第26話 身体と声の自由を奪われて

『今でこそほとんどないが、東欧にいた頃は、天敵ともいえる狼族との争いが絶えなかったそうだ』

『…どうして、エレクのご先祖様はこの国に移住したんだろうね?』

『…さぁ。知らねぇよ、そんな事。ただ…』

ベフリーに連れ去られ、眠りについていた私は、とある夢を見ていた。

しかし、何か映像が見える訳でもない、声だけが響いてくる夢。そこで聴こえる、男女の会話。

一人は聞き覚えがない男性の声。しかし、女性の声の方は聞き覚えがあった。

 “私”の声…?でも、相手の男性は現代の人間では…なさそう…ね

私はその聞き慣れない声の主が、肉親である父親でも、自分がよく知る考古学研究所の誰の声でもないという確信だけがあった。

ならば、誰の声だったのかと考えながら、私はゆっくりと意識を取り戻すのであった。



 あ…れ…!?

ゆっくりと瞳を開いた私は、自分の状態を見て気が付く。

普通、目が覚めたらどこかしらの場所に仰向けになっているのが普通だが、意識を取り戻した今の私は違う。“立ったまま寝ていた”といってもいいくらい、背筋まっすぐな状態で鏡の前に立っている。そして、服装も前の時代で来ていたヴァイキングの民族衣装ではない、少しきらびやかなドレスだ。

一方、私の足元で何かが動く音が聞こえる。しかし、覗き込もうにも、身体が思うように動かない。

『沙智…目を覚ましたようね』

 サティア…これは一体…?

私の意識が戻ったのを確認したサティアが、声をかけてきた。

『あの吸血鬼が、あんたをこの場所に連れてきた後…何やら魔術を使用していた。それが多分、沙智の身体が動かない原因かと…』


その後、サティアは、自分がわかる範囲での事を私に教えてくれた。どうやらベフリーは、私の“肉体だけ”勝手に動かせぬよう魔術をかけ、今はロココ・スタイルというこの時代では最新のファッションらしいドレスに着替えさせているらしい。足下で私にドレスを着せるのを手伝っているのは、どうやら同じ吸血鬼の侍女らしい。

このスタイルは、コルセットで体の形を整えるのが特徴のようだ。それを今身に着ける事で、ハードディスクにも知識として収まったであろう。

 逃亡防止のために肉体を動かせぬよう封じるのはわかるけど、何だって声まで封じちゃうのかな…?

私は、ベフリーの魔術によって口は動かせても声が出せない事を、とても不快に感じていた。

こうして髪もアップスタイルでまとめ、赤と白の入り混じったドレスの着付けを終えた頃、後ろから一つの足音が響いてくる。

「…着替えも終わり、意識も取り戻したようだな」

 わっ…!?

突然、自分の身体がひとりでに動いて後ろへ振り向いたため、私は驚いてしまう。そして、振り向いた先には、私を捕えた張本人であるベフリーが立っていた。彼が視線を地面に一瞬向けると、私の側にいた侍女は、お辞儀をしてすぐにその場を去って行った。

「さて…。君はおそらく、何故自分がこの場にいるかと戸惑っている…違いないね?」

そう問いかけられ、私は迷わず首を縦に頷いた。

「“声”を封じたのには、勿論理由がある。それは…」

『それは…?』

相手が何を口にするのかと言う疑問を抱えたようなサティアの声が、私の脳裏に響く。

「…君が持つ“もう一つの声”を引き出すためだ。…何が言いたいか、おおよそわかったであろう?」

ベフリーはそう言いながら、右手の中指を軽く動かし、手招きのような仕草を取った。

すると、術にかけられた私の肉体はひとりでに歩き出し、相手の目の前で立ち止まる。

「…大方、“もう一つの声”は、ここから響いているのであろう?確か…“ヴィンクラ”という代物だったな」

『なっ…!!?』

ヴィンクラの名前が出され、サティアの驚きの声が響く。

一方、私も驚きを隠せなかった。

…どうする?

『嫌な予感がするけど…仕方ないわね。きっと、出させるまであんたの声を元に戻してくれる気配はなさそうだし…。沙智、右手だけ動かせるように伝えてみて』

…わかった

私は「右手だけ動けるようにさせて」と言うように、唇を動かした。

「右手だけ…?まぁ、良い。終わったらすぐ戻すがな」

唇の動きを読んだ吸血鬼は、そう言いながら私の右手首を持ち上げ、手の甲にキスをする。

動いた…

それによって右腕だけ自分の意志で動かせるのを悟った私は、首元に腕を回してヴィンクラのミュートを外す設定を施した。

『…これでいいかしら』

「おお…」

サティアの声がヴィンクラから響き始め、ベフリーは満足そうな笑みを浮かべる。

じゃあ、今回はサティアが私の声を伝える役割って所ね

『…そうね』

「ん…?」

『何でもないわ。それより、何故あんたは、ヴィンクラの存在を知っていたの?』

「…自分が、連れ去られた理由は気にならないのかね?」

『…そっちの方は大体予想がつくから、どうでもいい。それより、こっちの質問に答えなさい』

そうして問答を始めるサティアとベフリー。

本来ならば、私が彼女の声を他の人に伝えるのが普通なのだが、この時は立場がいつもと違って逆転していた。

「クク…声を封じた娘と違い、そなたは気の強い娘のようだな…。“新月の子”が2つの精神こころを持つというのは、本当のようだな」

『人の話…』

「…これだ」

えっ…!?

