煙の王

文鳥愛子

1 真実は煙の向こう側に

第1話

 部屋の掃除をしていたら身に覚えのない物が出てきた。

「なんだ? これ」

 手のひらに収まる程度の、小さな木箱である。箱の上面には一本角を生やした黒兎が描かれており、その他の面には草原を思わせるような緑を基調とした爽やかな装飾が施されている。

 オルゴールかと思ったが、それにしては軽いし、何よりこの部屋の主である赤丸太一アカマルタイチはこんなこじゃれた物を持ち合わせてはいない。

「こんなの持ってたっけな」

 謎の木箱の出所である押入れは、普段は漫画やら遊ばなくなったゲーム機やらで混沌としているような場所だ。なので大掃除でもしない限りは滅多に開けることなんてない。

 誰かの私物が紛れ込んでしまったという考えも浮かんだが、それはあり得ないだろうと一瞬で掻き消える。中学を卒業してから五年、太一はずっと一人で暮らしてきた。親兄弟の物が押入れの奥に紛れ込むなんてことはないだろう。

「中には何が……?」

 軽く振ってみると、カラコロカラコロと複数の物がバラバラに物音を立てていた。どうやら中にあるのは一つだけではないらしい。

 色々勘ぐっていても埒が明かないので取りあえず開けてみる。鍵でもかかっているかと思えば、意外とその箱はすんなりと口を開けた。

 そしてその中には――。



「お前、タバコなんて吸ってたっけ?」

「――え?」

 不意に、隣で運転をしている黄瀬からそんなことを聞かれた。死体みたいに無心で外を眺めていた助手席の太一は、返答に一拍遅れる。

「いや、さっきからずっとライターいじくってるし」

「そういうわけじゃないんっすけど、まあ、色々あって……」

 気まずそうに苦笑いを浮かべ、太一はライターをポケットにねじ込む。このご時世、喫煙者なんて知られたら何を言われるか分からない。

 黄瀬も同じことを思ったのか、前を向きながら左手で太一の胸ポケットを軽く小突く。

「そっちもポケットにしまっとけ。見られたら色々と面倒だ」

「すみません」

 ポロシャツの胸ポケットに入れていたタバコの箱も、ライターをねじ込んだのと同じポケットに入れる。

「一応お前も二十歳だから、周囲からとやかく言われる筋合いなんてねぇんだろうけど、先輩として言っとくわ。喫煙者になんかなんじゃねぇよ」

「……分かってます」

 政府が『全国民禁煙政策』を施行してから早五年。国内の喫煙者の数は着実に減少傾向にあると言えよう。

 たばこ税の大幅な値上げ、政府が指定した『喫煙施設』」以外での喫煙の罰則化などなど、喫煙者たちからタバコと吸う場所を取り上げるような半ば強引な政策ではあったが、それでも内閣支持率がむしろ上昇しているということは、最早喫煙者が圧倒的なマイノリティーであることの表れであろう。

「――で? お前がタバコとライター持ってんのはなんでだ? 真面目なお前が自分で買ったなんてことはねぇだろうし。誰かから押し付けられたとか?」

「押し付けられた……。言われてみれば、確かにその通りっすね」

「なんだそりゃ」

 意味が分からんというような顔をした黄瀬であったが、特に関心もないのかそれ以上は聞いてこなかった。

 喫煙者でもない太一がタバコとライターを持っているのは、今から数時間前――部屋の掃除をしていた時まで遡る。

 押入れから出てきた箱の中に入っていたのは、全部で三つ。

 二つは、今太一のポケットに入っているライターとタバコの箱。

 そして最後の一つは、二つ折の白い紙。開けば中には、「真実は煙の向こう側に」という謎のメッセージが書かれていた。

 誰が、いつ、どうしてこんなことを。

 あれこれ考えている間に黄瀬とバイトをする時間になり、勢いで木箱に入っていたものをそのまま持ってきてしまったのである。

「配送先のお店まであとどれくらいっすか?」

「そうさなぁ、あと三十分くらいってとこか」

 一か月前、大学の先輩である黄瀬に誘われて始めたのがこの配送業のバイトである。

 業務内容は至ってシンプル。会社の倉庫にある荷物を指定の場所に届けるだけ。

三時間程度そんなことをして日給十万円もらえるのだから、最初はお得感よりも恐怖感の方が強かった。しかもバイト先の会社が全く無名の小さな配送業者ということで、一体どうして十万もバイト代として出せるのかと、一時期は配送物にカラクリがないかと調べたこともあったが、大抵は市場や道の駅向けの魚や野菜だけで、怪しい取引に出くわすということは一度もなかった。

 それに何より、月数十万単位で増えていく自分の預金通帳を見ている内に、そんな猜疑心もいつの間にか薄らいでいた。

 配送の仕事はいつも夜遅くに始まって朝早くに終わる。今日も深夜零時に仕事を始め、ノルマを半分ほどこなしたところで、今の時刻は午前三時。歩行者も車もいない夜道を運転していて黄瀬も飽きてきたのだろう。くぁ、と大きなあくびをする。

「ラジオでもつけますか?」

 ペーパードライバーの太一ができることと言えば車のオーディオをつけることくらいだ。あちこち局を変えていると、たまたまニュース番組に行き着く。

『昨日、六月十二日は『喫煙者による連続無差別殺人事件』からちょうど五年ということで、総理が被害者とその遺族の方々に哀悼の意を示しました。また総理は、今後、吸う者と吸わない者の争いが二度と起こらぬよう、より一層『全国民禁煙政策』を推し進める決意を述べており――』

