Black and Black 2
*
高層ビルの屋上に設けられたヘリポートを、大粒の雨滴が叩く――周囲のビルのビル風が互いに干渉しあって形成された複雑な風に巻き上げられた雨滴が、渦を巻きながら降り注いでくる。
分厚い黒雲に覆われて、月明かりは無い――ヘリパッドの外周に設置された常夜燈の弱々しい明かりだけが、ヘリポートを照らし出している。
頑丈な鋼鉄製の構造材で造られた四角いヘリパッドの中央に、丸で囲まれたHの文字が描かれている――そのヘリポートの中央附近で、苛烈な激光と轟音が交錯する。
ざらついた質感の防滑塗料で仕上げられたヘリパッドの表面を濡らす大粒の雨滴が互いの移動のステップで蹴散らされ、飛び散った飛沫が常夜燈の照明を乱反射してほんの一瞬だけまばゆく輝いた。
きぃん、ぎぃん、という苛烈な金属音とともに、虚空に激光と火花が舞い散る。
互いに間合いを測り、あるいは攻撃を躱し、攻撃の好機を測って動くたびに、蹴散らされた水がヘリパッド上で跳ねる。互いにめまぐるしく位置を入れ替えながら、次々と斬撃を応酬する。
互いが繰り出した斬撃が衝突するたびに性質の異なる魔力が接触した際の紫色の火花が飛び散り、長剣に這わされた魔力の補強力場が入力された衝撃を光と音に変換して放出する際に発生する激光と轟音が周囲を昼間の様に明るく照らし出して、雷鳴のごとき轟音を轟かせる。放出された魔力の余波が周囲の精霊を荒れ狂わせて、吹き荒れる暴風がヘリパッドを濡らす雨水を再び巻き上げた。
まるで竜巻に巻き上げられたかの様に周囲を舞い踊る雨滴が降り注ぐ――大粒の雨滴がその激光を乱反射し、まるで宝石の様にきらきらと輝いた。だがその絶景も、一瞬のこと――
ぎゃりぃんっ――
シィッ――歯の間から息を吐き出しながら、グリゴラシュが手にした長剣を振るう。
三-七か――アルカードは先程とは真逆の軌道で水平に振り抜かれた斬撃をあえて後退はせずに体を沈めて踏み込みながら躱し、そのまま足元を刈り払った。グリゴラシュがバックステップしてその斬撃を躱し、再度踏み込みながら体を沈めたアルカードの顔面めがけて爪先を突き込んでくる。
アルカードは突き込まれてきた右足の爪先を掴み止め、そのまま畑の野菜でも引っこ抜く様にあさっての方向にそれを放り投げた――バランスを崩して後傾したグリゴラシュの胴体に狙いを定めて、引き戻した
だがバランスを崩しながらも、グリゴラシュは攻撃を仕掛けてきた――本来はこちらの顔を蹴ろうとする動作を躱すのに合わせて、それを回避しようと浮いた上体を刈り払うつもりだったのだろうが、足を払われてバランスを崩し攻撃動作を中断している。その途中で止めて頭上に翳したままの剣を、グリゴラシュはこちらの背中を叩き割る様な軌道で縦に振り下ろしてきた。
仕方無く攻撃を断念して右手側に跳躍し、その斬撃を回避――グリゴラシュは剣を右手だけで保持している。左側に廻り込めば、右の長剣での攻撃は封じられる。
グリゴラシュが左手で腰元から短剣を引き抜き、逆手に握った短剣の鋒を引っかける様な動きで刺突を繰り出してくる――アルカードは左足をバックステップしていくらか間合いを離しながら右足を軸に体をひねり込み、グリゴラシュの下膊めがけて
グリゴラシュの左の下膊を鎧う甲冑の手甲と
短剣を取り落としながら、グリゴラシュがこちらの間合いから逃れて数歩後ずさった――装甲板の衝突部位が刃がめり込んだ形に変形し、腕に喰い込んでいる。腕を完全に切断するとまではいかないまでも、
はずれた手甲が分厚い鋼鉄板で作られたヘリポートのヘリパッド面の上に落下し、重い音を立てた――衝撃に負けて橈骨と尺骨が砕け、左の下膊がくの字に曲がって腫れ上がっている。それもすぐに治癒するだろうが、腕の装甲はもう無い。
グリゴラシュがどの程度の
腕が剥き出しになっている以上、彼は今度は自分の体そのものか、アンダーウェアを補強しなければならない――が、自分の肉体や布の様に柔らかいものを
