第48話 5^7
みぞれと史が準々決勝を戦っている頃、伊緒菜と慧も同じく試合に臨んでいた。
「初めまして」慧の前に座った大人びた雰囲気の少女は、恭しくお辞儀した。「
美音は落ち着いた笑みを浮かべた。前髪を留める大きなハート型のヘアピンが、天井の明かりを反射してキラリと光る。高校生らしからぬ雰囲気をまとっていたが、そのヘアピンだけは子供っぽかった。
「またボドゲ……」慧は眉を潜めながら挨拶した。「萌葱高校QK部の剣持慧です」
「……ご機嫌斜めなのかしら?」
美音が小首を傾げる。清楚な仕草だった。慧は目線を逸らし、
「いえ、別にそういうわけでは……」
と誤魔化した。
「ではこれより、納戸高校の若山美音選手と、萌葱高校の剣持慧選手の試合を始めます。まずはカードドローをお願いします」
素数判定員がカードを広げる。ドローの結果、先攻は美音になった。
判定員がカードを回収し、二人に十一枚ずつ配る。
「先攻は若山選手です。ではこれより、一分間のシンキングタイムを始めます」
カードを取りながら、慧は美音をちらりと見た。また七枚出しとかしなければいいが。
慧のカードは比較的良かった。A、2、5、6、7、8、9、
シンキングタイムが終わると、美音はすぐに一枚ドローした。それからカードを見ながら、じっくりと考え込んでいる。前髪とカードを交互にいじり、一分ほど経ってようやく手札を出した。
「2^6=64」
「合っています、合成数出し成功です」
「いきなり合成数出し……」
2のベキ乗くらいなら、慧も覚えている。特に2の6乗は使用するカードがすべて偶数で、かつグロタンカットより大きいので、比較的出しやすい数だ。QKにおける初歩のテクニックと言っていい。
慧も一枚引いた。7だった。少し考えて、慧も場に二枚、素因数場に二枚カードを出した。
「2^7=
「合っています、合成数出し成功です」
残りの手札は、QK、57、
「QK」
「1213は素数です」
だが、美音はQKを出してきた。慧はドローするかどうか悩んで、結局引かずにパスをした。手番が美音に移る。
美音の残り手札は六枚。彼女はカードを確認した後、慧を見た。
「私の番で、良いんですよね?」
「そうですけど?」
美音は口の端で、楽し気に笑った。そして優雅に、素因数場に二枚、場に四枚のカードを出した。
「5^7=78Q5。合ってますか?」
美音は手札を使い切った。計算が合っていれば、美音の勝ちだ。判定員はタブレットを操作して宣言した。
「合っています、合成数出し成功です。よってこの試合、若山選手の勝利です」
「やったぁ」
美音がぱあっと笑顔になった。可愛らしい笑顔だ。だが、どこかあざとい。慧は睨むように美音を見た。
「……計算したんじゃなくて、覚えてましたね? 5の7乗が78125だって……」
美音は前髪をいじった後、清楚に微笑んだ。
「ええ。このゲームは大きな素数を覚えるのも重要だけど、合成数出しを覚えるのも、テクニックとして重要だと思うの。場には同じ枚数しか出せないけど、合成数出しならそれ以上の枚数が出せるから。それで私、素数のベキ乗を大量に覚えてきたの」
判定員がカードを回収する。美音はそれを眺めながら続けた。
「私はこの大会で勝たなきゃいけないの。生徒会に言われたのよ、一学期のうちに同好会としての実績を出さないと、廃部にするって。たしかにうちは、会員一人の弱小同好会だけど……でも、先輩たちから受け継いだ伝統ある同好会だもの。三十年の歴史を、私の代で終わらすわけにはいかないわ!」
美音は静かに、闘志を燃やしていた。どこも部の存続に苦労しているのだな、と慧は現実逃避気味に思った。
聞いたことがないということは、新参の高校なのだろうか。それにしては準々決勝まで上り詰めている。しかもひとつ前の対戦相手は、あの遠海美沙だ。ぽっと出の新人が簡単に倒せる相手ではないだろう。
油断はならない。いったいどんな手で来るのだろうか、と伊緒菜は身構えた。
「シンキングタイム終了です。ここから、相馬選手の持ち時間となります」
梨乃はドローもせず、カードを出した。
「2!」
「2は素数です」
初手一枚出し。珍しい戦法だ。残りの手札が余程良いのか?
