サイドストーリー集
しあわせの食卓(本編12・13の合間の話)
換気扇の低い音と、会話を邪魔しない程度の音量に絞られたラジオが流れる、
小窓から差し込むのはオレンジ色の夕日の光。近くの広場で遊んでいる子供たちの歓声も、いつの間にか聞こえなくなり、時折通りかかる車の音が聞こえてくるだけとなった、穏やかな平日の夕方であった。
適度に使い込まれたキッチンには、エプロン姿の
由香利はおっかなびっくりといった様子で、コンロのつまみを捻り、火をつける。 ぶわっと大きな火が点いた瞬間、由香利の口からひゃっと小さな悲鳴がこぼれ、つまみから手が離れた。
「まだ、火を着けるのは慣れないかな。ああ、火を弱めようか、由香利ちゃん」
早田の優しい声に、由香利は再度つまみに手を伸ばし操作する。なべ底からはみ出ていた火が小さくなった。
「これで少し泡が立ち始めて、沸騰する直前になったら、昆布を出すよ。その間に、かつおぶしを用意しよう」
「かつおぶし、かつおぶし……」
かつおぶしを求めて、キッチン内をきょろきょろ見回す由香利。その様子は、小刻みに身体を震わせる小動物を連想させ、早田はくすりと笑いを漏らす。
「ヒント、海苔と一緒の場所」
早田の囁きに、由香利が「あっ」と何かに気づいた表情になる。乾物が収まっている引き出しを見つけ、そこからかつおぶしの袋を取りだした。
「はい、良く出来ました」
早田の小さな賞賛に、由香利はくすぐったいような微笑を浮かべる。すぐに計りとボウルを取り出して、作業台に置かれた、古ぼけたノートを見ながら、かつおぶしの分量を量り始めた。
――由香利が夕飯の手伝いをし始めて、1ヶ月近くになる。
毎日とはいかないが、彼女は時間さえできればエプロンを手に、キッチンへ顔を出す。
やっとキッチンにある物の場所を覚え、大まかながら料理の手順と後かたづけがわかってきた由香利ではあったが、火を使う事や包丁を使う事には、若干の抵抗があるようで、未だに見ていて危なっかしい。
リオンクリスタルの力で変身すれば、炎も、刃物も使いこなす事が出来るのになあ、と思うが、それはあくまでスーツに組み込まれた学習プログラムと、クリスタル・アルファの恩恵によるものであり、由香利自身の器用さとは若干異なる。
スーツをまとわぬ由香利は、どこにでもいる、不器用な12歳の女の子だ。
由香利と鍋を交互に見やる。やがて泡がひとつ、ふたつと現れたので、由香利の注意を鍋へと促す。
「昆布を取り出して、このボウルに入れて。まだ使うから、捨てないでね」
ぶよぶよにふやけた昆布をトングで取り、ボウルに移す。鍋の中の出汁が沸騰し始めたので、早田は由香利に、かつおぶしを入れるように指示をした。
「沸騰したらすぐに火を消して……かつおぶしが沈んだら漉そう。厚手のペーパータオルをボウルに敷いて……」
早田の言葉に、由香利は心得たとばかりに戸棚からペーパータオルを取り出す。ちゃんと厚手のほうを手に取ったので、早田は内心ほっ、とため息を吐く。
ざる付ボウルに1枚敷いた後、鍋の出汁をそこへ流し込むと、ふわりと出汁の香りがあたり一面に広がった。ボウルには、澄んだ出汁がぽとりぽとりと落ちていく。
「いい香り!」
「一番出汁だからねえ。漉したかつおぶしはそのままで。絞ると濁って、おいしくなくなる。色が透き通ってるでしょう、お吸い物にしてみようか。出汁の味が良く分かるよ。ああそうだ、二番出汁もついでに作ろうか。明日の献立に使えるから。鍋に昆布と、かつおぶしをもう一回入れて……」
由香利は早田の言葉通り、鍋に昆布とかつおぶしを入れる。おぼつかない手つきではあるが、従順な由香利がいじらしくて、思わず頭を撫でてしまう。
「由香利ちゃん、料理は好き?」
「結構好きかもです。でも、自分で不器用って分かってるから、ちゃんとやれてるか、不安かなあ」
「料理は慣れだからね。手順と分量、そして、繰り返し慣れる事。それさえ出来れば料理はおいしく作れるよ。大丈夫、由香利ちゃんも少しずつ慣れて来ているから、心配しないで。最初から上手くなんてできないものだよ」
「ほええ……早田さん、プロみたい、すごい」
無邪気な由香利の賞賛に、早田に苦笑が浮かぶ。
「誉めてくれてありがとう。でも、ほぼ
「お母さんの?」
