落花製魔法少女
さちはら一紗
1: What are magical girls made of ?
ついぞ、あなたとお揃いの制服で隣を歩くことはなく。
わたしはあなたの着られなくなった制服のリボンを結ぶ。
しん、と家の中は静まり返っている。五月の連休明けの気だるさを無視するように。
カーテンの締め切ったままの部屋の中、わたしは引き出しを漁る。探し物をする内に思わぬものを見つけ出した。
それは旧型のケータイ。何年前に買ったのかも分からない、遊園地のストラップ付き。淡いピンクのそれをじっと見つめて、なんとなく鞄に放り込む。
それを見つけてしまったから、本当は何を探していたのかも忘れてしまった。
きっと、どうだっていいことだったんだろう。
冷ややかな廊下を通り抜け、朝の光が小窓から差し込む玄関口へ。ぽつねんと置かれた写真立ての中、映る少女にわたしは話しかける。
葉風ぼたん。
彼女はわたしの隣で、満面の笑みを今日も絶やさず浮かべている。
「お姉ちゃん」
なんでもないような挨拶を二年。一日たりとも欠かすことなかった。
積み重ねた日々がいつかこれを日常にしてしまう。それはきっと許されないことだと、そう思う。
歪みそうになる顔を、笑顔の形に整える。
「行ってきます」
ドアノブに手をかけた。ひやりと張り付く冷たさを握りしめて、わたしは。
扉を開ける。
*
【十四歳 葉風ぼたんは魔法少女であった】
【すべてを信じてなにかを失い なにかを求めてすべてを落とした】
【真っ直ぐで純粋で いつかに夢見るありふれた少女だった】
【感謝も懺悔も後悔も もうどこにも届かない】
【十五歳 葉風つばきは魔法少女である】
【彼女は一体どんな子なのか ボクはまだ知り得なかった】
*
五月、それは一年生のわたしたちも高校生活にも慣れ始めた頃。
終礼も気もそぞろに、放課後の始まりに教室は騒めき始める。
担任は連絡らしき連絡もせず掃除当番だけを事務的に伝え、教室から足早に去って行った。
待ち構えていたようにわたしの席へひとりのクラスメイトが駆け寄ってくる。
茜屋りこ。
柔らかなショートヘア、小柄で童顔で、泣きぼくろがよく似合うわたしの友達。もう付き合いも五年以上になる。
りこは声を弾ませた。
「つばきはもう部活決めたか? というか、つばきってどっか仮入部とか行ってたっけ」
わたしは声を1オクターブ上方修正、もちろん心持ちの話。追加で笑顔未満の適切に明るい表情、実装完了。口を開く。
「うん、行ったよ。文化部をいくつかね。だけど、なんだかどこも居心地悪くってさ」
「それ、あれじゃね。髪色とリボン」
言われて、自分の身だしなみを思い出す。
「ええー、でもそんな普通じゃん。金髪にしてるわけじゃないし、クラスにも結構いるでしょ」
この学校は校風が自由なことで評判が高い。身だしなみに関する校則なんてほとんどない。
だからわたしは入学早々に髪を染めてリボンを自前の真っ赤なものに付け替えてたわけだ。
「けど、やっぱりいきなりっていうのは珍しいじゃん? リボンはともかく、髪はさ。つばきがそんなに思い切りいいとは思わなかった」
りこは今日も、いつも通り意外に真面目だ。
わたしだって柄にもないことをした自覚はある。昔からあまり目立たないタイプだったし、目立たないようにしていたような気もする。
「だって待ちきれなかったんだもん。そのためにここ受けたと言ってもいいと思う」
「倍率やばかったけどな」
美味しい条件が揃ってる上に難易度も中堅どころといった具合で、みんなこぞって押し寄せたのだ。あまり勉強が得意じゃないわたしは結構苦しんだ。
「あれ、なんの話だっけ」
「えー、と。部活だ。つばき、文化部って言っても小さいとこばっか行っただろ」
「うん。毎日部活とかごめんだし」
「小さいとこって真面目な子の率高いじゃん」
「……面倒くさい後輩って思われた?」
「いや、多分ビビられた」
