#3 それはただの数字なのだけど。
どうやってこの仕事を見つけたか、少し詳しく話そう。
謎のVRゲーム「VR-STP-MK3」が知られはじめたとき、僕はさっそくプレイした。
もっとも、その時点では、それで何か得ようなどとは思っていなかった。正体不明のゲームが存在し、それが自分のハードウェアで充分動く、だから試しただけだ。
その時の感想は、言ってしまえば、不愉快だった。不愉快というのは、人がゲームに期待するような快感が、なにひとつ得られなかったからだ。
あなたがこのゲームの世界に入ったとしよう。すると、まず小さな部屋で目覚めることになる。ドアが一つ、窓が一つ、独房か病院に見える。
壁や天井のディティールは仮想空間にしても薄っぺらだ。レベルの高いCGに慣れているあなたの目には、それはほとんど幼稚にすら見える。
あなたがゲームに慣れていたとしても、ゲーム内のキャラクターひどく操作しにくい。このゲームの入力系は、既存のゲームのどれとも似ていない。意図的にそうされている。
初めは満足にキャラクターを歩かせることもできない。よたよたと、あるいは這いずるようなかっこうでドアに近づいてみる。不自然な木目のテクスチャが張られ、たる型のドアノブがついている。
どうやってドアを開けたらいいだろう。
僕はここで、しばらく戸惑っていた。ほとんどフリーズしてしまった。どうやってドアを開けたらいいかわからない。ドアを開けるための操作があるはずだが、そんなものはどこにも説明されていない。普通のゲームなら、操作のヒントでもあるものだが。
それからいくらか時間がかかって、僕はドアノブを回さないといけないことを理解した。ゲームの中にある手で、ゲームの中にあるドアを現実と同じように開けないといけない、と。
これに僕は驚いた。
ゲームに慣れていないと、僕のこの思考はトレースできないかもしれない。少し説明しよう。
多くのゲームでは、自分のキャラクターにドアをくぐらせたければ、ドアのそばに移動するか、そこで簡単な入力をすればいいようになっている。
現実の人間は、ドアを開けるという一連の動作を労せずに行っているのだから、ゲームの世界でもそれは簡単であるべきだ。そういう発想が根底にはある。プレイヤーもべつにドアを開けるのが簡単すぎるなどと文句を言いはしない。
だから、ゲームの中でわざわざ手をドアノブにかけて、それを回し、押してドアを開けろというのは、現実と同じであると同時に、かなり異常なことなのだった。通常あるべき省略がおこなわれていない。
はじめは、ゲームの世界でドアノブに手をかけるのにも苦労する。人間はふつう、その種の動作を意識せず行っているが、実際には複雑だ。複数の関節が協調して動く必要がある。
それらの関節の動きをすべてキー入力に置きかえて、ボタンをタイミングよく押すことで操作しろと言われたら、ほとんど無理だとわかるだろう。右腕だけで関節がいくつあるというのだ?
しかしこのゲームは、それを要求していた。
どうにかドアノブをつかめば、つぎは手首を回転、力をかけて手首を固定したままドアを押してドアを開ける。
力の調節や操作を間違うと、キャラクターはドアノブをねじ切ったり、ドアをはね飛ばして大きな音を立てたりする。音を立てるとドアの向こうから敵の兵士が走ってきて。殺される。
ほとんどのプレイヤーならそこで投げ出すだろう。無料でダウンロードできるゲームにそこまで執着する必要もない。でも僕は執着した。何か引っかかりを覚えたのだ。
試行錯誤するうちに、僕にはこのゲームを造った人間の焦点がおぼろげながら見えてきた。
手だ。
理由はその時点ではわからなかったが、このゲームの提供者は、手の動作の複雑性に強いこだわりがあるようだった。
体の別の部位、たとえば首の動き、これは簡略化されていた。プレイヤーは苦労せずに部屋を見まわすことができた。下半身の動きも、少し慣れれば自由に歩き回れるようになる程度の難易度だった。走ったり、バランスを崩さずにキックをするのは難しかったが。
ということは、制作者は、プレイヤーにそれらの動作で苦労してもらう必要はないということになる。だが、なぜか手だけは別なようだった。
人間の手首は、上下左右の動きのほかにひねる動作もできる。人体の中でもとくに複雑な部位だ。それらの動きはゲームの中でもそのまま可能だ。操作の問題をクリアすれば、の話だが。
