周りから見た彼女の話

ベティーと奪われた首席の座

 え、と耳に届いた間抜けな音が自分の口から零れ落ちた声だったと気付くのに数秒を要した。

 クラウフォルン衛士養成学校。

 ――庭と呼ばれる六つの領土と、どの領土にも属さない《無法の土地》とに分かたれたこの世界において《宝玉》を冠する庭の領内には、魔術の素養を持った者を衛士えいしとし持たざる者を兵士として育て、自庭の軍を担う人材とすべく教育を施すことを主たる目的とした機関が存在する。

 約五十の分校を各地方に構える庭立衛士・兵士養成学校の内でも本校に当たるクラウフォルン衛士養成学校では、明日に控えた冬季長期休暇を前に、後期終業式を終えて今年一年の成績と共に来年度の配属先が記載された通知表が配られていた。

 受け取ったそれを見詰めてただただ困惑する。

 金色に鍍金めっき加工された厚さ五ミリの金属板に綴られた文字はいくら読み返しても変わらない。

 二つ折りが可能なそれを閉じて、表紙の氏名欄を確認してもネヴェイユ・コウラン――私の名前が載るばかりだ。

 何かの手違い?

 いや、とつい数分前のことを思い返す。

 通知表を受け取る際には在籍するクラスにおいて総合の最終順位も共に告げられるが、所属する第三クラスで首位を獲得したネヴェイユは、しかし、どういう訳か。これ以上ない好成績であるにも関わらず、担当教官から何とも言い難そうな顔を向けられて「気を落とすなよ」と言われたのだ。

 クラストップの成績を持ってして何を気を落とすことがあると言うのか……。

 心当たりが一つもない訳ではない。

 後期の期末頃に定期テストと合わせて行われる飛び級の試験でネヴェイユは合格ラインに及ばず落第している。

 けれど、順当な昇級は叶えており、結果についても伝え聞いたのは数日前のこと。

 既に励ましの言葉はいただいている。

 そのことを指しているとは思えなかった。

 他に何かあったかしら?

 首を傾げて記憶を辿りながら開いた通知表に記載されていたのが、これ。

【次年度配属先】

 第一師団第一連隊第四クラス第一大隊第一中隊第一小隊における防諜及び管理分隊並びに第二班

 なお同時に第四クラス第一大隊隊長へ任命するものとする

 ――総勢約七万名の全校生徒によって編成された学生軍における配属先は本人の志望による場合を除き収めた成績によって決定されるものである。

 履修レベルに応じてクラスが上がることから、これは一年置きに改められる。

 次年度の第四クラスには今年度で第三クラスまでの履修を終えた者が配属されるので、最終順位で首位に立ったネヴェイユが本来告げられるべき配属先は第一小隊第一班だ。

 何らかの手違いではなく、定めに則ったものであるとするなら首位に立った自分よりも好成績を残した者がいるということ……。

 首位より上なんてあり得る?

「ベティー」

 愛称を呼ばれて振り返る。

 同じように通知表を受け取ったレイ・レノ・ユーツェント――第一クラスの折りより次席に着き、今回の最終順位でも二位にその名を綴った男子生徒が顔に困惑を滲ませながら、言葉に悩むように何度か口を開けては閉じた。

「その、次の配属先についてなんだけど……」

「レイリーも?」

「ということは、ベティーも?」

 頷いて肯定を示す。

 彼の配属先も今年度の成績に反して繰り下がったようだ。

 まさかと思いながら第一小隊の面々に結果が行き渡るのを待てば、ほとんど全ての隊員に成績と合わない班への配属が通達されており……どういうことかと、ざわめきが広がった。

「静かに!」

 教官から叱責が飛ぶ。

「騒ぐ理由はおおよそ察しがついている。しかし、それが正式な決定であり、各々受け止め来年に励むように。質問がある者は後から受け付ける」

「はっ!」

 同講義室内にて行われている第二小隊、第三小隊への通知表の受け渡しがまだ済んでいない。長期休暇に入るにあたっての諸注意だとか新年度に合わせたの予定の確認だとかもあり、散開の合図が出せる状態になるまでしばしの間待て、ということらしい。

 ――そうして、合図が出された後。

 質問者から声が掛かる前に講義室を出た教官を私はすぐに追い掛けた。

 廊下の先で呼び止めれば、やはり来たかと言わんばかりの面持ちで迎えられる。

「質問をよろしいでしょうか」

「来年度の第一班班長についてだな」

「はい。しかし、班長……ですか?」

 班の構成は次の通りとなっている。

 同小隊に組みする五つの分隊――工作分隊。情報分隊。外交・経済分隊。医療分隊。防諜及び管理分隊――からそれぞれ一名あるいは二名を選出し、総数を五名または六名とする。

 また、班長の職に就くのは防諜及び管理分隊(以降、防管分隊と表記する)の者であるが、小隊長以上の団長・隊長職を与えられた者――軍団長から始まって師団長、連隊長、大隊長、中隊長、小隊長がこれに含まれる――も防管分隊に属し、班長職を兼任出来ないものとされている為、班員にいずれかの団長・隊長が組みする場合は情報分隊所属の者が班長職に就くこととなる。

 つまり、ネヴェイユの上に立った相手は防管分隊に属するも小隊長の職さえ与えられていないということだ。

 何故?

