In the Distant Past 11

 

   *

 

「――以上が、現時点で掴めているグリゴラシュ・ドラゴスの動向です」 応接用のテーブルの向かいに腰を下ろした神田忠泰が、そう説明を締め括る。

 在東京ローマ法王庁大使館内で彼専用に与えられた、ローマ教皇庁渉外局在東京ローマ法王庁大使館支部の執務室だ――レーザー盗聴や盗撮防止のために、窓は無い。部屋の主がいないときの立ち入りはたとえ特命全権大使であっても禁止されており、清掃員も彼のいるときしか清掃は出来ない――そして掃除をしている横で仕事をするのが落ち着かないということで、たいていの場合は神田は掃除を自分でする。

 アルカードは部屋の片隅に置かれた東芝の掃除機を横目に見ながら小さくうなずいて、テーブルの上のアイスコーヒーのグラスを取り上げた。

「ご苦労だった」

「いいえ。さほど役に立てず、申し訳ありません」

 さほど肯定的な情報を表示していないラップトップを折りたたみながら、神田がそう言ってくる。

 提示された情報はいずれも曖昧で、確実性に欠けるものばかりだった――理由はいくつかあるが、まあいつものことだ。ヴァチカンの情報網は信者から上がってきた噂話程度のものに、地元の警察や専門の捜査員を使って裏を取るというのが主流だ。

 前者は聖堂騎士団の存在を知らないし、吸血鬼の存在も知らされていない――したがってあまり突っ込んだ捜査をさせることも出来ない。なにしろ、彼らは自分たちが実際になにを探っているのかも知らないのだ。具体的に吸血鬼の被害者を探させることは出来ないし、事情を事細かに説明することも出来ない。

 作戦上の機密保全オペレーショナルセキュリティのこともあるが、それ以前に彼らが吸血鬼を相手とした対処訓練を受けていないということもある――後者の専従の捜査員は地元警察よりは突っ込んだ情報を与えられているものの、本格的な戦闘訓練を受けていない普通の人間だ。無闇な危険には晒せない。

「仕方が無いさ――実際に働いてるのは生身の人間なんだ。深追いさせて敵に気づかれて、危険に晒すわけにもいかんからな」

 その言葉に、神田が小さくうなずいた。

「そう言っていただけると助かります」

「ま、あとは俺の仕事だよ――ところで、もうひとつの件は?」

「例の暴力団に関する探りですか? それなんですが――」 神田はアルカードの質問に席を立ち、紫檀のデスクの抽斗から茶封筒に入れられた書類の束を取り出して戻ってきた。

 電子化せずに紙の書類にされているということは、これが保存しておけない情報であることを示唆している。入手するために危ない橋でも渡ったか、あるいは非合法手段に頼ったのか。

 ただ、たかが犯罪組織の情報にそこまでの入手の困難性があるとも思えないが――

 そんなことを考えながら、アルカードは手を伸ばしてY.E.O.――読後要焼却ユア・アイズ・オンリーのスタンプが捺された無地の茶封筒を取り上げ、中身を取り出した。

 十枚程度の書類をパラパラと斜め読みしてから、

「これはまた」

「ええ――国政の政権与党の幹部につながりがある様ですね。都議会と市議会に関しては、さほどの権力は無い様ですが。ほとんど議席の無い泡沫政党なので――おっしゃっていたことの裏は取れました」 神田が小さく首肯して、そう返事を返してくる。

「もっとも、国会議員のほうに関しては、正確には『エクス』ですが――かの政党は昨年十月の衆院総選挙で国政議席を減らし、離党者も出て弱体化しておりまして、該当する幹部議員も今は以前ほどの権勢はありません。ですが、検察庁にかかわっていたときに自分の手駒を警察幹部に紛れ込ませており、地元警察に圧力をかけられる立場にはある様です――どうも警視庁の幹部に、該当する人物の口利きで昇進した身内がいる様でして」

「犯罪者の身内が国政代議士と警察幹部か。いい感じに世の中狂ってるな」

「然り。しかし、どうも日本の公務員は身内の締めつけが緩いので。公務員の犯罪は隠蔽されたり揉み消されたりすることも珍しくありません」 別にイタリアでは腐敗はありませんと言いたいわけではないだろうが、純日本人の神田はあまり気乗りのしない口調でそう答えてきた――きっと法執行機関の腐敗や不祥事に関するニュースを子供のころから見聞きしているからだろう。

「よく聞くな。違反の揉み消しとかだろう?」

「車検切れのパトカーを運用したり、飲酒運転を揉み消したり駐車禁止場所に駐車していたりという例もありますね」

「いい感じに阿呆だな――権力を振るう側なんだから、法を犯したときの罰は民間人より当然重くすべきだろうに。そんなだからこんな蛆虫どもが我が物顔でのさばるんだろうにな」

 そんな返事をしながら、アルカードは書類の一枚に記載された例の暴力団とつながりのある政治家たちの個人情報を頭の中に叩き込んだ。暴力団の所在地や車のナンバー、家族構成なども記載されている。

「こういうのを見ると、日本の警察は優秀だってのが大嘘だってわかるな」

「ええ、残念ながら――冤罪も多いので」

 アルカードが嘆息しながら書類を返すと、神田は席を立ってシュレッダーに書類を束ごと押し込んだ。要焼却とは言っても、実際に焼却したりはしないらしい。

「で、この連中に関しては手を打たれるおつもりで?」

「まあ仕方無い。一応手は貸すと約束しちゃったしな――早いところ終わりにしないと、ずるずる長引くだけだし」

 というアルカードの返答に、神田がかすかに眉根を寄せる。本心では快く思ってはいないのだろう。

「しかし、日本政府に喧嘩を売ることになるのでは? 特権保持者不適格通告ペルソナ・ノン・グラータを受ける可能性もありますが」 眉根を寄せて、神田がそんな意見を口にする。

 ペルソナ・ノン・グラータというのはラテン語で『好ましからざる人物』という意味で、そこから転じて『歓迎されざる人物』を指す。

 素行に問題があるなど、接受国側が問題視した外交官に対して外交官としての待遇を行うのを拒否すること、また拒否された状態を指す外交用語で、接受国側が理由を提示する事無く一方的に発動出来る。

 一言で言えば『おまえ外交官にふさわしくないから帰れ。もしくは外交官辞めろ』と通告することで、通告後一定期間が経過するか通告に従うのを拒否した場合に接受国側の法執行機関は該当する人物の身柄を拘束出来る様になる。

 外交特権によって身体的な拘束を受けず、刑事・民事等の訴追を免除される外交官の非行に対して接受国側が行うことの出来る唯一の制裁手段である。

 また、当然入国が認められるべき要人であっても、本人の経歴や行動を接受国側が問題視した場合に空港からの出場を認めずにそのまま帰国させることが出来、この措置も指す。

 つまり、アルカードがそれにふさわしくないと日本政府側が判断すれば、アルカードは外交官特権を剥奪されるということだ――ということだが、実際のところアルカードはあまり心配していなかった。

 日本政府は吸血鬼の存在も、その脅威の度合いも――正確ではなくても――知っている。まして、アルカードはヴァチカンが動かすことの出来る最強の戦力なのだ。そして現状、日本国内で活動する吸血鬼を狩る魔殺しとしては最強の戦力でもある――ついでに言えば、彼が負けて死んでも日本側の懐は痛まない。たとえ外交官にふさわしくないと判断しても、利用価値は否定すまい。アルカードがヴァチカンまでもが問題視する様な暴挙に出た場合ならともかく、そうでなければ戦力的弱体化やヴァチカンそのものとの関係悪化を嫌ってアルカードには手を出さないだろう。

「心配するな――別に身元がばれる様なやり方をする気は無いさ。それに――今は政権与党の大多数はそいつの政党じゃないんだろ? 仮に露見しても、通告を出す様な状況にはならないだろう」

