第五章 Ring(2) ロマンチスト

***


 イリヤ・チャイカはロマンチストである。


 ヒロのことは本人からも引かれるレベルで大事にしてきたつもりだし、たとえ出会って二日目で関係を持つという少々手荒な――否、なことがあったとはいえ、けじめをつけるべきところはそれなりにすべきだとも思う。あとは多少の見栄もある。


 そういうことはそれなりの準備をしてこちらから贈るのが筋だと思っていたイリヤは、ヒロが予想外のタイミングで先手を打つなどとは微塵も考えたことがなかった。


 確かにこの六年、そのあたりをうやむやにしてきたのは事実だが。


 一晩布団の中で色々と考えたけれど、おそらくヒロの行動は要約すると「誕生日のお礼」だ。そのことからも、『人形姫』の複製はものすごく喜ばれたのだということが分かる。芸術家としてこれほど名誉なことはない。


 ――いやしかし、だがしかし。

 あの日本人の考えることは本当によく分からない。本人にも言ったことはあるが、ヒロ・ショーライの思考は女の子の気持ちを理解しろと言われるよりもはるかに難解だ。図太く豪快かと思いきや、意外に繊細で複雑なのをイリヤは知っている。


 少しオーサカに行っていた間に、彼の中で一体何があったのだろう。


「ヒロ、あのね」


 都内某所の宝飾店へ向かう道すがら、イリヤはヒロに話しかけた。


 なんだい、とヒロが数拍の間の後答える。

 彼は朝から少し、ほんの少し、機嫌が悪かった。簡単な会話を交わすくらいはできるが、どうにも反応が薄く、常に上の空でいる。何か考え事をしているようにも見えた。よくよく観察してみると微かに表情をこわばらせているのがさらに気になるところだ。


「君は俺にとって最高のパートナーなので、一番きれいなものをあげたいと思うんだ。一緒に見つけてくれる?」

「……、うん」


 勇気を出して言った恥ずかしい台詞に対し恐ろしいほどの生返事。


 こんな様子の彼を今まで見たことがあったろうか。いや、ない。少なくともイリヤの知る限りでは、ない。やはり昨日全力でツッコミを入れてしまったのが原因だろうが、それでもあれはツッコミを入れざるを得ないと言うか、なんと言うか。


 イリヤは色々と考えて、結局、

「……怒ってる?」

 とだけ尋ねた。その言葉に反応し、ようやくヒロはイリヤを仰ぐ。彼はイリヤが何故そのように言い出したのか心底理解できないと言った風に目を大きく見開くと、


「なぜ? 君、俺に怒られるようなことした?」

「だって、なんだか機嫌悪そうだし」


 ああ、それはちょっと……とヒロは言葉を濁す。やはり様子がおかしい。しかしそれをしつこく指摘すると別のベクトルで機嫌が悪くなる気もする。この駆け引きをどうすべきか真剣に思案しているイリヤをよそに、ヒロがぽつりと呟いた。


「機嫌、悪くないよ。照れているだけ」


 言わせるな莫迦、とそっけない口ぶりで言うと、彼はイリヤから目を逸らした。

 まるで落雷を受けたかのような衝撃である。放っておくと人形のように己の感情を殺しにかかるヒロ・ショーライに、照れという感情があるだなんて。


「……、そりゃあ、見たことない顔をしている訳だよ」


 さて、ようやく宝飾店に到着した二人である。

 ヒロはどうやらこの店のオーナーと顔見知りらしい。事前に連絡を入れておいたところ、特別に個室を用意しておく旨申し出があったのだとイリヤは聞いている。ヒロは「べつにいいのに」とぼやいていたが、それは明らかにオーナーから気に入られたが故の対応だろう。


 小さな戸を押し開けると、ヒロが店員に声をかけた。すると、奥から身なりのいい年配の男性が姿を現した。スーツの胸元には金とルビーでできたバラモチーフのピンを刺している。それを見たイリヤはああ、と思う。ヒロが個人的に懇意にしている人物には目印としてピンを渡しているのだ。


「お久しぶりです、松籟さん」

「お久しぶりです。突然押しかけてすみません、お世話になります」


 あなたのお願いならいくらでも、と彼はにこにこと微笑んでいる。ヒロはイリヤへ目を向け、


「こちらはオーナー兼彫金師の金城きんじょうさん。挨拶して」

「イリヤ・チャイカデス」


 イリヤが右手を差し出し、金城と固く握手を交わした。金城はイリヤの名を耳にした刹那、微かに瞠目する。


「まさか『神様』ともあろう方に来店いただけるとは。お会いできて光栄です」


「トンデモナイ」

 最近謙遜を覚えたイリヤである。「ヒロ。今店頭に並ぶジュエリーを見る限りだと、とても品のある作品を作られる方なんだね。素敵だ」


「うん。国内の技師なら俺は確実にこの人を推すね」


 ぼそぼそと二人が言葉を交わしたのち、言葉が聞き取れずきょとんとした金城に対しヒロが通訳する。金城は嬉しそうな表情を浮かべ、奥のプライベート・ルームへ二人を通した。

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