今は亡き母の名が出ると、由香利は興味津々な顔をして、早田の話に耳を傾ける。
「そう、僕に料理を教えてくれたのは由利さんだったからねえ」
「そうなんだ……」
当時6歳だった由香利には、由利との思い出が少ない。だからこうして、由利の思い出話を聞く由香利の顔は、嬉しそうにも見える反面、ほんの僅かに羨む様子も見えて、早田の心がちくりと痛くなる。
早田のしみじみとした言葉に、由香利は何かを思い出しているような表情になると、突然「あ」と呟いた。
「思い出した。お母さんと早田さん、2人ともよく、キッチンに居た!」
「そうそう、ご飯は由利さんと僕の担当だったから……」
その時、ダイニングのドアが開く音がした。出汁の香りを割って、春の風が部屋に入り込む。
「ただいま」
早田の背に聞こえたのは、帰宅した
重三郎はそれを笑顔で受け止めると、トレンチコートを脱ぎ、ビジネスバッグを持って一旦自室に引っ込んだが、すぐにネクタイを緩めながら、ダイニングへと戻ってきた。
「あー疲れた、疲れた! 人にものを教えるなんて、僕のガラじゃないのに……」
リビングのソファーに腰を下ろし、身をゆだねるように背中を持たれかける。そして重三郎は天井に向かって、はーっと長いため息をついた。
重三郎は研究の傍ら、週に何度か非常勤講師として大学で教鞭を振るっている。
尤も天野家の収入はそれだけではない。
重三郎と早田は『リオンシステム』という、介護・福祉用のパワードスーツの開発・販売や、その技術を応用したシステムの提供を行う、小さな会社の経営者でもあった。
早田は由香利に二番出汁用の水を計るよう言うと、冷蔵庫から麦茶を出し、重三郎のグラスに注ぐ。そしてソファーまで移動すると、だらけたままの重三郎の前に麦茶のグラスを置いた。
「お疲れ様です、博士」
グラスに気づいた重三郎は「すまないな」と一言呟くと、一気に麦茶を飲み干した。早田が空になったグラスをてきぱきと下げ、キッチンに戻る。その横を、由香利が猫のようにすり抜けていった。
「おとーさんっ!」
ぐわっ、と重三郎の口から蛙がつぶれたような声が漏れる。由香利が背後から抱きつき、重三郎の首をきゅっとしめたのだ。
「お帰り、お父さんっ。お仕事お疲れさま!」
「た、ただいま、ゆ、由香利……うれしいけど、おと、おとーさんの、首がもげちゃうよおっ」
「あっ、ごめんなさい」
ぱっと腕を放し、ぺろりと舌をだして茶目っ気たっぷりに謝る由香利に、重三郎は怒る様子などみじんもない。
由香利と居るときの重三郎は、終始目じりが下がりっぱなしだ。目に入れても痛くない、というのは、まさにこういう事だろう。
しかし重三郎が時々「いつかは由香利も、僕に触るのを嫌がるようになるのかなあ」とこぼすのを、早田は知っている。
そのたびに苦笑しつつも「そうでしょうね、女の子ですから」と軽く返すのが、早田のお約束だ。
「今日は早田に何を教えてもらったんだい?」
「出汁の取り方を教えてもらったの!」
「どうりで部屋中、出汁のいい香りな訳だ。じゃあ今日は和食かな」
「うんとね、鶏の照り焼きと、澄まし汁と、小松菜の和え物!」
「うーむ、ザ・和食!」
カウンターキッチンの中から2人のやりとりを眺め、早田は思わず笑みを浮かべる。
(本当に仲むつまじい親子だ。愛の形を表せと言われたら、僕は迷わずあの2人を浮かべるだろう)
もう地球の時間で18年も前になるだろうか。宇宙漂流者・Dr.チートンの奴隷として過ごしていた時からは想像できない、幸せな日々だ。
「ほんと、早田さんってすごいの。和食も中華も洋食も、お菓子だって作れるんだもん。誕生日パーティの料理、すっごくきれいでおいしかった!」
「ありゃあ、酒のつまみにもよかったにゃあ……」
「もう! お父さんはすぐにお酒の話になるんだから……」
重三郎をたしなめながらも、由香利もうっとりとした表情になる。先週の誕生日パーティの料理を思い出してくれているのだろう。
フルーツトマトとモッツァレラのカプレーゼや、カラフルな野菜スティック(特製ディップソース付き)、ミニ点心、パエリア、前日から用意した牛肉の香草焼き、そしてフルーツたっぷりのバースデーケーキなどなど……ひと手間かけて作った甲斐があったなあ、と早田は心から思う。