肉体を直接補強することも技術的な難度はともかく理論上は可能だが、金属製の装甲を補強するのとは桁違いの魔力を注ぎ込まなければ同程度の効果は見込めない。肉体の耐衝撃性は当然ながら金属に劣るし、なにより補強範囲が全然違う。
一般的に武器よりも防具の強化のほうが難しいとされているのだが、その理由がこれだった――強化率が一定であれば、単純に表面積が広いほど難度が上がる。
さらにそのうえで、
その一方で布の様に柔らかいものには、ほとんど効果が表れない――『柔らかい』というのは布や紙だけでなく硬質ゴムや人間の体の様に押せばへこむ様なものも含まれており、したがって吸血鬼の肉体もその範疇に含まれる。
さらに、その
それはグリゴラシュの非常に高い技能的習熟を如実に示すものだが、彼は自分の技量を恃んで普通の武器しか持っていない――それは逆に言えば、戦闘中は常に得物や甲冑に魔力を這わせ続けているということだ。そこらの雑魚相手ならそれでもいいが、実際のところこれは桁はずれの魔力容量を恃んだ消耗戦でしかない。
無論
アルカードと撃ち合えるほどの補強を剣に施し、無事な甲冑の装甲の補強を今までよりも強め、そのうえで剥き身の腕に金属の装甲を補強する以上の強度を持たせる――試みたが最後、いかにグリゴラシュといえども瞬時に
装甲が剥げた以上、アルカードは優先的に攻撃する目標が出来た――防御は実質不可能、次は腕を切断されるから、当然グリゴラシュはそれを警戒するはずだ。
これ以降、彼は装甲が無くなった左腕に直接アルカードの攻撃を受けることを警戒しなければならない――アドリアン・ドラゴスが対人戦を城攻めに譬えて言った言葉に、城に攻め込むにはまず城塁を崩せ、というのがある。
気取った表現だが、要は先に敵の腕の一本も切断して防御を封じてから、本格的に首を獲りにいけということだ――腕は骨折によって防御にも攻撃にも使えず攻撃にも防御にも死角が出来、さらに腕を狙われても反応が遅れる。今までよりもずっと腕を落とし易くなった。
肌を滑り落ちて鼻の頭から雫になって落ちてゆく雨水の感触に顔を顰め、しぃぃ、と歯の間から息を吐き出して――アルカードはヘリパッドの床面を蹴った。
「
離れた間合いから、顔に向かって刺突――最初から当たるのは期待していない。わずかに頭を傾けて完璧な見切りで回避しながら、こちらの頸を刈り払う様にしてグリゴラシュが剣を振るう。
それを無視して、アルカードはそこからさらに踏み込んだ――左腕はまだ動かせる状態ではない。下肢の動きにさえ注意していれば反撃は無い。こちらの本当の狙いに気づいて、グリゴラシュが舌打ちを漏らすのが聞こえた。
こちらの追撃を防ぐためか、グリゴラシュが倒れ込んだ体勢のまま上体を起こして剣を振り回す。アルカードはいったん後退してその鋒から逃れてから、その手元めがけて脚甲の爪先で蹴りを叩き込んだ――グリゴラシュの右手が衝撃を処理する際の激光に包まれ、衝撃に負けて手放した長剣がヘリポートの塗装面上を滑る様にしてすっ飛んでいき、端のほうに設けられた緊急着陸用の照明機材にぶつかって止まる。
「親父の言ったことはちゃんと覚えてるか、グリゴラシュ?」 そんな言葉をかけて、アルカードは一歩だけ後ずさった。
「あいにく改善してない様だが――ひとつの得物にこだわりすぎるのがおまえの欠点だ。俺やおまえなら、そもそも得物なんぞ無くてもどうとでもなるだろうに。剣なんぞ棄てて、体勢を立て直すことに専念すればよかったものを――さっさと手放したほうがいい状況でも棄てるのを躊躇うから、余計な怪我をするのさ」
そう告げて――アルカードはグリゴラシュの頭めがけて右廻し蹴りを叩き込んだ。反射的に骨折の完治していない左腕を翳して、グリゴラシュがその一撃を受け止める。応じる手を誤ってつながりかけていた橈骨と尺骨を再度叩き折られ、グリゴラシュがうめき声をあげた。
「ぐ――!」
蹴り足をいったん引き戻し、今度はそのまま内廻し――脚甲の踵が眉間をかすめて背中からヘリパッドに倒れ込んだグリゴラシュが、そのまま後転する様にして立ち上がる。
そのまま正面から殺到し、左の正拳でグリゴラシュの顔面を狙い――グリゴラシュの右腕が爆ぜる。
二-四か!
