十一

 ニノマエさんは肩の袋を手前に持ってくる。視線は部屋の奥へと向けたまま、静かにファスナーを上から下ろしてくる。


 さっきの音。何か物が落ちたのか、それとも部屋には誰か……


「ここにいろ」


 低い小声のニノマエさんは中から刀を取り出した。

 すると、視界の隅で“何か”が動いた。

 カーテンで仕切られ、ほんの少しの木漏れ日だけが頼りの暗い部屋だけど、確かに動いたのだ。


「てめぇかよ」


 ニノマエさんは不敵に笑むと、何かが体を丸めた。まるであれは、そうロケットのような……


 途端、“何か”が部屋から出てきた。いや、飛んできた。冷たい風が中から吹いた。髪が後ろに舞う突風。


 ニノマエさんは目を見開くと、「くそっ」と身体をのけぞらせた。


 私たちが避けた間を抜け、空高く飛んでいく。逃げているという方が正しいかもしれない。

 目線がついていく。黒々としている見た目ということ以外、なんとも形容しがたい姿をしている。けれど、異質で異様なものだというのは嫌でも伝わってきた。


「んにゃろう」


 ニノマエさんは中から逆手で取り出した刀を乱雑に振った。鞘が落ち、刀身が姿を現す。日の光のせいで、金色の鍔と銀色の刃が輝きと小さな虹を放っている。


 本当に、入ってたんだ……


 持ち替えるかと思いきや、そのまま肩の上へ持っていった。地面と平行に構えると体を傾けて、腕を引いた。あの姿、まるで槍な……


「逃げんじゃねっ!」


 勢いよく足を出し、踏み込み、刀を空へ飛ばした。やっぱり、槍投げだ。


 空に逃げていく何かは察知したのか、右に体をずらし、かわした。そのまま、何事もなかったかのように、飛んでいった。


 あっ……刀がどこかで落ちてしまう。あんな高さから落ちれば、壊れてしまう。そう思った。


 けれど、予想は違った。


 刀は見えないボールでも当たったのかってほど、急に方向転換し、こちらへ戻ってきた。回転するわけでもなく、ただ真っ直ぐ、持ち手の部分を頭に。そして、ニノマエさんの開け広げられた手に綺麗に戻った。


 な、なに今の?


「無駄に察しのいいヤロウだな、ったく」


 刀の背を肩に置き、悔しそうに舌打ちをした。おかしなことなど何も起こっていない風体だった。


 私は上から下まで流れるように、見つめた。うん、投げたのはブーメランじゃなく、正真正銘の刀。遊び道具ではなく、凶器。


 ちょ、ちょっと待ってよ……色んなことが一度に起こったせいで、私の頭は混乱し、ショート寸前だ。




「--警察は、何者かとトラブルの末に何らかの凶器で強く頭を殴られ、殺害されたものとみて、調べを進めています。続いてのニュースです」


「大丈夫そうだな」


 ニノマエさんはソファの背もたれに体を寄せた。その後ろは壁との隙間があり、植物が置かれている。横にして置かれた例の刀は、正面に座っている私の位置からはよく見えた。


 主語はなかったけれど、おそらく「誰かに見られている可能性は」のような言葉だろう。勿論、心配していたのは私だ。


「よかったんですかね……」


 私は両手で囲ったメロンソーダの入ったコップを触った。衝撃で水滴は静かに滴る。こげ茶のテーブルに玉の跡が作られる。


 私は見ていないけど、死体を発見した後、すぐにその場から去った。で、近くの公衆電話を探し、警察に通報したのだ。


「じゃあ逆に聞くがな」ニノマエさんは片眉を歪めた。「残ってどうするつもりだったんだ」


「それは、その……」


「なんで来たんだ? 横の二人はなんだ? そう言われたら、なんて答える」


「それは……」


「まさかとは思うが」ニノマエさんは頭の後ろで手を組んだ。「変な化物に襲われたからです』。そんで、『二人は化物から守ってくれるんです』なーんてことを言ったりはしないよな?」


