第1話 ケット・シー
雪が降り積もり、見渡す限りの一面を銀世界へと変えている、ここは北欧のどこかにある、とある民家。あまり大きくはないけれど、ログハウス風な素敵なお家。
おじいさんとおばあさんが、二人仲良く暮らしています。
おじいさんは、暖炉の側に置かれた椅子にゆったりと腰掛けながら読書……パイプをくわえています。
おばあさんは、テーブルに向かって編み物をしています。葉巻は……くわえていません。
そしてもう一人……一匹? いえいえ、一人でいいんです。暖炉の前で丸くなっているのは、このお家で飼われている黒猫。
胸には真っ白く立派でお洒落な襟巻き。尻尾は長く、その先端には飾り毛があり、精悍な顔つきをしています。
彼の名前はヨハン。おじいさんが名前を付けてくれたそうです。
ヨハンはゆっくりと体を起こし、一度大きく伸びをするとおじいさんに挨拶。
「にゃ~」
「そうかヨハン、散歩に出掛けるんだね」
おじいさんはそう言うと窓の方へと歩いていき、ガラガラガラ、と窓を開けてくれました。
それと同時に、外の冷たい空気が家の中へと入り込んだので、おばあさんは身震いしています。
「今夜は冷えそうだからね、あまり遅くならない内に帰ってくるんだよ」
「にゃ~ぉ」
ヨハンはおじいさんに返事をして、開け放たれた窓の外へと飛び出しました。
外の空気はとても冷たく、自慢のヒゲが凍ってしまいそうです。
行き先もまだ決めていないけれど、ヨハンはとりあえず歩き始めました。
――サクッサクッサクッサクッ。
道路に積もった雪を踏むたびに愉快な音がします。
軽快な足取りで歩いていると、ヨハンは氷の張った池を見つけました。
のぞき込むと、まるで鏡のようにヨハンの顔が映っています。
よく見るとヒゲ同士がくっ付いていたので、ヨハンは顔を洗いました。
顔を洗いスッキリしたヨハンは、久し振りに隣町まで行くことに決めました。自宅から隣町まではそれほど離れてなく、人間の足で歩いて六、七分の所にあります。
途中、小川に架かる小さな橋の上を歩いていると――
「にゃぁ~おぉ~」
と、一匹の猫に声をかけられました。それにしても野太い声です。
よく見てみると、黒と白の毛の模様がまるで牛のような、少し太り気味の猫は手招きをしています。どうやら付いて来るようにと誘っている様子。
少しくらい寄り道をしてもいいだろうと思ったヨハンは、歩き出すメタボ気味の牛猫に、付いていくことにしました。
橋を渡ると牛猫は、住宅の方へと歩き出します。
住宅街へ入ると、民家と民家の隙間を通り路地裏へ。路地裏を道なりに進むと、次は石垣を登りました。そうして石畳の道路をしばらく歩くと、やがて小さな公園に着きました。
牛猫はその公園の奥へと歩いていったので、ヨハンはそれに付いていくと、積もった雪にポッカリと穴が開いているのが見えました。
その少し手前で牛猫はちょっと振り返り、ヨハンの姿を確認するとトンネルの中へと入っていきました。ヨハンはトンネルをのぞき込むと、向こうから少し光が漏れているのが見えます。
少し戸惑いながらも、ヨハンは意を決してトンネルの中へと入っていきました。
トンネルの中は薄暗く、猫一匹入るのがやっとの狭さです。さっきまでいた外とは違い、中はぜんぜん寒くありませんでした。
先ほどの牛猫は、もうトンネルを抜けてしまったのか姿がありません。ヨハンは急いで光の方へと駆け出します。そして光を抜けると――。
そこはさっきまでいた銀世界ではなく、一面が緑に覆われた自然豊かな空間でした。
緑の匂い、木々の擦れる音、優しい木漏れ日、吹き抜ける爽やかな風。
(ここは何かが違う)
ヨハンは空気が変わったのを感じ、それと同時に、なんだか懐かしくも感じました。
目の前には牛猫の姿があります。どうやら待っていてくれたようです。
ヨハンをジッと見つめる牛猫。すると突然――
「にゃお」
と、一言。ヨハンに声をかけるとまた歩き出しました。
てくてくと牛猫に付いてしばらく歩いていくと、やがて大きな木が見えてきました。その根元には、数匹の猫が集まっています。
ぶち猫や三毛猫、白猫と黒猫、虎猫にマーブル……。
その様はまるで、芝生という名のパレットの上に乗せられた、絵の具のように鮮やかです。
しかし、そんな事を思ったのも束の間。
(……!!)
