第82話 ±0
昼の休憩タイムが終わり、体育祭はいよいよ後半戦に入った。午後最初の競技は、ずばり、部活対抗リレーだ。
「それ本当に目立ちますかね?」
津々実は伊緒菜の持つ“バトン”を見て言った。思いのほか小さいそれを、伊緒菜は得意げに掲げている。
「大丈夫。ちゃんと放送でバトンを紹介してくれるから」
「そもそもそれ、『部活で使うもの』に含まれるんでしょうか?」
慧の指摘ももっともであるが、伊緒菜は自信満々だ。
「平気よ。事前の申請を通ったんだから」
部活対抗リレーでは、各部活が部で使う道具をバトンとして使用する。例えば家庭科部の今年のバトンは、大きい木べらだった。適度に軽く、持ちやすい。リレーのバトンにはぴったりだ。
しかし伊緒菜の持ってきたそれは、部活で一度も使ったことはない。みぞれ達は許可が下りるか不安だったが、申請が通ったのならいいのだろう。
今は、科学部、合唱部、家庭科部、かるた部のレースが行われている。出場は五十音順だ。奇跡の「か」四連続である。
科学部のバトンは、針金の輪だ。彼女らが走りだすと歓声が沸いた。輪から尾を引くように、巨大なシャボン玉が生まれたからだ!
普段道具を使わない合唱部は、マイクを持って走っていた。時々何かを歌っているような仕草を見せる。もちろんどこにも繋がっていないので何も聞こえないが、拍手は起こった。
一番困っていたのはかるた部である。小さなかるたをバトンにしていたから……ではない。着物で走っていたからだ! 動きにくいが可憐な着物を着て懸命に走る姿は、全生徒に強烈な印象を残した。
「か」まで来ると、みぞれ達にもこの競技がどのような性質のものか、十分にわかってきた。これは単なるレースではない。普段目立つ機会の少ない部が、全校生徒にその存在をアピールする大舞台なのだ。伊緒菜から何度もそう教えられてはいたが、生で見聞きすることで初めて実感した。
大変なことになったな、とみぞれ達一年生は戦慄した。
ちなみにみぞれ達は、「そ」数大富豪部として登録されている。「Q」K部ではない。出番はこの次だ。
「では次は、新聞部、吹奏楽部、箏曲部、素数大富豪部の皆さん、スタート地点に出てください」
体育祭実行委員が、待機列に並ぶ生徒たちに声をかける。
「いよいよね」
伊緒菜が立ち上がる。伊緒菜は第一走者で、みぞれは第三だ。実行委員の指示に従って、持ち場に着いた。慧と津々実が、トラックの反対側へ移動する。各走者はトラックを半分ずつ走るのだ。
『続いてのレースは、新聞部、吹奏楽部、箏曲部、素数大富豪部のレースです。バトンを紹介します』
放送がかかる。これが楽しみだ、という顔で耳を澄ませる生徒が多い。
『第一コース、新聞部は、一学期にボツになった記事のスクラップ』
ははは、と笑い声が上がる。新聞部員が紙の束を掲げた。筒状に丸めてある。
『第二コース、吹奏楽部は、壊れたクラリネット』
オーケストラ奏者が自己紹介をするときのように、吹奏楽部員がクラリネットを高らかに鳴らした。校庭に美しい音色が響く。が、最後の音だけ、スーッと空気の抜ける音がした。その落差に、ドッと校庭が沸いた。
『第三コース、箏曲部は、猫足。猫足とは、箏を支えるための道具です』
解説をしてくれることもあるのか、とみぞれは感心した。箏曲部員が、手のひらサイズの木製の物体を掲げている。猫の足に似ていなくもない。
最後はいよいよ、自分たち素数大富豪部の紹介だ。放送委員は、変わらないトーンで続けた。
『そして第四コース、素数大富豪部は、金メダル』
さすがに校庭がざわめいた。
『この夏、部長の宝崎伊緒菜さんが大会で受章した金メダルです』
伊緒菜がメダルを高々と掲げる。金色が、太陽の光を反射してきらりと輝いた。サイズは一番小さいが、これは目立つ。
『それでは各選手はスタート位置についてください』
伊緒菜がスタートラインに並ぶ。金メダルをたすきのように肩にかけた。津々実が長い紐をつけてくれたのだ。
『位置について、よーい』
パァン、とピストルが鳴り、四人の走者が一斉に走り出した。
今回ばかりは、さすがの伊緒菜にも悪知恵は働かない。純粋な体力勝負だ。だがそれは、決してハンデにはならなかった。伊緒菜の足は純粋に速く、一気にトップへ躍り出た! 二位以下を引き離した状態で、慧の待つテイク・オーバー・ゾーンに差し掛かる。
「走って!」
声とジェスチャーで慧に指示を飛ばす。それを受け、慧は伊緒菜に背を向けてゆっくり走り出した。すぐに伊緒菜が追いつく。伊緒菜はたすきを外すと、背後から慧の肩にかける。そして、慧は全速力で走り出す!
