第95話 人喰い餓狼を追え 5
街外れに建つ安っぽい造りをしたホテルの一室。
床の上に仰向けに倒れたグァド・ボージャンを足の下に踏みつけにしたクロードはコートのポケットからシガーケースを取り出す。
「さて、早速だが人喰い餓狼についてお前の知ってる事を聞かせてもらおうか」
そう言って開いたシガーケースの中からタバコを一本摘み上げたクロードは不安そうにこちらを見上げるグァドへと水を向ける。
「えっと、・・・そうですね」
クロードの問い掛けにグァドは視線を逸らし僅かに逡巡するような素振りを見せる。
この反応、この期に及んでまだ何を答えるか内容を選ぼうとしている。
今頃になって人喰い餓狼に対する情か何かと自分の身を天秤に掛けているそんな印象。
どうやらまだ自分の置かれた状況というものが正しく理解できていないらしい。
何を考えるかはこの男の勝手だが、何を答えるかまで選ばせてやるつもりはない。
口の端に咥えたタバコに火を点けたクロードは煙を一息吸うと、グァドの腹の上に乗せた足に力を込める。
「イダダダダダダッ!痛い!痛いぃいい!」
「必要な事だけをすぐに答えろ」
「喋ります!すぐ喋りますから許してぇえええっ!」
メリメリと己の腹が減り込んでいく痛みに耐えかねて簡単に音を上げるグァド。
クロードとしてはこれでも随分と加減しているのだが、この程度で泣きが入る辺りは所詮は悪党になり切れない小物といった所か。
ともあれこれでようやく欲しかった情報が手に入る。
こちらも暇な訳ではない。たかが小物1人にいつまでも時間を割いている余裕はない。
そもそも情報を得るのはあくまで通過点であり、本命はあくまで人喰い餓狼だ。
「俺があの人と出会ったのは今から大体6カ月ぐらい前、会社で回収したゴミを集積所に運んでいる時に行き倒れてるのを見つて助けたんだ」
「ちょっと待て、行き倒れていただと?」
グァドの口をついて出た予想外の言葉にクロードは思わず聞き返す。
「はい。あの人は元々国外から入った移民らしいんですが、この国に知り合いとか頼れる相手がいた訳でもないらしくて会った時なんか無一文な上に5日ぐらい何も食っていないって状況でした。だから俺がしばらく自分の部屋で面倒見てました」
今一度グァドが語った内容の意外性に一瞬、その話は嘘じゃないかと疑いの眼差しでクロードは足下の男を見下ろす。
しかし、グァドの態度からは嘘をついている感じは一切しない。
どうやら本当の事を語っていると見て間違いなさそうだ。
(まさか"人喰い餓狼"がただの流れ者だったとはな)
人喰い餓狼がこの国の人間でないという事はあらかじめ想定していた。
もし国内の人間であれば今まで殺人を犯していなかったとしても暗黒街の猛者達と渡り合う様な人物が今まで知られていないというのは少々考え難い。
となると考えられるのは必然的に外部から入ってきた人間という事になる。
それならば事件が起こるまで知られていなかった事にも合点がいく。
むしろ今回、驚くべきは2人の出会った切っ掛けの方だ。
クロードはてっきりどこかの組織が暗躍しているのではと考えていた。
しかし実際に蓋を開けてみれば今まで全く面識のなかった2人が偶然に出会い、そこから全てが始まった。
そうなると次に気になってくるのは彼らが事件を起こすに至った動機だ。
何か確固たる動機がなければ暗黒街の住人相手に普通は仕掛けれたりしない。
「お前達が事件を起こした理由はなんだ。お前がヤツに頼んだのか?」
