Ogre Battle 50

 

   *

 

 ずぐっという厭な感触とともに、振り下ろした短剣の鋒がバイェーズィートの眼窩をえぐった――短剣といっても刃渡りは手首から指先に届くほど、眼窩から後頭部に向けて柄元まで捩じ込めば、鋒は容易に脳髄を貫通する。

 一度大きく痙攣して動きを止めたバイェーズィートを見下ろして、ヴィルトールはその場で立ち上がった。

「言った通り――」 敗北を悟って歪んだ表情を顔に張りつかせたまま絶命しているバイェーズィートを見下ろして、続ける。

「こんな長剣もの必要えんだよ」 腰から吊った長剣の柄に左手の指先を這わせながらそう告げて、ヴィルトールは踵を返した。地面の上に投げ出されたままになっているバイェーズィートの大戦斧のほうに向かって歩を進めながら、

「持てって言われてるから一応持ってるが――正直組討ちのときに邪魔臭くて仕様がえ」 屍に向かってそうぼやいてみせてから、ヴィルトールは視線をめぐらせた――長槍を手に突っ込んでくる騎兵に視線を留めて、口元をゆがめて笑う。

 ま、たまには役に立つけどな。たまーに――胸中でだけつぶやいて、彼はバイェーズィートの大戦斧を拾い上げた。

 手にした大戦斧をくるりと旋回させて、刃の尖端を地面に突き立てる――半月状の巨大な刃に重心が偏っていて、彼の騎兵用の長剣よりも扱いにくい。刺突にはまるで向かない振り回すためだけの武器だが、まあ長剣の代用程度の役には立とう。

 ――

 喚声をあげながら突っ込んでくる騎兵に向かって口元をゆがめ――ヴィルトールは大戦斧の刃を踏み台にして跳躍した。

 突撃してきた騎兵の顔が驚愕にゆがむ――さもありなん、いかな踏み台つきとはいえ、全身甲冑を着た生身の人間が馬の頭よりも高くまで跳躍するとは思っていなかったのだろう。

 それでも繰り出してきた槍の刺突を空中で体をひねり込んで躱しながら、騎兵の顔面に蹴りを叩き込む――鞍上からひっくり返る様にして落馬した騎兵の手放した手綱を掴んで強く引きつけ、ヴィルトールは走り続ける馬の体から振り落とされない様に馬の首にしがみついた。

 鞍のバックレストに足を引っ掛ける様にして体を引き上げ、騎兵の代わりに鞍に収まって、騎兵が落馬する際に手放した長槍の柄を握る。装飾過多の頼りない槍ではあったが、この際気にしない――その邪魔っけな装飾のおかげで槍の石突が馬具に引っ掛かって引きずる様な状態になり、回収することが出来たのだから文句も言えない。

 馬は走ったままなので、減速することはしない――オスマン帝国式の馬術の調教は詳しくないが、基本的な指示の仕方はそう変わらないだろう。

 片手で手綱を取り、手近な味方にふたりがかりで攻撃を加えていた騎兵の一方を、横合いから槍で突き殺す――斬撃機能の無い突撃用の槍を扱うのは十歳の頃以来だ。

 駆け抜け様の刺突で槍を持って行かれそうになるのをなんとか引き戻し、ヴィルトールはそのまま敵の首魁に馬首を向けた。

 指揮官防御のための陣形を組んだルステム・スィナンの護衛部隊に向かって突撃する――全方向に警戒を向けているのは包囲攻撃を防ぐためだろうが、逆にいえば全方位に対して警戒を向けているぶん一点突破の際の防御の反応は落ちる。

 騎兵用の長剣がほしいが、無い物ねだりに意味は無い――それに指揮官の防御部隊もいくらかの戦力が戦闘に参加しており、防御は手薄になっている。

 厄介なのは彼らの指揮下にあるイェニチェリの残存兵力と違って、全員が騎兵であるという点だ。幸いなのは銃で武装していないというところだろう。

 まあ別にいい――最悪手に入れたばかりの馬を棄てれば、戦う術などいくらでもある。武器に頼らず馬にも頼らず戦うならば、ヴィルトール・ドラゴスに勝利しうる者はない。

 乱戦の様相を呈しているから、頭を叩き潰すことに格段の意味は無い――が、潰せるときに潰しておいて損にはなるまい。

 こちらに警戒を向けていた騎兵が騎馬に跨っているのが味方の兵ではないことに気づいて、周りの騎兵に警告の声をあげる――だが遅い。

Aaaaaalieeeeaaaaaa――アァァァァラァィヤァァァァァァ――ッ!」

 喊声をあげて、さらに馬を加速させる――槍を右脇に引きつけて穂先の根元に左手を添える様な体勢のまま、ヴィルトールは防御陣形に突っ込んだ。

 迎撃のために前に出てきた槍を手にした一名は、無視――添えた左手で槍を叩く様にして穂先をぶらし、その動きで突き出されてきた槍の先端を払いながら脇を駆け抜け、反動で今度は逆にぶれた槍の穂先を引っ掛ける様にして左手前方でこちらに向き直りかけていた騎兵の脇腹を突く。