「第一クラスから飛び級で上がってくる生徒で、色々と考慮した結果、隊長を務めるのは困難だろうという判断だ」

「第一クラスからですか?」

 思わず聞き返してしまった。

 だって、信じられない。

 第一クラスから第四クラスに上がるなんて……。

 ネヴェイユでさえ失敗した試験は、まず前期課程で一定以上の成績を収めなければならない。それから後期課程と飛び級分の履修内容を詰め込んだ特別講座を受け、一ヶ月置きに行われる受験資格の更新テストを全てクリアしてようやく本試験に挑むことが出来る。かなり厳しいものである。

 一クラスでも難しいそれを二クラス分。しかも、正規クラスの成績を押さえる形で、なんて。いったいどれだけの才能に恵まれれば叶えられるというのだろう。

 それだけの才能を持った者が相手なら、なるほど。

 首位と言っても所属するクラス止まりのネヴェイユに太刀打ちできないのも納得である。

「相手のお名前をお聞きしても?」

「ああ。ミゾレ・タカハシという女生徒だ」

 ミゾレ・タカハシ……。

 舌の上でその名を転がして記憶に刻み付ける。


 教官に礼を言って別れた後。

 一旦講義室へと戻った私は友人たちといくつかの言葉を交わし、それから事前にまとめておいた荷物を取りに寮の自室へと向かった。

 ……正直、信じられない気持ちが燻ったままで、何を喋ったかは覚えていない。

 相手の名前まで確かめたのに。

 頭の片隅で往生際の悪い私が、夢か、もしくは冗談なんじゃないかと考えている。

 今日が後期の最終日で本当に良かった。

 ――養成学校は全寮制だ。

 所属する班ごとに割り振られた部屋で共同生活を送ることになり、プライバシーなどといったものは存在しない。

 現実を受け止めて心を落ち着かせた上で今後を見直すためにも、まとまったプライベートな時間が欲しい今、もしも最終日でなければ大層頭を悩ませることになったろう。

 長期休暇に入れば約二ヶ月間――冬季であれば十二月の頭から一月の末日までの間、帰省の許可が下りるので、誰と憚ることなくそれを確保できる。

 ……家に戻ったらお父様にお母様、それにお祖父様にも。お時間をいただけるようであれば相談してみましょう。

 ネヴェイユの父は王位継承権第五位の大公である。

 そして、母は軍人家系の名門コウラン家の生まれかつ現宝玉軍元帥の娘。

 ――軍部最高位の息女とまつりごとを取り仕切る王家の子息の間に生まれたのだ。

 向けられる期待に応えて余り有るだけの才能にも恵まれた。

 自負があった。

 努力を惜しんだこともない。

 負け知らずとは言わないけれど、順当に行って勝ち得ることのできる最高の位――今回であれば首席の座――を逃したこともない。

 だから、少し、どうしていいか分からないでいる……。

 私は元帥の孫として、王家の血を引く者としてどう振る舞うべきなのか。

 期待を裏切ってしまった。

 私はどうしたらいい?


        *


 ネヴェイユの実家は養成学校から門を一つ抜けた先の中心都市――ノイシュベルグの住宅街にある。

 母方の親族が勤める軍の本部施設や父方の実家に当たる王城が学校と同じクラウフォルン地区にあり、これを囲う形でドーナツ状に展開しているのがノイシュベルグだ。

 規則としてクラウフォルン内を横断することが出来ないので、軍本部と王城から見て丁度中間となるような位置取りに建てられた家に向かうには街をおおよそ半周しなければならず、少し掛かるが遠いと嘆く程ではない。