たすきならではの渡し方である。正式な渡し方ではないが、このリレーにおいてバトンの渡し方にルールはない。野球部がバトンを投げて渡したように、区間内であれば何でもありだ。
慧は長いポニーテールを左右に振りながら走る。それは伊緒菜より遥かに遅く、二位の吹奏楽部との差が減っていく。そして、ついに追い抜かれてしまった。
みぞれの横でクラリネットが受け渡される。心の中で、慧ちゃん頑張って、と念じる。
三位の新聞部と横並びで、慧が近付いてくる。みぞれは慧の位置を確認しながら、ゆっくり走り出す。新聞部と同じタイミングで、肩にたすきがかかった。
「ごめん、頑張って!」
慧の声。みぞれは自分の出せる全力で走った。新聞部の第三走者は、明らかに前の二人より速かった。みぞれとの距離をぐんぐん離し、現一位の吹奏楽部の背中に追いつく。
さらに後ろからも足音。みぞれの脇を、猫足を持ったアメショに似た少女が駆け抜けていく。ビリになってしまった。しかし、津々実までの距離もあと少しだ。
吹奏楽部がクラリネットをバトンし、駆けていく。新聞部のアンカーが、それを追って走り出す。箏曲部が猫足を優雅に受け渡す。
それらに遅れて、みぞれが津々実の肩にたすきをかけた。
「あと、お願い!」
「任せて!」
津々実が全速力を出した。慧やみぞれとは比較にならない、圧倒的な速さだ。津々実のファン達が、歓声を上げる。箏曲部に追いつき、余裕で追い越す。
現在の二位は吹奏楽部だ。重そうなクラリネットを振って走っている。両手が自由なQK部は、この点で有利だった。重いメダルを背中に回し、津々実は全力疾走する。背骨でメダルがバウンドする。その軽い痛みも気にせずに、津々実は吹奏楽部を追った。
カーブを描き、津々実は吹奏楽部を追い越した! 残すは、紙の筒を振って逃げる新聞部だ。
校庭の砂を蹴って、津々実が走る。だが新聞部員もラストスパートをかける。
そして。
パァン、パァン。
ピストルが二回鳴る。
一着は、新聞部員だった。ほとんど0秒の差で、津々実がゴールする。そのあとに、吹奏楽部、箏曲部と続いた。
『ただいまのレースは、一位新聞部、二位素数大富豪部、三位吹奏楽部、四位箏曲部でした』
ぱちぱちと拍手が鳴る。津々実は息を乱しながらも、笑顔で金メダルを掲げた。二位なのに金メダルを掲げるQK部の姿は、その後ちょっとだけ話題になった。こうすれば何位でも目立つはず、という伊緒菜の目論見通りであった。
「改めてみんな、部活対抗リレーお疲れ様!」
翌々日の放課後、QK部室で伊緒菜が笑顔で労った。
「おかげで良い感じに目立てたわ」
「うちもクラスの打ち上げで、色々聞かれましたよ」
今日もQK部に顔を出した津々実が言う。
「みぞれが全国ベスト4だって言ったら、みんな驚いてました」
「やっとQKのこと、ちゃんとみんなに説明できました」
みぞれはそのことを、嬉しく感じていた。今まで何度か挑戦して、毎回失敗してきたからだ。今回は、向こうに説明を聞く意思があったので話しやすかった。もっとも、みんなの本当の関心は津々実の走力にあったようだが。
「詳しい話は、この後の打ち上げで聞きましょう」
伊緒菜はにこにこしながら言った。
「家庭科部との交渉の成功祝いも兼ねて、ね」
「成功? いつの間に?」
慧がきょとんとする。伊緒菜はにやりと笑った。
「これからするのよ。津々実の情報によれば、家庭科部はまさに今日、これから、文化祭の出し物を決めるらしいわ。そこに乗り込んで、QK部とのコラボを提案するのよ!」
自信満々な宣言だった。伊緒菜には何か妙案があるらしい。
「前に話したわね。私たちが家庭科部とコラボするためには、こちらから何かメリットを提示しないといけない。みんな、何か考え付いた?」