「――あ? なんだありゃ」

 と、運転をしていた黄瀬が怪訝そうな声を上げる。それを機に、太一はこれ幸いとばかりにラジオを切った。

「警官? 検問か?」

 道の先では、こちらに向かって警官が赤い誘導灯を振っている。車通りの少ない道だからか、それとも大した案件ではないのか、道の端に止まっているパトカーは一台だけだ。

 黄瀬が指示に従って車を止めると、誘導灯を振っていた警官が運転席の方によって来てこんなことを言う。

「いや、すみませんね。先ほど近くのタバコ工場から大量のタバコが盗まれたみたいで、検問を敷かせてもらってるんですよ。取りあえず免許証だけ見せてもらえますかね」

 お連れさんもご協力願います、と助手席にいる太一にも人の良さそうな笑みを向けてくるので、彼も差し出すはめになる。大学入学と同時に取った免許証であるが、実はなるべく人前に出さないようにしていた。というのもなにぶん写真写りが悪い。

 自信がなさそうな表情に、体調が悪そうと言われる青白い顔色。そのくせに地毛の髪色は一際目立つ赤毛と、なんともアンバランスこの上ない容姿。そんな自分の嫌なところだけが露骨に強調されている写真を見て、逆にどうすればこんな風に撮れるのかと疑問に思ったほどだ。

「黄瀬優斗さんに赤丸太一さんね。お二人ともまだ二十代前半か……、お若いのに遅くまでお仕事お疲れ様」

 と、軽く見ただけで免許証を変えそうとした警官の手を、

「ちょっとお待ちを」

 別の男の声が止めた。

「その免許証、少し私にも見せて頂けませんかね」

 道の端に止めてあったパトカーから出てきたくせに、彼は全く警察関係者には見えなかった。

 角ばった眼鏡に神経質そうな鋭い目は、堅気ではなさそうな凄みを感じさせる。更に服装は純白のスーツに黒のワイシャツ。ネクタイも締めずに、第二ボタンまでシャツをはだけさせているそのラフな着こなしは、警官よりもホストを思わせる。

「いや、でも千ヶ崎さん。特に彼らに怪しい点は見られませんでしたけど?」

 千ヶ崎と呼ばれた白スーツの男は、差し出された二枚の免許証の内、太一のものだけを手に取った。

「ふんふん、赤丸太一二十歳。君の赤毛、それは地毛ですか?」

「まぁ、そうですけど」

 父母ともに日本人らしく黒髪であったに関わらず、その子である太一と彼の兄はなぜか赤毛だった。そのせいでお前らは捨て子だのなんだのと虐められたこともあり、正直この髪色はコンプレックスである。

「もしやと思いますが、お兄さんはいらっしゃいます?」

「ええ、まぁ。兄が一人。少し前に行方不明になったんですけどね。名前は――」

「――赤丸銀次」

 太一より先に千ヶ崎はあっさりと兄の名を口にしていた。驚きのあまり呆然とする太一に千ヶ崎は意味ありげな笑みを浮かべ、隣にいた警官に指示を飛ばす。

「荷台の荷物を調べてみなさい。何かおもしろいことが分かるかもしれませんよ」

「ちょっ……、何勝手なこと言ってんだあんた。俺らは別にタバコなんざ運んでねぇよ‼」

「捜査にご協力願います。さぁ早く鍵を」

「この……ッ」

 助けを乞うように黄瀬は中年の警官の方を見たが、決定権は千ヶ崎にあるのか、彼は申し訳なさそうに頭を下げる。

「俺らが立ち会っても構わねぇな?」

「ええ、ご自由に」

 荷台の鍵を受け取った千ヶ崎は、そっぽを向くように軽トラの後ろへと回った。ふざけんなと文句を言いながら黄瀬が車を降りたので、太一もそれに倣う。

「っつっても刑事さんよぉ、俺らが運んでるものは市場向けの野菜とか魚だけだぜ? あんたらの欲しそうなものはねぇと思うけど?」

「だといいんですけどね」

 荷台の扉を開くと、そこには七、八個程度の段ボールや発泡スチロールが積み上げられていた。しかしそこにタバコが大量に詰まっていそうな箱はない。段ボールにはデカデカと「ほうれんそう」とか「キャベツ」と商品名が書かれている。中身など見なくても分かると思うのだが。

「ふむ……」

 荷台の中を一瞥した千ヶ崎は、おもむろに手近にあった段ボールを自分の方に引き寄せたかと思うと、躊躇いなく口を開けたではないか。

「あっ、テメェッ‼」

 しかしその箱の中に入っているのはにんじんだ。彼らが探しているものなんて――、

「斎藤さん、すぐに署に連絡を入れてください。見つけてしまいました、例のブツを」

「――へ?」

 まだ状況が掴めていない中年の警官に、千ヶ崎は見せてしまった方が早いと思ったのだろう。彼は段ボールの口をこちらに向け、

「見つけたんですよ。盗めれたはずの、大量のタバコを」

 その中にはにんじんなんて一本もなく、代わりに、溢れんばかりの大量のタバコの箱が押し込められていた。




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