第71話 地下室の駆け引き
周囲に濃い血の臭いが立ち込める薄暗い地下室。
恐らく
「まさか本当に来るとはな」
クロードの顔を見るなり開口一番そんな言葉を口にするドルバック。
忌々し気に舌打ちして、殺意すら篭った目でこちらを睨み付けてくる。
まるで最初から来る事など期待していなかった。そう言わんばかりの態度。
別に愛想よく出迎えられるとはこちらも思っていなかったが、ここまで露骨な態度で示してくるのは予想外だった。
ただその怒りはクロードに対してのものというより、クロードの所属している組織に対して向けられている様に感じる。
(マフィアとしての器量はともかく、親の代からの因縁はしっかりと継承しているという事か)
こういう姿を見せられると目の前に立つこの男もまた例に漏れずガルネーザファミリーの一員なのだと認識させられると同時に、改めてガルネーザファミリーとビルモントファミリーの間にある因縁の根の深さを思い知らされる。
(しかし参ったな。これでは話が先に進まん)
親の代から続く因縁なので嫌われているのは仕方ないとしても、せめてもう少し冷静に話し合える余地は残しておいてほしいものである。
話し合いが始まる前からこれでは自分を呼びつけた要件を聞くのにさえ苦労しそうだ。
そんな風にクロードが考えていると、ドルバックの傍らに立っていたモウストが2人の間に割って入る。
「ドルバック。もうそのくらいにしておけ」
「しかし・・・」
「今、お前が今気にするべきはそんな事じゃないだろう」
「グッ、そんな事は・・・分かっている」
モウストの諭す様な物言いにドルバックは口惜しそうに唇を噛んで顔を逸らす。
まるで拗ねた子供の様なドルバックの振る舞いにモウストはやれやれと呆れて首を振る。
「すまんな。こちらから呼びつけておいて」
「いえ、構いませんよ」
今日一日で色々ありすぎて、今更この程度では怒りも湧いてこない。
「それにしても随分と物々しい雰囲気ですね」
左程広くもない部屋の中を見渡せば部屋の四方に斧やハンマーといった武器を手に持った男達が、先ほどのドルバック同様にこちらを睨みつけている。
「気になるか?」
「いえ、それほどでもないです」
昼間の様に幹部全員に囲まれるならまだしも、ここにいる連中は多少腕が立つ程度の謂わば小物に過ぎず脅威には値しない。
むしろ今クロードが気にしているのは全く別の事だ。
「それにしてもまさかモウスト殿とドルバック殿にこの様な場所で会うとは思いませんでした」
「フッ、別に同じ組織の幹部同士だ。一緒に居てたとして不思議はあるまい」
クロードの問いに何の問題もないとでも言いたげなモウストの態度。
確かに事情を知らない者から見ればそのように映るだろうが、内情を知った後だとそうはいかない。
何故なら先程、中庭で催されたパーティの場でモウストは中立の位置にいたのだ。
そんな彼がこの場にいるという事はつまり表面上は中立を装いつつ、その裏で片方の勢力に加担している事を意味する。
もし、この事が表沙汰になったらそれこそ組織が真っ二つに割れ兼ねない。
それはそれでビルモントファミリーにとっては好都合と言えなくもないが、残念ながら今回の目的はガルネーザファミリーの内紛を誘発する事ではない。
少し勿体ない気もするが、今は当初の目的を遂行する事の方が優先される。
クロードは気持ちを切り替えると、ポケットから一枚の紙切れを取り出す。
「こちらの招待状はモウスト殿の差し金ですか?」
「ああ、ドルバックとお前をどうしても引き合わせたくてな」
「俺は別にそんなヤツと・・・」
後ろの方でドルバックの恨み節らしき声がするが、2人して聞こえないフリをして会話を続ける。
この間にクロードはある1つの確信へと辿り着いていた。
それはドルバック派の実権を握っているのはモウスト・ドゥルツオテだという事実だ。
(ドルバックのモウストの発言への信頼度や依存度から見てまず間違いないだろう)
何故自身が矢面に立たずにそんな回りくどい真似をしているのか謎は残るが、ともあれリットン相手にやや劣勢とはいえ同程度の勢力を維持する手腕は見事と言える。
ドルバック1人では恐らくここまで派閥化する事さえ困難だっただろう。
表では中立を装いつつ、裏ではドルバック派の参謀役として派閥をコントロールする。