それがどのぐらいの無理難題かと言えば……この世界でドアノブを回すより、ほかのゲームで歩いている歩兵の頭を狙撃してぶち抜くほうがずっと簡単だった。
もちろんほとんどのプレイヤーが投げ出した。最初のドアの向こうのロッカーにたどり着くと、消音器つきの拳銃が手に入るようになっているのだが、そこまでたどり着いたプレイヤーですら1%を切るだろう。
じっさい、シューティング・ゲームとしてはまるでほめられたものではない。だって楽しくないんだから。「これはゲームじゃない。リハビリを受けているような気分だ」とあるプレイヤーが吐きすてていた。
そう、リハビリ。
あとで知ったことだが、このゲームの内容は、ある種のリハビリ・プログラムにきわめてよく似ていた。
最新の義手を移植された患者が、サイバネティック制御の手に慣れるために受けるリハビリ・トレーニング、そしてそれ用の医療ソフトウェア。
そして僕も、それに似たものを実は持っていた。
神経コン、と呼ばれるゲーム用デバイスだ。神経コントローラーの略で、正式名称はもっと長いが、ゲーマーのあいだでは神経コンで通っていた。
それは脳波や、特定のマークされた部位の脳活動、あるいは筋肉の緊張を読みとる。そして、それを信号に変えることでゲームを操作する。
その基本原理は、サイバネティック制御の義手と同じだ。動かすのが機械の腕か、それともゲームの世界の身体かという違いはあるけれど。
これまで存在していた入力機器は、基本的にはボタンを押すことで信号を伝える。つまり指の筋肉を動かし、ボタンを物理的に押し、それを入力信号にしてゲームを操作していたわけだ。
それはそれで優れたアイデアだが、べつにボタンを押さなくても、脳の信号をそのまま入力信号にしてしまえばよりエレガントではないか、そういうアイデアだ。
このアイデアそのものは前世紀からあったものだ。どちらかというとレガシーなアイデアと言ってもいい。だが、実用化が進んだのはかなり後のことで、初めは医療目的だった。ゲーム用に技術が転用されたのはごく最近のことだ。
神経コンはほとんど普及していない。
普及していない理由はいくつもある。それなりに高価なこと、調整やメンテナンスが簡単ではないこと、知識が必要なこと、着用していて快適ではないこと。
だから、神経コンを使用するのは、ゲーマーの中でもごく一部だ。普通だったら、ゲームを快適に遊ぶために電極を体に貼りつけたり、拘束具みたいなゴーグルをつけたりはしない。
そんなことをするのは、賞金をかせぐような競技プレイヤーか、あるいは重度のゲームマニアだ。僕のような。
僕の使用しているのは最新の機種だった。外国語のマニュアルを読むのには苦労した。眼球の動きを読みとって動作を補正するシステムがついている。元は戦闘機のパイロット向けに作られたらしい、平和利用というわけだ。
これに一度慣れてしまえば、簡単な動作で……というか念じるだけで、複雑な入力をこなすことができる。まるでもうひとつの体を持ったようにゲームの中のキャラクタを動かすことができる。
それは「謎のゲーム」の中でも変わらなかった。
かなり設定をカスタマイズする必要はあったが、神経コンを使うと、驚くほどスムーズにゲームの世界に適応することができた。それは、神経コンの利用がこのゲームの前提条件になっていることを意味していた。
ゲームの世界でドアをくぐり、手に入れた拳銃で敵を倒しながら先に進むと、そこでようやくゲームの本編が始まる。ゲームの中に用意された戦場があり、無数の実在しない兵士たちがいる。そして同じようにしてゲームの世界に入ってきた、少数の、人間のプレーヤーがいる。
ここまでくれば、僕の独壇場だった。
僕はゲームの世界で、存在しない兵士を何人も殺し、他のプレイヤーを何人も殺した。ゲーム中に表示される累計殺害数がどんどん増えていった。といってもゲームの世界だから、それはただの数字なのだけど。
その数字が虐殺と言っていい桁になったころ。
ゲーム内にメッセージが表示され、「彼」から現実世界で会いたいと要求された。君の返事にかかわらず、君とのミーティング二時間分の料金を前払いすると彼は言った。
使っていない銀行口座番号を伝えると、一時間も経たずに振り込まれた。以前の月収より多かった。ちゃんと引き出せた。すこし怖くなった。
給料というものをもらうのは、本当に、久しぶりだった。
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