第37話 〈八竜槍〉足り得る者

「〈影〉か。囲まれたな、相変わらず仕事が早い。面倒なことだ」


 シキは嘆息する。興醒めだ、と言わんばかりにさっきまであった知識への欲が消え失せてしまっていた。


「ロウハのやつもいるな。暴れるなら外でやれよ、家が壊れるのは御免だからな」


 戦闘での被害を想像して、シキはうんざりした顔をする。〈八竜槍〉同士の本気の戦いを知っているがゆえだろう。


「……おい、ガジン。ロウハの足止めをしろ」

「かまわんが、なにか策でもあるのか?」

「この屋敷には、地下の脱出通路がある。わしがリュウモを都の外まで逃がす。合流地点を決めろ」

「ここから北へ真っ直ぐ行くと小さな町があるだろう。そこの旅籠屋でどうだ」

「いいだろう。そこの幸行きという宿がある。そこで合流しよう」


 ガジンはうなずくと〈竜槍〉を握り締め、玄関口に歩いて行く。


「ガジンさん、気を付けて……!」


 去って行く背中が、死んで逝った人たちのそれと重なって、リュウモは思わず声をあげていた。

 皇国最強の男は、気軽に手をひらひらと振って、足軽に外へと向かって行った。


「行くぞ、さっさとせんと〈影〉が踏み込んで来るかもしれんからな」






 屋敷の外には、長い付き合いになる友の顔があった。


「よう、大馬鹿野郎。なんか言いたいことはあっか。弁明なら聞くぞ」


 ガジンは口を閉じ、静かに腰を落とし、激流のように『气』を高める。


「問答無用ってか。〈禍ノ民〉にでも絆されたか」


 ロウハも槍を構える。


「……退け、ロウハ。私は友と戦いたくはない」


 ロウハの眉が不快さを示すように上がる。


「いい加減にしろ。テメェの行動が国中を騒がしてんのがまだわからねえのか」

「知っている。だが、リュウモを送り届けなければ、国そのものが無くなる」


 ロウハは国を存続させようとし、ガジンは世界を続かせようとする。

 両者の意見はどちらもが正しく、故に平行線を辿り続けるしかない。


「国と協力するって考えは無いのかオメーは」

「その国がリュウモを亡き者にしようとしている。連れ帰った〈青眼〉の男は帝に殺された。生け捕りの命令が出ていても、リュウモが辿る先は死に変わりがない」


 ロウハは初めて聞いた事実に顔を驚きに染めたが、すぐさまそれを消した。


「我らは〈八竜槍〉、意味を理解していないとは言わせねえぞ」

「役目よりも優先すべきことができた。それだけだ。――ラカンも生きていれば同じことをしただろうさ」


 その言葉が癇に障ったのか、剽悍な男の顔が凄まじい怒気を孕んだ顔つきに変る。


「俺が、ダチの遺志を読み違えていると、言いてえのか」

「そう思うなら手を貸せ」


 背後に控えていた〈影〉が、最悪の事態を予想して顔を青くした。

 対して、ガジンは戦闘態勢を崩さなかった。ロウハが、国に忠誠を誓うこの男が、反旗を翻すはずがない。

 おのれの力で上り詰めた地位だとはいえ、ロウハは没落寸前で生活もままならなかった自らの家に、多額の資金を与えてくれた帝への恩を決して忘れていない。

 表面上、家族をなんとも思っていないように見えても、彼はその実、両親をとても大事にしている。今の地位と家族のどちらかを取れと選択を余儀なくされたとき、迷いなく家族を取るほどに。