小さく舌打ちを漏らして、アルカードは左腕を外側に向かってひねり込みながら引き戻した――クロスカウンターの要領で腕を交叉させる様にして突き込まれてきた正拳を頭を傾けて躱し、その攻撃を遣り過ごす。
一-二-四――基本的に技に特別名前をつけず、所定の動作に番号をつけてその連続で技術を表すドラゴス家の武芸において、相手の正拳もしくはそれに近い軌道の拳撃もしくは掌撃、短剣等の刺突に対する迎撃として位置づけられた技だ。
相手の攻撃を躱して相手の腕をこちらの首に引っかける様にしてこちらの打撃を撃ち込むと同時に、こちらの腕自体を使って敵の腕を逆関節に極めて肘を挫く。
だが、わかっていれば破るのは容易い――鈎突きに近い軌道の打撃で関節に外側から力がかかるので、破ろうとするなら掌が上を向く様に手首を返すだけでいい。それで肘の角度が変わり、関節が破壊されることはなくなる。
グリゴラシュの指先が頬に触れる――掌を返されて関節技が不発に終わり、拳撃も躱されたグリゴラシュの追撃だ。顔の左半分をグリゴラシュの右手が覆い、続いて眼窩に指を捩じ込まれて――左目の視界がふさがり、同時にすさまじい激痛が神経を焼いた。
悲鳴をあげたくなるのを堪え、眼窩を掻き回す指から逃れようとするのも堪えて、アルカードはコートの下に隠していた
そのまま挙動に気づかれなければ下顎から脳天まで貫いていただろうが、肩の動きから攻撃動作に気づいたのだろう、グリゴラシュはアルカードの左の眼窩を指先で掻き回すのを止めて後退した。
眼窩に捩じ込まれた指が、上体がのけぞったことで抜ける――激痛と損傷でそんな余裕も無かっただろうに、グリゴラシュはそれでも置き土産とばかりに瞼を引きちぎっていった。
「グ――!」 小さくうめいて、アルカードは先の関節技を免れた左手でグリゴラシュの胸甲冑の胸元を思いきり突き飛ばした。それで体勢を崩したグリゴラシュの胸元に、強烈な前蹴りを叩き込む――その反動で後方に跳躍し、アルカードは数歩間合いを離した。
グリゴラシュも、転倒はせずにそのまま間合いを離している――瞼の上から左の眼球を引き裂かれ、鮮血が傷口から噴き出したそばから降り注ぐ雨に洗われてゆく。
グリゴラシュの左腕は、先程の蹴りで開放骨折を起こしている――損傷の仕方が複雑なうえに直接接触した攻撃なので、霊体にもダメージが及んでいるはずだ。先程までの骨折に比べると、治りは悪くなる。対して、胸部への蹴りはたいしたダメージにはなっていないだろう。
まあ、ダメージでいえばアルカードも似た様なものだ――左眼を潰されて視界の半分が死角になっている。眼球の構造は複雑だし、直接接触されて霊体ごと傷つけられたから、機能を回復するほど治癒するまでにはもうしばらくかかるだろう。
しばらく間合いの測りは無理か――
胸中でだけつぶやいて、アルカードは少し重心を下げた。片眼が見えなくなるということは見切りが重要な打撃戦でも不利になるし、関節技や投げ技を主体にするにしても、そもそも最初に相手を捕えるための掴みが失敗しやすい。雨のせいで滑りやすくなっているのも問題だった。
グリゴラシュがヘリポートの端に設置された照明機材のそばまで後退し、足元に転がっていた長剣の柄を爪先ですくい上げて右手で掴み止める――アルカードは軽く指を握り込んでから緩め、手の中に
シィィ、と歯の間から息を吐き出しながら、アルカードは剣の柄に左手を添えた。
ふぅぅ、と呼気を吐き出して、グリゴラシュが一歩踏み出す。
わずかに重心を沈め――アルカードは塗装面を蹴った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます