第8話『 戻らざる過去 』2、誰も触れてはならぬ

 小1時間ほど経ったろうか、対象者宅の庭先に変化が起きた。

 テラスから出て来たのは、30代後半と見られる男性。 短めの髪で、鼻の下にはヒゲがあり、ジーンズにTシャツ姿。 片手には、水差しを持っている。

 庭先に出た男性が、家の中に向かって何かを言った。

 テラスに出て来たのは、3歳くらいの男の子。 再婚後に出来た息子であろうか。 その男の子の後ろに、小学生低学年と思われる女の子がいる。 男性とにこやかに会話し、弟と見られる男の子の頭を数回、右手で撫でた。

( あの女の子が、依頼者の娘さんか…… )

 状況的には、そうだろう。 だが、確実ではない。

 やがて2人の子供たちの間から、奥さんと思われる女性が庭に出て来た。 年齢は30代前半。 やや茶色に染めたセミロングの髪をアップで縛り、ジーンズに、白いパフスリーブの半袖ブラウスを着ている。

 庭に出た女性は、先に出ていた男性と共に、芝の手入れを始めた。 子供たちはテラスの下で、土遊びに興じている。


 時は、来たり……!


 葉山はビデオを小脇に抱えると、車を降り、対象者の庭先へと歩いて行った。

( まずは、遠目でもいいから撮影だ )

 もし、この後の『 作戦 』が失敗に終わった場合、保険的に撮影した、この映像が依頼者に渡る事となる。 映像は、撮れるうちに撮っておくのが賢明なのである。

 葉山が調査で使用しているビデオカメラは、ハンディタイプ( ソニー・PC‐5 )のものだ。 市販のものだが、非常に小型で重宝しており、何よりも扱い易い。 現在、廃番になってしまってはいるが、冬季はコートのポケットにすっぽりと入るくらいの小型高性能機種だ。 かなり前の型で、画像の解像度は最新のものと比べると劣るが、小型な所が大変に便利である。 故障の度に、何度も修理に出し、未だもって使い続けている。


「 こんにちは~ 」

 葉山が、ラティスの垣根越しに挨拶をすると、奥さんと見られる女性が顔を上げ、いぶかしげにも挨拶を返した。

「 はあ、どうも… 」

 葉山は、すかさず、首から下げていたストラップ付の許可証( くどいようだが、何の? )を見せながら言った。

「 市役所の土木局の者です。 少々、おうかがいしたいのですが、宜しいですか? 」

 男性が立ち上がり、答えた。

「 はい、何でしょう? 」

「 一般家屋の耐久年度に関わる事で、各ご家庭を回らせて頂いているのですが… 」

 ボードに挟まれた『 資料 』を、それとなくめくりながら、葉山は続けた。

「 最近、無料調査とか言って、勝手に見積りなどをして来る業者がいますので、気を付けて下さいね。 …え~と、ドコ行ったかな? 」

 まずは、リフォーム業者ではない事をアピール。 続いて、めくっていた資料を数枚、ワザと落とす。

「 おっとっと…! 」

 風に吹かれ、足元を舞う『 ナンちゃって資料 』。 女性の方に飛んで行った資料を、彼女が拾い上げ、葉山に渡した。

「 あ、どうも。 すいませんねぇ~… 何せ、1人で回らせられてるモンで、大変なんですよ 」

 それとなく、愚痴る葉山。 資料には、住宅の梁・軒下などの設計図( 建築専門誌からのコピー )があり、それらしく赤のマーカーなどが引いてあった。 こんな感じの『 資料 』を見せれば、素人目には、訪問の整合性がある。

 葉山は言った。

「 まだまだ、日中は暑いですねぇ。 朝夕は、かなり涼しくなって来ましたけど、今日みたいに良い日差しの日の昼間は、たまりませんよ。 運動不足だから、たまには歩かにゃイカンのですがねぇ。 え~と… 」