「ちっ、違う。あの人に聞かれたんだ」
グァドは慌てた様子でクロードの言葉を否定し、説明を始める。
「ある程度体調が落ち着いた頃にあの人の方から第九区画で悪事を働いている人間を教えてほしいって言われたんだ。何のつもりでそんな事を聞いたのかその時はまるで分からなくて、ただ丁度少し前にケレブランの強盗団のヤツと酒場でトラブルになって大金を請求されてたから・・・」
「なるほどな。それでヤツにケレブランの事を教えたと」
「その時はまさかあんな事になるとは思ってなかったんだ。本当だ」
「まあ、そうだろうな」
グァドとしていれば自分の置かれた状況が少しでも好転すればいいなぐらいの気持ちで言った言葉だったのだろう。
だが、その結果としてケレブラン・キンブリーは殺害された。
人喰い餓狼にしてみれば恩返しか何かのつもりだったのか、それとも他に何か理由があったのかは分からないがこうして最初の事件は起こった。
「数日後にケレブランが死んだと人伝手に聞かされて、俺はすぐにあの人が犯人だと気付いた」
「それでどうした。ヤツから次の獲物になりそうな相手でも聞かれたか?」
「違う。あの人は家を出て行こうとしたんだ。これ以上自分と居ると迷惑を掛けるかもしれないって言って」
「ならどうしてヤツはその後も殺人を続けたんだ」
クロードの問い掛けにグァドはやや言い淀んだが、クロードが手に持ったタバコの灰を顔の上に落とそうという動きを見せた為に慌てて口を割る。
「おっ、俺から誘ったんだ。もっと悪い奴らの情報を教えるから俺と組もうって」
「何故そんな真似を?」
「街の奴等に俺の存在を認めさせてやりたかったんだ」
大して学もなく喧嘩をする力も度胸もないグァドは周りからずっと蔑まれてきた。
そんな自分を馬鹿にしてきた者達に対する報復の意図もあった。
突如として自分の下に舞い込んだ大きな力、その力に畏怖より強い魅力を感じ、これを利用しない手はないと考えた彼は協力を申し出た。
人喰い餓狼の方もそこに何らかのメリットがあると判断し、その申し出を受けた。
そこからはグァドが悪党達の情報を集め、人喰い餓狼が獲物を狩っていった。
「10人目を殺した頃には巷で通り名がついてましたね。喰っても喰っても満たされる事のない餓えた殺人者。"人喰い餓狼"」
それが人喰い餓狼と呼ばれる殺人者が誕生した経緯だとグァドは語った。
話を聞いていてクロードが感じたのはこのグァドという男の軽率な考えと人喰い餓狼と呼ばれる人物の人としての"甘さ"。
そして人喰い餓狼には恐らく人を狩らざるをえない何らかの事情があるという事だ。
「ヤツは獲物を狩る理由について何か語ったか?」
「いえ、その辺の事は何も・・・」
「そうか。分かった」
ここに至るまでの経緯についてはグァドの話で大体分かった。
まだ分からない部分も多少なくはないが、そこは直接本人に会って聞くとしよう。
「なら今度はヤツの居所についてだ。ヤツは今何処にいる?」
「それは分からないんだ」
「なんだと?」
ここに来て居場所を知らないは通用しないと威圧を込めた視線を向けるクロードにグァドは必死に弁明する。
「本当だ。あの人とはこの街に来てすぐ別れたから」
「ならどうしてヤツはこの第七区画で・・・」
何故今も殺人を続けているのかと言い掛けたクロードの脳裏にある疑問が浮かぶ。
(待てよ。人喰い餓狼はどうやってこの第七区画で獲物の情報を入手したんだ?)