流石は長年マフィアをやっている古参幹部と言うべきか、大したしたたかさである。
(ドルバックと違って話も通じる相手の様だしな)
通常こういう局面で敵方に参謀役がいるというのは、交渉の際に余計な入れ知恵をされる可能性があって非常に厄介なのだが、今回に関して言えば逆に好都合と言える。
何故ならドルバックは最初に抱いた印象通り感情が先行するタイプ。
別に彼が無能という訳ではないのだろうが、今の様にこちらへの感情が先行しすぎて対話が成立しないのでは話にならない。
ならば多少リスクがあってもまともに交渉できる相手の方がこちらとしても望ましい。
もちろんモウストが楽な相手でない事は分かっている。
仮にも相手はガルネーザファミリーの幹部の中でも古参の重鎮。
交渉のカードはうまく切らねば自身の首を絞める事になりかねない。
その事に注意を払いつつ、クロードは話を進めるべく自ら話題を提示する。
「そろそろ私がここに呼ばれた本当の理由についてお聞きしたいのですが?」
「・・・・分かっている。だがその前に」
そこまで言ったモウストがパチンッ指を鳴らすと部屋の中にいた手下がクロードの前に粗末な木製の椅子を置く。
「立ち話もなんだ。まずは座れ」
「どうも」
クロードは目の前に置かれた椅子を手元に引き寄せ、その上に腰を下ろす。
こちらが座ったのを確認し、モウストとドルバックも用意された椅子に腰掛ける。
「さて話をするにあたってこちらも1つ確認したい」
「なんでしょうか?」
「お前はガルネーザファミリーの現状をどの程度まで把握している?」
「どの程度・・・ですか」
モウストからの問いにクロードは少しだけ考える様な仕草をする。
一見何気なく振られたように聞こえるが、実際はかなり回答の難しい質問である。
答えの内容によってはそのまま組織全体の敵と認識されかねない。
だからといって無知を装えば、自身の能力を侮られ協力関係を結ぶ事が難しくなる。
(初手から嫌な聞き方をしてくる)
もちろん相手もその事を承知の上でこんな厭らしい質問をしたのだろう。
だが、向こうがその様な心理戦を仕掛けるのも仕方のない事ではある。
何せお互いに相手の事は他者から得た噂程度の情報しか知らないのだ。
まして所属組織が敵対関係にある以上、元より信頼関係などあろうはずもない。
「別に大した事は知りませんよ」
「知ってる範囲の事で構わん」
「そうですか。では僭越ながら言わせて頂きます」
クロードはそこまで言って、次の言葉までのほんの僅かな間に頭の中で思考を巡らせ言葉にする情報を高速で取捨選択する。
「現在、ガルネーザファミリー内ではドルバック氏とリットン氏による次期首領の座を巡った対立が勃発しており、ドルバック氏はその争いにおいて現在劣勢を強いられているといった所でしょうか?」
「俺がリットンに圧されているだと!」
聞き捨てならないと言った様子で険しい顔をするドルバック。
だが、そんな彼の態度を無視してクロードは更に言葉を続ける。
「少なくとも外野から見ている分にはそういった印象です」
「貴様ぁ!」
クロードの言葉を侮辱と受け取ったドルバックは激昂し、脇に控えていた手下の手から刃の部分が広い大き目の斧を奪い取ると椅子から立ち上がる。
その動きに併せる様に周囲にいる手下達もいつでも飛び掛かれるように身構える。
一触即発の様相を呈する場においてモウストが落ち着いた声でドルバックを諭す。
「落ち着けドルバック」
「どうしてだ!」
「この男の言っている事は間違っていない。その事はお前自身も理解している筈だぞ」
「ぐぬっ」
威圧感の篭ったモウストの言葉にドルバックはギリギリと悔しそうに歯を噛みしめ俯く。
そのあまりにも悔しそうな表情を見て現在ドルバック派の旗色が思った以上に悪いであろう事が容易に想像できる。
「理解したなら一度座れ」
「・・・・チッ」
モウストの言葉で一先ず怒りを呑み込んだドルバックは武器をその場に放り出して、もう一度椅子に腰を下ろす。
「私の知っている情報はこんなところですね」
「そうか」
これでようやく本題に入れると思った所で再びドルバックが口を挟む。
「おい、待て。まだ話してない事があるだろう」
「話していない事ですか?」
「とぼけるなよ。第三区画の幹部補佐キャトル・マキウィが貴様の部屋を訪ねただろう」
