Evil Must Die 18

「――ッ!」 人間のものかどうかも疑わしい様な凄まじい絶叫とともに、別な男がアルカードに向かって飛びかかる。上半身にはよれよれのTシャツを着ているものの、さっきまで別な女を相手に励んでいたために下半身はなにも穿いていない。

「……小汚ねぇもん丸出しでかかってくるんじゃねぇよ」 つまらなそうにそう毒づいて、アルカードは羽織った外套の下に左手を突っ込んで黒光りする自動拳銃を抜き放った。

 一動作で据銃し、そのまま二連射――乾いた銃声とともに撃ち出された弾頭がいずれも狙いたがわず顔面に着弾し、その衝撃で皮膚が細かく裂けて血が噴き出す。そのまま突進の勢いを殺されて崩れ落ちるよりも早く、男の体はぼろぼろに崩れて消滅した。

「――ッ!」

 数人の男女が金切り声をあげて、アルカードに左右から殺到する。

「香澄!」 連中に暴行を受けてところどころ青黒く腫れ上がった顔の陽輔が、香澄のそばに寄ってくる――先ほどアルカードに渡された折りたたみ式のナイフを持っており、彼はそれを使って香澄の手首を後ろ手に拘束している結束バンドを切りにかかった。

「大丈夫か?」 そう聞いてくる陽輔は手足の骨折こそしていない様に見えたが手酷く痛めつけられていて、香澄などよりよほど無惨な状態だった。それでも自分のことより香澄のことを心配してくれるのはうれしかったが、明らかに彼の怪我のほうが酷い。

「わたしは大丈夫、大丈夫だけど――」 陽輔が作業をしやすい様に少し体をかがめながらそう返事をすると、陽輔はなんでもないという様に笑ってみせた。

 結束バンドのプラスティックをパン切り庖丁の様に波打った形状のナイフの刃が切り進むゴリゴリとした感触のあと、ぶつりという音とともに結束バンドが完全に切断されて、香澄は拘束から解放された。力任せに締め上げられた結束バンドが喰い込んで鬱血し、痣の残った手首をさすりながら、ナイフの刃をしまいこんでいる陽輔に視線を向け、

「わたしは大丈夫だけど、陽輔のほうがよっぽど酷い目にあってるじゃない」 手を伸ばして陽輔の肩に触れると、ちょうど痛めたところに触ってしまったのか陽輔は一瞬顔を顰めた。

「ごめん」 あわてて手を引っ込めるが、陽輔はこちらを安心させる様に笑いかけて、

「大丈夫だ、たいしたことない。ごめんな、助けてやれなくて。怖かっただろ」

 香澄は何度かかぶりを振ってから、アルカードに視線を向けた。

「なにが起こってるの? アルカードさん、あいつらを――」 殺した、とは言えずに、香澄は口ごもった――否、それ以前にあの状態は殺したと言えるのか?

「吸血鬼だよ――あいつらも、それにアルカードさんも。あの人はああいう連中を殺しに来たんだ」 顔を殴られたときに口の中を切ったらしく、言葉が聞き取りづらい――歯でも折れたのかもしれないと心配になったし、あれだけひどい殴られ方ではどこかしら骨折していてもおかしくない。だが陽輔はそんな様子は微塵も見せなかった。

 ああ、そういえばこの子はわたしの父と義兄に三輪車で殴られて病院に担ぎ込まれたときにも、意識を取り戻してからは怪我の痛みなんておくびにも出さずに笑ってたっけ――陽輔の笑顔を見ながら、香澄はそんなことを唐突に思い出した。

「吸血鬼?」

「ああ。さっき女がひとり、塵になっただろ。あれは吸血鬼がアルカードさんみたいな、専門的な武装や技術を身につけた人に殺されたときにそうなるらしい――俺も吸血鬼を相手に戦ってるところははじめて見るけど」

 その一方で、凄絶な絶叫があがる――アルカードに正面から突っ込んでいった裸の女が、強烈な前蹴りを下腹部に叩き込まれたのだ。

 内臓のひとつやふたつくらいは簡単に破れているだろう――まだら色の血を口蓋から吐き散らしながら跳ね飛ばされて十メートル以上も吹き飛ばされ、朽ちたフォークリフトの後部の錘に頭から激突した女が、塗装がぼろぼろに剥がれた錘に血を塗りつけながらその場に崩れ落ちる。

