第101話 忍ぶ夜
コツンコツン、と何かが当たる小さな音が響いてくる。リリアナは絶え間なく響くその音に目を覚まして、うっすらと目を開いた。
寝室の窓にはカーテンが引かれているものの、僅かに開いている隙間から月の光が差し込んでくる。静まり返った城内では、見回りの兵士以外の人間達は皆眠りに付いているようだった。
リリアナはむっくりとベッドから体を起こして、眠たい目を擦りながらそろそろとベッドから降りると、音が聞こえてくる隣の部屋へ移動した。
明かりのない部屋には、仄かな月明かりが差し込んでおり、薄絹のカーテンはしっかりと閉められていても月の光を通して室内に降り注いでいる。ふと気付くと、窓は一部分だけ僅かに開いているのか、そこから風がゆるゆると流れ込みカーテンを揺らしていた。
「……」
ぼんやりとした頭でそちらを見やり、窓を閉めようとのろのろと歩み寄る。すると揺らめくカーテンの向こうに誰かが立っているのに気がついた。
寝ぼけていたリリアナは、窓の外に立っているのが誰なのか理解できないうちに近づいてそっとカーテンを捲ってみた。
「確認もしないで開けるのは、無用心ですよ」
「……っ!」
突如、聞きなれた声が聞こえてリリアナは完全に目が覚めた。パッと顔を上げると、目を細めて見下ろしているレルムと視線がかち合う。
「レ、レルムさ……」
「あまり大きな声で話さないで下さい。見つかってしまいますから」
レルムは自分の人差し指を唇に当て、静かに話すようリリアナを諭してくる。
リリアナはうろたえながら小さく頷き返すと、一気に高鳴り始めた鼓動に顔が熱くなってきた。
二人きりではもう逢えない。そう言っていたのに、彼が自ら忍んでまで逢いに来てくれた。それが嬉しくて仕方が無い。
「……リリアナ様」
「は、はい」
「……中に、入っても?」
「へ?」
思いがけない言葉に、リリアナは驚きのあまり思わずポカンとして間の抜けた返事を返してしまった。そんな彼女を見て、レルムは困ったような顔を浮かべる。
「いえ……父が大臣に就任してから、警備も以前にも増して厳しいものですから……。ご無理なようでしたら構いませんが……」
「あ、い、いえ! 大丈夫です。そ、そうですよね。こんなところで立ち話も何ですもんね」
そう言いながらリリアナはレルムを部屋に招きいれた。
こんな事は初めてだ。彼が自分からこの部屋へ入ろうとした事は今まで一度も無かったのに……。
バクバクと鳴る胸の鼓動が耳について仕方が無い。赤い顔を顔を上げられず、リリアナは一人で動揺していた。
窓に向かって俯き加減のリリアナの肩に、そっと手がかけられる。それに驚き、弾かれるように顔を上げた瞬間、ぎゅっと後ろから抱きすくめられる。
「……あなたに逢いたかった」
背後からそう囁かれたリリアナはキュッと胸が締め付けられながら、ますます顔を赤らめたまま恥ずかしさのあまり体が小刻みに震えてしまう。
彼はこんなにも積極的だっただろうか? いや、良く考えればそんな節はこれまでもいくつか垣間見てきた。だが、部屋にまで乗り込んでくるほどの行動を起こすような人だっただろうか?
