翻弄するカーテン
肉切り包丁を手に入れてから部屋を三つ、吹き抜けの中庭を一つ抜け、狭い部屋に入り中央へのドアへ、その前で、プシュチナが止まる。
ドアノブへ手も伸ばさず、ただ振り返り、片目で俺を見上げてくる。
理由は、俺の耳にの届いた。
喧騒、金属音、打撃音、液体を踏む音に荒い息遣い、このドアの向こうで殺し合いの最中だった。
良い傾向、何人が中にいるかは知らないが、邪魔するのは良くない。理想は、程よく死んで弱ったところを頂きたいが、蟻は迫る中で、いつ終わるかわからないことに時間をかけるのは良くない。迂回だ。
決めて右を見れば、別のドア、それ以外は戻る道しかない。
「あっちだ」
命じるとすぐに移動した。
テトテトと歩く足跡が灰色の床を色濃くしている。
それは汗の湿り気だろうと察しがつく。汗水流しての移動、疲労からか躓く回数も増えている。
それでも付き従う姿勢は、健気、と呼ぶのだろう。
実際、無能ながら忠実で、今のように問題に出くわしても、勝手に判断せずに、指示を求めてくる。新兵としては優秀な部類だ。
これなら、最後は死ねと命じるだけで終えられるかもしれない、というのは高望みすぎだろう。
……考えてた矢先、たどり着いた右のドアの前で、待たされる。
「あれ? あれ?」
焦るプシュチナの声、ガチャガチャ鳴るドアノブ、だけども一向にドアは開かない。
「引くのでは?」
言うやガチャリ、とドアがこちら向きに開く。
「すみません」
小声で答えながら後ろに下がるプシュチナ、それに合わせて俺も下がり、ドアが開かれた。
赤一面だった。
蟻ではない。部屋でもない。赤黒い壁、いや布、ではなく紐が、カーテンのように、何本も並んで垂れ下がってた。
……後方へ、跳べたのは、軍での訓練と経験があったから、跳んでしまったのは、疲労と鈍りからだった。
横へ跳ぶかプシュチナを盾にすべきだったと反省するよりは遅く、だけども挽回するのも左手の盾もどきを構えるのも遅すぎた。
飛突、紐と紐の間を抜けて飛び出た一撃が、俺の肉を突き刺した。
不覚、痛みか怒りか、全身が一気に白熱する。
それでも冷静に、更に二歩下がり、右手の剣はカーテンへ、左手は肉切り包丁を持ったまま、傷に触れる。
場所は左胸、鎖骨の辺り、浅く、骨に辛うじて届いた程度、それでも痛み、流血、儀式始まって以来の明確なダメージだった。
「浅いな」
声、カーテンが下がって現れたのは、黒髪カール口髭の男、日焼けした肌、若く見えるが実際は孫がいてもおかしくない歳だろう。太い腕、張り裂けそうな鳩胸、背筋正しく、その風貌だけで素人ではないとわかる。
右手には木の軸に三又に別れた刃の槍、左手にはカーテンを、恐らくはシャツを裂いて血に染めてたものをはためかせている。
服はシャツにズボン、あの騎士様とは違い、同じ服だ。
そんなカール口髭が左手をこちらに向ける。
「残念ながら勘違いだ」
勝手に話だす。
「確かによく似ていると言われるが、考えてみたまえ、あの高名な闘牛士が、まさかこのような場所にいるわけないだろう?」
何を言ってるかわからないが、こいつが闘牛士だとはわかった。
……闘牛士に関する知識は、なんか布で牛翻弄してサーベルで刺し殺して動物愛護団体怒られてるイメージしかないが、一突き受けた身、油断はできない。
左手の盾を前へ胸の高さに構え、右手のロングソードを腰だめに、槍のように切っ先をカール口髭腹へ向け、左足を前に踏み出す。
「おや? オマージュかな?」
挑発と共にこちらの部屋に入ってくるカール口髭、何気ない移動ながら肩も頭もぶれず揺れず、それだけでも只者でないとはわかる。
面倒だ。
蟻もいるし傷も痛む、隣りの部屋も考えると早期決着が最善だ。
さっさと殺そう。
間合いは十分、右足で踏み切り、右足を滑らせ、右手一本で腹を狙う。
対してカール口髭、カーテンを上げて身を隠す。
無意味、そんな紐の束、余裕で貫通できる。
止めずに突き刺すロングソード、だが、刃の中程までカーテンに呑まれても手応えがなかった。