QKは上級者ほど、一枚出しをしない。それは、単に大きい素数を覚えているからという理由だけではない。一枚出しはメリットが少ないのだ。2以外の素数はすべて奇数なので、偶数を消費できない。一の位に配置できるカードを捨てることになるので、一枚出しを多用すると後々苦しくなる場合が多い。
一方、それを逆手にとって、相手を苦しめるために敢えて一枚出しする戦術もある。梨乃はその使い手なのか?
伊緒菜はドローしたあと、警戒しながらカードを出した。
「5」
梨乃は即座に返してきた。
「K」
「!」
随分、自信満々だ。向こうの手札は残り九枚。三枚ずつ三回出して上がる気か。
一枚出しのKに勝てるカードはジョーカーのみだが、伊緒菜の手札にはない。一応ドローしたが、もちろんそんな都合よくジョーカーが来たりはしない。
「パス」
伊緒菜の手札は十二枚。少し厳しい。もし梨乃が三枚ずつに分けていたら、負けるかもしれない。
梨乃は手札をあれこれ並べ替え、中空を眺めてぶつぶつ言った。それから、セーラー服の胸ポケットをぎゅっと掴んだ。ポケットに浮かぶ輪郭から、どうやらお守りが入っているらしい。
「神頼み?」
「え? ああ、これですか?」梨乃が胸ポケットをつつく。「いえ、会長頼みです」
「はい?」
梨乃は、手札から二枚を場に出した。
「47!」
「47は素数です」
「え、二枚出し?」
予想外だった。ということは、残りの七枚は、二枚、二枚、三枚に分けられているのか。
47はグロタンカットされる可能性がある。それを見越して手札を組むはずだから、二枚、二枚、三枚だとすると、三枚はKKJなどの可能性が高い。伊緒菜がここで57を出し、次に三枚出しした場合は、それで親が取れる。そしたら残りの二枚、二枚を出せれば勝ちだ。
だがいま、伊緒菜は57を持っていない。さっき5を出してしまったからだ。梨乃はそれを読んでいた? いや、それは不可能だ。情報が少なすぎる。それとも、手札に5が三枚あるとか?
翻弄されている、と伊緒菜は感じた。この独特の翻弄のされ方は……。
伊緒菜は眼鏡を押し上げて、梨乃に言った。
「……あなた、初心者ですね?」
「え?」
「もしあなたが初心者なら、これで勝てるんじゃないかしら。
場に出されたカードを見て、梨乃は心の中で叫んだ。
『会長ーっ、ついにバレましたぁーっ!』
伊緒菜が追い打ちをかけてくる。
「ここまでずっと、一枚出しと二枚出しだけで、運で勝ってきたんじゃありませんか? しかも、二枚出しもあまり覚えていないんじゃ……」
「そ、そんなことないですよ~」
落ち着け、初心者だとバレたところで、まだ勝負の行方は分からないはずだ。梨乃は自分のカードを再確認した。
手札は残り七枚。A、3、8、8、J、J、J。絵札が三枚もあるのだから、強いはずだ。3Jも8Jも素数である。だがこのままだと、Aが単独で残る可能性が濃厚だ。
なんと、ジョーカーが引けた。ツイてる。梨乃は精神的余裕を取り戻した。
「なんのことだかわかりませんよ~。私はこれまでの二戦、余裕で勝ってきたんです! 今回も勝てます!」
「なら良いけど」
伊緒菜はにやりと笑いながら、梨乃を見やった。梨乃はお守りを掴みながら、虚勢を張る。
「だいたい、まだそんなに手札があるのに、どうして勝てるってわかるんですか」
「それは追々わかります。で、どうするんですか? 出すんですか、パスするんですか?」
「パスですよ!」
場が流される。伊緒菜は即座に、手札から四枚出した。
「A729」
「1729はラマヌジャン革命です」
「ふわっ」
ボドゲ同好会の会長としか試合経験のない梨乃は、実戦で革命を見たことがほとんどなかった。伊緒菜は笑顔のままだ。
『会長ぉ~、この人なんか怖いです~』
それでも梨乃は、冷静さだけはなんとか保った。QKの経験は浅いとはいえ、会長とともに一年以上、ボドゲをやってきたのだ。真剣勝負で冷静さを欠くことの危険はわかっている。深呼吸をして、理性を取り戻す。
革命が起こったので、今は1729より小さい素数でないと出せない。伊緒菜の残り手札は六枚なので、ここで親を渡してしまうのは危険だ。なんとか自分が親を取らないといけない。
悩む梨乃を、伊緒菜はじっと観察した。一瞬だけ慌てたようだが、深呼吸をして落ち着いたようだ。意外にメンタルコントロールがうまい。
