79

「……やめて」


 口ではそう懇願するものの、体が熱く燃えるように、信長を求めている。


 一時の戯れでもいい。

 信長の心を奪えなくてもいい。


 このまま……

 信長に抱かれていたい。


 あたしは……

 理性を手放し、心のままに信長を受け入れた。


 帰蝶を裏切ったのだ。


 信長が激しく動くたびに、体は蝶の羽のようにゆらゆらと揺れた。


 男として生きてきたあたしに、女としての性を信長は一瞬で体に刻みつけた。


 帰蝶を裏切ったからには、このまま自刃するしかない。信長の腕の中で、信長に斬り殺されるなら本望だ……。


 共に果て、息を弾ませている信長が……

 あたしを逞しい胸に抱きしめ、右肩にある小さな黒子ほくろに口づけた。


 その行為に、思わず目を見開く。

 同じような光景が……

 ふと脳裏を過ぎる。


 トクントクンと鼓動が音を鳴らす。


「紅、名を変え身分を偽り女に戻るのだ。わしの側室となり子をなせ」


 あたしは信長に背を向け、起き上がる。

 ほどけた晒しを乳房に巻き、ふくよかな胸を隠し、打ち身の手当てをし、半着を身につけた。


「俺は側室にはなりませぬ」


「強情なやつめ。ならば、わしの近習きんじゅとして仕えよ」


「……それは」


「男の姿で構わぬ。これは命令だ。帰蝶の護衛の任は、たった今解いた。わしの命令に背くことは許さぬ。よいな」


「……わかりました。殿、このことは……どうか内密に」


 あたし達は身支度を整え、何事もなかったかのように帰蝶の待つ部屋へと向かう。


 廊下を歩く数分間に、乱れた息を整え、火照る肌を鎮めた。


 信長と共に戻ったあたしを、帰蝶は心配そうに見上げた。


(紅、怪我は大丈夫ですか?)


「はい」


 帰蝶の口話を読み取り、会話をするあたしに、信長は驚いていた。


 信長と一線を越えてしまったあたしは、後ろめたさから、帰蝶と目を合わせることが出来ない。


 トクトクと鼓動は早鐘のように音を鳴らし、体に流れる血さえも、あたしを責めているように思えた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る