錯乱状態になりながらも、逢いたかったのは自分も同じだった。
リリアナは抱きしめるレルムの腕にそっと触れながら、僅かに顔を俯けて小さく頷き返す。
「あ、あたしも、逢いたかった、です……」
そう言うと、抱きすくめる腕に力が篭った。
少しばかり息苦しさを感じるぐらいの力の篭った抱擁に、リリアナはいよいよ堪らなくなってギュッと瞳を閉じる。
まさかこんな時間に逢いに来るとは思いもしなかった。しかも事前に来るという話もなく、突然の訪問だけに動揺が止まらない。
「で、でも、もう二人きりで逢う事は出来ないって……」
「そうですね……そのつもりでした。しかし、夕方に逢った時のあなたの顔を見たら、どうしても逢いたくなったんです」
「……」
思わず言葉を失ってしまった。あの、嫉妬心が剥き出しになった顔を見られていた。そう思うととても気まずくなる。
そんなリリアナの気配を察知し、レルムは抱きしめていた腕を解いてそっと自分のほうへ向き直らせた。リリアナは戸惑いから僅かに視線を下げて視界をさ迷わせる。
「あ……えっと、あれは……」
「すみません」
醜い嫉妬心を何とか隠そうと思っていたリリアナの意に反して、レルムが謝罪をして来た。それに驚いたリリアナが下げていた視線を上げると、真剣な表情で見つめてくるレルムがいた。
その表情はとても気まずそうで、どこか落ち込んでいるかのようにも見える。レルムにしては珍しいほど酷く動揺しているような、そんな表情だった。
「……あなたに、あんな顔をさせるつもりはなかったんです」
「あ、あんな顔って……」
自分でもあの時どんな顔をしていたのか分からない。ただ、その時のリリアナの表情を見ていたレルムとっては動揺してしまうような顔をしていたのだろう。
レルムはこちらを見上げてうろたえているリリアナの頬にそっと両手を伸ばし、優しく包み込みながら目を閉じて額同士をつけて来た。
「……今にも、泣き出しそうでした」
「!」
リリアナはその言葉に驚いて目を見開いた。
そんな顔をしていたんだろうか。あの時の表情はどちらかと言えば怒りに震えて険しい顔をしていると思っていたが……。
「べ、別に、泣いたりなんかしてませんよ」
小さな子供相手に嫉妬していたなどと、恥ずかしくてとてもじゃないが言い出せない。本当は落ち込んで泣いてしまったが、それを隠そうとリリアナは取り繕って笑って見せた。
そんなリリアナからそっと額を離し、そのまま間髪いれずに瞼に唇が寄せられる。咄嗟に目を閉じたリリアナは、すぐに離れていく暖かさを追うように目線を上げた。
「……嘘が下手ですね」
力なく困ったように微笑むレルムに、リリアナは赤らんだ顔のまま、ムッとして眉間に皺を寄せながら視線を逸らした。
「う、嘘じゃないです」
「そうですか?」
「そうなんですっ! 泣いてなんかいませんからっ!」
だからこの話題には触れないで欲しい。そう思いながら、不機嫌にそっぽを向いた。
別に怒りたくて怒っているのではない。ただ、マーヴェラに対して酷い嫉妬をしてしまっていた自分の心があまりにも醜くて恥ずかしいのだ。それをひた隠しに隠したくてつい怒ってしまう。
レルムはそんなリリアナの心情を察して、申し訳なさそうに視線を下げた。
「……分かりました。あなたがそう言うのですから間違いないですね」
「そ、そうです。そうなんです」
念を押すようにそう言いながら頷き返すと、レルムは小さく笑いながらリリアナの頬から手を離し、そして再び真剣な瞳で見つめ返してくる。
あまりに真剣なその表情に、リリアナは顔を強張らせた。
「……その、マーヴェラの事ですが」
そう切り出した言葉にリリアナはギクリと体を震わせるも、努めて平然を装いながら聞き返した。
「な、何ですか?」
リリアナも負けじと真剣な顔で見上げると、レルムは少し言い難そうに一瞬目を逸らした。まるで迷っているかのようなその様子に、リリアナの表情が僅かに険しくなった。
「……あの子を最初に保護したリズリーの遺言を叶えようと思い、私個人の判断でここまで連れ帰ってきました。体は幼児と同じでも、あの子はまだ何も分からない赤子同然です。誰かが傍にいてやる必要があります」
「わ、分かってます」
「私があの子の養父となるかどうか、あなたはその事で悩んでいますよね?」
ズバリそう訊ねてきたレルムにリリアナは瞬間的に言葉を失ったが、今更隠しても、その事は既に彼はお見通しに違いない。
取り繕ったところでもはや看破されているのならと、リリアナは多少むくれながらも正直に答えた。
「……そ、そりゃあ……少しは……」
素直に認めたリリアナにレルムは小さく微笑むと、ふっと視線を下げる。
「……正直、あの子に全てを教えてやれるほど私は出来た大人ではありません。私は幼い頃から騎士としての教育を受けてきましたが、それは戦い方や礼儀作法などです。マーヴェラに私が教えられる事は礼儀作法は良いとしても、それ以外は騎士として戦う男性らしさでしかありません。そんな私が教えられる物に限界がある中で、あの子を一人前の人間として育てる事は難しいでしょう。ですから……、これは私からのお願いです」
下げていた視線をゆっくりと上げ、リリアナを真っ直ぐに見つめる。
「私の個人的な願いを、あなたにお願いすること自体間違えているのでしょうが……。あなたなら、あの子に役立つ知識を教えてやれるような気がするのです。もし宜しければ、私に協力して頂けませんか?」
「……」
レルムの言葉に、リリアナは目を見開いた。
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