(由香利ちゃんの12歳のお祝いでもあり……異次元モンスターの襲撃から、無事に戻ったお祝いでもあったしね)
早田は憂う表情を2人に気づかれないよう、ひっそりと目を伏せる。
6年の時を経て再度その姿を現した、異次元モンスターの襲撃。
由香利は見事、体内に眠る力――リオンクリスタル・アルファの力を目覚めさせ、異次元モンスターに勝利することができた。
(スーツとクリスタル、そして由香利ちゃんを信じてはいたけれど、今でも思い出すと背筋がぞっとする)
ここのところ、クリスタル・ベータの反応は薄く、異次元モンスターが現れる兆候もない。しかし必ずや、彼らは由香利の体内にあるクリスタル・アルファを狙ってくるだろう。
だからこそ、このなんでもないような日常の、ほんの些細な事でも、由香利と重三郎が笑っている風景があれば、それを大切に見守っていたい。早田は日に日に、その思いが強くなっていた。
「しっかし、早田のレパートリーも幅広いなあ。料理を始めた頃は、まさかあんなにうまい飯が作れるようになるとは思わなかった」
くっくっ、と何かを思い出したように笑う重三郎の言葉に、照り焼き用鶏肉の処理をしていた早田の手が止まる。
「ああ、やだなあ博士。また僕の過去を勝手に話すつもりなんですか」
わざと呆れた声音で口を挟むが、早田の口元は笑みを隠しきれない。内心、重三郎がこうして自分をからかう事が、親愛の示し方だというのはすっかりわかっている。
本当の兄弟ではないし、そもそも宇宙人ではあるけれど、気持ちの上では、長年過ごした立派な家族なのだ。
「実はな、早田は最初、料理がめちゃくちゃ、下手くそだったんだよ」
「えーーっ!? うそっ!?」
由香利が心底驚いた顔をして振り向き、早田を見やる。叫ぶだけでは治まらなかったのか、キッチンまで戻ってきた由香利は、驚いた顔のまま早田を見上げた。
「ホントにホントなんですかっ?」
「うん、本当。そもそも、僕らリオン星人は食事をする習慣が無いから……。食事や料理は、地球に着てから覚えたんだ」
早田の言葉に、由香利は合点のいった表情をして「そうなんだ……」と呟く。早田が宇宙人だということを由香利に明かしたのは誕生日の前日であり、まだ1週間も経っていない。
本当の自分のことを知られたとき、由香利の態度が変わってしまうことを恐れていたが、由香利は真実を知ってもなお、早田のことを変わらず好いてくれていた。
「じゃあお母さんは、早田さんが宇宙人ってこと、知ってたのかな」
由香利の素朴な疑問に、早田は幾分か眉にしわを寄せた。
「博士がすぐに話しちゃって、紹介された時には隠すも何も無かったんだよ……」
ため息まじりの早田に、ソファーでくつろいだままの重三郎が異議ありといわんばかりに身を乗り出す。
「いいじゃないかー! その時もう由利は僕の婚約者だったんだし、元々由利には隠し事できないし、早田と出会った日にすぐに話をしたよ。宇宙人バンザイ!」
「後で由利さんに聞きましたけど、呆れてましたよ、由利さんは。ほんと、貴方は変わってる……」
ニコニコと自信満々な重三郎へ苦笑しつつも、早田は心の中で「だからこそ僕はこうして救われているんだけど」と呟く。
「
「最初に作ってくれたアレ……うん、アレはマズかった。料理しない僕でも作らないような、奇怪なシロモノだった。ああ、思い出しただけでも……うっ」
しみじみと語る重三郎の言葉に、由香利はどう反応していいか分からず、あいまいな笑みを浮かべている。そんな重三郎に、早田は「そこまで言いますか?」とチクリと釘を刺す。
「あの時、博士はまだ大学生で、由利さんは働いていて。僕は、まだ生体模写が安定してなくて、あまり外にでることが無かった。由利さんが早く帰ってきた時や、休みの時に料理を教えてもらって、居ない時には、ほら、あの小さな古いノート。元々あれは、由利さんのノートなんだけど、僕がもらったんだ。あれを見て、2人のためにご飯を作ったんだ」
そうなんだ、と由香利は感嘆をもらす。
「そうそう、安アパートでちゃぶ台囲んで食ったよなあ。どんどん上達していって、由利が驚いてた」
「料理って楽しいし、食べたら美味しいし、そして……僕の作った料理を、2人が美味しそうに食べてくれるのを見るのが、すっごくすっごく、幸せだったんだ。嬉しかったんだ。僕のやることで、誰かが喜んでくれる。それがもう、嬉しくって……だから僕は、家事の中で、ご飯を作ることが一番好きなんだ」
