第4話 まさか……

 午前は、事務仕事で終わってしまった。

 図面も描かないといけないし、クライアントからの問い合わせもこなさないといけないのだが、今日はなかなか仕事が捗らない。


 午後に打ち合わせがあり、少し早めに事務所を出た。昼飯を持ってきていないので、何処かで食べるつもりでいる。


 打ち合わせは、元町に新規出店するクライアントとだ。

 私は基本的に住宅専門で、店舗の改装や新規出店を手懸けたことがない。しかし、今日はいつも担当している者が出張で、クライアントの条件や希望だけでも聞いてくるように上司から命じられた。

 打ち合わせのついでに、現地の写真なども撮ってくるように言われる。


 本来なら、こんな仕事は若手がやるべきだ。

 しかし、私の勤める設計事務所には、私より若いスタッフはいない。

 だから、必然的に雑用は私に回ってくる。

 もうすぐ40代になろうかと言う私が一番若いのだから、あとは推して知るべしであろう。小さな設計事務所なんて、大抵こんなものではあるが……。





 事務所を出ると、すぐに妻からメールが来た。

 

 病院に行って来たわ。

 風邪らしいので心配しないでね。

 今日、出来たら早く帰って来て。

 少し、話したいことがあるの。


 大事ないようで、少し安心する。ただ、普段元気な妻が風邪らしいと言うことは、熱でもあるのだろうか?

 どうせ打ち合わせが終わるのは夕方だろうから、写真を撮ってそのまま直帰すれば良いだろう。事務所より、元町の方が近いし……。





 直帰することを考えて、車はやめた。事務所の車を使うと、置きに戻らないといけないからだ。それに、春らしい陽気なので、少し元町を散策してみたくなった。

 元町に足を踏み入れるのは、エリ子とのデート以来……。意識して避けてきたのもあるし、元々、用がない場所でもある。


 当たり前のことだが、元町は変わっていた。まあ、二十数年も経っているのだから、変わらない訳がない。


 入り口にあったマクドナルドは宝飾品の店になっている。いつ変わったのかは分らないが、想い出の場所がなくなっていることに少なからずショックを受けた。


 平日の昼間だからか、街は閑散としている。以前にはなかった空きテナントもちらほら見える。

 それにしても、私がエリ子と歩いた時にあった店は、ほとんど残ってはいない。エリ子が買った春物コートの店も他のテナントが入っていたし、ベレー帽を買ったと言っていた店もなかった。


 Kのマークのバック屋は健在だ。数えてみると、3店舗あった。

 しかし、一軒は違う店のようだ。同じマークの商品を売っているのに違う企業と言うことは、同族の会社だろうか?


 その、違う一軒の隣にあるパン屋で昼食を買うつもりになった。エリ子が買った釣り名人のご主人がいるパン屋だ。

 パン屋は残っていた。ただ、平日の昼過ぎだと言うのに、店舗は開いてはいなかった。

 パン屋はよく見ると、Kのマークのバック屋と同じビルだ。……と言うことは、バック屋にパン屋がテナントを貸しているのだろう。

 つまり、家賃収入があるのだろうから、パン屋を続ける必要はないのかもしれない。





 打ち合わせは、意外とすんなり終わった。

 先方が資料を用意していてくれて、新店舗のイメージをかなり固めていたからだ。

あとはこちらが細かいことを詰めて提示するだけ……。相手が出店しなれているので、こちらに要求することも的を射ている。


「元町プラザか……」

現地の住所を見ながら、ストリートを歩く。スマホで確認すると、割と大きなビルのようだ。


 目的のビルは簡単に見つかった。……と言うか、このビルには入ったことがある。それは、エリ子がドレスを買った店が入っているビルだった。


 ビルの外観はかなり変わっていたし、入っているテナントも以前の面影がない。

 目のやり場に困ったランジェリーショップはペットショップに変わっているし、エスカレーターが取り外されて、簡素な階段になっている。


 目的の場所は路面から見える店舗だった。預かってきた鍵で扉を開けると、仲に入り撮影しだす。私は専門ではないせいか、どうもこのコンクリートの壁が剥き出しになった空き店舗が苦手だ。電気が通っていないので、暗く廃墟のような雰囲気だから……。





 写真を少し多めに撮り、一時間ほどで作業は終了した。

 時刻は5時過ぎ……。事務所に報告だけ入れれば、これで直帰出来る。辺りは薄暗くなってきていて、元町ストリートの店舗が、薄闇に浮かび上がっていく。


 鍵を閉め、ビルを出る。そして、出てすぐのところで、事務所に電話を入れた。

「……、……」

何度かコールしたが、上司は電話に出ない。報告を待たずに帰ってしまうようなことはない人なので、なんらかの理由で出られないのだろう。

 仕方がないので、ビルの周りを少しうろつきながら、時間を潰す。十分もしたら、もう一度電話を掛けてみるつもりだ。


 うろついていると、何気なくドレスが目に入った。それは、エリ子が赤いドレスを買った店だった。元町は一様に様変わりしているのに、そのドレス屋は今も営業しているようだった。


 私は、誘われるようにドレスを着たマネキンに近寄った。マネキンが着ているのは、オフホワイトのウエディングドレスだ。レースが所々にあしらわれており、私のような知識のない人間でも高そうなのが分る。

 値札を見ると、28万円……。一度しか着ないウエディングドレスにこんな値段を出せる人もいることに驚く。


 私達夫婦は、結婚式を挙げていない。

 妻が望まなかったのと、母の体調が思わしくなかったからだ。

 だから、妻のウエディングドレス姿をみたことがない。

 もし、妻がこのマネキンが着ているようなドレスを着たら、似合うだろうか?

 式を挙げることを今でも妻は嫌がるだろうが、写真くらいは撮って残しておくべきかもしれない。





「お客様、開けても宜しいですか?」

ドレス屋の店内から、声がした。見ると、天幕のような試着室が閉まっている。

 接客をしているのは、あの時の上品なスーツを着た店員だった。もう老人と言って良い歳なのだろうが、遠目にはそれほど変わっていないように見える。白髪が少し増えたくらいだろうか?

 

 天幕はスルスルと開いた。中には、赤いドレスを着た女性が一人立っている。


 赤いドレス……。

 どう見ても、エリ子の着ていたドレスと同じモノだ。情熱的で、それでいて上品なマーメイドタイプのドレス……。

 そして、長くフワフワと棚引く髪の毛……。白い肩から伸びる滑らかな細い腕……。

 赤いドレスを着た女性の後ろ姿は、エリ子そっくりだ。いや、そっくりなんて生やさしいものではない。明らかにエリ子そのものだ。


 私は、鏡に映ったドレスの女性を、恐る恐る看た。

「まさか……」

思わず口に出すほど私には衝撃が走った。

 ドレスの女性は、エリ子だった。


 顔も、姿も、ドレスも、雰囲気も……。あの時のまま、夢に出てくるままに、エリ子はそこに立っていた。





「いや……、そんなはずは……」

エリ子は確かに亡くなったのだ。私は妄想をかき消すために、わざと呟いてみる。

 しかし、エリ子は確かにそこに立っている。夢の中の画像を張り付けたように……。それどころか、動いて店員と話までしているではないか。


 店員は、エリ子に何やら話しかけた。そして、エリ子の髪の毛に手をやると、おもむろにまとめ、髪留めで留めた。

 上げた髪から零れたほつれ毛が、白いうなじに艶めかしい。

 鏡に映ったエリ子は、あの時と同じように赤いドレスと融け合っていた。


 私は、熱いモノが込み上げてくるのを止められなかった。こんな感情に襲われるのは、いつ以来だろうか。妻と入籍した時も、母が亡くなった時も、これほど激しい気持ちになったことはない。

