第8話 チェインバーメイドをやりながら

  『お前の血…こいつは極上だな…』

私が名門伯爵家であるラビクリト家の家女中メイドとして働き始めてから、2日が経過した。

屋敷の階段にある手すりを拭き掃除していた私は、伯爵の一人息子・エレクが言っていた言葉を思い出す。あの日、互いの秘密を守るために私は血を差出し、彼は自分の血を食らった。血に味の違いがあるのかはわからないが、貪られる痛みの中で彼は今のような言葉を口にしていたのだった。

『今回のキーワードは“ヴァン”だったけど、まさかあのお坊ちゃまがログイン相手だったとはね…』

手を動かしている一方、頭の中でサティアの声が響く。

 血を吸われて痛いはずなのに…一度牙を立てられた後に感じた、この感覚は一体…?

私は彼がつけた牙の痕がある左胸を抑える。メイドの制服を着ているので、一見しただけではわからないが、まだ傷が塞がってはいない状態だった。その時の事を思いだすだけで頬が熱くなり、胸が緊張とはまた異なるかんじで強く脈打つ。おでこは熱くないので風邪の類ではないだろうが、自分が先日の“体験”で何かを感じ取ったのだろう。

『…』

いつもだったら何かしら口にするサティアだったが、この時は黙ったままで何も口にしなかったのである。

 そういえば。私ってずっと“ハウスメイド”のままなのかな?

私は眠気を振り払いつつも、そんな事を考える。ラビクリト家は一族のほとんどが吸血鬼であるのため、使用人達も昼夜を逆転して働かなくてはならない。この2日で知った事だが、この屋敷に仕える使用人は、伯爵家の者達専属の執事以外は皆普通の人間らしい。また、普通の使用人の中で彼らが吸血鬼ヴァンパイアである事を知っているのは、家女中長ハウスキーパーであるニコラさんだけらしい。

因みに、この時代のメイドにはいくつか種類があり、コックの指示のもと、台所のひととおりの仕事をこなすキッチンメイドや、給仕と来客の取次ぎ・接客を専門職であるパーラーメイドの他にも多くの家女中メイドが存在する。専門職を持たない現在の私としては、ハウスメイドという屋敷内の事を一通り行う総合職のようなものにあたる。また、パーラーメイドなんかは接客担当であったため、容姿の良い者が採用され、制服も専用のデザインが施されているらしい。

 可愛い生地とかなら着てみたいけど…まぁ、容姿がどうの…でパーラーメイドになる事はないだろうな…

私はまず、自分がパーラーメイドになる事はないだろうと思っていた。


「貴女には明日から、チェインバーメイドとして、主に寝室や客室等の部屋の整備を担当してもらいます」

その日やるべき仕事を終えた後、ニコラさんに呼び出された私に、今のような指令が下る。

「畏まりました。…しかし、何故私が…?」

自分の担当が決まったのは良いが、何故そうなったのが不思議でたまらなかった。

すると、家女中長ハウスキーパーはため息交じりで口を開く。

「理由の一つは、ここ2日間で我ら家女中メイドがこなす仕事を一通りやったのを見て評価したため。2つ目は…エレク坊ちゃんの命です」

「!!」

その名を聞いた途端、私の表情が強張る。

『あのガキ…どういうつもりかしら…?』

少し苛立った口調で呟くサティアをよそに、時間は徐々に経過していく。



「よいしょっ…と。…よし、できたっ!」

翌日の明け方、一区切りついた私は部屋を見渡す。

床にゴミは残っていないか。ベッドメイキングは完璧か等、確認すべき項目が多い。元々チェインバーメイドとは、女主人の寝室の掃除やベッドメイキング、女主人の服装の世話が主らしいが、ラビクリト伯爵の奥さんにはちゃんとしたレディスメイドがいるため、私の仕事は普通に寝室や客間の整備のみであった。

 “エレク坊ちゃんの部屋は最後にしなさい”ってニコラさんに言われたけど…何故だろう?