部員たちは顔を見合わせる。……誰も考えてきていないようだ。しかし伊緒菜に、落胆する様子はなかった。むしろ自分の作戦が使えるとわかって喜ばしいようだ。
「じゃ、私の案で行きましょう。津々実にはもう、半分くらい話したわよね?」
「話したというか、質問されましたね」
「なんて?」と、みぞれが津々実の顔を見る。
「家庭科部で今足りないものは何かとか、困っていることは何かとか、欲しいものは何かとか……直接的な質問を何個もだよ」
「そう。津々実には前々からリサーチしてもらってたわ。そしてたどり着いた結論はひとつ!」
伊緒菜は人差し指を一本上げた。
「家庭科部には今、モデルが足りない」
「モデル?」
みぞれは首を傾げた。モデルといえば、ファッション雑誌に映っていたり、ファッションショーで歩いていたりする人だ。たしかに高校の家庭科部にそんな人はいないだろう。しかし、そんな人はQK部にもいない。家庭科部が欲していても、こちらから提供できる代物ではないはずだ。
どうするのか疑問に思っていると、伊緒菜が流れるように語った。
「この間、家庭科部の部長さんが言っていたこと、覚えてる? 今年の家庭科部は、和風で行くつもりなの。つまり、着物とか浴衣とかね。ところが、今の家庭科部には、和風な顔立ちの人がいない」
「全員日本人なのに?」
「全員日本人なのに」
慧の質問に自信満々で答える。
「何日か前に、そういう話が出たんだよ」津々実が補足を入れた。「振袖が似合いそうな人いないね、って。和服自体、作ったことあるの部長くらいだから、まずは和服が似合う人をモデルにして練習したいねって話をしたんだ」
「でも、和服が似合う人なんて、うちの部にも……」
「いるじゃない」伊緒菜が胸を張って答えた。「あなたたち二人よ。みぞれ、慧」
「え」
みぞれと慧は、同時に口を半開きにした。
「まず慧。あなたのすらりとした体形や長いさらさらの黒髪は、絶対に和服に似合う」
「はぁ、そうですか」
慧は眉をひそめながら答えた。そういう褒められ方は、あまり好きではない。
「そしてみぞれは、胸はちょっと大きいけど小柄だし、顔立ちも日本人形っぽさがある。絶対に浴衣とか似合うわ」
「そんなこと初めて言われました」
みぞれも胸を隠しながら答えた。
「津々実ちゃんじゃダメなんですか?」
「津々実はストリート系だからね」
道を歩けない服なんてあるんだろうか、とみぞれは思った。
「お願い! うちの部のために、一肌脱いでくれない?」
伊緒菜が手を合わせる。こんな姿を見るのは初めてだ。
「……わかりました、伊緒菜先輩の頼みなら、やります」
「コラボ?」
家庭科部では、ミーティングを始める準備が整っていた。津々実が来るのを待っていたようだ。そこへ現れた伊緒菜がコラボを提案すると、家庭科部部長の伊藤雪子は頭を掻いた。
「あたしは大歓迎だけど……」
「反、対、よ!」
力強く答えたのは、副部長の工藤鈴だった。
「それは……理由を聞かせてもらっても?」
意外なところから否定意見が出て、伊緒菜は面食らった。この反応は、過去に何かあったに違いない。なるべく刺激しないように尋ねると、鈴が苦々しげに語り出した。
「忘れもしないわ、私たちが一年のときの文化祭よ。あのときも、海外文化研究部とかいうのが、コラボを申し出たの」
「そんな部が?」
「今はなくなってる」雪子が口を挟んだ。「去年、部員が全員卒業して消滅した。うちとコラボしたのも、部員を増やしたかったからみたいだ」
その点はQK部と同じである。伊緒菜は内心で冷や汗をかいた。鈴は続ける。