照れながら話したが、それは早田の本心であった。
早田がかつて宇宙でしていたのは、宇宙漂流者の手先となり、数々の星を支配し、滅ぼす事だった。自分の星と同じように支配し、最期には宇宙の塵として始末する……何も生み出さない、何も守れない日々は、早田の精神を徐々にすり減らしていた。
そんな中出会った青い星――地球の美しさに心打たれた早田は、一大決心をし、美しい星に降り立った。
自分を受け入れてくれる生物を求め、強いテレパシーを発しながら。
(そこで出会ったのが、
自分の作り出すもので、誰かが喜ぶのが、誰かが微笑むのを見るのが、早田の心を豊かにさせた。
「だから、由香利ちゃんと博士が、おいしい、おいしいってご飯を食べてくれる。それを見ているのが、僕は好きです」
鶏肉の黄色い脂肪を取り去りながら、早田はかみ締めるような微笑を浮かべる。そんな早田の脳裏に、由利の言葉が蘇る。
『料理を作ることが……貴方の愛し方なのかな』
既に地球で生活することに慣れ、料理のレパートリーが増えた頃の早田にかけられた、由利の言葉だった。
『早田くんが作る料理は、食べる人への愛に溢れている気がするの。些細なことだけど、ほら、重三郎って、皮が剥いてあるトマトが好きなんだよね。彼、自分では気づいていないみたいだけど。あと、重三郎や私が疲れてる時には、何も言わなくても好きなもの作ってくれたり。ちょっと飲み会が続いた時は胃にやさしい献立だったり……私の気のせいかな? もう、私が教えることなんて無いよねえ、すごい、すごい』
無邪気に笑う由利の顔が、隣に居た由香利に重なる。
「私も、早田さんのご飯大好き。だから私、ちゃんと早田さんの教えてくれる料理の仕方、覚えたいなって」
由香利は作業台に置かれたノートを、大切なものに触れるようにめくり、眺めている。
由利から譲られたノートには、時が経つに連れて、早田自身が気になるレシピや、気づいたことを記入するノートにもなっていった。
そしてノートは、次の持ち主に受け継がれる運命も持っていた。
(そろそろ、時が来た。ってことかなあ……)
そう考えた早田は汚れた手を流しで洗った後、改めて由香利に声をかけた。
「ねえ、由香利ちゃん。このノートを、由香利ちゃんにあげる」
突然の早田の言葉に、ノートをめくる由香利の指が止まる。そして早田を、困惑した表情で見上げた。
「どうして? そのノート……早田さんの、大事なレシピノートじゃ……。だって、お母さんとの思い出が、たくさん詰まってる……」
だめだよ、もらえないよ。由香利はそう言うと、ためらうようにノートから手を引く。
由香利のそういう、控えめなところは可愛く、愛おしい。しかし、由香利には受け取る理由があった。
「実はね、そのノート、由利さんから、由香利ちゃんが料理をするようになったら、渡してくれって言われてたんだ」
そう。それは、早田が生前の由利と交わした約束だった。
「えっ⁉ お母さんが? わ、私に?」
由香利は息を飲み、驚きのあまりに言葉を無くしている。
「そうだよ。だから……ほら」
まだ驚きに慌てる由香利の手に、ノートをしっかりと握らせる。
手に馴染んだノートを手放すのは少しの寂しさもあったが、ほかならぬ由利の遺言なのだ。
「……お母さん」
由香利の口から、小さく母を呼ぶ声が漏れる。早田を見上げる茶色の目は潤み、口元は耐えるようにきゅっと一文字に結ばれている。
由香利は無言のまま、ノートを胸に抱いた。早田は、無事に受け渡せた事に対し、ほっと胸をなでおろす。
(これで、由利さんとの約束が果たせた)
ありがとうございます、と由香利が小さく呟くのが聞こえ、早田も黙ったまま、由香利の頭を優しく撫でた。
「さ、由香利ちゃん。途中かけの二番出汁を作っちゃおう」
「……はいっ」
早田の声に、由香利は顔を上げると、小さいがはっきりとした返事をした。傍観していた重三郎も、安心したような顔をして、キッチンの二人を眺めている。
戦いの中でも褪せる事の無い、暖かな時間が、天野家には広がっていたのだった。
終わり
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