 振り返りざまに斬撃を仕掛けようとしていたのだろう、騎兵用の長剣を頭上に振りかぶっていたためにその騎兵の脇下は無防備になっており――ヴィルトールの突き込んだ槍の穂先は胴甲冑の下から剥き出しになった帷子を突き破って脇に入った。穂先の尖端が臓器を傷つけたのだろう、まるで雷に撃たれたかの様に騎兵が硬直する。

 深く刺さりすぎたせいで、槍が抜けない――ヴィルトールはすぐに槍を引き抜くことをあきらめて、馬の移動による槍の角度の変化を利用して石突を振り回し、逆側から突き出されてきた長剣の鋒を払いのけた。顔を狙って繰り出されてきた鋒に対する対処が遅れたために尖端が頬をかすめ、皮膚と肉が避けて血が噴き出す。

 砥ぎの甘い鈍い刃が頬を引き裂く激痛に小さく舌打ちを漏らし、ヴィルトールは槍の柄を握り直した。先ほど突き殺した騎兵用の長剣を手にした騎兵が馬上から転げ落ちたために、槍の穂先が抜けたのだ。

 斬撃には使えない刺突用の穂先のついた槍の石突を突き出して、ヴィルトールは騎兵の面頬の上から喉元を撃ち据えた――喉元は冑で防御されているから喉仏を潰すというわけにはいかないが、それで十分だ。

 冑がカバーしているので、頭部がのけぞっても喉笛が剥き出しにはならない――隙間は出来るが、槍をそこから突き込むには間合いが近すぎる。

 だが、バランスを崩すだけでも十分――

 くぐもった悲鳴をあげながら、上体をのけぞらせた騎兵がそのまま転落する――死んだかどうかはわからないが、こちらに攻撃を加えるためにほかの騎兵が接近してきたら踏み潰されるかもしれない。

 騎兵の手放した騎兵用の長剣を回収したかったが、残念ながら手が届かなかった。まあ、無い物ねだりはしないが得か。

 ――胸中で毒づいて、ヴィルトールはひりつく様な痛みに顔を顰めながら周囲に視線を向けた。

「おぉぉぉあぁぁぁッ!」

 正面からこちらの突撃軌道を塞ぐ様にして接近してきた騎兵が、手にした大身槍を裂帛の気合とともに突き出してきた。肘から指先ほどの長さのある巨大な穂先におそらく敵の騎兵を引っ掛けて落馬させるためのものだろう、鈎状に曲げた人差し指ほどの大きさのカエリがついている――引っ掛けられると厄介だ。

 ぎゃりぃんという金属同士の衝突音が響き、攻撃をしくじった騎兵が舌打ちを漏らすのが聞こえる。予想していたよりもはるかに速く、鋭い刺突だ――バイェーズィートもそうだったが騎上戦の技量なら自分よりもはるかに上であることを渋々認めて、ヴィルトールは小さく舌打ちを漏らした。

 穂先の衝突の際に槍の狙いがそれていなければ――戦慄とともに認めざるを得なかった。今頃自分の負傷はこめかみが浅く裂けた程度では済んでいなかっただろう。

 それより問題は、馬が怯えて足を止めてしまったことだ――動きが止まれば囲まれる。一点突破でルステム・スィナンの首を獲り、そのまま反対側まで突っ切るつもりだったのだが、これでは――

「――おぉぉぉぉあぁぁぁぁッ!」 喊声をあげて、正面の騎兵が次々と刺突を繰り出してくる――速さはむしろこちらが上なので、大雑把にでも速さと重さが掴めてしまえば攻撃を凌ぐこと自体はそれほど難しくない。