「その年のうちのテーマが『ローマの休日』だったから、海外の文化を教えてくれるならちょうどいいと思って、コラボすることにしたの。でも、知識が浅すぎて、全然役に立たなかったわ。洋画を見ながらおしゃべりするだけの部だったのよ」
「それはそれで、色んな知識はついてそうですが……」
「私たちはもっと細かいことが知りたかったの。1950年代のジェラートの作り方とかね」
仮に海外文化部が真面目に海外文化を研究する部だったとしても、そんなことは知らなかっただろう。
「しかも向こうの目的は売名だから、コラボした時点で目的は達成……真面目に仕事してくれなかったのよ。だからそれ以来、コラボは断ることに決めたの。うちにとって、メリットがないわ」
「それなんですが、メリットはあると思います」果敢にも、津々実は食い下がった。みぞれと慧を手で示す。「この二人をモデルにできます」
「モデル?」
「ん、たしかに、似合うかも」
髪を二つ結びにした部員が言った。津々実と同じ、裁縫班一年の
「どういうこと?」と鈴が尋ねる。
「この間裁縫班で話したんですけど、うちの部って和服が似合いそうな人がいないって言うか……作る前に、まず和服が似合いそうな人で練習したいよね、って。そう思いませんか、部長?」
美里愛は部長の雪子に向き直って言った。
「そんなこと話してたのか? その場で呼んでくれればよかったのに」
雪子は唇を尖らせた。
「というか、もしかしてみんな、和服と聞いて派手な振袖みたいなものを想像していないか?」
「違うんですか?」
雪子は大げさに首を振って見せた。
「勉強が足りない。和服には色々な種類があるし、時代によっても変わる。まだテーマを決めてないから、何時代のどんな服装になるかわからないが、いずれにせよ給仕らしい動きやすい恰好になる。振袖とは真逆だ」
「動きやすい着物なんてあるんですか?」
「もちろん色々ある。有名なところだと、浴衣とか袴とかだ」
「袴!」「着てみたい!」と家庭科部員たちが盛り上がる。
「それにあたし達のモットーは、綺麗な人を着飾ることじゃない。相手に合わせて、その人の良さを引き立てるような服を作ることだ。だから、モデルなんていらない。美里愛も津々実も、それぞれに似合う和服を作る」
雪子の熱弁に、部員たちは目を輝かせていた。普段はおちゃらけているが、活動には真剣なのだ。その情熱は日ごろから部員たちに伝わっていた。
そのことを、伊緒菜は十分に感じ取った。
「そういうわけだから……」雪子は伊緒菜に向き直ると、申し訳なさそうに頭を掻いた。「悪いけど、コラボの話はなしだ」
伊緒菜は何か反論しようかと思ったが、何を言っても無駄だろうと察した。こちらにはカードがないし、向こうの意思は固い。
「わかりました」素直に頭を下げた。「わざわざ話を聞いてくださり、ありがとうございます」
「いやいや、こちらこそ、力になれなくてごめんね。……あ、なるべく津々実の仕事は減らすよ。そっちの仕事ができるようにね」
「ありがとうございます」
伊緒菜はもう一度そう言って頭を下げた。
そして、みぞれと慧を連れて、家庭科室を後にした。
計画が白紙に戻ってしまった。
みぞれは、コラボできなくなったのは残念だったが、モデルにならなくて済んだのは内心ホッとしていた。慧も同じ気持ちだった。違うのは、伊緒菜だけだ。部室へ向かいながら、伊緒菜はずっと思案顔だった。
「どうするんですか、伊緒菜先輩?」
たまらず、みぞれは聞いた。すると伊緒菜は、眉根を下げ、みぞれを見た。
「……どうしましょう」
伊緒菜のこんな表情を見るのは、初めてだった。
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