都会へ

 闇夜の中、城壁の上によじ登る。番兵があくびをした瞬間に飛び出て反対側の壁に張り付き直す。こんな真似をしたのはいつ以来か、名前すら無い怪物の巣から卵を取ってこいただし親は殺すなという無理難題を思い出す。

 幸いにして番兵には気づかれなかった。時折野道に入り込んだコウカの身体は獣臭を放っている。魔器を包んだ布も白から変えれば良かったと今更ながら考えていた。


 身元が不確かなコウカは正面からは王都に入れない。恐らくは住民…あるいは貴族が抜け出る穴の1つや2つはあるのだろうが生憎とそんな知り合いはいない。知識も持っていない。

 あれもこれも全ては勝手に滅んだクソ故郷が悪い。どうやら消え失せた後も律儀に足を引っ張ってくれるらしい。いや、もっと言えばあの魔女が悪い。


 魔女のことを考えた瞬間、後ろから見られてはいないかとコウカは周囲を確認した。小心なコウカに限らず弟子達は全員このように後ろに怯えている。明日にも天が落ちてくるかもしれないと知って心穏やかにいられる者がどれほどいることか。いかに栄達を果たそうと魔女と関わった者達は生涯後ろ暗い思いから開放されることはない。ある意味では超常の力を得た代価というべきであった。



(意外と小さいな…)



 王都を後ろ目で見渡してコウカは思った。

 華の都会。田舎者ならば一度は行ってみたいと思う地も見下ろしてみればこんなものだ。それでも明かりが付いている区域があるのは流石というべきか。闇と共に活動を止める貧しい村と比べれば確かに華だった。


 といってもコウカが目指すのはそこではない。光に集る蛾よろしく行きたいのは山々だったが、金もないので行ったところでどうしようもなかった。コウカはわざとらしいほど明かりが無い区画に降り立った。光あれば影あり。スラム街に隣接した地元の者ならば誰も近づかない裏社会に生きる者達が住まう区画だ。


 うまい具合に降りた路地裏には先客がいた。顔が陥没して乾いた赤に倒れ伏す死体だった。既に身ぐるみは剥がされており裸だ。



「やぁ。いい夜を」



 “先輩”に朗らかな挨拶をしてからコウカは通りに出る。裏社会に一度関われば表の世界での栄達が望めないことぐらいはコウカにも分かっていたが、それこそ知ったことではなかった。サエンザの誘いに乗ろうなどと考えたのは一時の気の迷いに過ぎない。世の片隅で小悪党になるも悪くない、とコウカは考えていた。


 近付いてみれば光が漏れている家屋が多い。コウカはうきうきとした気分になってただ彷徨い歩いた。

 きっとあの中では町を揺るがすような悪巧みがなされているに違いないと、子供のように浮かれている。都会人ならば人気が無くて不気味と感じるような裏通りも田舎産まれのコウカにとっては人混みも同然だった。



「おっと?」



 そんな気分に水を差されてコウカは声を上げた。白布に包まれた魔器を貴重な物と思った通行人が突如としてひったくりに就職したのだ。こんな掃き溜めに掛け値なしの善人がいるはずもない。

 間抜けから金目の物を奪えると確信していた男は驚愕を浮かべる。勢いをつけて両手で剥ぎ取ろうとしたにも関わらず、包みを握った片手が小揺るぎもしなかったらだ。



「このくそっ!離せ!」



 男もまたこんな区画で燻っているだけあってコウカ同様に考えが足りていない。奪いそこねた荷に固執して引っ張り合いの形に持っていこうとした…が、そもそもの地力が違いすぎる。コウカとしては特に力を込めているつもりすらないのだ。頭の出来は同程度でも魔女との出会いが二人の間に絶対的な能力差をもたらしていた。