 問題は、すでに周囲を囲まれつつあることのほうだった。

 こちらの空防御を誘うためのフェイントや小さく穂先を回転させてこちらの槍に捲きつかせる様なこちらの槍を払いのけるための刺突、槍の穂先の装飾突起にカエリを引っ掛ける様な動きを交えて繰り出される連続攻撃を、一撃一撃冷静に見極めて受け捌いていく――空防御を誘うための刺突は最初の一撃以降は視線の動きと初動、狙いで識別し、反応しなければそのままこちらに致命傷を与えうる攻撃につなげられるもの以外は無視、槍を払うための捲きは無理に対抗せずにさっさと穂先を引き戻し、カエリを引っ掛けるための攻撃は手首を返して突起が引っ掛からない様にして手元を狙って槍を突き込み、敵の体勢を崩すことでいなす。

 横手から水平に薙ぎ払う軌道で繰り出されてきた騎兵用の長剣の斬撃を上体を伏せる様にして躱し、反撃に突き出した石突で騎兵を馬上から突き落としながら、ヴィルトールは舌打ちした。水平に翳した槍の柄で正面から繰り出されてきた胸元を狙った槍の穂先を跳ね上げる様にして刺突を防ぎ、そのまま右手を中心に槍を旋廻させて周囲の敵を穂先の先端で引っ掻く様にして薙ぎ払おうと――したとき、突然視界が下に向かって大きくずれた。

 ヴィルトールの騎馬が悲痛な悲鳴をあげながら、いきなり崩れ落ちたのだ――反対側から攻撃を加えてきた騎兵が、ヴィルトールではなく馬を狙って槍を突いてきたのだ。

 前脚のすぐ後ろ、肋とか腹と呼ばれる部位に穂先が入り、それがそのまま肺か心臓に達したらしい――口蓋から血を吐き散らしながら崩れ落ちる馬の鞍上で体勢を崩し、ヴィルトールは焦燥に小さく舌打ちを漏らした。騎馬の鞍上から跳躍して逃れるいとまは無く、鐙から足をはずすのが精いっぱい――馬体の下敷きにならない様に回転して受け身を取り、体勢を立て直して腰に吊っていた長剣の鞘を払う。

 周囲の状況を見定めようと顔を上げると、正面にいた騎兵が手にした槍をまっすぐに繰り出してくるのが視界に入ってきた。

 槍を振り翳した瞬間に馬が崩れ落ちたために槍を手放してしまい、防御の手段は無い――正面の騎兵の面頬の下からちらりと覗く口元に浮かんだ勝利の笑みを見定めて、ヴィルトールは口元をゆがめて嗤った。

 

   *

 

 バタンと音を立てて、駐車場に通じる扉が閉まる――それを見送ったところで、アルカードはソファに腰を下ろした。

 蘭と凛に加えて見知らぬその両親がふたりやってきて、さんざんこれでもかというくらいにかまってもらってハイテンションになった仔犬たちが、いつも以上に興奮して足にまとわりついてくる。

「落ち着いてよかったですね」

「ああ」 微笑とともにかけられたリディアの言葉に、アルカードはうなずいた。

 すでに外はちょっとした降りになっていて、アルカードは子犬たちを散歩に連れ出すのを速攻であきらめた――凛が子犬たちを拾ってきたときは子犬たちは低体温症を起こしかけていたし、それを覚えているのか雨は嫌いらしい。子供用プールや風呂場に張った水、それに近くの川も平気なのだが、雨が降っているときは外に出ようとしない。

 否、嫌いというより怖いのか――胸中でつぶやいて、アルカードはそう認識を改めた。先ほど雨が降り始めるや否や、犬小屋に慣らすために表に出していた犬たちが半狂乱で鳴き始めたのだ。鳴き声に驚いてアルカードたちが駆けつけたときには仔犬たちはすでに恐慌状態に陥っており、絶叫じみた悲痛な鳴き声をあげていた――部屋の中に入れてやってしばらくずっと抱き上げていたら、なんとか落ち着いたのだが。

「どうした?」 ふふっという笑い声が聞こえて、アルカードはそちらに視線を向けた。ダイニングテーブルに頬杖をついたパオラが、穏やかな微笑を浮かべてアルカードと彼にじゃれつく犬たちを眺めている。

「いいえ? なんでもありません」

「そうか」 首をかしげながらも、アルカードはパオラの肩越しに庭に置いたままの犬小屋に視線を向ける。

「犬小屋はいらなかったか」

「そうですね――雨が降るたびに毎回この調子じゃ」

 リディアの返事に、アルカードはうなずいた。

「そうだな――ま、いいか。結構蚊が多いみたいだし、フィラリアを避けるためだと思っておこう」

 そんなことを言いながら、硝子テーブルに手を伸ばす。

 硝子テーブルの上に残っていた宅配ピザの箱を開けて、少女たちが食べきれずに残していた照り焼きチキンピザをつまみ上げ、アルカードは小さく息をついた。

「で――」 と言いつつ、紙幣数枚をテーブルの上に置く。子供たちの食費と称して、恭輔が置いていったものだ。アルカードは受け取ろうとしなかったのだが、金銭授受はきっちりしておかないと今後頼みにくくなると説得して、恭輔がアルカードに受け取らせたのである。アルカードはその紙幣の上にとうに乾いたコップを文鎮代わりに載せながら、