 言葉に詰まる。その、まさか、だからだ。


「そんなんで信じてくれると思ってんのかよ。頭がおかしいか嘘ついているとしか、思われねえだろ」


 ニノマエさんは頬杖をついた。


「質問責めだけならいいが、疑われたら身動きが取り辛くなる。下手したら逮捕、なんてことも十分あり得る。そしたら、本末転倒。調べられるもんも調べられなくなる」


 分からなくはない意見だ。とはいえ、ならばどうすればいいのだろうか、と手詰まりを感じた。自然と顔が落ち、テーブルの木目に視線がいく。


「お疲れですね」


 ホットコーヒーを一つ口にしたツナシさんが、覗き込むように見てきた。

「まあ……」チラリと一瞥し、私は目線を合わせた。


「無理もないです。見なかったとはいえ、おぞましいものが木の戸一枚挟んだ向こうにあったわけですから」


 そうだ。今思うと、なんとも恐ろしい。寒気と鳥肌が交互に襲ってくる。


「でもなんで、あの化物は土金さんまで……」


「違うぞ」


 ニノマエさんの否定に、私はハッと急いで首を向けた。


「さっきのニュースで気になることなかったか」


「いや……」


 記憶を思い巡らせるも、これといって。正直、浮かばなかった。


「注意力散漫だな。ほら、殺されたおおよそ2日前の夜。あんたが怪異に襲われていたのとほぼ同じ。ゼロとは言い切れねえが、時間的に不可能だ」


 あっ。そういえば……


「それに、あの怪異がやったにしちゃ、死体の原形は留め過ぎだ」


 ニノマエさんは前屈みになると、コーラの入ったコップから伸びたストローに顔を近づけた。


「けど、頭が陥没していたんですよね?」


 慌てて口を放したからだろうか、ニノマエさんは額の真ん中にシワを寄せる。


「だとしても、だよ。今回の怪異は公園のトイレを引き剥がせるぐれぇの馬鹿力を持ってる野郎だ。弱過ぎる」


 陥没で弱いって……考えただけで悪寒が走る。


「それに、死体に傷や痣の痕があったって、あったろ?」


「ええ」


 ニュースでは多数の傷や痣があったと、言っていた。だから、怨恨の線で捜査をしている、とも。


「特に、引っ掻いたような傷と輪っかになった痣が両手首に集中していた」


「手首?」


「縛られていたから出来たものではないかと見ています」ツナシさんが続ける。「解こうとして抵抗して出来た、というほうが近いかもしれません」


「あの部屋に閉じ込められていた、ということですか」


「それは断定できねえ」再びニノマエさんに戻る。「どこか別のとこで監禁してたら死んじまったから、連れてきて放置したってことかもしれん」


 そうか。それなら、アパートの住人から悪臭の苦情が出なかったのも頷ける。


 直接手を下したのは、人間だということか……


「何にしろ、やったのが人間って考えた方が納得できる。今朝のデカい図体見た限り、細かいことできるほど手が小さいわけでも、器用そうでもなさそうだからな」


「見ただけで?」


「長年の勘ってやつだよ」ニノマエさんはストローに口をつけ、頬をへこませた。「だから、手を下したのは人間、それもかなりの恨みをもっている奴の仕業だ」


「恨んでいたからこそ、恨まれて殺されたのか。それとも、全く知らぬ何かが理由なのか」


 ツナシさんは顎に右手を運び、その肘を左腕で支えた。


 ただでさえ私が狙われる理由が分からなくなってしまったっていうのに、余計に増えてしまった。負のスパイラルに囚われた気がしてならない。私は口から巨大な息を吐いた。


「ただ、今朝病院で会った方の話を聞く限り、ストーキングされていたのは一人だけじゃなさそうです。探してみて本人たちに聞けば、何か手がかりを得られるかもしれません」


「だから、足がかりにんだろ?」


「まあね」


 入口の鈴が鳴る。


「待ち合わせなんですけど」


 私の耳がその声に反応した。考えるよりも先に視線が向いた。



 名前を呼んだのと少し立ち上がり手を上げたことで、目線が合った。すぐに気づき、いつもの笑顔になると、こちらに向かってきた。

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