 とうとう男が殴る蹴るに出始めたため、コウカも腕を突き出した。それだけで男は尻もちを着いてしまう。



「覚えてやがれ……!」



 少ない通行人から冷笑を浴びせられ引ったくりは羞恥で走り去っていった。その背中をコウカは感慨深げに見送る。



「覚えてやがれ! いいセリフだなぁ……俺もいつか言ってみよう」



 その時はどんな体勢で言うのが良いだろうかと真剣に悩んでいると声を掛けてきたものがある。



「いや旦那。見事なお手前で……」

「うん?」



 旦那、などと呼ばれたのは生まれて初めてのことでコウカは最初自分が呼ばれているとは思いもしなかった。

 目を向ければ子ネズミのような男が手もみしながら近付いてきていた。衣装は先程の男よりも上等に見える。背丈はコウカより頭2つほど小さく、矮躯といって差し支えないだろう。

 見る人が見ればニタニタと浮かべる品のない愛想笑いにずる賢そうな光が隠れているのを見抜いたのだろうが、都会に慣れていないコウカはそのことにも気付かなかった。



「その腕を見込んでってわけですが、ちょいと仕事をしてみませんかね? いやなに。旦那の腕前なら造作もないことでさ」



 真っ当な人間ならまず引っかからないだろう文句にコウカは飛びついた。何にせよまずは金だ。


 

 一刻ほど後。コウカは先程までいたタンロの街から離れた平原でをしていた。標的は甲殻鼠アーマーラットと呼ばれる人間の膝ほどの体高の鼠だ。岩のような硬さの皮が革鎧の素材としてそこそこの値段で売れると“悪人街”の男が教えてくれたのだった。

 コウカが狩ってきた素材を男が伝手に流す。そういう仕事だ。

 手に持った棍棒で甲殻鼠を一撃する。ぐきゅっと鳴き声を上げて甲殻鼠は内蔵を口からはみ出させた。肉も安価ではあるが売れるらしいと聞いて俄然コウカはやる気に満ちていた。

 それなりの大きさだけあって個体数が少ないのが困りものではあったが、この調子ならば夜が明ける前に3匹程は持ち帰ることができるはずだ。

 実を言えば甲殻鼠は簡単に狩れるような存在ではない。革鎧に使われるだけあり、生半可な一撃では剣を用いてすら弾かれることがある程に堅いのだ。しかしコウカにそんな知識は無く、ただ楽な相手としかみなしていなかった。見つけるのが難しいだけだと。鼻歌を歌いたいと思い、コウカは自分が歌など覚えていないことに気付いた。



 その出会いは不運な偶然だった。首都と同じ名のタンロの国を統べる王は愚かだが善人である。耳に挟んだ密猟者の存在を聞いた王は嘆き、国家が誇る聖騎士に巡回させることにした。

 最精鋭たる聖騎士をそんな役割に当てるなど本来ならば考えられないことではあったが、戦時でもない。結局近侍は王の気まぐれを止めずに好きにさせることにした。

結果として、ケチな仕事を楽しむコウカと二人一組で警戒に当たっていた聖騎士が偶然鉢合わせることとなる。



 聖騎士――どの国も名前は違えど似た存在を保有している。身体能力あるいは魔力が傑出した戦士たちの集まりだ。

 騎士の名が時に金でやり取りされるのに対して彼らは実力のみで選出される。軍の顔であり、まさに花形。正規員はにより一定数で保たれているのも一因だ。



「そこの者。我らはタンロの騎士。狩猟許可証は持っているのであろうな」



 本来、コウカに騎士とそれより上位を見分ける術などないが、彼らが持つ剣が目に入った瞬間に危険な相手だと理解した。許可証など持ってはいない…悪人街で受けた仕事なのだから当然とも言える。騎士の誰何に対してコウカは…とりあえず逃げることにした。


 予想外の事態に聖騎士達は慌てず追尾を開始した。予想外なのは逃亡それ自体でなく、密猟者が彼らよりも速度において優れているという事実だ。馬と大差ない速度で走れる彼らをしてなお速いと思わせる男。放っておける筈もない。

 聖騎士達に愚かな王に対する敬意はないが国には抱いている。下らない任務に予想外の大物がかかったらしいと舌なめずりをしながら追いすがった。

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