「話にならねえ――俺は俺の責務を果たす。通りたけりゃ、俺を殺して屍を越えていくんだな。できれば、だがな」


 ロウハの『气』が急速に高まっていく。


「離れてろ、〈影〉。巻き込んだら、死なせねえ自信は、無い」


 〈影〉が一目散に離脱して離れていく。


「始める前に言っておく。後ろの家を壊すな。シキになにを言われるか、わかったものではないからな」

「っは――んなもん、重々承知してらぁ!」


 戦いが、始まった。

 皇国で最も強い人間たちの、戦いが。





「まったく、嫌になるほどの熱心さだ。もう囲みを完成させている」


 通路の物陰から、密かに顔を出して表を窺っていたシキが愚痴を言う。


「リュウモ、合流場所は教えたな?」


 こくり、とリュウモは首を動かした。合流する宿屋の位置はしっかりと頭の中に叩き込んでいる。


「よろしい。――わしが囮になる。先へ行け」


 同じことを、つい最近してもらった。

 親し気で、頼りになった八人の青年達とこのままでは同じ道を辿ってしまうのではないか。リュウモの顔が青ざめる。


「心配する必要は無い。すこしばかり時間がかかるかもしれんがな。ち、槍を持ってくるべきだったか」


 シキが腰を落とし、指を三本立てる。一本ずつ、指が下りていく。

 三本目が折り畳まれると、リュウモは勢いよく飛び出て北へ向かって駆け出した。

 後ろでは、戦いの音が響き始めていた。


(ちくしょう……おれに、おれにもっと力があれば、こんなことには――!)


 悔しさと情けなさで、胸が裂けそうになるほど満杯になる。

 手助けしてくれた人のためにも、リュウモはひたすらに走り続けた。


 騒ぎを尻目に、リュウモは合流場所に急ぐ。

 次の都との間を繋ぐ要所は、小さな町だという。

 リュウモは、人の群れの中にいると、むしろ見つかり易いのではないかと不安になった。

 煌びやかな都にいるよりも、森の中にいた方が、ずっと落ち着くし、安心できた。


(いや、でも逆に、森に入る方が危ないのか……)


 人が大勢いる場所ならば、あちらも下手に動き回ることはできない。

 秘密裏に動かされていた部隊の人数は少ない。帝は、今回の件を明るみに、もしくは公にしたくないのだ。むしろ、森に入ると相手にとっては絶好の機会となる。獲物がわざわざ罠にかかりに来てくれたようなものだ。

 ――それに、ここはおれの知ってる森じゃない。

 故郷の森は、もっと深い。木々も大きいし、身を隠す場所は土地勘があるからすぐに見つけられる。〈竜域〉ならばともかく、都近辺の森は、彼らの方に地の利はあると考えた方がいい。

 ――帰りたいな……。

 あの壮大な森へ。『竜』達が暮らす故郷へ。茅葺屋根の家へ。

 今は、抱いてはいけない、寂しい気持ちが胸を過った。走りながら、頭をちょっと振る。

 下手なことを考えていると、捕まる。追手達は人を追い立て捕まえる、対人専門の狩人なのだから。

 哀愁を振り払って、人気のない裏路地を、勢いよく走り続けた。真夜中で、足元はほとんど見えない。だが、リュウモは迷いなく駆け続ける。故郷はもっと暗い。あの森の暗闇と比べたら、ここは夕時のようだ。

 空を見て、星の位置を確かめながら、ガジンに言われた方角に向かうと、いくつかの足音が耳に入ってきた。すぐさま身を屈め、気配を消した。そっと、塀の角から顔を出して、向こう側の道を見た。


(人だ……真っ黒な)


 凄い速さで、二つの黒い影が、都の外側に走って行った。数秒、その場で固まり、気付かれていないことがわかると、肩の力を抜いてほっとして、リュウモは下を向いた。

 地面には、影が色濃く伸びていた。さきほどまで雲で隠されていた月が、空に顔を出している。

 月の光に照らし出された影に、自分以外のものがあって、リュウモは目を上に向ける。あったのは、塀瓦だ。それが、地面に影を作っている。こういった物があるということは、まだ都の裕福層の地区にいる証だ。もう、大分走り回った気がするのに、都の外へは、まだまだありそうだった。リュウモは嘆息する。

 この時期は、本当なら家でくつろいで、明日どうしようか、ジジと囲炉裏で温まりながら、笑い合っているはずだった。

 ぽたっと、乾いた地面に水滴が落ちて、しみができあがった。


「あ、あれ?」


 リュウモは、自分が涙を流しているのだと気付く。しみは、だんだん増えていく。


「っう……っ――!」


 一人になったせいだろうか。それとも、ずっと緊張状態にあった心が、夜の静かな闇のせいで、限界を迎えたのだろうか。嗚咽が、涙が止まらない。

 動こうとしても、体がいうことを聞いてくれなかった。いまさらになって、失った悲しみが、一挙に押し寄せて、胸を詰まらせてきた。

 ――駄目だ、止まったら、駄目だ……!