伊緒菜の残り手札は、A、3、3、4、8、T。これは、A483とT3に分けられる。仮に梨乃が革命にカウンターしてきても、それが1483より大きければ、さらにカウンターできる。梨乃は恐らく、それには返せないだろう。そしたらT3を出して、伊緒菜の勝ちだ。
もし梨乃が本当に初心者なら、革命カウンター素数はそんなに知らないだろう。四つ子素数の
どうなるかな、と伊緒菜はじっと待った。
カードを睨んでいた梨乃は、突然、伊緒菜に対抗するように笑顔を作った。
「私を初心者だと思い込んで、油断しましたね~。あなたの作戦はお見通しです!」
伊緒菜は意外そうに、目を丸くした。
「へぇ?」
「おそらくあなたは、1729で親が取れると思ったんですよね? でも、甘いですよ~。私だって、革命を倒せる素数くらい、覚えているんです!」
梨乃は振りかぶって、カードを四枚出した。
「ジョーカーを4として、A483!」
「!」
伊緒菜は少し驚いた。梨乃も1483を用意していたのか。これでは、カウンターできない。
「パス」
伊緒菜の宣言で、場が流れる。
怖そうな人に一撃を加えられて、梨乃は悦に入った。しかし、すぐに冷静な頭に戻す。この手のゲームで、油断は大敵。一手のミスが逆転負けを許すからだ。
梨乃の残り手札は、8、J、J、J。革命中の今は、あまり強くないカードだ。四枚全部出して素数になれば勝ちだが、いまその冒険をするのは危険だ。
梨乃は一枚引いた。9だった。少し考えてから、カードを二枚出した。
「89」
これに、伊緒菜はホッとしたようにため息を吐いた。
「なんだ、やっぱりこうなりましたね。お見通しなんていうから驚きましたけど、見通せてなかったみたいですね」
「え?」
「確かに私は、革命か、その次のターンで親が取れると思ってました。私も1483を持っていたからです」
伊緒菜はにやりと笑った。
「そして1483を持っていたということは、これが出せるということです。
「あっ!」
「13は素数です」
判定員が無慈悲に告げる。13は、二枚出しで下から二番目の素数だ。伊緒菜は眼鏡を押し上げて言った。
「あなたはこれにカウンターできないはずです。これに勝てるのは
伊緒菜はカードを手の中に収めて、
「合成数出しで12を出すという手もありますが、そのためには手札が五枚必要です。あなたはいま三枚しか持っていないので、これも不可能。よって私の勝ちです」
「い、いや、まだですよ! あなたのその残り四枚が、素数とは限りません!」
そんなはずはないと、梨乃も直感していた。あれは素数だろう。
梨乃がパスを宣言し、場が流される。伊緒菜は、最後の四枚を場に出した。
「8
「81043は素数です。よってこの試合、宝崎選手の勝利です」
「ま、参りました~……」
梨乃は机に両手をついて、頭を下げた。第二戦目はたった三手で負けてしまった。
「あなた、強いですね」
「そう?」
伊緒菜は照れ臭そうに笑った。どうやら梨乃は、伊緒菜のことを知らなかったらしい。
さて後輩たちはどうなったかな、と伊緒菜はトーナメント表を見に行った。表の前には、みぞれと津々実がいた。
「みぞれ、津々実」
呼びかけると、二人はゆっくり振り返った。その表情を見て、伊緒菜は嫌な予感がした。
「伊緒菜先輩ぃ……」
みぞれは泣きそうな声で言った。
「負けちゃいました……」
「え、ウソでしょ。誰に?」
津々実が肩を落として答えた。
「吉井さんですよ」
「吉井さんに?」
にわかには信じられなかった。みぞれの実力なら、史に十分勝てたはずだ。
それからハッと気づいて、
「慧は!?」
と、トーナメント表で慧の名前を探した。一回戦、二回戦と勝ち進み、いま準々決勝を戦っている。
体育ホールを見渡す。準々決勝は四組しか試合をしていない。そのうち二組が既に試合を終えている。残りのうち一組は、ステージ上で戦っている烏羽高校の大月瑠奈と太田陽向。もう一組が、慧と納戸高校の若山美音だった。
「納戸高校……って、ボドゲ部の人だったかしら」
二人の対戦テーブルの周りには、何人か選手が集まって見学していた。伊緒菜たちも、その群れに交わって観戦する。
「今どういう状況ですか?」
近くの選手に小声で尋ねた。
「えっと、三本目のシンキングタイム中っす」
伊緒菜は、祈るような気持ちで慧を見た。
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