「なかなか優秀な牛だな、君は」
嘲るカール口髭、移動していた。
左手のカーテンはそのまま残して、隠してた体だけを、横へ、俺からみて左側へ、移動していた。
陽動、視線誘導、やられた。
カーテンを持つのは左手だけ、腕に巻いてたのではなく、巻いてた棒が広げてた。そいつを手に持っての目くらまし、ヒラヒラへ集中してる間にの移動、手品じみた移動に見事に引っかかってしまった。
「さらばだ!」
右手一本、高い構えから突き出される三又、狙いは喉、これに回避は無理、伸びきった右手では間に合わない、残る左手の盾を挙げてかざす。
防御、命中、受けるもしかし、弾き飛ばされた。
腕跳ね、布を千切り、板を砕いてなお止まらず、ただ軌道がずれた三又は、俺の左の頬を掠めるに留まった。
「やるな!」
戻る三又、追撃の突き、こちらには右手が間に合って、ロングソードを振るうと、打ち合いを恐れてか素直に引いて距離を取ってくれた。
安堵と共に改めて正面へ、構え直す。
……だが元どおりではない。
頰の傷に腕も痛む。盾は、壊れたと見た方がいいだろう。
「やるな。貴公には闘牛士の才があるぞ」
余裕のある口ぶり、実際余裕だろう。
仕切り直し、ひらけた間合い、だが負けている。
治療、思案、逃亡、選ぶ時間はなかった。
「ならばこれではどうだ!」
絶叫、カール口髭、今度は攻めに、左手カールをバサリと翻し、頭上一回転、広がるように投げて来た。
迫る影、もはや投網となったカーテン、覆いかぶせる目潰し、それにとどまらず、受ければ動きが束縛され、隙ができる。
……見えている罠、それでも踏むしかなかった。
突き出すはずだったロングソードを横薙ぎに、カーテンを打ち払う。
中空の紐など斬れやしない。感じる手応えは重い湿った布地、刃に絡みついて剥がれない赤は索に巻きつく蔦のようで、実際は深海へ引きずりこむタコの足だっ
た。
ズシリと重くなった剣身、片手で持つは無理、遠心力が消えるや切っ先が床へと沈む。
「さらば!」
その上を踏み越え、すかさず突き攻めるカール口髭、そして放たれる三度目の突き、対処法は、今教わった。
手ぶらとなった右手、腰に脛らせ巻いてたズボンの結び目を緩めるや一気に引き抜き、横へと薙いだ。
風の抵抗、軽い感触、ただのズボン、それでも、三つに分かれた穂先に絡んで流せば、突きの軌道を無理矢理外へ、いなして殺せた。
やられたこと、そっくりそのまま返してやった。
「な!」
驚きの声、同時に予想外の軌道に曲げられバランスを崩し、踏ん張ろうと動きが止まった。結果、カール口髭はなお致命的な隙を産んだ。
一気に踏み込み、温存していた肉切り包丁を、三又に沿わせるように、その鈍重な刃を大きく振るった。
「あがっ!」
流石は肉切り包丁だ。豚の骨も断ち切れるなら、逃げそびれた人の手首など、簡単に切断できた。
心地よい手応えの余韻に、暖かな返り血が滑りを与える。
カール口髭は三歩、四歩と後退しながら右手首を左手で押さえ、だけども溢れる血は止められず、そのままばたりと倒れて動かなくなった。
傷を負ったが、殺せた。
安堵と達成感、緩んだ気持ちが痛みを思い出させる。
同時に、最後にケチはついたことにも気づく。
カール口髭、その着ている服は目下、血溜まりの中で赤く染まっている。その縁には腰に巻いてたズボンも巻き添いで、包帯に出来そうな布がなかった。
頰はまだしも、腕は巻いておきたい。着ている服では、寒さや防御から避けたいし、となるとプシュチナ裸にして歩かせる、のが現実的だろうか。
考えてるとドアが、最初に入ろうと思ってた方のドアが、勢いよく開いた開いた。
「オラァ! 次はどいつだが!」
銀髪の男、までは見てた。だけどもそれ以上を観察し終わる前に、投げた肉切り包丁が顔面を割って、男を倒してた。
……こっちの方がまだ綺麗だろう。
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