サティアが何かを言おうとした瞬間、ベフリーはそれを遮るかのように、懐から1つの古ぼけた冊子を取り出す。

『そんなぼろい書物が、何だっていうの…?』

何故、今それを自分たちに見せたのかわからない人工知能サティアは、疑問形で問う。

しかし、“私”はそれに見覚えがあった。

お父さんの…日記…?

『…何ですって!?』

「“父親”の…?ほぉ・・・どうやら、中にいる娘の方が見覚えありそうだな」

相手はいじわるそうな笑みを浮かべながら、話を続ける。

『“何故、貴方がそれを持っているの!!?”…ですって』

私が心の中で叫んだ事を、サティアが代弁した。

鏡がこの場にないのでわからないが、今の私はかなり困惑した表情かおを見せていたであろう。

「…一年前、この城に迷い込んできたのだ。最初は同族達の餌にしてしまおうと考えたが…見慣れぬ服装・外見で珍しかったので、一時だけ城に置いてやっていた」

『その後…自ら去ったと?』

「…そうだな。この書物は、この城で滞在するのを許可する代償として、預かったのだ」

『日本語…あんたに読めるの?』

「…いや。成程、あれは日本語という言語なのだな」

読めないとなると…誰かに翻訳させたのかな?

彼らの会話を聞いて、私はふとそんな事を思った。

「まぁ、如何にしてその本を読み説いたかについては、そなたらが知る必要はない。それよりも…」

『!』

気がつくと、私の顔の目の前に、ベフリーの顔があった。

「もう察しているだろうが…君を招き入れた理由は無論、狼共をここにおびき寄せ、目の前で絶望を味あわせる事。そして、もう一つは…」

話している最中、ベフリーの紅い瞳に私が映る。

そして私の瞳にベフリーが映る一方、心臓は強く脈打っていた。

「同族に変え、わたしの伴侶とするためだよ」

『同族に…ですって…!?』

その言葉を聞いた途端、黙っていたサティアによる驚きの声が響く。

「何を驚く事がある…?わたしは、他の血が入っていない、純血の吸血鬼ヴァンピールだ。人間を吸血鬼どうぞくに変える事など、訳ない」

嫌…そんなの、絶対に嫌だ…!!

『…沙智と同じように、あたしだって嫌よ。人間でないとはいえ、あんたなんかに屈するつもりはないわ…!!』

「…悪いが、君らに拒否権はない。肉体をわたしが支配している以上、意志で抗おうが、無駄な事だよ」

それでも、私は…!!

この時、私の脳裏には先ほど夢に出てきた声を思い描いていた。

「…ならば、この先起こる事に何も口だしせずにいれば…先程の日記を返してやろう。…それでどうだ?」

『あのね…そういう問題じゃないでしょ、今は!!』

ベフリーの言葉に、サティアの声は苛立ちを見せていた。

「…だが、“君”の中にいる“彼女”はどうかな…?」

そう呟きながらベフリーはクスッと哂うが、私は今の言葉がほとんど耳に入っていなかった。

それより、何故お父さんがこの時代に…?迷い込んだという事は時間旅行タイムトラベルでも仕事関係でもない。いや、それよりも…“仕事で会えない”とは聞かされていたけど、現代あっちの外国にいるとしか聞いていない…。他の時代にいたなんて、一体どういう事…!?

私の頭の中は、混乱していた。それでなくても、吸血鬼に捕らえられた恐怖を抱えていたのだ。下手すれば精神が崩壊してしまうかもしれない。


「ベフリー様…侵入者が」

「…来おったか」

混乱する私を正気に戻らせたのが、今聴こえた一言だ。

気がつくと、ベフリーの後ろに跪いて報告する部下の姿があった。

“来おった”って、もしかして…!

『その“もしや”だと思うよ。でも、よくこんな敵の巣窟に…』

でも、彼らはこっそり侵入したつもりなのかも…私に彼らの“声”を聞く能力があればいいのに…

そんな事を考えていると、いつの間にか肩を抱き寄せられて歩いている自分に気がつく。

「…それでは、奴らに絶望を味あわせるとしよう」

『何をさせるつもり…!?』

「…行けばわかる」

そう一言呟いた吸血鬼は、私を連れてその場を後にする。



パーティー会場…?