 きっと、体だけでなく、心まで立ち止まったら、もう動けなくなる。だったら、動かなくては。流れ出た涙を、袖で拭って、リュウモは立ち上がった。

 幸運なことに、誰かに見つかったような気配はない。


「行こう……」


 心身に言い聞かせるように言って、再び走り始めた。

 春先の温かさを含んだ夜気が、肌にあたる。夜がもってきた眠りへの誘いを断って、無心でリュウモは走る。

 ようやく、都の中心部から外れて、外郭部分に差し掛かった。追手の気配は、ない。


(いける、このまま突っ切れば!)


 都から出てしまえば、夜目がきくリュウモに分がある。影達がどれだけ優秀であろうと、走力――生まれついての地力はこちらが上だ。網を張られていたとしても、突破する自信はある。月も、さっきまでは顔を出していたが、今は雲に隠れて光を遮られている。

 リュウモは後ろを振り返って見る。追手の影はない。気配を消して、追われている風でもなかった。ほっとして、すこしだけ走る速度を緩まる。

 だが、それは間違いだった。そもそも、追われていないという認識が、誤りだったのだ。


「っ!」


 細い道の横から、悠然とした足取りで、誰かが出て来た。まるで、此処を通ることがわかっていたかのように。

 突然、両足が意思と反して、急制動をかけた。乾いた土の地面に、二本の線が描かれる。

 ――これ、は……。

 リュウモは、知っている。理性を通さずに、本能のままに体が動く条件。

 圧倒的強者が、目の前にあらわれた。

 幼いころ『竜』への恐怖から、やたらめったらに逃げ回ったのを思い出す。


「ほぅ……多少の心得はあるようですね。あと、一歩――踏み込んでくれば、わたしの間合いだったのですが」

「間合、い?」


 リュウモは――冗談だろうと、言いたくなった。今、相手との距離、約六間(10メートル)は離れている。敵の言葉を信じれば、あと、一歩踏み出せば敵の間合いに入るのだという。もし本当ならば、実力が違いすぎる。


(横道に逃げないと……!)


 網目のように複雑な道へ入ってしまえば、逃げ切れる可能性は高まる。

 と、相手が懐から何かを取り出し、口につけた。

 ピィィ……と、甲高い音を発する。警笛だ。

 ――まずい!

 このままでは、包囲される。ともかく、相手の気を逸らし、すぐにでもこの場から離脱しなくては。


「諦めなさい。もう他の〈影〉が包囲を完成させます。子供の身でありながら、よくぞここまで逃げおおせたと褒めてはおきましょう」


 リュウモは動けない。相手の言葉が、金縛りの力でももっているのか、指先までもがぴたりと静止してしまう。体の外側から、知覚できない作用が働いているかのように。

 せめてもの抵抗に、相手の顔を睨みつけた。ちょうどいい具合に、月が雲に押し勝って、顔をのぞかせた。

 月光が、その顔を闇の中に浮かびあがらせ始める。

 すこしずつ、光が人物の輪郭を鮮明にしていく。影が取り払われ、顔が見えた。

 人形だ、とリュウモは思った。

 声で女性だとはわかっていたが、六間先にいるそれは、リュウモが知っている女性という観念から、かけ離れていた。

 皇都で見た、あの真っ白な人形が目の前で動き出している。

 ほっそりとした体形、感情が見えない顔、心の内を映さない瞳。

 人形に、すこしの人間味を加えて動き出しているのが、立ち塞がっている人物だ。

 故郷にいた、素朴で精強な女性達とは、似ても似つかない。

 彼女らは、どのような出来事が起きても、そうそう簡単に手折れはしない。だが、人形のようなこの人は、机の上から落としてしまっただけで、ばらばらになってしまいそうなぐらい繊細そうに見えた。

 とてもではないが、強そうではない。ガジンの頑健さ、堅固な雰囲気はまるでない。

 だが、侮るな――と、体の内側にある本能という、もう一人の自分が凄まじい勢いで警鐘を鳴らし続けている。


(なんだ、これ……動いたら、斬られる気しかしない――ッ!)


 動け、動くな。理性と本能が、リュウモの頭蓋骨の向こう側でせめぎ合っている。

 足を進めなければ、ここで終わってしまう。〈竜峰〉への道も、ここで途絶える。

 ――でも、どうしたら!?