このグァドという男は第九区画の人間、しかも腕が立つ情報屋ではなく三流コソ泥レベルの情報収集力しか持っていない。
そんな人間がこの第七区画の裏事情まで把握できているとは到底思えない。
では一体どこからその情報を得たのかとクロードは考え込む。
「そういえばあの人、別れる時に第九区画に居るのはマズイって教えてくれた人に会いに行くって言ってたな」
「っ!?」
何気なくグァドが口にした言葉にクロードは思わず目を見開く。
「どういう事だ。お前の他にも協力者がいるのか!」
「いっ、いや、協力者かどうかは分からないんだ。ただある日突然郵便受けに手紙が届いてて、そこにこのまま第九区画に居続けるとドミニオンファミリーに消されるから第七区画へ逃げろって書いてあって」
クロードの剣幕に圧されてそう口にしたグァドに嘘を吐いている様子は見られない。
どうやらこの話も真実と見て間違いない様だ。
しかしまさか他にも協力者がいるとは予想外だった。
「チィッ!」
険しい顔で思わず舌打ちするクロード。
他の協力者を得たというならもうグァドの元には戻ってこないだろう。
そもそも2人が別行動になったのもその新しい協力者からの指示の可能性がある。
今後に落ち合う場所なども決めてないというなら居場所の検討もつかない。
これで人喰い餓狼の足取りは完全に途絶えた。
(何者か知らないがマフィアを出し抜くとはやってくれる)
相手はこちらがどう動くのかを完全に読み切っている。
相当なキレ者であるのはまず間違いないだろう。
グァドとは比べ物にならない優秀な参謀役と第九区画を震撼させ、他区画までその異名を轟かせた殺人者が手を組むというのはこの街の悪党にとって最悪の展開だ。
これで向こうが仕掛けてくるのを悠長に待っている訳にはいかなくなった。
それどころか一刻も早く手を打たなければ身内に被害が出かねない。
焦燥感に駆られたクロードはグァドの体の上から乗せていた足をどかすと、グァドの胸倉を掴んで強引に引き起こす。
「手紙の主はどこのどいつだ」
「わっ、分からない。手紙には最低限の事しか・・・」
「クッ、それなら人喰い餓狼の種族は!髪の色や長さ、目の色、身長!」
「ヒィッ、種族は・・・若い人間種だったと思う。髪の色は金で長髪。目は青色で汚れてたけど貴族みたいな服を着ていた。身長はアンタよりも少し低かったと思う」
「奴が立ち寄りそうな場所に心当たりは!」
掴んだ胸倉をギリギリと捻り上げて詰問するクロードに、グァドは床から少し浮き上がった足をバタバタさせながら必死に答える。
「パンッ!パンが好きだったから・・パン屋・・・とか」
「他には!」
「知っている事は・・・これで全部」
そこまで言ってグァドはクロードの手の中で意識を失い白目を剥く。
完全に気を失ったグァドを床の上に放り出してクロードは足早に部屋を出る。
「アジール。さっきの情報で対象を絞り込めるか」
「青い瞳の金髪だけでこの街に一体何人いると思ってるんだい。すぐには無理だよ」
アジールの返答にクロードは再び舌打ちして階下へと降りる。
ホテルを出るべく一階の受付の前を通りがかるとホテルの従業員が待っていた。
「クロードの旦那。仕事は終わりですかい?」
「ああ、こちらの用事は片付いた」
「それは何よりです。他に何かお手伝いする事はありますかい?」
「206号室の客の身柄を確保しておいてくれ。後で回収に人を寄越す」
「かしこまりやした」
嫌そうな顔一つせず従業員はクロードの言葉に笑顔で頷く。
「すまんな。これで数日は営業出来ないだろう。オーナーには俺の方から後日詫びを入れておく」
「ああ~、それについては御心配には及びません。ここに泊まる連中は死体なんて見慣れてますから調度品との区別もつかないでしょう。転がしておいても誰も文句を言いませんよ」
「・・・そうか」
流石は暗黒街の闇に生きる男達御用達の安宿と言うべきか、宿泊客の方も只者ではないらしい。
「それでも壊したドアや床は直さないといけないので修繕費はボルネーズ商会の事務所宛に送っておきますね」
「それで頼む」
従業員との確認事を済ませたクロードはホテルを出る。
「これからどうするんだいクロード?」
「どうするもこうするもない。とにかく探し回るしかないだろう」
状況は良いとは言えないがこのまま何もせずに居る訳にもいかない。
ひとまず先程グァドから聞き出した容姿に合致する者を探すべくクロードは行動を開始する。
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