 別な女が左手を閃かせる――なにかを投げつけたのだ、と香澄が気づいたときには、アルカードはそれを軽く左手で払いのけていた。

 だが口が開いていたのか、それとも払いのけたときに壊れたのか、なにか粉状のものが宙に舞った――連中は先ほどまで仲間内で乱交しつつドラム缶で火を焚いて、その焚き火で肉を焼いて食べていたから、その味つけに使っていた塩胡椒かなにかだろう。

 アルカードが小さく舌打ちしながら、虚空に広がった粉から逃れるために一歩後ずさり――その隙に背後から接近していた全裸の男が、アルカードの首に後ろから腕を巻きつけて裸絞めにした。

 アルカードの動きが止まったところで、別な男がそこにナイフを手にして殺到する――アルカードが一瞬唇をすぼめる様な動作を見せた瞬間、男が突然短い悲鳴をあげてナイフを取り落とした。

 どうも目になにかが入ったらしく、顔を押さえている――指の隙間から血が漏れているところからすると、なにかベアリングでも吹きつけたのかもしれない。たとえ狙ったのが眼球であっても、吹きつけたのが金属の弾であっても、肺活量だけでそれをやったのなら凄まじい破壊力だ――サバイバルゲームで使う様な玩具のガス銃よりも、よほど強力だろう。

 いずれにせよ、動きが止まればそれで十分だったのだろう。

 アルカードが鈎爪状の刃物を指に挟み込んで保持したまま、自分の首を絞めている男の腕に手を伸ばし――

 ゴキリ、という骨の砕ける鈍い音。

「――ぎゃぁぁぁっ!」 アルカードの首を裸絞めにしていた男が、それまでアルカードの首に巻きつけていた腕の肘関節を力任せに握り潰されて悲鳴をあげる。続いてアルカードが片足を持ち上げ、自分を羽交い絞めにしている男の靴を履いていなかったために剥き出しの足の甲を、脚甲の踵で踏み抜いた。

 そのままアルカードがわずかに重心を落とし――

 ――ずだんっ!

 強烈な轟音が鼓膜を震わせ、次の瞬間男の体が弾かれた様に後方に跳ね飛ばされて、五メートル以上も離れた壁に叩きつけられた。

 いったいなにをしたのかは、わからない――ただ男の体が叩きつけられると同時に壁に走った蜘蛛の巣状の亀裂と、倉庫自体がその衝撃で揺れたために頭上から降ってきた埃が、その攻撃の破壊力の凄まじさを物語っていた。

 壁に叩きつけられた男が眼から口から鼻から耳から毛穴から、全身の穴という穴から大量の血を噴き出させながら床の上にずり落ちて、そのままその場で塵と化して崩れ落ちる。

 それを無視して、アルカードがその場で左手を繰り出す――間合い無視の角度の浅いショートアッパーとも左の肘撃ちとも取れぬ仕草で左手を振り抜くが、数メートルも離れていては届くべくもない。

 だが、先ほどナイフを手にしていた男が、なにかが首に巻きついた様な仕草を見せた――振りほどく間も無く、アルカードが左腕を強く引いてなにかを引き寄せる様な仕草を見せる。首に紐でも巻きつけられたのか、男が踏鞴を踏んで抵抗しながらアルカードのほうに引き寄せられ――そのまま右手で保持した鈎爪状の刃物で下顎から頭頂までぶち抜かれて絶息した。

 ざぁ、と音を立てて、男の体が崩れて塵に変わる――それを見下ろして、アルカードは鼻を鳴らした。拳銃を手にしたままの左手の指の隙間から、先端に錘のついた紐の様なものがぶら下がっているのが見えた――おそらく先ほど、銃を持ったままの左手での拳打とも肘撃ちとも見えた動作を繰り出したのは、あの紐を振り回していたのだろう。振り出した紐を男の首に巻きつけ、そのまま引き寄せたのだ。

「やれやれ、コートが汚れてねぇだろうな――血ならまだ我慢も出来るが」 ぼやきながら、アルカードは鈎爪状の刃物を保持したままの右手でこめかみを揉んだ――背中じゅうが返り血まみれになっているのだが、それよりも別な汚れのほうが気になっているらしい。