そんな事を考えていると―――――――――――

「俺が、あの婆さんに命じたんだよ」

「わっ!?」

「よぉ」

突然背後から声をかけられたので、声が裏返る。

振り向くと、そこには蒼髪の青年・エレクが立っていた。彼の表情は何か良いことでもあったのか、顔がにやけている。

「エレク…坊ちゃま。それって一体どういう意味ですか…?」

「…ここではエレクでいい。それに、敬語もな。どちらもうざったいし」

「…わかった」

『順応早いわね』

少しはぐらかされてしまったが、ここまでテンポ良く会話が進んでいた。

 えっと…気を取り直して…

「血、吸わせろよ…」

「えっ!?」

理由を訊く間もなく、彼の顔がすぐ近くにあった。

思わず後ずさりをするが、左腕が私の背後に回っていたようで、いい具合に抱きとめられてしまう。

「わっ…ちょっと…!!?」

一瞬の内に抱きあげられた私は、突然のお姫様抱っこに頬を赤らめる。

「突き飛ばしてばかりじゃつまらねぇからな。それに、首から吸えねぇなら立ったままという訳にもいかねぇし…」

笑みこそ不気味で怖い雰囲気だったが、それとは裏腹にベッドまで運んでくれるという行動はどこか優しいかんじもした。

 何だか意外…。もっと乱暴な奴かと思っていたのに…

私はエレクに抱きあげられている間、不意にそう考えていた。無論、この台詞ことばも相手に読まれていたので、彼がニヤッと嗤ったのは言うまでもない。

「…ってそうだ!」

ベッドに寝かされ自分の上にエレクがのしかかってきた時、訊こうとしていた内容を思い出す。

「何故、私をチェインバーメイドにするようニコラさんに言ったの…?」

『…やっと思い出したようね』

問いかけた直後、頭の中にはサティアの呆れた声が響いていた。

それを聞いたエレクは、少し不満そうな表情かおで私を見下ろす。少し考え込んだ後、意地悪そうな笑みを浮かべて口を開く。

「使用人にも多くの仕事があるが、チェインバーメイドなら、自然と主の部屋に入れるだろ?…そんで、俺様の部屋を最後にさせれば、そのまま俺も食事ができるっつー訳だ」

「…食事?」

「…本当にお前、自分の立場をわかっていねぇんだな」

きょとんとしたで問い返すと、エレクは少し呆れたような表情をしていた。

「食事は食事。…それに、この俺様が餌であるお前の血を褒めてやったんだ。人間が好きな食べ物をたくさん食べるのと同じように、俺達も何度だって食らいたくなるって事だよ」

「あ…」

2日前、彼が“極上だ”と言っていた台詞を私は思い出す。

「悪ぃが、お前に拒否権はない。親父に雇われた以上はラビクリト家の物。強いては、俺様の所有物ものって事だ…わかったか」

「!!」

すると、彼の人を物扱いする言動に憤りを感じる。

「くくっ…いいじゃねぇか、その表情かお。俺は、気の強い女は嫌いじゃないぜ?」

本気で苛立っているのに、エレクはそれすら楽しんでいるように見える。

「…まぁ、吸いすぎて殺しちゃあ今後も楽しめねぇしな。死なない程度に加減してやるよ」

「っ…!!」

耳元で囁かれたかと思うと、吸血鬼は私の左耳たぶに牙をあてがう。

皮膚が破れるのを感じた後、舌の感触を強く感じる。流れ出た血を舐めているのだろうか。

『沙智…』

サティアが、私の名前を呼んでいるのが聞こえる。

ただ、エレクに暴言を吐かない所を見ると、彼女は危険がないと判断したためだろうか。それとも、私が弄られているのを楽しんでいるのか―――――――――小さい頃から一緒とはいえ、人ではない彼女とて、私自身が今考えている事はわかるはずもない。そこが人と人工知能の違いなのだろうか…そんな事を考えながら、時は過ぎていく。


それからほぼ毎日、私は自分の仕事の後に彼から血を吸われる事となる。何度か逃げだそうとも思い、忍の技を駆使して逃れようとはしたものの、心を読む能力で先を読まれ結局吸われる―――――――そんな日々が続く。しかし一方で、餌として血を吸われることに慣れてきてしまっているのを薄々感じていた。


「俺達一族は、祖父ジジイの代で大英帝国このくにに移住したんだ」

ベッドの中で、エレクはゴロゴロと寝ころびながら語る。

血を吸われる日々が続くも、吸われた後はこうして何かしらの事を語ってくれた。かつてエレクの一族は東欧に住んでいたらしく、多くの争いや天災の影響もあって移住を決意したらしい。この時代における貴族の暮らしぶりや、吸血鬼一族の縦社会など。今まで聞いたことがない話ばかりだ。