「君ら、いつまでここにいるんだ?」

 答えてきたのは、ダイニングテーブルの椅子に腰かけたリディアだった。同じテーブルに、フィオレンティーナとリディアが着席してこちらに視線を向けている。

「その、さっきのお話がまだ終わってなかったと思うので。姉とフィオは途中からですけど、続きを聞かせてもらえたらと思って」

「ああ、あれか」 うなずいて、アルカードはピザをかじった。すっかり冷めてしまっているが、気にせず咀嚼し嚥下してから、食べ物をねだって鳴く仔犬たちにビーフジャーキーでも与えようかと考えて席を立つ。

「どこまで話したかな――パオラとお嬢さんは聞いてないが、まあその部分は前置きみたいなもんだから別にいいか。一四七〇年代後半の話だ――ヴラド・ドラキュラが生涯三度目のワラキア公になったあとの話だよ。ハンガリー軍の援軍が撤退して、オスマン帝国軍がまたワラキア公国に攻めてきたときだ。俺のいた部隊が敗退したあと、ほかの敗残兵と合流して再決戦に臨んだときの話をしてたんだが、まあそこらへんは端折ろうか。そこんとこはそれほど重要じゃない――興味があったらリディアに聞いてくれ」

 冷蔵庫の中の袋から取り出した犬用のジャーキーを二、三本細かく折りながら、アルカードはキッチンからダイニングに戻った。

 それを仔犬たちに向かってぽいぽいと放り投げてやりながら、

「指揮官の首級くびは獲ったが、後詰めの舞台に大砲で撃たれて部隊が壊滅してな。部隊が離散した場合に再度集合するために事前に取り決めていた場所には誰も来なかった――あらかじめ決戦場所の近くにあった森を逃走経路にするためにいろいろ罠を仕掛けておいたんだが、それに自分で引っ掛かった奴もいたのかもな。数日たって、部隊は全滅したと判断せざるを得なかった――馬も失っていたから、とりあえずブカレシュティに戻ったんだが、そこが妙な感じだった」

「妙?」 フィオレンティーナが尋ね返してきたので、

「どう言ったらいいかな――別に一軒一軒確認したわけじゃないが、人の気配がまるでしなかった。戦争中だったし、俺のいた部隊が壊滅したあとでオスマン軍がブカレシュティに攻めてきていても別におかしくはない。別に俺たちが決戦を挑んだ部隊のほかにオスマンの進行部隊がいなかったわけじゃないし――イェニチェリと騎兵の混成部隊の指揮官の首を獲った直後に別部隊に攻撃を仕掛けられて、俺の部隊は壊滅状態に追い込まれたわけだしな。だから、別にブカレシュティが俺たちが戦ったのとは別の部隊の襲撃を受けてすでに壊滅していても、別におかしくはない――ただ、家々はほとんど損傷していなかったし、軍隊の襲撃を受けたなら当然ありうる放火や矢玉の損傷が無かった」

 そこでふと気づいて、アルカードは右手の力を抜いた。無意識のうちに、爪が掌に食い込むほど拳を強く握りしめていたらしい。

「手近な雑貨屋に入ってみたんだ――俺はブカレシュティで育ったから、当時ブカレシュティに住んでいた者の大半は知ってる。雑貨屋に住んでいたのは主人夫婦とその息子夫婦、俺が出征してる間に子供が生まれていたかどうかは知らない。ひどい血の臭いのする店の中に入ったら、店の主人の息子が死んでいた。父親が引退して店を継いでいたのかもしれないが、それは俺は知らない――奥に入ってみたら、父親と母親、それに嫁さんも死んでいた。死体を調べてみて、おかしなことがわかった」

 誰かが息を呑むのがわかった――アルカードは硝子テーブルの上のピザの箱に視線を落としたまま、

「死体は攻撃を受けていなかった――剣で斬られたわけでも槍で突かれたわけでもなく、かといって鎚鉾メイスのたぐいで殴り殺されたわけでもない。代わりに首筋に蛇に噛まれた様なふたつの小さな穴が開いて、そこから大量に出血した痕跡があった」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る