第3話 頼まれごとと命令と
『今度のパスワードは、“隠れ”みたいね』
「“隠れ”…。この時代、まだ忍びとかいないはずだし…何を意味するんだろう?」
私が歩いていると、サティアがそんな事を呟く。
それに対して私も、独り言のように返事をする。
今回、私たちが降り立ったのは、平安時代の京都。最初にたどりついたのは都から少し離れた村落である。
服装は前回いた時代のままだったため、かなり不審がられた。しかし、親切な村民から使い古しの狩衣をもらい、現在に至る。
その時代を象徴する物や人物にまだ遭遇していないから、一概に何処と断定できないんだよね…
私は、ヴィンクラに入っている百科事典を一読しながら歩く。
周囲は活気に満ち溢れていて、町民がいろんな物を売り買いしている。
『平安時代って、やたら高貴な連中が歴史に名を残しているわよね?』
「うん…私も、藤原道長だったら文献で見たことあるけど…」
なるべく小声で話しているので問題ないが、堂々と話していたら周りに怪しまれるだろう。
周囲でいろんな物音が響いているからこそ、できる会話であった。
毎度の事だが、私たちは時空を超えるたびにたどり着いた時代で、“情報保存のハードディスク”をログインできる声を持つ人間を毎度探している。ログインに必要なパスワードはその世界に着いて初めて知る事となり、サティアの口から伝えられる。
世界旅行した時みたいに、すんなり相手が見つかればいいんだけどなぁ…
『…』
そんな事を考えていた私だったが、サティアは何も言わなかったのである。
賑やかな市場のある大通りから脇道を入ると、周囲の風景は貴族の邸らしき
「!」
気がつくと、数メートル先から牛と、牛がひっぱる車のような物が近づいてくる。
「あれは確か…」
近づいてくる物が何かと思い、私はヴィンクラを操作する。
それによって、“
牛が引っ張る訳だから、物凄く遅いんだろうな…
そんな事を考えていると、牛車に垂れ下がっている暖簾らしき物の隙間から、人の姿が見える。
文献で見た“烏帽子”を被っているという事は…あれは男の人?
『…いつも思うけど、沙智って視力だけは、ずば抜けて良いよね』
私が中に乗っている人を見つめていると、サティアが感心したような声で呟く。
「…まぁ、“最も健康な部分”だしね」
サティアの呟きに対し、私はフッと哂う。
未熟児で生まれた私は、臓器補助機に頼らなければならないほど、身体が弱い。機械が組み込まれているのは、心臓近く・両腕の肘・両足の付け根の部分。しかし一方で、視力は2.0と幼少時からの視力を保ち続けている。
「あ…」
その後、牛車に乗っていた男の人と目が合う。
相手は目を丸くして驚いているような雰囲気だったが、すぐに目を逸らしてしまう。
『ほら…あんたも!そんなに
「そ…だね。わかった…」
サティアに促され、ようやく我に返る。
視線を下した私は、道の端に立ってお辞儀をする。そんな自分の前を牛車はゆっくりと通り過ぎて行く。それを確認した私は頭をあげ、ゆっくりと数歩歩きだしたその時だった。
「…そこの御仁」
「えっ…?」
突然、後ろの方から男の人の声が聞こえる。
思わず振り向くと、動いていた牛車がその場で止まっていた。すると、上から垂れている暖簾が揺れ、それを持ち上げている男性が現れる。上下共に黒い装束は、おそらくこの時代の役人が身につける“束帯”という物だろう。体格がよく、少し強面な雰囲気を持った男性は、私に視線を下すと閉じていた口を開く。
「先程の事から察するに、そなたは遠くまで見渡せる
この時私は、この男性の顔を初めてしっかりと見た。
表情は硬いが、20代くらいの若い男性のようだ。
「はい…。遠くを見るのには、長けていますが…?」
私は、少し戸惑いを感じながらも、疑問形で返す。
さっき驚いていたのは、目がいいのを悟ったからかな…?
私はこの時、そんな事をふと考えていた。
『この男…もしかしたら、武人かもしれないわね』
「?」
サティアの言葉に、私は首を傾ける。
その行為を不思議に思ったようだが、特に気にしていないような
「その目を見込んでお頼みしたい事があるのだが、今から拙者の邸に参ってはもらえぬか?」
「!!」
その台詞に、私は目を丸くして驚く。
まさか、初めて会った人に頼みごとをされるとは思わなかったからだ。
サティア…どう思う?