 一歩、いや半歩でも前に進めば斬られる。リュウモの目には、爪先の地面に薄い線が引かれている。

 線はそこから先を、あたかも聖域のように隔てているのだ。女性は、門番だ。不埒者を撃退する、凄腕の番兵。突破するには、力技では駄目だ。

 リュウモが必死で思考を巡らせている、その時であった。

 つむじ辺りから股下に掛けて、針を通されたような痛みが走った。はっとして、頭上を見あげる。〈九竜星〉の一つ――〈禍星〉が、その黒光りする光量を強めていた。

 ――時間が無いッ!

 リュウモは、腹を決めた。


(片腕ぐらいはくれてやるッ!)


 腰を短刀の柄に手を掛けた。だが――一陣の風が吹く。前髪が揺れる程度のそよ風。

 さっきまで十間先にいた女性との距離が、異様なほど縮まっていた。


「おやめなさい。貴方の実力では、抜く前に四度は死にますよ」


 腰の短刀を引き抜こうとした手は、柄に触れて、それ以上動くことを許されなかった。

 びたりと、首の皮一枚で槍の穂先が止まっている。


(こ、この人滅茶苦茶だ?!)


 村の外に出て、色々な理不尽に見舞われてきたが、これは最上級だ。

 槍を構えていた待機の状態から、いきなり喉元に穂先を突きつけられた。

 結果に至るまでの動きが、一切見えない。察知さえ許さず、非常な現実のみを槍先と供に突きつける、異常な動き、技の冴え。もう、笑いが込み上げて来そうだった。あまりにも非現実的過ぎる。

 一枚の絵が切り替わるかのように、彼女は動けるのか。そうであるなら、逃げ切れるはずがない。丸腰の赤子が、『竜』に勝てないのと同じだ。逃げるは悪手、戦おうなど以ての外。

 ――こ、これが……〈竜槍〉を持つ人の実力――っ!

 わかっていた事実が、敵となって襲いかかって来た。

 相手をものともせず、数の差を覆し、荒唐無稽なことを眉一つ動かさず為してしまう。

 皇国において、八本しかない至高の槍。〈八竜槍〉に名を連ねる者の、これが実力。


「どいて、下さい……」


 それでも、リュウモは諦めるわけにはいかない。故郷の者達が、自らの全てを散らして繋いでくれた命を、使命を、果たさないわけにはいかないのだ。


「命を握られているこの状況で、なお意思を貫こうとする姿勢は評価しましょう」


 槍が喉元から離されはしなかった。他の槍士とは違って、彼女の瞳には、決意に似た強い色がある。

 黒々とした、夜空色の眼は、課せられた任を全うしようと懸命であった。

 リュウモは、察する。この人は、決して道を開けてくれないと。

 自分が使命によって〈竜峰〉へ向かおうとするように、彼女もまた、使命によって立ち塞がっているのだ。ならば、どちらかが折れるまで、己の意思をぶつけ合うしかない。


「いいんですか。この〈青眼〉を見ると、呪われるかもしれないですよ」


 リュウモは、揺さぶりをかけた。――槍は、微動すらしない。


「……〈竜槍〉は、皇国において、最も強く、また禁忌に近い者。今更、迷信程度で怖気づく程、腑抜けてはいません。それに――」


 彼女は、じっと、リュウモの眼を凝視する。浄闇のように黒く、美しい瞳と視線が交差した。こんなに綺麗な人に、まじまじと見られることに慣れていないリュウモは、顔と脳が熱くなるのを必死に制御する。


「藍玉のように青く、深く、それでいて澄んだ瞳。わたしは、むしろ綺麗な眼だと思いますが?」

「え、あ、ありがとうございます……?」


 まさか、褒められるとは思っていなかったリュウモは、気恥ずかしかった。ほとんどの者達は、この〈青眼〉を見ると、すぐさま視線をわざとらしく逸らしていたからだ。


「ともあれ、貴方達が魔を宿す一族と謡われたのも、わかる気がします。強烈な意思が、貴方からは伝わって来る――惑わされた者達も、それに酔わされてしまったのかもしれません」


 感心したような響きを含んだ声だ。彼女の声は、柔らかさと心地よさが混じり合って、澄んだ音のように耳に伝わる。

 ――気遣ってくれてる、のかな……。

 それとも、自らの絶対的優位は揺るがないと、確信しているからこその余裕なのか。幼いリュウモには、わからなかった。


「ここまで、たった一人で知らぬ世界へ飛び出し、目的を達しようとする心意気を、我々は認めざる負えないでしょう。ですが、貴方の持つ力を放置しておくことはできない。――――このままじっとしていなさい。もうすぐ、あちらも終わるでしょう」