 頬に、生暖かい感触が滴り落ちていく。

 涙は、止めどなく流れた。





「お客さん……、お客さん……」

「……、……」

突然、私は後ろから声をかけられた。看ると、警備の制服を着た初老の男性だった。


「困りますよ、男性が女性の試着なさっていることころを覗いちゃ……」

「すいません……」

私は、慌てて頬の涙を拭う。

「中の人と知り合いなら仕方がないですけど、そうじゃないでしょう?」

「あ、いえ……。ああ、そうですね」

「ん? あなた、泣いているのですか?」

「いや、すいません……。すぐに立ち去ります」


 私は不審者だと思われたようだ。まあ、当然だ。ドレス屋をいい年をした男性が泣きながら覗いていたのだから。

 このビルで仕事をしなくてはならないので、不審者だと思われるのは事務所的にもまずい。エリ子の姿に未練はあったが、仕方がないので立ち去る気になる。

 ただ、もし、警備員が私に声をかけなかったら、私はエリ子が天幕の向こうに消えるまでここを立ち去ろうとは思わなかっただろう。





「ちょっと待って下さい……」

声をかけたのは、店員の女性だった。私が警備員と揉めているので、何事かと店から出てきたようだ。


「あなた、あのドレスを見たことがありますよね?」

「……、……」

「泣いておられたのと、足を引きずっていたので思いだしましたよ」

「……、……」

「あなた、これを買われた時に一緒にいて、とても似合っていたのを覚えていたのでしょう?」

「……、……」

「私もビックリしたのよ。今着ている方が、本当に良く似ているから……」

「……、……」

店員の女性は、エリ子と私を覚えているようだ。もう、二十数年も経ってしまったのに……。


 私は何とも答えられなかった。喉に何かが張り付いたように、声が出ない。

 しかし、涙だけがまた溢れ出た。


「あのドレスはね、あの方が亡くなった後に、お母様が引き取って行かれたのよ。娘が買うと約束をしたから……、と言って」

「……、……」

「それから今まで、誰も着ずに想い出と共に眠っていたの」

「……、……」

「今着ている方は、あの方の姪御さんだそうよ。お母様がどうしてもこのドレスを着せたくて、今日はお直しに来たの」

「……、……」

私はドレスがどうなったかなど、気にしたこともなかった。私の中では、ドレスはエリ子と共に消えてしまったとしか思えなかったから……。


「私も、このオジサン知っているわ」

「……、……」

エリ子……、いや、ドレスを着たままの姪も、話に加わった。

 私を知っている? 何処で会ったのだろう。こちらには身に覚えがない。


「叔母様の十回忌に来ていたでしょう? 足が曲がらなくて一人だけ正座をしていなかったから覚えているの」

「……、……」

「私、叔母様に会ったことがないの。写真で見ると確かに私と似ているのよね。でも、誰も私に叔母様のことを話してくれないわ。触れてはいけない話みたいで、私がいくら聞いても、はぐらかされるの」