 この、あまり意味合いを持たない会話のやり取りをしている間、ボードの下に持っていたビデオは既に録画をしており、テラス下で遊ぶ子供たちを捕らえていた。 広角にしてある為、姿は小さいだろうが、確実に映っているはずである。

 葉山は、家屋の軒先を見ながら続けた。

「 こちらのお宅は… ん~、築12~3年… ほどでしょうかね? 」

 男性が、額の汗を右腕で拭いながら答えた。

「 7年ほど前に、中古で購入しましてね。 その時、不動産屋さんからは、築9年と聞いてますよ 」

「 なるほど、なるほど 」

 例の資料に、ボールペンでメモを取る葉山。 書いているのは、ワケの分からない文字だ。 メモを取っている演出をしているだけで、カメラの向きを微妙に調節していた。

 資料をめくりながら、葉山は言った。

「 今の建築は10年前と比べますと、工法自体が全く異なります。 当然、耐火資材などの性能も違いますし、現在は、海外の安い部材が大量に輸入されていますしね。 国内基準では、建築工法を統一する事が困難なのが実情で、各工務店さんや代理店さんの良識に任せるしかない状況であるのも事実です 」

 既に、ナニを言っているのか、ワケが分からなくなって来た葉山。 男性も、小さく頷きながらも、いぶかしげだ。

( 専門技術者である事の設定は、充分『 洗脳 』出来ただろう… 会話をリセットして、本題だ )

 葉山は、続けて言った。

「 今、築15年を過ぎた一般住宅の状況を、調査して回っているところなんです。 壁紙のめくれ・シワ・変色、タイル目地のひび割れ、漆喰壁のひび割れなどありましたら、お見せ頂けないかと思いまして… 」

 葉山は、ポケットからハンカチを出し、額辺りを拭った。 別に、汗はかいてはいない。 演出である。 土曜の休日を返上して各家庭を回っている市職員… という設定演出をアピールしているのだ。

「 そう言えば、台所の上の方… 壁材と材木の間が開いてるわよね? 」

 女性が、男性に確認するように言った。 男性も答える。

「 居間の壁紙も、フチの方、めくれてるよな? 廊下の上の方も、隙間があったんじゃないか? 」

 壁紙のめくれやシワ・壁のひび割れなどは、築10年を過ぎれば、あって当然である。 葉山は、もっともらしく答えた。

「 建築当時と現在では、壁紙に関しては原料材質の違いもありますからね。 現在は天然素材を原料としたものが多く、当時は化学合成品がほとんどでした。 天然由来のものには、年代を問わず、歪が少ないんです。 ただし、原価が高くつきますけどね 」

 ビデオカメラを出し、続けた。

「 現状記録が必要でして… 少々、お邪魔をして、これで撮影してもよろしいですか? もちろん、箇所のアップしか映しませんので、ひとつ、ご協力お願い致します 」

「 ああ、構いませんよ? ちらかっていますけど 」

 男性は、笑いながら答えた。


 …成功だ…! これで、堂々と家に入れる。


 すかさず、葉山が女性に言った。

「 では奥様、問題箇所へご案内頂けますでしょうか? 」

「 どうぞ、どうぞ。 子供のオモチャがありますが、玄関からどうぞ 」

「 すみませんねぇ~ …ほう、ガーデニングの最中ですか? 良い、ご趣味をお持ちで 」

「 いえいえ、そんな本格的なものじゃありませんよ。 まね事です 」

 玄関に案内される際、テラスの下を通った。 回り続けるビデオカメラを、それとなく娘の方に向け、葉山は女性に言った。

「 やあ、可愛い盛りですね。 お幾つですか? 」

 女性が、軍手の土を叩きながら答えた。

「 小学3年と、年長です。 もう、騒がしくって 」

「 ちょっと、お家の中、見させてね~ 」

 葉山が、子供たちにそう言うと、娘が女性に聞いた。

「 ナニするの~? 」

 女性が答える。

「 お家の中のね、ひび割れてるトコとかを、調査されてるんですって。 …綾香、ココ、片付けなさい。 使ったら、元の場所に返しなさいって、いつも言ってるでしょ? 」

 玄関に放置されていた玩具を隅にどけながら、彼女は、葉山を室内に案内した。

「 あれです。 上の方… 」

 廊下天井と鴨居の境辺りに隙間が出来ている。 まあ、一般家庭でよく見られる『 光景 』である。

 葉山は、ビデオカメラを構え、撮影を始めた。 …本当は、撮影スイッチをオフにした。 オン・オフの度に、このビデオカメラは確認音が出る。 はたから見れば、撮影を開始したように思え、丁度良い。

