「ふぅー食った食った」


 ニノマエさんは満足そうにお腹をさする。表情は穏やかで、かつ満面の笑みだった。


 結局食べたいものを全部頼んだ。そんでもって、完食。お皿には米粒、野菜のかけら、肉の破片、ソースやドレッシング……お皿に乗っているものは綺麗になっていた。まるで洗ったのではないかと一瞬錯覚を起こしてしまうほど何も無い。

 当然、収めたお腹は膨らんでいた。一目瞭然だが、こんな小さな体のどこに収まったのだろうか。


「そんなじろじろ見んなよ、ええっと……」


「片桐さん」


 ツナシさんはニノマエさんに顔を近づけると、私の名前を呼ぶ。何に対してええっとなのか、まだ分からないのに、全てを汲み取ったかのよう。


「あっそうそう」頷き交じりに言葉を発した。「こんなんで呆気に取られていちゃ、これから取られっぱなしだぞ。驚き過ぎて、顎外れっぞ」


 つい顎に手を伸ばした。意識はしていなかった。

 ニノマエさんはフッと口角を上げると、「嘘だよ嘘」と頭の後ろで手を組んだ。


「なんだよお前、真面目野郎か。面白れえな」


 どうやら気に入ってもらえたようなだ。なので、私は顎から手を外しながら、「やっぱり呆気にとられるようなことばかりなのですか」と、聞きたいことを尋ねてみた。当然、疑問はまだまだ尽きることはない。


「そうだな。みんなびっくりして腰抜かしてる」


「面白がらないの、イチ」


 ツナシさんが目を細めた。まるでお母さんのような注意の仕方だった。ていうか、ニノマエさんのことをイチと呼んでいるのか。じゃあ、ニノマエってやっぱり漢字の“一”って書くのかな?


「けど、間違っちゃいないだろ?」


「大まかな意味合いではね。比喩表現は何でもかんでもオーバーにすればいいってわけじゃない」


 ちぇ、とニノマエさんが口をとんがらせる。

 いずれにしろ、腰抜かすかも知れない程には驚くようことが続くということに差異はないようだ。


 ツナシさんは私を見てきた。目は普通の状態に戻っている。


「すいません」


「いえ……」会釈交じりに答える。


「んで、ツナシからはどこまで聞いてる」ニノマエさんは頭を掻いた。


「その、例のモノで怪異とお呼びしているバケモノを倒せる、というぐらいまで」


「おお、割と喋ってたんだな」


「そうだ、これ使えば倒せる」


 細長い黒い袋を叩く。ということは、中には例のものが入っているということだ。


「その……倒すということは本物、ということですよね?」


「なんだぁ、見たいのかぁ?」


 ニノマエさんは百点を取って自慢をした気な小学生かのごとく笑みを浮かべると、手を袋へ寄せた。


「あっいや、いいです」


 私は慌てて止める。少ないとはいえ、人のいるファミレス。真刀を出すのに抵抗がある。銃刀法違反とかで警察のやっかいになるということは避けたい。下手したら退学とバイトクビのダブルパンチになりかねない。


「ふーん」ニノマエさんは口をとんがらせ、袋を下ろした。ほっと胸を撫で下ろす。


「そういえば片桐さん」ツナシさんに呼ばれ、視線を向ける。「襲ってきた怪異、何か喋っていたのでしたよね?」


 あっそうだ。思い出した。ニノマエさんにも話しておこうという算段になっていたのだ。食事のインパクトが大きくて、すっかり忘れていた。


「喋った? なんて??」ニノマエさんは前のめりになる。


「その……」よく分からないけれど、とりあえず伝えてみよう。「ギミズギと」


「ギミズギ?」ニノマエさんは眉をひそめた。「なんじゃそりゃ?」


 まあそうだよね。ツナシさんも分からなかったようだし、そうかもしれないなとは思っていた。

 そもそも、このギミズギって、単語として成り立っていない。噛み合わせの悪そうな歯をしていたから、単に滑舌が悪く、聞き間違えた可能性があるけれど、言葉を替えたり組み直したりしても、言葉として成立しない。


「うーん……」ニノマエさんは腕を軽く組み、背もたれに体重を寄せた。「ギミズギ……ギミズギ?」


 目を閉じて、首を傾げていく。ソファとの角度が狭くなる程、瞼に出来る皺は濃く強くなる。


「分っかんねぇなぁ……」


 体を起こし、目を開いた。


「他には?」


「ドゴとか、ですかね」


「ほぉ……」ニノマエさんは口元を緩める。「覚えているんだな」


 覚えている?