 彼女は、これから少年の辿る運命を知っているようだ。

 槍をまったく動かさないが、苦々しくは感じているようだった。眉間に皺が寄っている。


(あ――この人、良い人だ)


 唐突に、そんなことを思った。振り返ってみれば奇妙だったのだ。、彼女はリュウモを無傷で捕える必要などない。これだけの実力差があれば、赤子の手をひねるように、リュウモを槍で打ち据え昏倒させるなど、簡単であっただろう。

 この状況は、彼女が手心を何度も加えたからこそ発生しているのだ。手加減にもほどがある。

 村を出てから、非人間的扱いをされてきたリュウモからすれば、彼女はとても、人間的温かみに富んでいるように思う。


「貴方は……これからおれ達に起きることを、知っているんですか?」


 だから、リュウモは彼女の、その温かさに賭けた。もしかしたら、事情を話せば、今までの人達と違って、わかってくれるかもしれない。


「おれ、達?」

「はい、おれ達、です。例外は、無い」


 耳を傾けてくれそうだった。続けて言葉を紡ぐ。


「もう、時間が無いんです。〈九竜星〉の一つ――〈禍星〉の黒い輝きが、一番強くなってしまったら」



『よせ、リュウモ。皇都の者達に、何を言っても無駄よ』



 訴えは、後方からの声に中断させられた。

 声に振り向く。ヒュ――っと、鋭い物音がして、リュウモの真横を何かが通り過ぎた。次に、硬質な音が響くと、いつの間にかイスズは距離を取っていた。


「何奴!」


 夜の闇に、彼女の激しい声が響く。


「やれやれ、ガジンも詰めが甘い。いくら何でも〈竜槍〉が一人のはずがあるまいて」


 襲撃者は、堂々と闇から月明かりの元へ、軽い足取りで出て来た。

 リュウモは、目を見開く。出て来た人物は、先程まで話し込んでいた人だったからだ。


「シキ、さん?」


 思わず、疑うような声が出た。彼は、まるで別人のように感じられた。胴体を覆う皮鎧と、手には籠手、具足は明らかに戦闘用に整備された物だ。

 手に持っている槍も、超一級品の〈竜槍〉には及ばずとも、おそらく一級品であろう。


「シキ……? ――! 恐れ多くも、皇族しか入ることの許されぬ蔵へ侵入した愚か者の名!」

「おうさ。『竜』について知ろうとして、帝に突っぱねられたからのう。蔵に入ったのはいいものの、探し物が終わる前に見つかるとは、我が一生の不覚であったわ!」


 まるっきり悪びれていないシキに、イスズの柳眉が跳ね上がった。比較的静かで、湖面のように穏やかだった彼女の『气』が、瞬時に荒れ狂い、怒りの儘に体内で猛って駆け回る。

 肌が泡立つ。同じ人とは思えない、無限と称せるような、莫大な『气』の総量。

 ――け、桁が違う……。

 怖い、と純粋にリュウモは思う。


「この不敬者が! 帝の御慈悲によって放免されておきながら、勅使たる我らの邪魔をするか!」

「知らん。わしは元より、国への忠誠も、帝への尊崇の念も、欠片も持ち合わせておらぬ。わしが知りたい事柄は、『竜』についてだけよ。禁忌だというならば、いっそあの場で斬っておけばよかったのだ。下手に仏心を出すから、こうやってツケが回って来る」

「――――――」


 帝への、清々しいほどに冷たいシキの態度に、イスズの顔から表情と感情が、抜け落ちた。精緻な技術によって作られた、美しい人形のようだ。涼し気な風貌も、能面となった顔を助長している。


(こ、怖い……っ!)


 嵐の前の静けさを人間に置き換えると、今の彼女になるのではないだろうか。爆発一歩手前という言葉が、これだけ似合う状況はあるまい。

 リュウモは、女性が発する本気の怒りを、今日まで知らずに生きてきた。

 この瞬間、絶対に女性を本気で怒らせないよう決意する。


「よろしい、来るがいい。年季の違いを教えてやろう――小娘」


 それが、開戦の合図だった。

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