Balance of Power 16

 

   *

 

「……?」 ふと眉をひそめて、アルカードはバックミラーに手を伸ばした。

 赤坂のローマ法王庁大使館から高速道路に入るまで、ずっと数台間に入れて尾行している車がいる。

 車種はトヨタのランドクルーザー。見た限りフロントシールドに遮光フィルムを貼っている――日本では確か前部のサイドウィンドウと、フロントシールドには遮光フィルムを貼ってはいけないはずだ。

 それを無視してまで、直射日光を遮るフィルムを貼るというのは――

 普通ならあんな車に乗る様な層は、警察に止められる危険を冒してまでフロントシールドに遮光をしたりはしないだろう。飲酒運転の検問にでも出くわそうものなら、即減点の対象になるはずだ。

 つまり、そんな危険を冒してまで、直射日光を浴びたくない理由がある。

 どうやらこのまま老夫婦宅に戻るわけにはいかないらしい――夏なのであと数時間は明るいから、その間はたとえ車同士が隣接しても攻撃を受ける危険は無い。窓を開ける行為自体、彼らにとっては自殺に等しい。

 とはいえ、このまま引き連れて帰るわけにもいかないか――胸中でつぶやいて、アルカードは左後方を確認した。ランドクルーザーは今は間に入れる車が無いからか、少し車間を空けて同じ車線をついてきている。

 彼我ともに追越車線、次の出口までは六百メートル、出口は左側、バックミラーで確認する限りランドクルーザー以外に後方に見える限り車輌はいない。

 よし――

 実行に問題は無い――ランドクルーザーがこちらとかかわりないなら、そのまま進んでいくだけだ。そう判断して、アルカードは高速の出口が十分近づいたタイミングを見計らって急ハンドルを切った――走行車線をそのまま斜めに突っ切って、高速の出口に入る。ウィンカーを出すこともわざと省略した、唐突な動き。

 事情を知らずにはたから見ていれば、ただのボケっとした下手くそな運転手の周りを顧みない行動でしかない。が――

 ランドクルーザーがついてきているのをルームミラーで確認して、舌打ちを漏らす――もうここまでくると、隠すつもりも無いらしい。ウィンカーも出さずにかなり唐突なタイミングで高速から降りたにもかかわらず、ランドクルーザーはそれについて降りてきた――もともと高速道路を降りるつもりなら、もう少し早くウィンカーを出すなり走行車線に車線変更するなりするはずだ。

 ここで仕留めるか――胸中でつぶやいて、アルカードは唇をゆがめた。老夫婦の自宅がある街まではまだだいぶ距離がある。『出来るだけ多く曲がる』という逃走の鉄則を鑑みるに、分岐点をなるべく残したままで降りたほうがいい――すでに敵には現在の居場所への、大雑把な方角を知られてしまっているのだ。

 無論距離も細かい方角もわからない以上、居場所が発見されたとは言い難いが――余計な情報を与えないうちに仕留めてしまうに限る。ここで仕留めてしまえば、仮にあの尾行車が定期的に誰かに連絡を入れていたとしても彼らを撒くか、もしくは誘い出すためにわざと違う方向に行ったと思う可能性が高い。ただ、ナンバープレートはあとで交換すべきだろう。

 高速の出口に入ったところでくだんのランドクルーザーもついてきているのを確認して、アルカードは赤信号になっていたのでブレーキを踏んだ。適当に降りたはいいが、首都圏からはかなりはずれた山の中だ――カーナビが持ち主の出鱈目な運転に、新たなルートを探索し始める。

 とりあえずうるさかったのでいったん案内を中止させてから、片側一車線の道路を前を走る軽自動車二台と作業帰りらしいトヨタの小型トラックについて低速で流してゆく――西側が山になっているので低くなってきた太陽の光は届かないが、ここで仕掛けてくる恐れは無いだろう。

 逃がさずに確実に仕留められるかどうかわからない目撃者が、複数いるからだ――ランドクルーザーに乗っているのは敵だと見てまず間違い無い。それはつまり、を知ったうえで追ってきているということだ。

 つまりドラキュラもしくはグリゴラシュ、あるいはカーミラの差し向けた追手なのだろうが――を知って追ってきているのなら、彼と戦いながら片手間で目撃者を始末出来ると思うほど無謀でもあるまい。

 左手の山の中腹にどうも建てかけのまま遺棄されたものと思しい鉄筋コンクリート製のビルを見つけて、アルカードはそちらに向かうために簡素に舗装された脇道に入った。

 脇道の脇は草刈りもろくにされていないらしく、夏も盛りの時期に入って下草がぼうぼうに生い茂っている。工事車輌が出入りするための簡易的な舗装も亀裂だらけで、その隙間から草が伸びていた。

 しばらく進むと繁茂した背の高い草の陰に隠れる様にして、工事現場用の虎縞のバリケードが設置されている――オレンジ色と黒の塗料がほとんど剥げ落ちて代わりに赤錆で真っ赤になったバリケードに番線で括りつけられた標章は風雨に晒されてほとんど消えかかっていたが、それでもなんとか一部だけは読み取れた。平成元年三月十二日。一九八九年だったか。