「……、……」

そうか、十回忌の時に、ジッとしていられなかったあの子か。あの時には、ただ微笑ましく見えていた幼子が、こんなに大きくなるなんて……。





 帰宅後も、私の動揺は収まらなかった。二度と会えないと思っていたエリ子に、あのドレスを着た姿で巡り会うなんて……。

 いや、エリ子ではない。正確には姪だ。

 しかし、そんなことはどうでも良い。誰もがエリ子と見紛うほどの存在を目撃したのだから……。


「日曜日の今頃に、私はここにドレスを取りに来ます。もし、お時間が空いているようなら、来ていただけませんか? 私、叔母様のことを知りたいんです」

ドレス屋を辞去する際に、私は姪から誘われた。私にとっても願ったり適ったりの申し出であった。

 ただ、私は、行けたら……、と言葉を濁した。実際に行くかどうかも分らない。

 もう一度会って、自分の気持ちに歯止めが掛かる自信がなかったから……。





「……、……、ねえ……、あなた、聞いてる?」

「ああ、聞いてるよ」

妻は、私が上の空であることに気がついているようだった。聞いていると答えたが、ほとんど妻の言葉は耳に入って来ていない。

 夕食を食べながら妻と話をしていたのだが、少し前に食べ終わったのに何を食べたかも覚えていない。


「私、仕事を辞めるわ」

「……、……」

「妊娠出来ないのは仕事をやっているからだと思うのよ」

「……、……」

「好きでやっている仕事だけど、介護って相当ストレスも溜まるのよね。そう言うのが原因になっているとしか思えないのよ」

「まあ、そうかもしれないが……」

「だって、他に考えられることなんか何もないでしょう?」

「……、……」

「六年も頑張ってきたのに、一度も妊娠しないのだから……」

「……、……」

妻は思い詰めている。今までも何度か仕事を辞める話は出ていたが、これほどハッキリ意思表示する妻は初めてだ。


「私、今日、病院に行きながら考えたの。今まで風邪なんかひいたことがないのに、どうして……、って」

「……、……」

「一つ、思い当たったのは、私が衰えてきたのだと言うこと。今までならどんなにハードに働いても疲れなんて感じなかったのに、近頃は寝ても疲れが抜けないし……」

「……、……」

「幸い、私達には貯金があるわ。家賃だって掛かってはいないし、私が仕事を辞めても、二年くらいはどうってことないでしょう?」

「……、……」

「二人で約束したわよね、妊活は40までにしよう……、って。あと二年しかないのよ……。だから、もし、妊娠しなくても、二年後には復帰するわ」

「……、……」

「二年の間に、ケアマネージャーの資格も取って、現場に出なくても良いようにもする」

「……、……」

「私の気持ちは決まったわ。あとは、あなたの了承を得るだけよ」

「……、……」

一通り言い終わると、妻は私の目をじっと見つめた。妻は、私からの応えを待っているようだった。


「そこまで考えているのなら、もう、辞めるのを止めはしないよ」

「そう……」

「それに、ケアマネージャーの資格を取るのも賛成だ。僕らもいつまでも若くはない。働き方だって変えていく必要があるからね」

「……、……」

「ただ、一つだけ聞いても良いかい?」

「何……?」

「仕事を辞めて、本当に後悔しない?」

「……、……」

「僕は、美佐子が後悔しそうなら、いつでも子供は諦めるよ」

「……、……」

「それに、仕事を辞めたからと言って、必ず妊娠出来るという保証はないからさ……」

「……、……」

お互いに言うことを言って、沈黙が訪れた。先ほどまで、私の目をにらみつけるようにして見つめていた妻も、視線を落とし、何かを必死に考えているようだった。





「ところで、体調の方はどうなの?」

「ええ、もうだいぶ良いわ」

「せきは出ない?」

「ええ、熱も下がったし……」

さっきは衰えたなんて言っていたが、熱もせきも、一日で収まってしまうのは妻に体力があるからだ。

 私は妻が仕事を辞めたがってはいないことを知っている。心の奥底では、妊活さえどうにかなってしまえば、続けたいと思っているに違いない。


「まあ、今日辞めようと思って、明日辞められる訳ではないだろう? 僕は美佐子の気持ちを尊重するから、君が決めたら良いよ」

「そうね。でも、了承はもらったと思って良いのよね?」

「ああ……」

「じゃあ、もう少し考えてみるわ」

「……、……」

結局、私が話を先送りにしたようなものだ。きっと妻は、私に決めてもらいたいはずなのに……。


 しかし、私にも分っている。

 次に妻と話し合う時には、私が決断しなければいけないことは。

 夢を諦めるのは、私の方が馴れている。

 妻が仕事を諦めるか、妊活を諦めるか……。

 後者を選択しそうな私の脳裏に、何故だかエリ子のドレス姿が思い浮かんだ。




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