『伊達に長男ではないという事ね』

「…だな」

サティアの呟きにも、何らかの反応を示す。

血を吸われる前はあんなに怖くても、その後で語られる話に私の興味関心は尽きない。

「今でこそほとんどないが…東欧にいた頃は、天敵ともいえる狼族との争いが絶えなかったそうだ」

「…どうして、エレクのご先祖様はこの国に移住したんだろうね?」

「…さぁ。知らねぇよ、そんな事。ただ…」

「ただ…?」

何かを言いかけた彼の隣で、私は首を傾げる。

血を吸われた直後は大抵貧血で動けないため、私もベッドに横たわっている事が多い。あまり考えると相手に読まれるので口にしようとは思わなかったが、彼が話してくれる内容は情報保存ハードディスクに保存するには最適で、貴重な話ばかりであった。

後から知る事だが、彼ら吸血鬼にとって狼族は天敵であり、吸血鬼狩人ヴァンパイアハンター 以外で唯一、彼らを滅する事ができる種族だという。

「…そういえば」

「?」

視線を天井に向けていた青年は、不意に私へと視線を下す。

「明日の晩、屋敷うちで饗宴が催され、同胞がたくさん来る。泊まる奴らも多いだろうし…お前らが忙しくなるんじゃね?」

「!!」

その台詞ことばを聞いた私は、心臓の鼓動が大きく脈打つ。

 それで、ニコラさんは「近い内に大仕事があるかも」みたいな事を言っていたんだ…!

私はこの時、家女中長じょうしから言われていた事を思いだす。

「エレク…?」

俯いていた顔を見上げると、そこには目を細めて考え事をしている蒼髪の青年の顔が映っていた。

「…何でもねぇ」

「??」

その後、はぐらかされてしまい、彼が何を考えているのかその時は気が付かないで終わってしまったのである。



 うー…早く終わらせなきゃー!!!

翌日、エレクが言っていた通り、屋敷で晩餐会が催される事となる。客が来る前はもちろん、来た後も宿泊する客のために、客室や寝室を整備しておかなくてはならない。

チェインバーメイドの仕事は専門職とはいえ、一つの部屋でやるべき事は多い。寝室の掃除はほこり単位でチェックがあるし、ベッドメイキングもちゃんとやらないと怒られる。

また、普通の貴族の元で働くチェインバーメイドにはない仕事が、ラビクリト家にはあった。

「薔薇…」

私は、ふと窓際に飾ってある赤い薔薇が目に入る。

普通の貴族と異なる事の一つは、一部屋一部屋ごとに赤い薔薇を飾っておくことだ。そのためチェインバーメイドは、庭師ガードナーが育て・手入れした薔薇にも気を配らねばならない。

『…きっと、血の代わりに食べるんじゃない?』

「食用?」

『…考古学研究所あそこの所員達が昔、吸血鬼は人間の血以外だと、動物の肉や薔薇を食す…なんて話していたのを聞いたことがあったなと思って』

「ふーん…?」

サティアと今のような会話をしながら、私達は薔薇に見入っていた。

 …紅い薔薇…か。この色を見ていると、血を連想しちゃう…

そんな事を考えながら、私は二の腕を掴む。ヴィンクラや臓器補助機の関係で首や四肢の付け根にはないが、身体の至る所にエレクがつけた噛み痕がある。無論、今掴んでいる二の腕にもだ。

「…今はとにかくっ!!仕事やらなきゃ…!!!」

我に返った私は、すぐに止めていた手を動かし始める。

担当している区域がこの部屋だけではないので、急いで移動していかなければならない。客はベッドで寝る者もいる一方、吸血鬼なので棺桶の中で眠る人もいる。そんなベッド代わりになる棺桶の整備も、私のようなチェインバーメイドの仕事であった。

「…っ!?」

突如、指先に鈍い痛みが走る。

どうやら、薔薇にある棘に刺されたようだ。

 …この時代はまだ絆創膏ないだろうし…。かといって、包帯巻く程の怪我でもないしなぁ…

ただの切傷なので放置しても大丈夫だろうと考えた私は、傷口を軽く舐めた後、次の部屋の整備をするために、その部屋を後にする。

しかし、私は知らなかった。吸血鬼ヴァンパイアと呼ばれる彼らが持つ嗅覚の鋭さを。そして、自分の血が他の人よりも強い匂いを放つ事を―――――――――


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