何事もなく

 瀟洒なホールは夜だと言うのに灯りに満ち満ちている。

 ここに集った客達も流行の衣類や装飾品に身を包み、己を広間に見合った花としていた。

 いつもの悪所ではなく、れっきとした貴族街の一隅。

 場違いなことこの上ないと思いつつも、コウカは壁の花ならぬ壁の草と化していた。


 いつもの動きやすい格好ではなく、黒を貴重としたダブレットは硬めの襟が窮屈だ。ところどころに走った銀色の線に意味は何かあるのだろうか?とは思っても服飾に造形があるわけでもなければ、感性が優れている訳でもない。

 用意された物を黙って着ているだけだ。


「どうだ?セネレ…俺の格好何か変じゃないか?どうにも、こういう格好は慣れん」

「堂々としてれば似合ってる。そういう風に気にしてると似合ってない。つまり、今は似合ってない」


 相棒の返答に一瞬肩を落としたコウカだったが、気を取り直して胸を張ってみる。


「ん、いい感じ」


 そういって頷く灰の少女の装いは、少女の物ではない。少年風の従者じみた衣服で身を包んでいる。つまりは小姓の格好であった。

 ぴったりとしたズボンに下半身を包み、真白いシャツ姿のセネレは声を除けば美少年で通じるだろう。元々があまり起伏の無い体つきでありながら、戦闘訓練を積んだ彼女は奇妙な魅力を放っている。


「姐御は…慣れてそうだな、こういうの」


 目線の先にはサルグネがどこぞの小太りと談笑している姿があった。

 姐御、と呼ぶのに抵抗が無い日頃の気風もどこへやら。おしとやかに、かつ艶然と微笑んで、上品に振る舞っている。

 ドレスのスリットは日頃よりもむしろ控えめである。足よりも胸部へと目線を誘導させるかのような格好であった。

 相手の男はだらしのない顔つきになっており、綺羅びやかな緑色の衣装が途端に下品な印象を持つから不思議なものだ。

 衣服というものの印象は中身とセットであるらしい。


 今日は中級貴族が催した夜会に出席するサルグネを護衛するために、コウカとセネレはやってきていた。

 とはいえ、広間そのものに入れるわけではない。隣接する従者達の間から扉を通じてさり気なく主を見守っているという次第だった。


「何かあったら、セネレの方が役に立ちそうだな。何か食える訳でも飲める訳でも無し。何しに来たのやら」


 騎士籍も爵位も持っていない2人は帯剣を許されていない。靴に隠した短剣のみが武装で、他の従者達も同様らしい。

 短剣を全く使えない…という訳でも無いコウカだったが、やはりセネレの方が専門である。すばしっこい動きも人の間を縫うのに適している。出番は無さそうであった。


 大体にして、こうした場で騒動が起これば主催者の権威が疑われる。

 加えて言えば、商会のトップとは言え悪所を中心に動く商人が出入りできる程度の集まりに過ぎず…わざわざ襲いにかかる者もいまい。

 それでも連れてこられたのは、サルグネがそれだけ気合を入れているからだ。その程度の集まりだからこそ、貴族とのささやかな繋がりの糸を強化しない手はない、という次第であった。


 雇い主には悪いと思いつつも、あくびが出るのを止められないコウカ。

 商談なら執務室ででもすれば良いものを、わざわざ歓談の間に挟む。農村の爪弾き者であったコウカには分からぬ世界だ。今となっては分かる気も無い。


//


 周囲を無視しながら、セネレと雑談をして時間を潰しているとホールの空気が変わったのを感じ取った。

 退屈と言えども仕事は仕事。空気の変わり方は剣呑なモノではないが…奇妙な感覚を覚える。

 身を乗り出して覗いて見れば、年かさの貴婦人たちの囁きが耳に入った。


「まぁ…奥様!見てご覧なさい、聖騎士団長閣下よ!」

「ええ…!ああ、なんて逞しい…。偉丈夫とはあの方のためにある言葉ですわね」


 大丈夫なのか、この人達は。

 目線の先にいたのは堂々たる体躯の騎士。略式の格好は奇しくも自分と似ているが、素人目にも使われている素材が違うとさえ思えるほど輝いている。

 遠目に見るその姿は初めて見る手合だった。〈完璧なる者〉のようないかにもな貴公子ではないが、たくましくはあっても野卑な感じは微塵もない。息をするように気取っていられるのだろう。


 しかし、聖騎士とは少しばかり不味いか。漏れ聞いたところによれば、街に来たばかりの頃に倒してしまった騎士は軍事の顔、聖騎士だったという。

 樹槍を持っていない以上は感づかれることはないだろうが…


「セネレ、すまないが席を外す。後をしばらく頼んだ」

「…?ん」


 控えの者の間を抜けて、休憩用の庭に向かう。貴族たちが使う庭園とは離れている出くわすことはあるまい…。



///


 その考えが甘かったということはすぐに分かった。

 口ひげを蓄えた聖騎士団団長は密かに職務放棄をしている俺を見つけて、あろうことか話しかけてきたのだった。


「貴殿。相当な使い手だな。名は?」

「閣下に覚えて頂くような身分ではありません。ご容赦を…」

「構わん。申せ」


 低頭して場を乗り越えようとする努力も無駄に終わった。

 名乗りたくないのはなにも面倒だからだけではなかった。対峙して分かる。奇妙な親近感と嫌悪感。どちらもよくある感情ではあるが、同時にとなれば話は変わる。

 関わっては危険だ。

 小物の習性がそう訴えてくる。しかし…魔女の弟子であろうとも社会の枠組みから完全には抜け出せない。


「どうした、名乗れ」

「…サルグネ嬢の護衛、コウカと申します。家名はありません」

「平民か。貴殿なれば腕一本で一家を興すこともできると見たが?…まぁ良い。私は聖騎士団の団長を努めるギョルズ。もし、軍に志願する気があるなら私の名を出すが良い」


 言うだけ言って取り巻きごと去っていく騎士団長の背を見送る。

 まさか、部下を殺したことを気付かれている?

 だとすればなぜ、咎めない?

 嫌だ嫌だ。高所にある人物が裏表あり、更に間抜けではないなどと。加えて何やら目を付けられているかもなどと!


 何事もない一夜は何事もなかったからこそ、恐ろしさを覚えさせた。

 結局、襲撃者など現れずにこの日の護衛の任務は終わったのだった。


////


「ふん。第一の礫はやはりこうなるか。さて…〈美しき者〉は問題なく倒したが、〈半端者〉ではどうなることか」


 知らぬことは何もないはずの魔女は一人、呟いた。

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