「まあ、あんなことあったので」


 真意が分からず、中途半端な反応を返した。


「あれ? もしかして……」


 ニノマエさんがツナシさんを見る。ツナシさんは何も聞かず、ただ「いや、時間的にまだ忘れるまでじゃないから」とだけ返した。


 忘れるといえば、記憶の中でバケモノの姿のだけれど、何か関係が……


「いや、気にしなくていい。じきに分かるから」


「はぁ……」流されてしまった。


「ん? ギミズギ、ドゴ??」


「おっ」ツナシさんの反応に、眉と口を縦に伸ばすニノマエさん。「何か分かりましたか、先生」


「いや、全部濁音だっていうのがふと気になってさ」


「濁音?」


「ガギグゲゴやバビブベボのこと」ニノマエさんが横から。


「あっ、はい。その濁音、というのは……」


「なんだ、濁音の意味を聞いたんじゃないのか?」


「そりゃそうだよ、誰かさんじゃないんだから」


「そりゃあどういう意味だ、トー」ニノマエさんはツナシさんを凝視する。眉間にはシワの山ができていた。


「深く考えなくていい。消化の妨げになっちゃうからさ」


 ツナシさんのことをトーと呼んでいるのか。じゃあ、ツナシっていうのもやっぱ、漢字の“十”って書くのかな? 一と十……か。


「ったく」ニノマエさんは視線の先を私へ変えた。「とにかく、その怪異は言葉を濁らせて話しているってことだな?」


「ああ」


 ツナシさんはそう答えると、ふと私に目を向けた。


「怪異というのは、本能のまま動くものが多く、基本似た行動や言動を繰り返しがちなのです。今回のは非常にその可能性が高い。つまり、繰り返しの癖を見つけて、探っていけば何かしらのヒントを得られることが往々にしてあるのです」


 理解が少し遅れ気味だった私に配慮して、詳細を説明してもらえた。


「例えば」ニノマエさんが続ける。「これから何をしようとしているのか、どんな行動をするのか、時にはどこに出てくるまで予想できたりなんかもできる。見た目厳ついけど、安直なんだよアイツらは」


「成る程……」


「んで、今回の怪異は濁点を繰り返してるってことは……」


「外したら本当の言葉が分かるかもしれない……」


「そういうこった」満足そうに口角を上げるニノマエさん。「んじゃ、濁点外してみっか。ええっと、ギミズギは……キミスキ?」


 沈黙。


「いや、オレがコクったわけじゃねぇからな!」


 そして、急に声を荒げるニノマエさん。おろおろと慌てている。


「いや、あの、はい、分かってます」


 私は頷き交じりに返事をした。


「なら、あの怪異は、片桐さんに好意があるってことになる」


 私とニノマエさんとの一往復の会話は無かったことにして、ツナシさんは続けた。


 そんな……「なら、私はこれから先もつけ狙われるということですか?」


 二人から返事はない。けれど、表情から、肯定であることは読み取れた。緊張で呼吸が荒くなる。酸素を取り込もうと、自然と口が開く。


「まあ、そうか違うかは調べてみりゃ分かるし」ニノマエさんは私を上から下まで見る。「今回はいつまでに解決しないと死んじまうようなことは無さそうだし、手がかりがない今はしらみ潰しに当たってみるのが早いだろ」


 怖いことを平然と言ってのけるニノマエさん。


「い、命の期限が定められたようなことがあるんですか?」


「あるある、しょっちゅうだ」


 忘れていた恐怖が急に襲ってくる。期限とかはないにしろ、死ぬということは十分あり得るだというのが証明されたからだ。やはりあの時、助けに来てくれなかったら、私は……うん、ゾッとする。


「心当たりは?」


「え?」


「あんなバケモンに好きなんて告られるような、心当たりだよ」


 と言われても……思わず目線が下がる。


「まあ、ないよな」


「……はい」


「となると……」


 ツナシさんは横に目配せする。


「かもな」


 瞳を合わせたニノマエさんは受け取ると、おもむろに片方の眉と口角を上げた。心当たりのある表情。


「何かあるんですか?」


「怪異には」ツナシさんが口を開いた。「個性というか、それぞれに性格があります。ただひたすらに暴れているようなのもいれば、冷静沈着で計算高いのもいます。中には人間の感情を利用しているのも」


「感情を?」


「利用して都合の良いように操るんです。喜び、哀しみ、怒り……勿論、好き嫌いも」


「好き嫌い……」


「ここで、キミスキに繋がるってわけだ」


 ニノマエさんは腕まくりをする。


「あのバケモンは人間と手を組んでる可能性が高いってわけだ」


 人間と……


「案外身近な人間が犯人だったりするかもしれねぇぞぉ〜」


 何故かおどろおどろしい声色で言うニノマエさん。同時に何故か胸の前で手を垂れて、甲を見せてくる。


「なんで、幽霊?」


「意味はない」元に戻った。「ま、気ぃつけるこったな、やられないように」


 やられないように……思わず喉が鳴る。


「てことで、改めて聞くぞ。人間に心当たりはないか?」


 人間……あっ! 絞った瞬間、思い出した。


「あ、ありました」


 あの、だ。

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