ひょうたん

 〈名前の魔法〉の授業も、いよいよ今夜で最後。それは、こんな感じで始まった。

「ヒイラギさん」

「はい」

「これで今、君は私のコントロール下に入った。どういうことか分かるか?」

「へ? 名前をよばれたからでしょ?」

「それだけではない。防御ぼうぎょしなかったからだ」

「防御?」

「今日はその方法を教える」

 なるほど、〈名前の魔法〉にも防御魔法があるようだ。確かに、名前をよばれるたびにいちいち心を支配されていたら、たまったものではない。

「まず一つ目は、相手の名前をよび返すという方法だ」

「〈対抗たいこう魔法〉だね」

「その通り。よく覚えていたな。でも、こっちが相手のそっくり人形を持っていない場合もある。そんな時はどうするか……」

「どうするの?」

 するとせたかさんは、ふいにだまりこんでしまった。鏡ごしにあたしを見て、笑っている。

「分かんない。教えて」

 せたかさんは教えてくれない。ほほ笑んでだまったままだ。

「ねえ、せたかさん」

 名前をよぶと、せたかさんはひょいっとまゆ毛を上げてみせた。

「……どういうこと?」

 しびれを切らしておこった声を出すと、やっとせたかさんは声を立てて笑いだした。

「ハハハハ。すまんすまん、でも、これがその方法なんだよ」

「無視するってこと? でも、それって掟にそむいたことにならない?」

 第五の掟──受けた魔力は、返さなければならない──。

「無視とはちがうな。ちゃんと君を見てただろう? そうしないと、聞こえなかったのかと思われてしまう。そうじゃなくて、『わざとですよ』ということを相手に示すんだ」

「相手を見ながら、だまるの?」

「そういうこと。つまり、『返事をしない』というテクニックだ」

 またもや世界の常識をひっくり返すような教えがとび出した。返事をしないだなんて、そんなことが許されるのだろうか。

「……でも、『名前をよばれたら元気よくお返事しましょう』って教わったのに」

「学校ではな。だが、魔法の世界ではそれは良くないことなのだ。いいかヒイラギミユキ、魔法使いというものは、名前をよばれても、かんたんに返事をしてはいけない。返事をするかどうかは、よく考えた上で、自分の意志で決めるのだ」

 ひさしぶりにヒイラギミユキとよばれた。つまり、これはとても大事な話なのだ。

「返事をすると、相手がつかんだそっくり人形を、『確かにそれは私のです』と認めたことになってしまう。それは、その人形を使うことを相手に許したということだ」

「ダメなの? それが本当に自分の人形だったら、それでいいじゃん」

 せたかさんは笑って首をふった。

「言っただろう? 人形には服を着せることができる。箱に入れることもね」

「そうか!」

「それから、『あだ名』というのもある。そっくり人形とは別の、全然ちがう人形を持ち出して、相手をよぶという魔法だ」

「あだ名か……!」

「あだ名は面白い魔法だぞ。なにしろ相手にそっくりじゃなくていいんだから。どんな人形を使ってもいいんだ。神様の人形でも、怪物の人形でもね。うっかり返事をし続けていると、その人は〈考え〉の形を神様にも怪物にも変えられてしまう」

「こわいじゃん!」

「ハハハ。でも、それだけ返事は大事ってことだ。ほら、西遊記に出てくる金閣と銀閣を知ってるだろう?」

「うん」

「あいつらが持ってるひょうたんは、うっかり返事をした者をすいこんでしまう」

「そうだった。それでずっと中にいると体がとけちゃうの」

「うん。つまり、何も考えずに返事をするということは、そういうことなんだ。完全に相手の支配下に置かれ、自分の〈考え〉がどろどろにとけてなくなって、相手の〈考え〉でしか行動できなくなってしまう。あの物語を考えた古代の中国人は、きっとすぐれた魔法使いだな」

「でも、返事をしなかったら、相手に変に思われない?」

「思われていいのさ。そうして、やり直しをさせるんだ。返事をするかどうかで、自分をどう呼ばせるかコントロールできるってわけだ」

「なるほど……!」

「気を付けなければいけないのは、一度『返事をしない』と決めたら、絶対に声を出してはいけないってことだ。『はい』だけじゃない。『え?』とか『は?』とか、そういう声もダメ。とにかく何か声を出せば、返事をしたことになってしまうからね」

