証拠隠滅

「帰るわー」

 スマートフォンに映し出された夫からのメッセージを見て、彼女は驚いた。

 やばい。どうしてこんなに早いんだ。「今日は飲んでくる」と朝言っていたはずだ。だから今日決行したのに。

「飲んでくるんじゃなかったの?」

 彼女はメッセージを送信する。

 3ヶ月も前から念入りに計画していたのだ。決行するのに必要なもののリストを作成し、資金も調達した。準備から決行、証拠隠滅までに掛るおおよその時間も把握した。

「ああー、飲みはなくなったよ。飯食ってないからよろしく」

 夫は夕飯を準備しろと要求している。夕飯を作る時間など果たしてあるだろうか。

 何度も頭の中でシミュレーションした。夫には絶対にバレてはいけない。完璧に証拠を隠滅し、普段と変わらぬ生活をする自信もあった。

「分かった。今から急いで作る」

 彼女は夫に返信した。今から作ることを強調しておけば、夫が帰ってきた時に、万一夕食の準備が間に合っていなくても言い訳になるだろう。

 急いで行うべきことは夕食の準備ではない。とにかくコイツを早くどうにかしなくては。彼女は目の前に広がる光景を見て唖然とした。

 夫の会社から自宅までは、電車と徒歩で25分だ。夫のメッセージに気がつかず、既に受信から15分経過していた。

 夫の帰宅まで残り10分を切っている。


 計画ではバラバラにした後、庭に穴を掘って埋めようと考えていた。臭いがキツいだろうから、深い深い穴を掘って。

 そのために鉄製のスコップまで準備したのだ。コイツを始末するのにここまですることが馬鹿げていると思うこともあった。

 しかし、こんなことがバレてはいけない。完璧に隠す必要があるのだ。

 しかし穴を掘っている時間などない。夫の帰宅まで8分もない。

 こんなことなら先に穴を掘っておくべきだった。こんなに準備をしていたのに、目の前にした途端、衝動に負けてしまった。

 8分で証拠を隠滅する方法を考えなくては……。

 ゴミ収集場所に棄てに行く――いや、そんなことをしてはすぐに見つかってしまう。そもそも今日はゴミの日ではない。

 ならば、勝手口にある生ゴミのポリバケツに入れるのはどうだろうか。危険だ。危険すぎる。ゴミ収集場所よりも危ない。これこそすぐに見つかってしまう。

 コンビニのゴミ箱はどうだ。だめだ。行って帰ってくる時間的余裕がない。それに夫以外に見られる可能性も出てくる。知人にでも会ったらそれこそアウトだ。

 そうだ、ミキサーで粉々に粉砕してしまおう――いや、これも無理だ。こんな大きな胴体、いちいちミキサーになんて入れられないし、8分じゃ粉々にしきれない。しかもミキサーにまでも臭いがついてしまう。

 彼女は冷たくなった胴体を見つめた。

 どうしよう。

 その時、スマートフォンから新着メッセージを受信した音が鳴った。

「駅ついた」

 夫はご丁寧にも、今の居場所を連絡してきた。普段、こんなことしないのに。もしやバレているのではないか。

 どうする。あと5分。5分しかない。

 そうか。彼女は何かを閃き、スマートフォンを手に取った。

「あ、そうだ、たまご買ってきて」

 夫にメッセージを送った。

 よし。これで時間を稼げる。

 さて。コイツの処分をどうしようか。本当に時間がない。

 彼女は部屋を見回した。そして閃いた。

 そうだ。トイレだ。トイレに流してしまえばいいのだ。バラバラにしたパーツを何回かに分けてトイレに流してしまえば、後はどうなろうと関係ない。

 下水まで探すことはないだろう。

 彼女は早速、散らばったソレをかき集めた。トイレに流すにはもう少しだけ切り刻んだ方がいい。

 急がば回れだ。一気に流して詰まったりしたらそれこそ意味がない。

 専用のハサミで一気に切り刻む。堅くて刃が入らない胴体は包丁を思いっきり振りかざし分断する。

 手に臭いが染み付く。あとで洗わなければ。

 ビニール袋にそれらのパーツを入れ、トイレに持ち込んだ。

 ばらばらばら、と便器に入れ、流す。パーツが渦を巻くように消えていく。

 いいぞ。その調子だ。

 彼女は次々とトイレに流していった。


「ただいまー」

 夫が帰ってきた。

「おかえりなさい。いま、ご飯作っていたところよ」

 彼女は台所から顔を出した。台所からは味噌汁のいい匂いがする。

「たまご、買ってきたぞ」

 夫がコンビニの袋を渡した。

「ありがとう。すぐ出来るから部屋で待ってて」

「ああ」

 夫はリビングルームへ向かっていった。

「お、今夜はカニか」

「え……?」

 彼女は言葉を失った。何故知っているのだ。

「ほら、これ」

 夫はテーブルの上に置かれている「タラバガニ」と書かれた包装紙を指差している。

 しまった。完璧に証拠隠滅したと思ったのに。包装紙のことをすっかり忘れていた。

 夫に内緒で食べた特選タラバガニ。へそくりを貯めて、専用のカニバサミを買って。今日は一人でカニ三昧だったのだ。

「ん……違うのか?」

 夫はもうカニが出てくるものだと思っている。

 彼女はカニバサミを握った。

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