第十三章 Precious (3) なんてことを、

***


 この時点で、なんとなく浩は察してしまった。


 たぶんあの男はクリスマスだからとなにか企んでいる気がしてならない。元々はお互い本国の習慣に沿って莫迦みたいに騒ぐようなことはしてこなかった。しかし、ここ二、三年はすっかりこちらの習慣が染みついてしまい、いつもよりは少しだけ豪華な食事を摂ったりプレゼントを贈りあったり、というようなことをしている。要するに、今年も例外ではないはずなのだ。


 浩は困惑した。

 今年何をするかまったく考えていない訳じゃない。しかし、生憎だが、浩はそういう引き出しがものすごく少ない。今年のイリヤの誕生日だって結構無理をしたのだ。脈絡のないものをあげておいてなんだが、一年分の記憶を掘り起こして彼の要望を探るのは相当しんどかったことを覚えている。


 ちらりと目を動かし、作業に戻ったイリヤの背中を見つめる。

 彼は時折咳をしながら、黙々と原石の研磨に取り掛かっていた。機材を使用するとき以外は特に何も話さず、部屋はしんと静まり返っている。


 かくいう浩は自分のパソコンを取り出し、軽微な事務処理を行っていた。しばらくキーボードを叩く軽快な音を耳にしながら、ぼんやりとモニタを眺めている。


 ――たとえば、どこかに行くとか。


 浩はふとそう思い、インターネットで旅行先を検索し始めた。どうせ当日はお互い仕事なので、その前後で出掛けられるくらいの近場にしようと思う。

 とはいえ、好奇心旺盛なイリヤはこの六年で近場の外出先はおおかた制覇しているのである。行ったことがないところと言えば、ひとりで行けない遊園地とか、そういうところだ。


 ――遊園地は、なしだな。


 咳をしているイリヤに身体の負担をかけるようなことはさせたくない。しかもいい歳した男二人が遊園地で遊ぶ光景はなかなかにシュールだ。無理。はっきり言って、無理。となると、ゆっくりできるようなところがいいだろうか。


 温泉とか、貸別荘とか。

 そういう類のところであればあまり動き回らなくていいし、移動はレンタカーでも借りればいい。


 ふむ、と浩が本格的に調査を始めたところで、突然機材を動かす音が止まった。


「ヒロ。ちょっといい?」

「え? ああ、はい」


 どうしたの、と浩が席を立つと、イリヤは「あのね」と前置きしてこんなことを言い始めたのだった。


「いつ言おうかずっと迷っていたんだけどね、今年のクリスマス、休めそう? というか俺のために休んで」

「え」

「知り合いがペンションを貸してくれるって言うから、土曜から月曜にかけて二泊三日で小旅行しようかと」


 浩は思わず目を剥いた。なんという絶妙なタイミング。そして内容が被った。

 動揺して次の言葉を紡ぎだせないでいると、イリヤは堪えきれずに噴き出してしまった。


「空気のきれいなところで少し休もうと思って。ヒロもおいでよ」


 彼はそう言うと、右の袖で口元を押さえ乾いた咳を数回洩らした。苦しそうに眉間に皺を寄せているので、浩はそっとイリヤの背中をさすってやる。


「……ねえ、やっぱり、身体が悪いんだろ」

 そんな無理をして、と浩は思わず顔を歪めてしまった。「その咳が風邪じゃないことくらい気づくよ」

「ああ、やっぱり? でもね、大丈夫。俺は『神様』だから」


 神様は死なないから大丈夫、とイリヤは胸の前で手を振りながら笑って見せる。


「君は人間だ。前にもそう言っただろ。……ああいや、そういうことを言いたいんじゃない」


 ごめん、と浩は首筋を擦りながら言い、じっくりと言葉を選ぶ。別に喧嘩したい訳ではないのだ。どうでもいいところに労力を割いてしまうのが自分の悪い癖だ。浩はそう思いながら、ゆっくりと、まるで子供に言い聞かせるような口調で言った。


「……場所はどこ? 遠い?」

「少し遠い。車で一時間くらい」

「分かった。いいよ、もともとそうするつもりだったし」

 でもね、と浩は顔をぱっと明るくしたイリヤの双肩を叩く。「俺は心配なんだよ。それだけ覚えておいてね」

「うん」


 イリヤは頷くと、その両手を伸ばした。浩の頬にそっと触れると、親指で優しく撫でる。

 彼は何も言わなかった。浩もまたなにも言わず、ただされるがままになっていた。


 確実に、そう認めたくない日が、一歩ずつ近づいている。

 あの日イリヤに『神様』が生まれた秘密を聞かされたときから覚悟していたが、そう自覚するや否や途端に不安になるものだ。


 ――なんてことをしてくれたんだろう。

 浩は思う。


 なんで彼が、そういう役目を背負わなくてはいけなかったのだろう。

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