ベフリーに連れられて訪れたのは、城の大広間といえるような広い場所だった。天井には巨大なシャンデリアがあり、中世ヨーロッパを象徴するゴシック風な造りの中、多くの男女が音楽に合わせて踊っている。そこはまるで、文献でしか見たことのないような舞踏会だ。

「さて、淑女レディ。…わたしと踊って戴けるかな?」

『…拒否しても、どうせ踊らされるんでしょ?』

「ふ…まぁ、それもそうだな」

突然、ベフリーは作法にのっとった形でお辞儀をしてくるが、サティアは皮肉をこめた返事を返していた。

自分の意志で肉体を動かせないのは何とも歯がゆかったが、この時ばかりは少し良かったと思う自分がいた。というのも、私は社交ダンスなるものは全くやった事がない。一人でにベフリーの手を取った私の身体は、相手のエスコートに合わせてステップを踏み始めたからだ。

数分間の間、私とベフリーは曲に合わせて踊り続ける。

何故こんな事をやりだしたのか、理由はわからない。しかも、踊っている男女が時折向けてくる視線が、殺気のようでとても居心地が悪い。一方で、無理やりとはいえここで実践した社交ダンスは“技術”の一つとして、ハードディスクに保存されたのである。こういった危機的状況になって初めて新たな知識を得るのは、何とも皮肉なものだ。

このかんじは…

心の中では緊張状態の私の中に、いくつか異なる“気”を感じ取っていた。ただし、感じたり消えたりなので確証はないが、これまでにも感じたことがある感覚だったので、それがウェイヴ族の気配としか考えられないという結論に至る。

「…考え事かね?」

「!」

ベフリーの声を聞いて、我に返る。

肉体は操られているが、顔は難なく動かせるので、考え事しているのが表情でばれたのだろう。私は、相手が心を読む力を持っていない事を幸いと感じていた。

「何を考えているかは知らぬが、弱き人の子である君が、わたしから逃れるすべはないぞ。…ご覧」

私しか…!!?

踊りながら会話する私達は、ターンをしながら、壁に飾ってある姿見の前を通る。そこに映っているのは、私だけ。この場に数十人くらいの男女がいるのに…だ。それの理由は、すぐに判明した。

『ここにいる連中は皆、吸血鬼ヴァンピールって事ね…!』

皮肉る口調で、サティアは吸血鬼をドイツ語読みで口にする。

「さて、無駄話はそのくらいにして…」

深みのある笑みを浮かべながら、ベフリーはその場に立ち止まる。

気がつくと、会場のど真ん中に私達は立っていた。

「人を吸血鬼ヴァンピールに変える方法はただ一つ。…誓いの口付けと吸血。そして…我の血を与える事…だ」

沙智このこに何かしてみなさい…ただでは置かないわよ…!!』

「ほぅ…どうするというのだ?肉体の主導権は、もう一人のそなたにあるのであろう?その肉体を支配しているのがわたしなのだから、そなたが何を言おうと無駄な事だ」

『…それはどうかしら』

サティアの意味深な言葉に、私は一つの確証を得た。

ダンスを踊っている間、彼女はスピーカーで聞こえないよう、いつものように私の頭の中に声を響かせていた。誰に何を伝えているのだろうと疑問に感じていたが、サティアが誰と会話…というよりは一方的に話していたのかに気がついたのである。


「ぎゃぁぁぁぁぁぁっ!!!」

その後、近くにいた一人の男性から悲鳴が聞こえる。

振り向かされた先に見えたのは、落ちてきた蠟燭による火が肉体に燃え移り、激しく燃え始める姿だった。それを見た他の吸血鬼達は、一斉に動揺の表情かおを見せる。

「ぐっ!?」

「!!」

その直後、風を斬る音と共に、ベフリーの苦悶の声が耳に入る。

…フリードリッセ…!?

突然、誰かに担ぎあげられたかと思いきや、見えた背中のたくましさから、一瞬そう思っていた。

「…サティアの言う通り、本当に声を奪われているんだな」

『奴をたたきのめしたら、元に戻してもらわないとね』

私を担いで走る中、フリードリッセとサティアの会話が続く。

『普通の吸血鬼やつらは炎でひるむかもだけど…奴はそうもいかないかも…』

「同感だね」

『…沙智が“フリードリッセ以外にもウェイヴ族の人たちは来ているのか?”ですって』

会話の中、サティアが私の言葉を代弁する。

「ああ。俺の他にはオルカンやスタイリン…それに、アングストも来ている。ただし、村の守りを手薄にするわけにもいかないから、この場に来ているのは俺達4人だけだ」

そっか…

それを聞いた私は、安堵のせいか力が抜けたような心地がした。

最も、肉体はまだ自由が利かないので、まだ不安は消えないが―――――――――

『とにかく、完全に逃げきるまで油断できないわね』

サティアの声がヴィンクラのスピーカーから響く中、私達は吸血鬼の城の中を走り抜けていくのであった。


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