 さて、失態を重ねない為にも帰るまでに一応の方針を決めて、相談する内容を絞っておかないと……。

 なんて考えながら寮を出て、帰省する他の生徒の波に乗る。

 街に続く門へと近付くにつれ、騒ぐ声がだんだんと大きくなっていくようだった。

 門の辺りで何かあったらしい。

 何だろうか。

 原因に視線を向けたネヴェイユは理由を知ってギョッとする。

 考えるより先に駆け出していた。

「お父様! お母様!」

 門兵の方に警護されながら通り過ぎていく生徒たちににこやかな笑みを浮かべて手を振っていた両親がこちらに気付いて振り返る。

「そのように急がずとも私たちは逃げませんよ、ベティー」

 朗らかな声で母は言った。

 それはそうだろうが、そういう話ではないというか。

 彼らの前で足を止める。

「いえ、あの……お二人揃って如何されたのかと」

 見るに仕事着ではなく、ラフな私服。

 軍や王家の遣いといった公的な用向きで養成学校を訪れたのではないのだろう。

 しかし、街に出掛けたついでに……なんて思い付きをそのまま行動に移すような方々でもない。

「私の耳は、あなたやお父様のように大きくはないけれど色んな音を拾えるの」

 両手をそれぞれ耳の裏に当てた母は少し得意げな顔をした。

 ――我々の住まう《宝玉の庭》では二足歩行で人型を取る種族が大半を占めているが、その見目は猫だったり鳥だったり牛だったり……と様々だ。さらに、歴史の中で混じり合い純血を保っている種というのも少ない。

 ネヴェイユの家族にしても、山羊の角に鷲の翼を持つ母に対し、父は人の頭に狼の耳を生やし、体も獣寄り。ネヴェイユ自身は二人から受け継いだ鷲の翼と狼の耳を備えている……。

 頭頂部で音を拾う獣の耳は外耳が手の平程はあり、人間と変わらない母のそれと比べれば確実に大きい。

「気分転換に寄り道でもしながら帰らないか? と、誘いに来たんだ」

 意味を尋ねる前に続いた父の言葉で二人の意図を理解して、恥ずかしいような、嬉しいような、申し訳ないような複雑な感情が湧き上がった。

 ――人事部所属の母の元には養成学校に通う生徒の情報が採用後の判断材料として集められている。

 次年度の配属先についても既に知るところにあるらしい。

 ……わざわざ学校まで迎えに来て下さらなくても、とも思うが。身分を考えたならネヴェイユが一人で帰路を歩むのは好まれないし、いつも送り迎えに足を運んでくれる使用人の代わりに、という話でもあるのだろう。

 嫁入りに合わせて文官へと転属した母は、それまでは戦場に出て武功を立てていたと聞く。コウラン家の者らしく腕の立つ人である。本人も対象に含まれるという点はさておき、護衛を任せて不安を覚えるということはない。

「申し訳ありません、首席の座を逃してしまい……何と申し上げて良いか」

「気にする必要はないわ。あなたの頑張りはきちんと耳に届いているもの」

 それより第一大隊の大隊長に選ばれたことを誇りなさい、と言われて少し心が軽くなる。

 落胆させてしまうことは免れないにしても、見限られてしまったらどうしようかと考えていたのだ。

 これから先ミゾレ・タカハシが同じクラスに留まるとするなら、その分、首位を取るのは難しくなる……。

 お礼の言葉を返答とすれば背中に手を添えられ、行き先を決めてあるらしい両親のエスコートに従って帰路とは異なる道へと足を向けた。

 持っていた荷物はそれとなく伸ばされた父の手に移り、立ち寄った衣装店で母の見立てた服に着替える。

 ウィンドウショッピングを楽しんだ後は、個室のある食事処で羽を休めることにして。

「……しかし、ネヴェイユを押さえて首席の座を勝ち取るとは……時々名前の上がる男がいたが、今回は彼が?」

 注文を終えてから料理が届くまでの待ち時間。

 寄り道の間にすっかり頭から離れていた話題を不意に蒸し返され、夢の世界の終わりを告げられたような気分になった。

 私は声が強張らないよう喉に神経を尖らせながら父の疑問にいいえと否定を返した。

 母が父の脇腹を小突いたのを見て自然と頰が緩む。

「レイリーではありません。第一クラスから飛び級で上がってくる女生徒で、ミゾレ・タカハシというお名前の方だと聞きました」

「飛び級で? 随分と才能に恵まれたものだな」

 目を見開いた父の気持ちはよく分かる。

 飛び級に際して発生する加点により通常の成績より上を狙えることは確かだが、加点はあくまでもクラスの違いによる基礎点の比重差を補うものであって、むしろ順位は元のクラスより落ちる傾向にある。飛び級後の配属先に期待はしないようにと教官からは注意を受けた。

「彼女のことを気にする必要はないわ」

 棘を含んだ声音に母を振り返る。

 あまり良いとは言えない表情に珍しい、と思った。

 母にしては珍しい。

「何かあるのか?」

 声を顰めて尋ねた父に母は視線を流した。

 ゆっくりと、赤い紅を乗せた形のいい唇を開いて密やかに毒を吐く。

「《不老の気狂い》が育て上げた愛弟子だそうです」

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