 葉山は、隙間をなぞるようにカメラを移動させながら言った。

「 写真ですと、こういった長い部分は、撮影し難いんですよ。 やはりビデオの方が、都合が良いですね 」

 女性は、納得したように頷いた。

 葉山が続ける。

「 他は、ありませんか? 壁紙のめくれとか 」

 これも、どこの家庭にも1ヶ所や2ヶ所、たいていは存在するものである。

「 居間の方に、ありますね 」

女性は、玄関横にある居間に葉山を案内した。

「 でもこれ、この家を買った時から、少し浮いてたんです。 段々と目立つようになって来て… 」

 シートの繋ぎ目部分だ。 普通は、目立たない角で繋ぐものだが、貼りしろ幅が少ない所なので、構わずに施工したのだろう。 適当なボンドで、補修可能な感じだ。

 葉山は撮影しながら、女性の後ろにやって来た子供たちに言った。

「 お嬢ちゃんたちの部屋は、どうかな~? 」

「 この前ね、翔がめくっちゃったんだよぉ~? 」

 娘が女性に言うと、女性は両手を腰に構え、聞いた。

「 あの、とれてたトコ? 」

「 そう。 翔がね、ビビ~って引っ張っちゃったの~ 」

 翔と呼ばれた、男の子が言った。

「 ちょっと、引っ張っただけだよ 」

「 違うじゃん。 取れる~とか言って、引っ張ってたじゃん 」

「 違うって~! 」

「 はいはい、その辺にしてね。 オジちゃんに案内してくれるかな~? 」

 葉山が、子供たちをたしなめている間も、カメラは回り続け、活発そうな娘の顔のアップを捕らえていた。

「 コッチだよ、オジちゃん 」

 奥の、洋間の方へと駆けていく娘。 男の子も付いて行く。 葉山は、録画し続けているビデオカメラを構えず、手に持ったまま子供たちの方に向け、何気なくその状景も撮影した。

 『 作戦 』は成功である。 葉山は、子供たちの普段の姿もビデオに納める事が出来た。

 その後、あちこちの部屋を案内され、その都度、チャンスがあれば娘の姿を重点的に撮影した。


「 じゃあねぇ~、オジちゃん 」

 対象者宅を出る時、無邪気な娘と弟たちに見送られた、葉山。 にこやかに手を振り返す。

 お辞儀をする女性に、葉山も会釈して返した。 男性もラティス越しに挨拶をしている。

 …幸せそうな、とある家庭の風景である。

( 依頼者の入り込む隙間は… 無いな )

 娘の姿を見るだけに留める、と口約してくれた依頼者… 実際には、我が子と共に生活をしたいのが本音だろう。 この手に、抱き締める事が出来たら… と。

 だが、今見た情景に、依頼者の存在は必要無い。

( この映像を見て… 依頼者は、自分の存在の無必要さを理解してくれるだろうか )

 むしろ、妬みにも似た心情を覚えるかもしれない。 自分が、本当の母親なのだ、と。


 その心情を行動に移した場合、この家庭は崩壊する……


( 依頼者は、それを分かってくれるだろうか…? )

 この家庭の平和は、誰も乱す権利は無い。 誰も、彼らの生活には触れてはならないのだ。

 葉山は、苦労して撮影したテープを破棄したくなる気持ちを覚えた。 毎回、依頼者や対象者の人生に触れ、判明不能・撮影不可能として報告書を書き換えたり、映像データを破棄したくなる心情……

 葉山は、小さなため息をつくと、車に戻った。

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