181

(光秀殿――…………)


「み……光秀殿―……!!」


 気づけば……

 私は、光秀の名を叫んでいた。


 ――声が……


 ――声が……………。


 声を発することができ、涙が溢れた。


「これは面白い。男のなりをした女とはな」


 ニヤニヤと口角を引き上げ、卑劣な眼差しで私を見据え、竹槍を肩に担ぎ男が私に近付く。


る前に、楽しませてもらうぞ」


 ――車中で襲われたあの日のことが、フラッシュバックのように脳裏に蘇る。


 刀を持つ手がブルブルと震え、討つことが出来ない。


 男はゴツゴツとした手で私の手を掴む。


「……無礼者!放さぬか!」


「無礼者?武家の女か。武家の女を甚振いたぶるほど、面白いものはない」


「……やめて!」


 男と揉み合い、男諸共地面に倒れた。

 グサリと鈍い音がし、私に覆い被さっていた男が目を見開いた。


 私の刀は男の腹部を貫通し、血が噴き出している。それでも息絶えていない男は、両手で私の首を絞めた。


 首を締められ呼吸が出来ず、バタバタと脚を動かすが、男の体重が全身にのしかかり、顔は苦悩に歪む。


「……ぅっ」


 光秀殿……。


 視界が白く霞む……。

 死を覚悟した時、男の背後でブスリと鈍い音がし、私の顔に男の血が降り注いだ。


 首を絞めていた男の手が緩み、ドサリと地面に倒れ込む。


「……こほ、こほ」


「……美濃、大事はないか」


 短刀を手にした光秀は負傷しながらも男を討ち、瞳を潤ませ私を見つめた。


「……光秀殿」


「声が出せるように……なったのだな。……うっ」


 光秀は痛みに顔を歪め、ハァハァと苦しそうに呼吸をした。


 私は起き上がり、傷付いた光秀の体を抱き締める。涙が溢れ……嗚咽が漏れた。


「……光秀殿、私と逃げましょう。ここにいては危険です」


「わかっておる。美濃、男の着物を脱がせるのだ」


 光秀は自分の着物を脱ぎ、息絶えた男の着物を脱がせ、その男に自分の着物を着せた。竹藪に男を座らせ、腹に自分の刀を突き立て、明智光秀が自害したように見せかけ、側にあった石で男の顔を潰した。


 私も光秀同様に、男の着物を脱がせ着衣を交換する。光秀は容赦なく死に絶えた男の腹に刀を突き刺し顔を潰した。


 落ち武者狩りに襲われた明智光秀が、家臣とともに自害したように見せ掛けるためだ。


 私達は命からがら本経寺の御堂に辿り着き、光秀の傷の手当てをした。御堂には落ち延びるために光秀が事前に用意していた農民の着物や金子があった。


「ここでゆっくりしている暇はない。いつ羽柴軍が攻めてくるかわからない。出立の準備をするのだ」


「……光秀殿、無理をなさらない方が」


「……これしきのこと。美濃……行くぞ」


「はい」


 夜明け前に本経寺を出た私達は、2人で手を繋ぎ、ひっそりと暮らせる地を目指した。

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