『確かに、全く怪しくないといえば、嘘になるけど…。ただ、このまま都をほっつき歩いていても意味ないし、駄目モトで受けてみれば?』
私がサティアに助言を求めると、彼女は大丈夫そうな返答を返す。
「…わかりました。私は沙智と申しますが、貴方は…」
「…おお、かたじけない!拙者は、源頼光たる者。では、沙智殿。まずは牛車へ…」
源頼光という男性は明るい笑みを見せた後、私に手を差し伸べてくれた。
その手を取った私は、彼の住む邸へと案内されるのであった。
頼光の牛車に乗って向かった先は、割と大きな邸。サティアは彼を武人と言っていたが、この規模は間違いなく貴族。廊を移動中、外に広がる庭を見つめながら、どんな話だろうと考えていた。
「では、沙智殿。貴公にお頼みしたい儀についてご説明致す」
「…はい」
客間らしい部屋に案内された私は、腰を落ち着かせ話に聞き入る。
「拙者、内裏に出仕する武官なのだが、近く“射場始”という宮中の催しで弓を射る儀式にて弓者の命を賜っている」
「弓…」
この時私は、意味はわからないが、昔に研究所の誰かがその名前を口にしていたのを思い出していた。
「うむ。その儀式では拙者以外にも数人おるのだが、その内の一人が先日、
『…咳を伴う病気。要は、風邪って事よ』
少し困惑した表情で説明する頼光さんに対し、飄々とした口調でサティアが
「そこで、遠くを見渡せるそなたを見込んでお頼みしたい。その者の代わりとして、儀式に参加をしてはくれぬか?…この通り!!」
「えっ…ちょっと…!?」
突然、頭を深く下げて土下座のような態勢になったので、私は驚いてしまう。
しかも、相手は年上かつ体格もかなり良くて背丈のある男性だ。そんな迫力ある人に頭を下げられたのだから、戸惑ってしまう。少しの間だけ、両者の間に沈黙が続く。一向に頭をあげない頼光さんと、戸惑っている私。
…でも、儀式って事は公の場に出るって事よね?ログイン相手を探すには、もってこいかも・・・?
そう考えた私は、その申し出を受けることにした。
「…わかりました。私で良ければ、代わりを務めさせて戴きます」
「おお…!」
すると、武人は半分だけ頭をあげる。
その表情は、安堵しているようだった。
「頼光様。客人でございます」
「…斯様な刻限に…誰だ?」
「安倍晴明様にございます」
「!」
御簾の外から使用人の声が聞こえ、来訪した客人の名を告げた。
その名を聞いた頼光さんの表情が、少し険しくなる。
これも、どこかで聞いた事あるような名前だけど…あった!
武人が使用人と話している間、私はこっそりヴィンクラを操作して、今上がった名前の人物を調べていた。
“時の人・藤原道長に仕えた稀代の陰陽師”…か。陰陽師って確か…
百科事典の説明に目を通しながら、指で次の操作へ移ろうとしていた。すると―――――
「わっ!!?」
いきなり見知らぬ男性に顔をのぞきこまれたので、思わず後ずさりをしてしまう。
「晴明!いきなり失礼ではないか!」
気がつくと、その男性の後ろにはあきれ顔の頼光さんがいた。
そんな彼の声など聞いていないかのように、安部晴明という人物は口を開く。
「女子であるにも関わらず、斯様な
「!!」
『こいつ…!?』
晴明の
「さ…沙智殿が、女子!?晴明、何を…」
「頼光…。そなた、斯様にわかりやすい男装を、何故見破れぬ?」
驚く頼光さんに、安倍晴明は少し呆れていた。
『どうやら、あの
サティアの呟きに黙ったまま、首を縦に頷いた私であった。
「さて、晴明。本題に入るとしようか…。何故、申の刻(=夜の8時頃)という今に参った?」
気を取り直した頼光さんは床にドッカリと座り込み、話を切り出す。
「…素性の知れぬ者の前で、本題と申されてもねぇ…」
晴明は嫌味ったらしい口調で話しながら、一瞬だけ視線をこちらに移す。
…全部が全部は無理だけど、ある程度は話さなくては駄目か…
『怪しまれない程度にね…』
私は陰陽師の台詞に、ため息をつく。
しかし、見知らぬ人のいる場所で大事な話ができないというのは、道理に叶っている。とりあえず、旅の途中で衣服が汚れてしまい、男物の装束しかないので男装をするようになった。頼家さんにはひょんな事から、遠くを見渡せる目を持つ故に弓を射る儀式に出てほしいと頼まれた事まで話した。
「…射場始に出すという事ですね。…確かに、物の怪のような気は感じませんので、とりあえずは信じてやるか」
「…では、晴明。本題の方を…」
「ああ…」
私の話に納得してくれたのか、手にしていた
しかしそれもすぐに終わり、大きな音と共に蝙蝠はたたまれ、地に落とされる。
「
「隠れ陰陽師…」
「!!」
本題を切り出した晴明の
すると、私の後ろ首筋に装着されているヴィンクラから強い振動が発生し始める。突然の出来事なので、私は身体を一瞬震わせた。
ログインできた…という事は…!
