第一章 やかましい来客は事件を運ぶ

 赤い煉瓦でできた駅から、曲がりくねりながら続く通りは、金物屋や呉服屋、乾物屋など色々な店が隙間なく立ち並んでいる。本防は変わった造りの町だが、それでも駅を離れれば家の間隔が広くなり、道の舗装がなくなるのはどこも一緒。

 空也の家は、町の外れにある。子供が遊ぶのにちょうどよさそうなちょっとした庭を囲むように、平屋の家が建っていた。

 その家の隅の自室で、空也は布団の暖かさを堪能していた。もう日はすっかり高くなっている。夜に仕事をする職業がら、遅くに起きるが普通になっているのだ。使い古されたタンスと、書き物机の他はろくに家具もない部屋だが、空也には一番居心地のいい場所だ。昨日干したばかりの布団で、ちょうど夢と現の間の、ふわふわとした感覚を味わっていると、いきなり部屋の襖が乱暴に開けられた。 

「うわわ、なに?」

 慌てて飛び起き、布団から抜け出す。

「おらぁ、起きろ空也!」

 不躾に現われたのは、警官の制服を着崩した、背の高い青年だった。かぶらなければならない帽子も身につけていない。おまけに短い髪は赤く染められてた。

 そういえば、夢の中でなんとなく母親と誰かが話しているのを聞いていた気がする。

「なに、なんなの寛次(かんじ)! 一体なに!」

 寝起きの頭でどうしたらいいか考えつくはずもなく、空也はペタンと布団の上に座り込んだ。

乱入してきた彼、寛次は、十年ほど前にこの町に引っ越してきた青年だ。空也も寛次も今十六才で、初めて会ったのが六才だから、幼なじみと言っていいだろう。派手な髪と格好をしているが、これでもれっきとした警官だ。まだ下っぱだけれど。

 寛次はぐるりと部屋を一瞥した。たまに遊びにくることがあるから、寛次も空也の部屋の様子をよく知っている。

「タンスに本にぼろっちい屏風…… なんも変わった所はないな。棍が立て掛けてあるけど、血痕は無し。脱ぎっぱなしの着物にも、返り血なし、と」

「ちょっと待ってよ! なんか僕が人殺ししたみたいに!」

 いきなりであんまりな寛次の行動に、空也は声を大きくした。

「実は、昨日通り魔があったんだよ。犠牲者は二丁目の娘さん。ほれ、あの豆腐屋の。殺されちまった。死んだのは十九時頃、場所は『辰巳屋』の傍だ」

 寛次は畳にあぐらをかいた。

「豆腐って、あの枯れた木のそばの? 十九時って、ええと、七時ぃ? うわ、丁度その頃、そのへん歩いてたって、僕」

 ひょっとしたら、自分が歩いていたすぐ近くで、殺人が行なわれていたのかもしれない。

倒れた被害者が、物陰から自分に救いを求めて手を伸ばしていたのかも。そう考えるとあまりいい気はしない。

「だろ。お前んとこの詰め所に朝一で訊いたら、そういうふうに言われてさ。で、話を聞きに来たっつーわけよ。なんか、変な物とか見なかったか?」

「なんだ、ただの事情聴取ってやつ? 返り血とかなんとかいうから、疑われているのかと思った」 

「いや、これでもしお前が犯人だったらおもしろいかなー、って思って」

 寛次はニッと笑った。

「新聞に、『まさか、幼なじみがあんな恐ろしいことするなんて』って俺のコメントが載るの」

「なんだよそれ!」

 まるっきり、ひとごとという感じだ。

「だったら、私は『育て方を間違えた』とでも言おうか。『うちの子に限って』とどっちがいいと思う?」

 もう一つ、今度は軽い足音がして、淡い水色の着物を来た女性が部屋に入ってきた。空也によく似た、茶色で細い髪が肩で揺れている。

「母さん!」

「起きたか、空也」

 空也の母は、夫と早くに死に別れている。女手ひとつで空也を育てた、というと大変そうだが、どうということはない。実家が大商人で、そこから援助をもらっているのだ。つましく暮らせば働かなくてもなんとかなる額を。

自分はそれに甘えているのに、空也には金を稼ぐ大切さを教えたいと、送り提灯をさせている。もっとも、空也は自分の仕事が気にいっているので強制されているという気はないけれど。

「ほら、これを持って行け」

 その女性はそういって持っていた包みを空也に渡した。

「犯人じゃなくても、あれこれ訊かれるぞ。変な人影はなかったとか、音や悲鳴はどうかとかな。昼までかかるといけないと思って握り飯作ってきた」

「さすが美地(みち)さんお優しい! んじゃ、息子さん借りてきますね―」

 寛次がふざけて空也の襟首をつかんだ。

「うっわー。ねえ、ここで洗いざらい寛次にしゃべるからさ、それじゃだめ? なんか警察って苦手で」

「なんだ、なにかやましいことでもあるみたいだぞ」

 そんなことを言われても、空也は事情聴取なんてされたことがないのだ。なにか、地下室かどこか、暗い部屋に連れて行かれて、ぽっちりと小さい明かりの下で怒鳴られるようなイメージがある。それも話の内容は楽しい物ではなくて血生臭い事件に関わってのことだというのだから。

「とにかく、布団を畳んで着替えをしなさい空也。ん?」

 枕を押入に入れようとした美地が、しゃがんだままで動きを止めている。

「これはどうした」

 細い指先には鈴がつままれていた。

「ああ、それ? 昨日拾ったんだ。お客さん送ってるときに。明るいところでみれば、名前かなんか書いてあるかと思ってさ」

「血がついてるぞ」

 美地が少し顔をしかめた。

 鉄の色を浸蝕する、赤。固まって黒味がかったそれは、間違いなく血だった。錆びた金属のような匂いもする。

「これ、ひょっとして被害者のじゃないか?」

 美地が遺留品を寛次に手渡した。そして息子の肩をぽんぽんと叩く。

「空也、黙って否定してりゃ犯人にされないし、早く帰ってこられるからな、一回目は」

「ちょ、ちょっと母さん、僕は犯人じゃないってば! ていうか捕まったことあるの? 『一回目は』ってなに!」

 美地は「さあ」とそっぽをむいた。笑いをこらえているらしく肩が震えている。

「美地さん、美地さん。息子からかうのはそれぐらいにしときなって。悪い空也、使われた凶器は刀。お前が持ち歩いてるのは棒だろ? 犯人だなんて誰も思っていないって。純粋に話を聞くだけだよ」

 いい加減からかいすぎたと思ったらしい。今度は寛次が空也の肩を叩いて機嫌をとった。

「でもま、一応署に来てもらうからな」

「わかったわかった。着替えるから出てって二人とも!」

 空也は二人を追い出して襖を閉めるとため息をついた。なんだか面倒なことになりそうだった。

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