんな名前でよばれるようになったのかを兵隊に語るシーンだった。

 その人は子供のころ、意地悪な女に「悪い名前」でよばれ、いじめられていた。だがある時とうとう腹にすえかねて、その意地悪な女を思い切りなぐった。意地悪な女はたおれ、その人はこぶしをにぎって立ちながら言った。「他にあたしを悪い名前でよびたいやつはいるか」。それ以来、その人は〈こぶしをにぎって立つ女〉とよばれるようになった──。

「笠寺さんも、郡くんたちをぶんなぐっちゃえばいいのかな……」

「うーん……それはさすがにやりすぎだな。このシーンの意味はそういうことじゃない。大事なのは、『あだ名とは何か』ってことだ」

「え?」

 そんなこと、考えたこともなかった。

「あだ名には三つの目的がある。一つ目は、本当の名前にさわらないこと。つまりあだ名は、そっくり人形とは別の『身代わり人形』というわけだ」

「うん。魔力を弱めるためだよね」

「その通り。それどころか、あだ名が本名と全然ちがう形なら、魔力をゼロにできる。親しい関係だと、つい強い魔力をぶつけてしまうことがあるから、それをさける知恵ちえなんだよ」

「へえー」

「二つ目は、仲間のあかしだ。君にはまだ分からないと思うが、大人になってから昔の友達に会うと、おたがいにあだ名でよび合って、なつかしい気持ちになるものでね。これは、『おれたちはあのころからの仲間だよな』という気持ちを確かめ合っているんだ。もしその場にもう一人別な人がいても、その人は私の仲間をあだ名でよぶことはできない。つまりあだ名は、仲間を認識にんしきする『パスワード』でもあるわけだ」

「ふうん……」

「そして三つ目は、相手がどんな人かを表わす『プロフィール』だ。たとえばこのヒロインの〈こぶしをにぎって立つ女〉というあだ名は、意地悪な女をなぐった出来事とセットになっている。この人が、どんなとき、何を思って、どういうことをやる人なのか。そういうことが、このあだ名を聞けば一発で分かるわけだ」

「うーん……でも……」

 せたかさんの話は、頭では分かるんだけど、あたしには実感が持てなかった。というのも、柏小では「お友達をあだ名でよぶのはやめましょう」と教わってきたからだ。いじめの原因になるからだそうだ。だから、歩音ちゃんのグループにいたときも、おたがいにあだ名はつけなかった。桜谷小ではあだ名はOKみたいだけど、そのせいで笠寺さんはいじめられている。やっぱりあだ名は、いじめの原因になるんじゃないだろうか。

「でも笠寺さんは、ドロボウでもないのにコソドロってよばれちゃってるよ」

「うん。そのあだ名をつけた人は、〈名前の魔法〉が分かってないね。きっとふつうの子か、〈名無しの魔法使い〉だろう。あだ名っていうのは、『本当のその人らしさ』を見破ってつけないとダメなんだよ」

「『本当のその人らしさ』……」

「〈こぶしをにぎって立つ女〉は、意地悪な女をなぐったとき、生まれて初めてその人らしい行動を取った。だからみんなの目にかがやいて見えたんだ。かがやく名前は本人のプライドにつながり、よぶたびにその人らしくふるまえるよう勇気づける。これが、あだ名の魔力だ」

「かがやく名前……」

「もちろん、センスも問われるけどね。まず本人が気に入ってくれないとダメだし、みんなが面白がって使ってくれるようなのを考えないと」

「そっか……。でもさあ、みんなが面白がるあだ名って、意外と失礼なの多くない?」

 例えば、学級委員の大戸くんのあだ名は「じじい」だ。なんとなくおじいちゃんっぽいかららしい。本人が平気で返事しているからいいけど、へたをしたらいじめになると思う。

「ヒイラギさん、失礼っていうのは、少しだけなら必要なことなんだよ」

「えっ!」

 またもや常識をひっくり返す教えが出た。これが魔法のおそろしいところだ。

「あくまで『少しだけ』ならね。それは、人と人が仲良くなるための最初の一歩なんだ。例えば、子ねこがじゃれ合ってるところを想像してごらん。少しだけひっかいたり、かみついたりしているだろう?」

「うん」

「もしも本気でひっかいたりかみついたりすれば、相手は大けがしてしまう。そしたら仲良くなれない。でも、少しだけならそれは楽しい遊びだ。いっしょに遊べば仲良くなれる。人間も同じなんだよ。少しだけの失礼が、友達になるきっかけを作るんだ」

「なるほど……。ああー、むずかしいなあ。どれくらいの失礼ならいいんだろう」

「それは、失敗しながら覚えていくしかないね。魔法は、毎日の全てが修行だから」

「うわあー……大変だなあ……。でもがんばる」

「よし。それでは、補修授業はこれでおしまい。おっと、映画がずいぶん進んでしまったな」

 と、お父さんはリモコンを手に取り、DVDのチャプターをもどした。


 映画はそこから〈こぶしをにぎって立つ女〉と兵隊のこいが深まっていく様子がえがかれて、まあ面白かったんだけど、とにかく話が長くて長くて、インディアンたちが他の部族と戦っている間、あたしは必死にねむけと戦った。が、とうとうあたしは戦いに敗れ、結婚式けっこんしきのシーン辺りで、すーっとねむりに落ちてしまった。次の朝そのことをあやまると、お父さんは、

「ねるタイミングまでお母さんと同じだったな」

 と言って笑った。


          *


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