今の台詞によってハードディスクのログインができた事で、私は今回のログイン――――――強いてはログアウトの相手である源頼光を見上げた。ログインできた直後は、空っぽだった自分の中に血が流れ込むような不思議な心地を感じる。この感覚を口で表現するのは容易ではない感覚を、私は毎度味わっていた。
『ちゃんと、思い出せたわよね?“弓”がどんな武器かを』
ログインしたのを確認したサティアが、私に声をかけてくる。
彼らは話をしている最中なので、気づかれないように軽く私は頷いた。
「…因みに、わたしのように陰陽寮に属し、王家に仕える陰陽師を官人陰陽師。法師の姿を成す者を法師陰陽師という。それらに属さぬのが、“隠れ陰陽師”…。その多くは民をたぶらかし、偽の力を使う邪な者が多い…。が、此度探す事となった男は、元は官人陰陽師だった者だ」
「成程…。では、その者は陰陽寮で何かしでかしたと?」
「…ああ。当時わたしは道長公の命で諸国を回っていたのでな…詳しき事は知らぬが…」
晴明と頼光さんは、深刻な表情をしながら会話を続ける。
「…では、拙者の元へ参ったのは…」
「…ああ。術師だけでは心もとない故、武人たるそなたを同行させよという事か」
「…相わかった。ただ…」
「?」
どうやら、晴明からの頼みごとを彼は承諾したようだ。
しかし、その後の言葉で頼光は、少し言いづらそうにしているのが見てわかる。
「ここにいる沙智殿に弓の射方などを教え、射場始が終わってからでもよいか?」
「…相分かった。それに、わたしも己で調べたき事があるからな…では、今宵から三度の夜が明けた頃に、いと詳しき内容を話そう」
「承知した」
頼光の提案に、晴明は反対の意を全く示さなかった。
おそらく、彼は“すぐには動けないだろう”と予感していたのかもしれない。
「…ああ、そうだ」
話がまとまり、陰陽師は何かを思い出したかのように、握りしめた右手で開いた左手を軽く叩く。
「今宵の話は当然、他言無用。また、そなたにも手伝ってもらいましょう」
「え…私!!?」
晴明がこちらを見ながらそう述べたので、それが自分の事である事を瞬時に悟る。
しかし、ログイン相手が頼光とわかった以上、彼と離れて行動するのはあまり得策ではない。そのため、私に否定する余地はなかった。
「…私は晴明殿みたいに陰陽術を使えませんし、武官ではないので頼家さんみたいに武芸に秀でてもいません。…それでも…ですか?」
「此度、わたしの占いで“道を指し示すであろう女子が現れる”と出ていたからな。百発百中である我の占い故に、お前がその女子だと考えたのだ」
「あ、そう…」
占いをあまり信じていない私は、その場で脱力した。
この時代の人は、結構占いとか信じているんだ…
呆れつつも、面白いヒトコマがヴィンクラにあるハードディスクに保存された。こうして、しばしの間だけ頼光さんの邸に居候する事となる。ログインできたので、あらゆる知識をこの身で体験し、蓄積しようと改めて考えたのであった。
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