 アルカードがそちらに視線をそらしたその刹那、別な全裸の男が俊敏な動きでアルカードに襲いかかった。左手で保持した銃をはたき落とし、そのまま右手でアルカードの首を掴み、左手で刃物を保持した右手首を抑え込んで、そのまま壁に叩きつけようと――するより早く、男の頭蓋を三枚の刃が貫通した。

 アルカードが左手で右手に保持しているのと同じ鈎爪状の刃物を三枚引き抜き、それで男の頭を顎の下から頭蓋までぶち抜いたのだ。

 白目を剥き、剥き出しの股間を尿で濡らしながら、全裸の男ががくがくと痙攣を始める――舌打ちとともに、アルカードは男の体を突き飛ばした。

「近年稀にみる嫌な仕事だな。これほどむさ苦しいわ黴臭いわ見苦しいわ生臭いわ汚いわと五重苦がそろった戦闘は、ここ二、三百年ばかり見なかった気がするが」

 自分の足元で塵と化して崩れてゆく男の体を見下ろして、アルカードは心底嫌そうにそうぼやいた。彼は左手の刃物をしまい込んで足元に落ちた拳銃を拾い上げ、仕上げの損傷を気にしているのか矯めつ眇めつしながら、

「おい貴様ら。待っててやるから服着てこい」

 それを無視して全裸の女がひとり、アルカードに襲いかかった――猫科の猛獣が獲物に襲いかかるときの様な、文字どおり目にも留まらぬ動きだったのだが、アルカードは易々とそれを躱している。

 掴みかかってきた腕を右拳の甲で上に向かって押しのけ、重心を沈めながら踏み込んでその内懐に入り込み、脇腹に左肘を埋め込む。

 突進の勢いは相当なもので、つまりあの女はその突進の勢いのまま突き出された肘に突っ込んでいったということだ――ぼきぼきと肋骨が折れる音が聞こえ、それだけでも効果は覿面だっただろうが、アルカードの反撃はそれだけにとどまらなかった。

 ずぶりと音を立てて、女のほっそりした腰のあたりから血まみれになったぎざぎざの刃が飛び出す。背中をのけぞらせて、女が身の毛も彌立つ絶叫をあげた。そのままアルカードが左手で保持した自動拳銃の銃口を女の下顎に下から押しつけ、引鉄を引いた。

 顎下から超至近距離で撃ち込まれた銃弾が女の頭蓋に喰い込み、頭部が砕けて骨片と脳漿が飛び散る。毛細血管が破裂して真っ赤になった眼球が衝撃で眼窩から飛び出し、床の上でころころと転がってから塵に変わった。

 眼前で繰り広げられる凄惨極まりない光景に香澄は息を呑んだ――それは陽輔も同じだっただろう。

 塵と化して消滅した女の下腹部があった空間を、アルカードの肘の先から伸びた鈎爪状の刃物が貫通している。正確には繰り出した肘に寄り添わせる様にして突き込んだ、右手に握り込んだ刃物なのだろう――肘で迎撃して動きを止めたあと、そのまま追撃として右拳に握り込んだ刃物を突き込んだのだ。

 血まみれになった刃物を軽くひと振りして、アルカードは背筋の寒くなる様な笑みを浮かべた。

 その笑みに背筋が粟立つのを感じながら後ずさりかけたとき、先ほど蹴りを喰らって吹き飛ばされフォークリフトの残骸に叩きつけられたまま動かなくなっていた女がのそりと身を起こすのが見えた。

 うそ――

 あれだけの勢いで叩きつけられたなら、まず間違い無く致命傷になるはずだ。少なくとも頭蓋骨骨折は免れまい。

 だというのに、女は血だらけになってはいるものの、それでもゆっくりと身を起こした。

 アルカードも気づいていたはずだが、さして気にした様子も無い――彼は悠然とした仕草で両手をコートの下に差し入れて、それまで保持していた鈎爪状の刃物と自動拳銃をそれぞれしまい込んだ。

「結局着替えてくるつもりは無いのか」 大袈裟に嘆息して、アルカードは軽く右手を握り込んだ。

「まあどうでもいいか、とりあえずここは臭いからさっさと帰りたい。貴様らにつきあってたら早めに終われないから、手早くいくぞ」

 その言葉とともに――

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