驚くことに、彼らは二本足で立っているではありませんか。相対するまでの距離、約数メートルの所でヨハンは立ち止まりました。すると――、
「何をそんなに驚いているんだ?」
少し低めの声が聞こえてきました。なんとなく聞いたことのあるようなトーンです。……ですが、辺りを見渡しても人の姿は見当たりません。
キョロキョロと周囲を見ていたヨハンでしたが、その顔を正面に戻した瞬間、驚愕しました。
(――っ!?)
なんとなんと、さっきまで道案内をしていた牛猫……もとい牛の様な模様をした猫が、二本足で立っているではありませんか。
「そんなに驚くことないだろう? ……自己紹介がまだだったな、俺はモゥってんだ。よろしくな!」
(……やっぱり?)
ヨハンは心の中で思いました。……いえ、そんなことは正直どうでもいいのです。
なぜ猫が二足で立ち、そして人語を話しているのか……猫であるヨハンにも、さっぱり意味が分かりません。
そんなことをあれこれ考えている内に、モゥは集団の中でも特に目を引く、知的な感じの真っ白で綺麗な毛並みをした猫の元へと歩いていきました。
「あらモゥ、もう帰ってきたの? ……候補になりそうな男性は見つかったのかしら?」
「あぁ。そこまで連れて来たんだが……どうも俺達を見るのは初めてらしいんだよな」
と、モゥはヨハンの方へ向き直ると、白猫もヨハンの方を見ました。
「まぁ~、あなたが候補の方ね! こっちにいらっしゃい」
白猫は手招きをしてヨハンを呼んでいます。ヨハンは恐る恐る、その白猫へ近付いていきました。
「……うん! ……モゥ、この子イケるじゃない!」
白猫はヨハンの顔、そして毛並みや毛艶を見ると、嬉しそうに手を叩きました。
「ところであなた、ケット・シーを見るのは初めてなのよね?」
「にゃ~ぅ」
「そう……あっ! 自己紹介がまだだったわね。 私はリリーよ、よろしくね!」
ヨハンは小さくお辞儀をしました。そしてリリーは話を続けます。
「ケット・シーを見たのは初めてって言うけれど、あなただって立派なケット・シーなのよ? ……匂いで分かるわ」
とリリーは、ヨハンの匂いを確かめるように言いました。
ヨハンは言ってることがよく分からず、首を傾げています。
「だから、あなたもケット・シーなんだってば! ほら、勇気を出して立ち上がってみて! ……こうよ」
そう言うとリリーは、ヨハンに立ち上がるお手本を見せました。
「……やってみて!」
半信半疑ながら、ヨハンは勇気を出して立ち上がってみると――
なんと! 二本足で立つことが出来たのです。
「な、何にゃ! 何にゃことにゃ!」
……ついでに言葉も喋れました。
「まぁすごいわ! 一度に二つも習得できるなんて。物覚えが良くて助かるわ~。……どこかの誰かさんとは大違いね……ねぇ牛さん?」
リリーは少し意地悪に、モゥに向かって言いました。
「ふん! 俺は牛じゃねぇよ! ……でも、言葉はもう少し練習が必要みたいだな」
「そうね~、まぁこの子なら30分もしない内にマスター出来るでしょ! ……あ、まだ名前聞いてなかったわね」
ヨハンは名を聞かれたので、自己紹介をしました。
「僕のにゃはにゃハンにゃス!」
『……ニャハンニャス?』
リリーとモゥは顔を見合わせて笑いました。
「やっぱり、ちゃんと言葉を教えてから聞いた方がよくないか?」
「そ、そうね……よし、これから猛特訓するわよ!」
ヨハンは、リリーとモゥに厳しい特訓を受けました。……人語を喋るための。
――そして20分後――
「……さ、あなたの名前を聞かせて!」
リリーは微笑みながら言いました。
「僕の名前はヨハンです。こんなに上手に話せるようにしてくれてありがとう、リリーさん、モゥさん!」
ヨハンはよほど嬉しかったのか、丁寧に何度もお辞儀をしました。
「よせやい! モゥ“さん”なんて、照れるだろうよ、ガラでもない……モゥでいいよ」
「私も……リリーで、いいわよ」
リリーとモゥは少し照れながら言いました。二人揃って顔を洗っています。
「うん! ありがとう、リリー、モゥ。……ところでさっき候補って言ってたけど、あれは何だったの?」