 アルカードはバリケードの手前でジープを停車させ、車両の出入りのためのゲートに歩み寄ると、ぼろぼろに朽ちた真鍮製の南京錠を掴んでぐいと捩った。南京錠は壊れなかったが、代わりに南京錠をかけてあったリング状の金具がぼきりと音を立てて折れる。

 アルカードは金具ごと捥ぎ取った南京錠を手近な茂みに投げ込むと、ゲートを開け放ってからジープのところまで戻った。ジープの後ろにぴったりとくっつけて待っているランドクルーザーの運転席に視線を向けて親指でぞんざいに背後を示し、ついてこいと合図してから、エンジンをかけっぱなしのジープに乗り込んで再び走り出す。

 ゲートを抜けて数分。コンクリートで簡単な舗装がされていたためにある程度の道幅が確保され、ヒルクライム用のカスタマイズが施されたジープの本領が発揮される場は――残念ながら――無かった。

 一度枝が大きく張り出していた以外は特に障害も無く、数キロ進んだところにある作りかけの建物の前に到達する。アルカードは本来は駐車場になるらしい建物前のスペースの隅に車を止めると、エンジンを切って車を降りた。

 ちょっと周りを見回して、地下に通じるスロープに視線を止める――スロープの幅からすると、地下駐車場らしい。近くに湖が見える立地からすると、バブル期にホテルでも建てようとして計画がポシャったのかもしれない。

 アルカードは平然とスロープに歩を進め、地下駐車場に足を踏み入れた。

 光源がまったく無いことに加えて開口部が太陽の方向を向いていないために、駐車場はかなり暗い――暗いこと自体は暗視能力を持つ真祖にとっては、まるで問題にならないが。

 突然背後から真っ白な光の束が伸び、光源のない地下駐車場を明るく照らし出した――あとから入ってきたランドクルーザーが、ヘッドライトを点けたのだ。

 後ろからクリーピングを利用して低速でついてくるランドクルーザーのエンジン音で間合いを測りつつ、アルカードはそのまま二十メートルほど進んで足を止めた。

「で――」 片手をポケットに突っ込んだまま肩越しに振り返り、完全に日陰に入ったからだろう、車から降りてきた五人の男女を見遣る。

 外らに向き直った拍子に高輝度放電式ディスチャージヘッドライトの閃光がちょうど真正面から目に入り、アルカードは顔を顰めた。高度視覚は使っていなかったので視覚が破壊されたりはしていないが、暗調応が瞬時に破壊されたことに舌打ちを漏らしつつ、

「遊び場はここでいいか?」

 それには答えずに、姿を見せた男女が手にした剣を鞘から抜き放つ。一般的な兇器や銃火器ではなく剣に頼るということは、やはりそこらの有象無象の噛まれ者ダンパイアが数を恃んで自分たちよりも強力な魔力を持つ個体を魔力を奪うために襲撃してきたわけではない。

 上位個体によってある程度の戦闘訓練を受けた『兵士』――追跡と暗殺のための人員だ。

 ローマ法王庁大使館で張り込んで、アルカードが姿を見せるのを待っていたのだろう。

「と、いうことは――」 相手の返事など端から期待していなかったので、彼は返事は待たずに肩をすくめて、

「おまえら、グリゴラシュのところの吸血鬼か」 五人の吸血鬼は返事をせず――残る四人を押しのけて、一番後ろに控えていた長身の男が前に出た。

 長身というか――縦だけでなく横もでかい。体格だけならスモー取りと同じ程度で――ぶっちゃけどうやってあの男も含めて、五人も車に乗っていたのかが謎なくらいだ。

 残る四人が武装しているのに対して、力士だけは手ぶらだった。

「否――そのスモー・レスラーだけなにか混じってるな?」 それを聞いて、力士が唇をゆがめて笑う――力士は爪先をぴんと伸ばして姿勢も美しく伸び上がりながら、勢いよく頭上に両手を振り翳した。

 続いて翳した両腕を、こちらに向かって振り下ろす。

 ――ぎゃぁぁぁッ!

 瞬時に具現化した塵灰滅の剣Asher Dustが、背筋の寒くなる様な絶叫をあげる――防御のためにとっさに翳した漆黒の曲刀の刃を通して、轟音とともに強烈な衝撃が伝わってきた。

「……けったいな野郎だ」 そのつぶやきに合わせたかの様に、まるで蛇腹の様に伸びた両腕が素早く引き戻されていく。

 どうも変化の際に衣服が朽ちたのか全裸になった力士の全身が、まるでコイル状の蛇腹を二重に巻きつけたかの様な異質な外観に変化している。

 まるで――二重のコイルスプリングかなにかの様に見えなくもない。それらが絡み合いながら伸びて、驚くほどの長距離にまで間合いを広げたのだ。

 その姿から視線をはずして、アルカードは足元に視線を向けた。先ほどの打擲によるものだろう、足元のコンクリートや周囲の支柱、天井に至るまでが、まるで巨大な爪に引っ掻かれたかの様に無残に削り取られている。

「五百年前に造ろうとしてたキメラ――とはまた違うものか? まあ、来歴なぞどうでもいいか」 塵灰滅の剣Asher Dustで軽く肩を叩きながら、アルカードはすっと目を細めた。

「こい。遊んでやる」

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