一瞬固まる。
「その発想がなかったことに、わたし、心底ショック受けてる」
「高校デビューあるある」
中学時代とまったく変わりないりこが全部分かっているみたいな顔で慰める。多分わかってない。
「まあ運動部だったら面倒くさいセンパイに絡まれてたかもな」
どっちだったにしろまずかった。
「あーあ、もう部活はいいかな。わたし、やっぱりこのまま帰宅部でバイトする」
「バーガーだっけ」
「うん、ゴールデンウィークほとんど捧げた」
笑い話のつもりだったのに、付き合いが長いだけあってりこは何か察してしまったような顔をする。
しまった迂闊だった、なんてわたしの方はなんとか見せないようにして言葉を選ぶ。
「というわけでお財布事情はよろしいのです。今度、どっか遊びに行こうよ」
のんびりと、空気なんて読んでない振りをして。そう取り繕うとりこはほっとしたように気の良い返事をしてくれた。
こちらも一安心して鞄を肩に背負う。
「じゃあね、バイト行ってくる」
「おう、また明日。いつかバイト先突き止めるわ」
「えー、恥ずかしいな」
笑いながら手を振って、教室を出ようとする。
けれどその時、教卓の隣で物陰に埋もれていた教材入りの籠を見つけてしまった。
前の時間は化学、明らかに先生の忘れ物だ。どうせそのうち思い出して取りに来るんだろうけど、見つけてしまったからには知らん振りを決め込むのはちょっと後ろめたい。
なにより、お姉ちゃんならどうしたかなんてわかりきってた。
時計をちら見して、時間に余裕があることまで確かめて、うっかり退路を塞いだりして。
溜息を吐きながら籠を持ち上げる。
「りこ、化学の先生ってどこにいるんだっけ」
「理科棟三階、準備室」
「ん、了解。ありがと」
「……失礼しました」
準備室の重い引き戸を閉めると、ぴしゃりと想定外に派手な音がした。
おんぼろの別棟は薄暗く、授業時間外の
滅多に来ないから気付かなかったけれど、ここの階段にはほとんど光が入って来ない。真昼なのに電灯が欲しくなる。
なんとなく不気味だ。別に、行きと同じく連絡通路を使えばいいだけなのだけど、靴箱に向かうにはこの薄暗い階段の方が近道だった。
時間も押している。
さっさと降りてしまおうと、段をぎしぎし鳴らしながら駆け下りる。
二階を軽く通り過ぎ、不意に靴裏から奇妙な感覚が走った。つるりと足が滑る感覚だった
――落ちる。
そのままぐらり、身体が傾き始める。
慌てて踏ん張ろうとするも虚しく、わたしは数段を残して身体を宙に投げ出して、
衝撃は、いつまでも来なかった。
体感は一瞬を何倍にも引き伸ばしたのかと思った。走馬灯らしきものすら見た気がする。
けれど、いつの間にかわたしは埃っぽい床に手をついているだけだった。
「あれ……?」
痛みは不思議とないものの目がチカチカとする。視界の照準を合わせようとしてぐるりと目を回し、視界の端にちらと奇妙な赤色を見た。
薄暗い中でもわかる鮮烈な色だった。
その正体を確かめようとしたけれど、一瞬のうちにその赤は跡形もなく消え去っていた。
今のは一体。
わたしはそろりと起き上がって、埃だらけになった服を見て顔をしかめ、乱暴に払う。
はっきりと現実感を取り戻してわたしはもう一度横を見る。
幻覚とは思えない鮮やかな赤が、そこにあったはずだ。
だがそこには古ぼけた大きな鏡が貼り付けられていただけだった。
背筋が薄ら寒くなる。
わたしが見た、鏡に映った赤色は一体なんだったのだろう。
残りの一日はどことなく歯にものの詰まったような気分のまま過ごしてしまった。
バイト終わりに確認した家族からのメッセージは『遅くなる』。いつも通りだ。もうずっとそうなのに、連絡は欠かさず入ってくる。本当は早く帰らなくちゃいけないと思っているみたいに。そんなふうに考えるのは自分の首を絞めるだけなのに。
でも自分の首を絞めたい気持ちくらいはわたしにも分かっている。
