最終章 待ち望んだ再会

第140話 それぞれの時

 通りすぎる風が柔らかく、そして温かい。

 そよぐ風に乗り、どこかからか花びらが舞って行く。薄いピンク色をしたその花びらは仄かに甘い香りを運んで去っていった。

 目の前にはピンク色の花が咲き乱れる木々が並び、池の水面や地面の上にその花弁を落とし、さしずめそれが絨毯と呼んでも過言はないように見える。

 どこかの木に止まり、さえずる鳥の鳴き声が情緒あふれる景色をより一層際立たせていた。

「春じゃの……」

 そんな風景を、目を細めて手にしていた扇子でゆるゆると仰ぎながら見ていたまだ年若い女性がこの景色を堪能していた。

「今日散る花は、なぜか少々寂しく見える」

「……ヒミノ様」

「……そなた。ここへ来てどれくらいになるかのう?」

「もう5年にはなるかと……」

「5年か……。長いようで、実に短い年月じゃ」

 背後に座して控えている人物を振り返らず、ヒミノと呼ばれた女性はそう呟いた。

 その後しばし沈黙が過ぎ、ヒミノはふと手にした扇子をパタンと閉じた。そしてやや背後を振り返るように顔を傾けると、物憂げな表情を見せる。

「レルム……。ここに留まってはくれぬか?」

「……」

「そなたあって、傾きかけていたこの国は態勢を立て直すことが出来た。そなたはこの国の救世主と言っても過言ではない」

「いいえ。そのような事は……。私はただほんの少しのお力添えをさせて頂いただけです。全てはヒミノ様のお力でここまでこれたのです」

「……」

 ゆるゆると首を振り、真っ直ぐにヒミノを見るレルムに、ヒミノは今にも泣き出しそうな顔で振り返るとレルムに詰め寄った。

「ならば……ならばわらわ自身がそなたを必要だと申せば、そなたはここに残ってくれるか?」

 必死さを窺えるヒミノを、レルムは静かに見つめ返すがやはりその首はゆっくりと横に振った。

「私には、帰らなければならない場所があります。待たせている人がいるのです」

「ここへ来て、たった一度の連絡もしていないその者が、そなたを待っている保証などどこにもないではないか」

「いいえ、ヒミノ様。私は国に帰らなければならないのです。この国の再建の為に僅かばかり約束の時間を過ぎてしまいましたが、私は……」

「……」

 ヒミノの申し出を固く断ったレルムは、力なく項垂れた彼女を前にゆっくりとその場に立ち上がった。

「……申し訳ございません」

 レルムが静かにそう言い、頭を下げる。だが、ヒミノは顔を上げることもなくその場に顔を俯けていた。

 落ち込むヒミノの姿に去り難さを感じさせるが、それでも彼女に背を向けてレルムは長い廊下を歩き出した。

 踏むたびにキシキシと軋む廊下を歩きながら、レルムはぼんやりと思い返していた。

 五年……。この国に来て、早くも五年という月日が経った。

 デルフォスを離れて国という国を渡り歩き、気づけば最果ての国と言われていたジパニアに来ていた。

 あまり外部との関わりを持たない国のために、閉鎖的な国として有名だったこのジパニアで他国人間であるのレルムが仕えることになったのは、偶然とも呼べるものだった。

 レルムが訪れたとき、この国は長く日照りが続き食べるものも飲むものもままならない飢餓の国と化していた。そして国を治めているはずの王は何をするでもなく、横柄な態度を取り続けていたのだ。

 そんな王に付き従えるものもなく、国民の信頼は希薄してもはや国としての存在すら危ぶまれる状態だった。

 レルムは、追い返されることを覚悟でこの国に立ち入り王に謁見を願い出ると、王の気まぐれと重鎮達の希望によりすんなりとレルムは国に招かれることになった。

 他国からの支援に頼らなければ潰えるだけのジパニアにとって、レルムの存在が藁にもすがる思いだったのだろう。

 しかしレルムの助言を、始めは王は何かと理由をつけては跳ね除けていたものの、やがてそれを元に動き出そうとしたのは、諦めることなく付いてきたレルムのその忠実な心と誠意によるものだった。

 崩壊寸前だった国の態勢を立て直すのに奔走している内に一年が経ち、二年が経ち、そしてあっという間に三年が経った。

 レルムにとって、この三年と言う期限付きの追放の期間をジパニアと言う国を立て直す事に集中をすることでやり過ごしてきた。途中、何度連絡を入れたい衝動にかられたか分からない。三年が経ったとき、すぐにでも帰国したいと何度思ったか分からない。

 だが、持ち前の責任感の強さからこの国を中途半端に投げ出すこともできず更に時間は過ぎ去り、気付けば五年の月日が経っていたのだ。

 外部との接触を図ることでジパニアの飢餓は落ち着き、人々の信頼もある程度は戻ってきた。もう国を離れても大丈夫だとそう踏んだ上で、これまで付き従ってきた王であるヒミノに帰国を申し出たのである。

 その言葉にヒミノは酷く動揺し、暇があればレルムに留まるよう幾度となく説得をしてきたが、レルムの心はもうすでに決まっている。

「レルム様、お待ち下さいまし!」

 荷物を手に、部屋を出ていこうとしたレルムに、ヒミノの侍女がそそくさと駆け寄ってくる。そして手にした黒く光沢のある小さな小箱をさし出してきた。

「先程、ヒミノ様からお預かり致しました。どうぞ、お持ち下さいませ」

「……これは?」

「我が国の伝統品でございます。手土産にと……」

 レルムは小箱を受け取ると、小さく微笑んだ。

「ありがとうございます」

「……あの、レルム様。本当に帰られるのですか?」

 侍女はおずおずとそう訊ねてくると、レルムはただ微笑んだ表情をそのままに一度頷いた。

「はい。私には、待っている人がいますので」

「……そうでございますか」

 侍女も、心なしか残念そうに表情を曇らせた。だが、すぐに顔を上げるとニコリと微笑み返してくる。

「こちらにおいでになられた時から、そのように仰っておいででしたものね。レルム様が去られるのはとても寂しく思いますけれど、ご無理を言ってご迷惑をおかけしてはなりませんし……。どうぞ、お気をつけて」

「ありがとうございます。ヒミノ様にもよろしくお伝え下さい」

「はい」

 侍女の見送る中レルムは城門を出て、しばらく川沿いの土手を歩く。川沿いに等間隔に植えられた淡いピンクの花はやはり淡く甘い香りを漂わせハラハラと散っていた。

 それを見ながらレルムの足は迷う事無く港へと向かう。

 船に乗り、そして陸路を使い舞い戻る。長く待たせた人のもとへ……。自分の生まれ育った故郷へ……。

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