 そう言って、アルカードは席を立った。

「手間をかけさせて悪かった、忠泰――そろそろ暇乞いするが、よかったら例の鰻の約束でも果たさないか」

「警視総監や警察庁長官、大使閣下の召集が済んでおりませんが」 ジャンノレと戦った日の電話の内容を蒸し返してくる神田に、アルカードは肩をすくめた。

「それ本気かよ。否いいけど」

「まあ、もちろんそれは冗談ですが。ですが、日本の体制側とつなぎを作っておくのは悪いことではありませんし。日本に到着直後に一度お引き会わせしましたが、すでに人事異動で人員が入れ替わっておりますので」

「そうだな――でもまあ、その席はまた今度にしよう。あまり日を置くつもりは無いが」

「はい」 神田はうなずいて、アルカードに続いて席を立った。

「セバは?」

「先ほど、大使閣下に呼び出されていきました――おそらく渉外局員として正式に赴任することになりますので、それに関する話です」

「じゃあしばらく戻らないな――日を改めようか。折角だからセバとカチュアも一緒に行きたいし」

「ええ」 神田がうなずいて、アルカードに続いて席を立つ。セバスティアンの妹のカチュアは、大使館内の渉外局員の女性に預けているらしい。話によるとその女性職員の退勤時間が近いらしいので、これから迎えに行くのだろう。

「セバとカチュアは当分日本にいるのか?」

「はい。観光がてらに呼び寄せましたから」 というのが、神田の返答だった。神田は今渉外局日本支局に、言ってみれば単身赴任状態で、ふたりの子供たちは普段ローマの亡妻の妹のところに預けられている。

 先ほどの話だと、セバスティアンが大使館渉外局員として日本に派遣されることが本決まりになり、事前に環境を見せるのと観光も兼ねて呼び寄せたのだろう。

「そういえば香港の劉剛懿リゥカンイーも、日本に観光に来たがっていましたね」 執務室の扉を開けてこちらに道を譲りながら、神田が唐突にそんな言葉を口にする。

「ん? 剛懿カンイーも? じゃあ、斗龍ツォウロンも連れてくるのかな」 数年前に生まれた息子の名を挙げてそう返事をすると、

「さて、この前連絡を取ったときに、孤児をひとり引き取ったと言っていましたが」

「へえ」 日本に定置的な行動拠点セーフハウスを持っていないために安定した連絡手段の無いアルカードは、初耳の話に神田に視線を向けた。

「そうなのか?」

「はい。一週間ほど前に連絡したとき、彼がそんな話を」 アルカードは各国を回って行動しており、連絡手段は受け入れ国の渉外局が用意することが多い――したがって安定した拠点を用意することはあまり多くなく、電話番号ひとつとっても移動するたびにころころ変わる。そのため、総本山にいて渉外局本部経由でいつでもそのときの連絡先を掴む事が出来る者たちは別として、神田忠泰や香港の劉剛懿などの各地にいる弟子たちのほうから連絡を取るのは実は難しい――確実なのは渉外局を経由して連絡を取ることだが、それすらも地続きの国だと渉外局に連絡無く越境することも多いので、結果連絡は取りにくい。

 連絡求むとか短文を書き込む、ネット掲示板でも作ろうか――そんなことを考えながら、アルカードは神田と連れ立って大使館の廊下を歩いていった。

 すれ違う大使館職員たちが、物珍しげにこちらに視線を投げていく。それにそこはかとない落ち着かなさを感じながら、

「そう言えば、カチュアは何歳だっけ?」

「今年の九月で七歳です」

「もうすぐだな。誕生日プレゼントを用意しとかないとなあ――希望聞いといてくれ」

「わかりました」 柔らかな笑みを口元に浮かべて、神田がそう返事をする。

 そこで大使館の正面玄関前のロビーに到達し、アルカードは足を止めて神田に向き直った。

「じゃあ、俺はもう行くよ――カチュアに会いたいしセバにも挨拶してないが、必要以上にここにとどまっていたくない」

「ええ。今度子供たちも連れてお会いしましょう」 アルカードの言葉に、神田がうなずいて小さく笑う。

「ああ」

「ではまた。お送りは必要ですか?」

「否、いい。ジープが近くにあるから歩いて出るよ」 というアルカードの返答に、神田が一礼する。

「わかりました」 神田の返答を肩越しに聞き届けて、アルカードは正面玄関から外に出た。

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