不機嫌なだけかと思ったら意外と話はちゃんと聞いていたらしい。
そのまま気付かないでいればいいものを余計な所には気が付くらしい。
おかげでキャトルが持ち掛けてきた話まで話をしなくてはならなくなった。
(全くこれで交渉材料に使えそうだったネタが1つ不意になった)
まあ気付かれてしまったものは仕方がない。どうせオマケで得た様なネタだ。
ここで未練がましく失った手札にこだわるつもりはない。
「その件についてお尋ねでしたか」
「何故話さなかった。聞かれたら困るからじゃないのか?」
こちらにとって痛い所を突いたとでも思ったのか勝ち誇った様な顔をするドルバック。
しかし、こちらに言わせればそんなもの急所でもなんでもない。
だからその事をそのまま言葉にして伝えてやる。
「いえ、別に大した用件ではありませんでしたので」
「なにっ」
勝ち誇ったような顔からドルバックの表情が一転する。
鳩が豆鉄砲を喰らったようなという表現をよく聞くが、今の彼の表情がまさにそれだ。
「そこまで言うなら聞かせろ。ヤツは貴様に何を話した」
「仕事の話ですよ。単に暗殺を持ち掛けられただけです」
「暗殺・・・だと」
何食わぬ顔でとんでもない事を口走るクロードにドルバックの表情が青褪める。
それにしてもさっきからコロコロとよく表情の変わる男だ。
もっとも、今度はドルバックだけじゃなく周囲にいる手下達までザワついている。
さしものモウストでさえ表情に険しさが表れている。
「それでお前、その依頼を受けたのか?」
「いいえ、回答は保留にしてあります」
「嘘だ!貴様は俺を殺す気だろう!」
そう叫ぶと同時に勢いよく立ち上がったドルバックは床に放り出した斧を拾い上げると、そのままクロードに向かって走り出す。
「殺られる前に殺ってやる!」
猛然と襲い掛かってくるドルバックに対し、クロードは小さく溜息を漏らす。
「やれやれ、まだ話の途中だというのにせっかちだな」
自分の顔面に向かって振り抜かれる刃を眺めながらクロードは右手を軽く持ち上げると、向かってきた刃に向かってデコピンを放つ。
バギンッと短い金属音を立てて斧の先端が弾け、切っ先が天井に突き刺さる。
「なっ!」
まるで玩具の様に簡単に壊れた手の中の武器に目を剥くドルバック。
それに対しクロードは相変わらず落ち着いた様子で言葉を繋ぐ。
「少し落ち着いてください」
「ふざけるな!自分を狙ってきた敵を前に黙って殺されるヤツがいるか!」
「それは分かりますが、生憎と私にその気はありませんよ」
「何故そんな事が言い切れる!」
「少し考えれば分かる事ですよ。例えばここにいる人間だけでアンタは自分の弟、第三区画の野猿に勝てますか?」
「それは・・・・」
クロードの言葉にその場にいた全員がクロードから視線を逸らす。
どうやら彼らにとってバファディ・ガルネーザというのはそれ程の脅威らしい。
もっともその方が話を進める上ではクロードにとって好都合だ。
「忘れていませんか。"俺"はアンタの弟と同格という位置づけ。そんな人間がその気になったらどうなるかはアンタ達なら想像できるんじゃないか?」
先程までの丁寧な物言いから口調が変わると同時に室内の空気も一変する。
室内にいる全ての者が感じる強烈な
巨大な得体の知れない怪物を前にしたような圧迫感に誰もその場を動く事が出来ない。
それは幹部であるドルバックとモウストでさえ同様。
それ程までに目の前の男から漂う気配はバケモノ染みていた。
「本性を現したな化け物め」
「そう呼ばれる事には慣れている」
クロードはポケットからシガーケースとライターを抜いてタバコを取り出す。
「まあ、そう警戒するな」
「中々難しい相談だな」
目の前に獰猛な肉食獣がいるというのに大人しくしていられる草食動物はいない。
「気持ちは分からなくもないが、今から俺がする話を聞いておいて損はないと思うぞ」
「どういう事だ?」
「恐らくアンタ達が俺に持ち掛けようとした話と同じだ」
「なん・・・だと」
驚くドルバック達の顔を見渡しながらクロードは火の点いたタバコを口元から離し、笑う。
「さあ、お互いにとって有意義で楽しい明るい未来の為の交渉を始めようか」
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