リボンを軽く引っ張った。
外は小雨だった。
日が長くなってきたとは言え流石に夜、あたりはもう暗い。
鞄の中から折り畳み傘を出そうとして、その弾みになにかが一緒に飛び出てしまった。
ぱしゃんという水音。水溜まりに落としてしまったのは朝、鞄に入れたあの旧型のケータイだった。
慌てて地面に落ちたそれを拾った。
耐水性だったかどうかなんてもう覚えていなかった。
別に壊れたからってどうってことはないのだけど。
二年前から電池の切れたままの、姉のケータイをそっと袖で脱ぐった。
なにか、不思議な運命かなにかの力で、電話のひとつでも掛かってこないかな、なんて。契約切れのケータイに望むのも酷な話だったのだ。
壊れていればいいと思う。今、壊れたことにしようと思った。
ハンカチで軽く拭いスカートのポケットにしまってわたしは傘を開いた。
仕事帰りの大人たちの間を、傘をぶつけないようゆっくりと歩く。
道路を走る車が水溜りを轢いていく雨の日特有の音と、ショーウィンドウから放たれる煩い光に挟まれながら。
学校から数駅の、都会の雰囲気はまだわたしには騒がしすぎる。けれど嫌いではなかった。 わたしは人混みが結構嫌いではない。少しくらいなら人を無遠慮な目で眺めてしまっても気付かれないし、気付かれてもお互いすぐに通り過ぎて忘れてしまう。といっても見るのは暇つぶし程度にネクタイの色くらいだ。今日は灰色が心なしか多い気がした。
そんなふうに歩いていると、ふと、前から傘を差していない男が歩いてくるのに気付いた。 雨は強くはないけれど、傘を差していなければあっという間にずぶ濡れになるくらいには降っている。なのに急ぐ様子は微塵も見られない。男は歩くショーウィンドウ側の
奇妙だ。でもこの程度の奇妙は都会ではよくあった。濡れて帰りたい気分というものが世の中にはある。相当の土砂降りでもなければ雨に濡れたって虚しいだけだけど。
だから、わたしがその男から目を離せなかったのは、傘を差していないなんてそんな小さな理由なんかじゃなかった。
彼のスーツの胸ポケットに一輪の花が差してあったのだ。鮮やかに赤い、花。
パーティー帰りのようないかにもな服装だったわけではない。普通の、いや、くたびれた若いビジネスマンそのもの。
似合わない。不自然さ。
それがとても気にかかって、男の横を通り過ぎる段階になっても目が離せなかった。
首を動かして見続けようとしてしまった。
そして気付く。
花はポケットに差してあったわけではない。
花は、男の胸から、生えていた。
ぎょろりと男の目がこちらを向く。
虚ろな目が、わたしを見た。
鳥肌と動悸、なにかが絶対におかしいという感覚。
わたしは足早に人の合間を縫って逃げ出す。
こんな、人がたくさんいるところで何かされるとは思わない。はやく離れれば大丈夫のはずだ。
自分が制服を着ていることを嘆いた。どこの誰だか分かってしまったらどうしよう。
いや、でも、もしかしたらあの人がわたしを見ていたのはあの一瞬だけだったりしないだろうか。もう遠くに行ってしまったんじゃないだろうか。
そんな楽観を抱いて。
わたしは振り返る。
男は、真っ直ぐに、こちらを見続けていた。
道の真ん中で立ち尽くしている男を誰も、気にとめていない。
わたしは折り畳み傘を乱雑に閉じて走り出す。
男はもう立ち止まっていない。動き出すのを見てしまった!
すみません、ごめんなさい、とおしてください、小声で詫びを入れながら重い鞄を抱えてわたしは走る。
人はきっと、わたしだけを奇妙な目で見ているのだ。そう想像すると寒気がして止まらない。
わけがわからなかった。だって、人の胸から花が生えているわけがない。見間違いかなにかの冗談だと思うべきなのに。
どうして。
わたしの頭は、アレを、どうしようもなく現実だと捉えていて、わけも分からず、アレを、あの『花』を。あろうことか、私を追いかけてるだろう男よりも。恐れている!