ヨハンは、さっきからずっと気になっていた疑問を二人に投げかけました。
しかし、リリーとモゥは少し渋っています。
「……次の満月の夜、またここで今日のような集会があるわ、その時になったら教えてあげる」
「そうだな~……今日はもう遅いし、あっちは雪が降ってきたみたいだ。……そろそろお開きにするか! みんな、今日は解散だ!」
モゥがそう言うと、集まっていた猫達はみんな一斉に、自分の家のある方向へと走っていきました。
ある者は茂みの奥へ、またある者は、つい先程ヨハンとモゥが通ってきたトンネルへ――。
「じゃあヨハン、また今度ね!」
リリーはそう言うと、ヨハンに手を振り森の奥へと走っていきました。リリーの後ろ姿を見送ると、あぐらをかいていたモゥはスッと立ち上がり――、
「よし、そろそろ帰るか、ヨハン!」
と言いました。
「うん。……ところでモゥ、またあのトンネルを通るんだよね?」
ヨハンはトンネルを指差して聞きました。
「ん? ああそうだ、あのトンネルがコッチの世界と繋がってるからなあ。まあ他にもいくつかあるみたいだが、あれが一番家からも近いと思うぞ……。あ、そうそう。向こうに着いたらまた普通の猫に戻れよ。二足歩行なんてしてたら、人間がビックリしちまうからなぁ」
モゥはおどけた様子でケラケラと笑っています。
「分かった! ……それとコッチの世界って?」
「う~ん。……まぁ簡単に言えば、俺たちケット・シーの為の世界ってやつかな? ……そんなことより、早く帰るぞ。吹雪になるかもしれない」
二人はトンネルをくぐり抜け、元の銀世界へと戻ってきました。
すると、トンネルは自動的に閉まりました。どうやらケット・シーが近づくと開き、出て行くと閉じるようです。
――――雪はしんしんと、静かに降り注いでいます。
二人して空を見上げ、そして公園を出て行きました。街を出てしばらく歩いた二人は、最初に出会った小川に架かる小さな橋まできました。
「今夜は根雪になりそうだな。……風邪ひくなよ、ヨハン!」
「モゥもね!」
「ああ。……そうだヨハン、今度の満月もここで落ち合おう。それじゃあまたな!」
「うん、バイバイ!」
二人は別れると、それぞれの家へと帰っていきました。
今日は色々なことがありました。起きた出来事を、頭の中で整理しながら帰っていると、いつの間にかログハウス風の自宅の前まで着いていました。
ヨハンは窓をカリカリと引っ掻くと、おじいさんが窓を開けてくれました。
「お帰りヨハン、散歩は楽しかったかい?」
「にゃ~ぉ」
おじいさんに返事をすると、ヨハンは暖炉の前まで歩いていき、体に付いた雪をブルブルと払い落として、お気に入りの場所で再び丸くなりました。
「ヨハン、今ばあさんがご飯を作っているからね……もう少し待っているんだよ」
おじいさんは優しく微笑むと、夕食を作っているおばあさんのお手伝いに行きました。
それからしばらくすると、どうやら夕食が出来上がったようです。
「ヨハン、出来たよ。今日はサツマイモとカボチャのスープと、ササミだよ、さぁお食べ」
そう言うとおばあさんはヨハンの目の前に、猫の頭の形をした銀のお皿を置きました。
今夜のご飯はおばあさん特製のレシピ。ヨハンのお気に入りです。
「おいしいかい?」
「にゃ~」
ヨハンは夕食を美味しく頂き、綺麗に完食しました。
(……あんまり食べ過ぎて、モゥみたいにならないようにしないと)
――その頃モゥ宅では――
「ヘックシッ! (……誰か俺の噂してるな……俺も有名になったもんだ)」
……ちょっと勘違いしているようです。
――ヨハンはお腹がいっぱいになり、急に眠たくなってきました。
(今日もたくさん歩いたなぁ……疲れたし、そろそろ寝ようかな)
暖炉の側に置かれた、おじいさんが作ってくれたベッドに移動すると、おばあさんが縫ってくれた毛布にくるまって、ヨハンは眠りに就きました。
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