「分かった……」

 これは確かに重要なテクニックだ。しかし、あたしはふと、あることに気が付いた。

「あれ? でも、あたしはヒイラギミユキなんだから、せたかさん以外の人に名前をよばれることはないわけでしょ?」

「それはそうなんだが、『返事をする』っていうのは不思議なものでね。人によばれて何度も返事をしていると、その名前が心にしみこんで、いつしか本当の名前になってしまうんだよ。だからこの先、『瀬高美由』とよばれるたびにただなんとなく返事をしていたら、せっかく燃やした古い名前がもう一度魂とつながってしまう。そうしたら、ヒイラギミユキという魔法の名前に何の意味もなくなってしまうぞ」

 それは大変だ。あのたんじょう日の儀式ぎしきをムダにするなんて、そんなこと絶対したくない。

「待って、じゃあこれから『瀬高美由』の名前でよばれた時は、どうすればいいの?」

「よく考えて、自分の意志で返事をすればいいのさ。それは、うそをついて相手をだますのと同じことだ。表向き『ええ、あたしは瀬高美由ですよ』という態度を取りながら、心の中では『本当はヒイラギミユキですけどね』とでも思っておけばいい。この場合、コントロール権は完全に君のものだ」

「おおー」

「さあ、これでひとまず〈名前の魔法〉は終了だ。何か質問はあるかね? ヒイラギさん」

「えーと……、ありません!」

「では、しばらく授業はお休み。君の準備が整ったら、次の魔法を教えよう」

「へ? 準備?」

「フフフ。分からないか? ヒイラギさん」

「うん。分からない」

「ハハハハ。まだ準備はできていないようだな。まあ、これまでの授業をしっかり忘れずに過ごしていれば、いつか必ずその日がくるよ」

「うーん……。分かりました……」

 ちょっともやもやした終わり方だったけど、とにかくこれで、あたしは魔法を一つ身に着けたのだ。魔法使いヒイラギミユキ、一つ目の魔法は〈名前の魔法〉。さあ、果たして使いこなすことができるだろうか──。


          *


 先生が一人ずつ名前をよぶと、ろうか側の一番前の子から、順番に立って自己紹介をしていく。さっきのイケメングループのリーダーは、甘粕あまかす太郎くんという名前だった。

「自分は、曲がったことが大きらいなんで、みんなと真っすぐ向き合っていきたいと思ってます。よろしくおねがいします」

 という、堂々とした自己紹介。見た目に負けないかっこよさだ。そして、まど際の美少女の名前は番場ばんば瑠璃奈るりなちゃん。

「番場瑠璃奈です。特技は、クラシックバレエです。よくガンバルリナって言われるので、いろんなことをがんばろうと思ってます。よろしくおねがいします」

 と、お茶目なダジャレをおり交ぜて、男子たちの人気を一気にかっさらった。歩音ちゃんはというと、

「久里戸歩音です。特技はフランス語です」

 と言ってみんなをどよめかせた後、すぐに「うそです」と白状して笑いを取っていた。人の心をひき付ける、歩音ちゃんらしい自己紹介だ。他の子たちも、一発ギャグをやったり、将来しょうらいの夢を語ったり、それぞれ個性的な自己紹介をしていた。この中に、魔法使いはどれだけいるのだろうか。一体だれが正式な魔法使いで、だれが〈名無しの魔法使い〉で、だれがふつうの子なのだろうか……。

「瀬高美由さん」

 だれかがよばれている。

「瀬高美由さーん」

 もう一度よばれた。ハッとして立ち上がったひょうしに、太ももをつくえに思い切りぶつけてしまった。みんながどっと笑う。顔が真っ赤になっていくのが、自分でも分かった。

「ハイ! あっ、えっと、ヒッ」

 ヒイラギミユキって言っちゃいけない、と思ったばっかりに、その一文字目がつい口から飛び出し、しゃっくりでもしたみたいになってしまった。みんながまたどっと笑う。

「瀬高美由です……。お料理が好きです。よろしくおねがいします……」

 みんな笑いながら手をたたいていた。「最後にいいオチがついたな」というだれかの声が聞こえる。あたしは太ももをさすりながら席に着いた。

 こうして、ヒイラギミユキの魔法使いデビューは、散々な結果に終わった。

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