振り切るにはどうしたらいいか。酸素の足りていない頭で必死に考える。
目の前には駅が見えていた。停車時間は長くなく、あちらこちらの方面に電車が出ている。
なんでもいい。電車に乗ってしまえば、発車寸前の電車に乗り込んでしまえば。
もしも同じ電車に乗り込んでしまえば逃げ場なんてなくなる。けれどぐちゃぐちゃになった頭では他になにも思いつかない。
信号は赤。悠長に待つことなんてできない。
すぐ近くに歩道橋が見えていた。
喧噪は階段を昇るほどに少しずつ遠くなる。
わたし以外に、階段を上がる足音は聞こえない。
段々自分が落ち着いてくるのがわかった。
そして、あれから初めて後ろを振り返る。下は色とりどりの傘ばかりで、男の姿は見当たらない。
もしかして、男は最初からわたしを追いかけていなかったんじゃないか。
被害妄想。
結論にわたしは苦笑した。自分でも気付かぬうちにひどく疲れていたみたいだ。休日返上のバイトはもう止めよう。
残りの階段をゆっくりと上がる。
雨に濡れた制服がじっとりと重い。
明日、乾くだろうか。教科書はだめになっていないだろうか。
途端に思考回路は現実的になってくる。
階段を上りきり、傘を差しなおそうか仕舞おうかとそんなことを考えて、足を止めた。
歩道橋の向こう側に。
あの男が立って。
いた。
鞄が肩からずり落ちる。
地上の音が遠い。カンカンと橋を打つ雨音の中に紛れながら、懐かしいメロディがどこからか聞こえる。
それが数年前の流行りの曲で、姉のケータイの着信音だったということを頭の隅でぼんやりと思い出して。
そんなことは考えられるのに、わたしの体はちっとも動かない。
男は動かなかった。
白く冷ややかな顔と赤く
──わたしはいったい、どこでまちがえたのだろう。
次第に強くなる機械的なメロディの中、無性に叫びたくて仕方ない言葉を喉の奥に並べ立てる。はっきりとした根拠なんてない、でもきっと間違いなく、なにか罰が当たったのだと思った。見たくないものから目を逸らして、都合のいいものだけを見続けた報いだと思った。
幻聴と幻覚と現実に、わたしの頭はおかしくなっていたに違いない。
もうなんだって構うものかとわたしは口を開き、そして、男は倒れた。
「え……」
声が行き場を失ったまま、彷徨うように漏れる。
男はまるで関節がすべて固まったかのように、無機物的な倒れ込み方をしていた。
わたしは一歩後ずさり、思い直して二歩進む。
必要なのは救急車なのだろうか。ポケットの中を探り、携帯電話を取り出す。
ポケットに入っていたのは姉の携帯だった。
携帯は、鳴り続けていた。
長い間電池切れのままで、水没までさせた。今もずっと聞こえ続けている着信メロディーは幻聴だと思うべきだ。なのに、わたしは携帯を開いてしまった。
開いてしまったあとに、考え直す。息を深く吸って吐く。
悪いのは、この期に及んであれやこれやを認めないわたしの往生際。
もう、諦めなくちゃいけない。
小さな画面は真っ暗なまま、『声』が叫んだ。
【──応答しろ ボタン!】
ボタン、牡丹、ぼたん──変換が完了する。
ああ、なんだ。
わたしはこれを、恐れていたのだ。
悪あがきも虚しく、意固地に否定し続けた幻はただの現実となってしまった。
「もしもし誰かさん。わたしはつばき。葉風ぼたんの、いもうと」
携帯を耳元に。声が震えないように答える。
返ってきたのはまるで息を呑むような空白だった。
男は倒れたまま。ただ彼の身体の真下にある影が夜闇よりも深く、墨を垂らしたように広がり続けていた。
「わたし、どうすればいい?」
【それを 始めに聞くんだね】
少年のような少女のような、あどけなくも透き通る声の、悔やむような感嘆。
【まともな説明はできないことを許してくれ どうやらキミは巻き込まれてしまった 既にキミはヤツらの敵として認識されている このままでは逃げられない】
息継ぎのひとつもない早口は酷く冷淡な空気を纏っていた。
【手段はひとつだ ボクを信じるかい】
その言葉には信じてくれるわけがないと思いながら信じて欲しいと願うような、迷いが込められていた。
読み取ってしまうのはわたしの無駄な感受性のせいか『声』の精密な表現のせいか。
でも、そんなことは信じる理由に満たない。
わたしは問う。唯一絶対の問いを。
「ぼたんにかけて、誓う?」
【──ああ!】
嘘偽りは見出さない。
「あなたを信じる」
コンクリートに染み込んだ男の影が空へと向けて引き延ばされる。
そして影は男から剥離して、宙の一点で収縮。臨界に達したのか、花開くように不定の形を取った。
大きな人型、或いは蜘蛛、または
わたしはそれを黙って見ていた。じっと、待っていた。
そして『声』が冷たく言い放つ。
【飛び降りろ そこから 今すぐに】
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます