Ogre Battle 10

 アルカードは伝票を軽く指先で叩きながら、

「とりあえずあれだ、これ買って運搬用にトラック借りないといけなくなったから、大物を買うなら一緒に載せてくぞ?」

 それを聞いて、パオラとリディアは顔を見合わせた――アルカードの言うことにも理はあるのだが、滞在期間がはっきりしないのに個別に家電品をそろえるのもどうかという気はする。洗濯機に関しては昨晩フィオレンティーナの部屋でちょっと話をしたときに借りていいと話がついているのだが、冷蔵庫その他に関しては決着がつかなかったのだ――別に揉めたのではなく、買いそろえるべきか必要無いかで結論が出なかったという意味だが。

「どうする?」

「どっちかひとりだけでも買っておこうか」 実際のところ、これは結構重要な問題ではある――日本での宿泊先の環境がわからない以上ある程度自活の手段はそろえないといけないだろうという話はしていたのだが、自炊とかが必要になったらふたりで分担しようということになっていたのだ。

 今はアルカードが用意してくれるからいいがいつまでも甘えるわけにもいかないだろうし、かといってフィオレンティーナの様にプライベートの食事が悉く食パンというわけにもいかない。彼が言った通り、適切な栄養状態を維持していないと必要なときにまともに動けない。

 しばらく話してからパオラは冷凍庫つきの二ドアのものを、リディアはホテルに置いてある様な一ドアの小さなものを飲み物の保存用に買うということで話がつき、

「それじゃ、お願いします」 そう言うと、アルカードはうなずいた。彼は最後に残った柔らかめのタルトを平らげてしまうと、

「じゃ、これが終わったら今のうちに家電売り場に行こうか――まだトラックが戻ってくるまで時間があるし。頼めば犬小屋やドッグフードと一緒に置いといてもらえるだろう」

 パオラとリディアがすでに飲食を終えているのを確認して、アルカードはコーヒーを飲み終えて立ち上がった。

「行こうか」

「あ、はい」 リディアがそう返事をして立ち上がり、パオラもそれに倣う。

 どうやらそのまま自分で全部支払ってしまうつもりらしい――レジで伝票と紙幣を差し出している吸血鬼に、リディアが声をかける。

「あの、アルカード。わたしたちは自分のぶんは自分で――」

「いいよ。俺が君らをつきあわせたんだしな」

 だいたい、飲み物はともかくタルトは俺が勝手に頼んだんだからな――そう答えて、アルカードは釣銭を受け取って、紙幣も混じった釣銭の金額を確認もせずにレジカウンターに置いてあった募金箱に入れた。

 新潟中越沖地震被災者支援義援金、と書かれているのだが、さすがに日本びいきのパオラにも難しくて判読出来ない。アルカードに聞いてみると、半月ほど前に新潟県で起きた大地震の被災者に対する義援金だという答えが返ってきた。

「募金ですか」

「ああ――中抜き団体でなければ、一応はすることにしてる。いつ自分たちが、支援を受ける側になるかわからんからな」 

「ありがとうございましたー」 バイトらしい茶髪の可愛い女の子の声に適当に手を振って、アルカードが店から出る。身長差があるために歩幅が違うので、パオラとリディアは彼に追いつくためにちょっと小走りで後を追った。

 

   *

 

 ぎぃん、という金属同士の衝突音とともに、リーラ・シャルンホストは弾き飛ばされてそのまま後退した――追撃を逃れるために大きく後退し、そのまま仕切り直そうとするより早く、眼前にグリゴラシュが迫ってきて、小さくうめく。

 軽い風斬り音とともに迫ってきた長剣の刃を、リーラは手にした太刀拵の日本刀――村正を翳して寸手のところで受け止めた。魔力を帯びた武器同士が衝突したときに発生する激光とともに、左腕に衝撃が走る。

「くっ――!」 毒づいて、リーラは最接近したグリゴラシュの腹に向かって前蹴りを繰り出した――いったいいつの間に回避行動をとっていたのかその蹴りは虚空を貫き、肝心のグリゴラシュは側面に廻り込んできている。

 速い――!

 戦慄に背筋が粟立つ――重い風斬り音とともに首を刈りにきた一撃を、リーラは横に体を投げ出して躱した。危ういところで虚空を薙いでいった一撃が、壁に備えつけてあった内線電話機のランプを反射して紅い残像を残していく。

 体勢を立て直し、リーラは再びグリゴラシュと対峙した――なるほど、あのアルカードが警戒するわけだ。

 この男はアルカードとは違い、『剣』にすぎない――だというのに、身体能力の面においてグリゴラシュ・ドラゴスはアルカードに匹敵する。

 長身の吸血鬼は長剣を手にしたまま、怜悧な眼差しでこちらを睨み据えている。特に構えを取るわけでもなく、否、わずかに重心を下げていた。確かにアルカードと共通する動きだ。

 ほんのわずか――グリゴラシュの視線が左にそれた。当然、それは致命的な隙だと受け取れる。だが、そちらにいるのは――

 グリゴラシュの視線の先、部屋の隅で縮こまっている少女に注意をそらした瞬間、グリゴラシュが床を蹴った。左脇に巻き込んで繰り出されてきたやや斜めの横薙ぎの一撃をいったん後退して躱し、そのまま踏み込んで顔に向かって太刀の一撃を繰り出す。

 直撃すれば鼻のあたりから顔面に切り込みを入れていただろうが、その一撃はかなわなかった――攻撃動作が成立するより早く左手で右手首を叩き落としてこちらの内懐にまで踏み込んできたグリゴラシュが、彼女の右脇腹に左拳を押し当てる。

 これは――!

 戦慄とともに、後方に跳躍する――だが遅かった。

 震脚の轟音は爆鳴に近かった。体内で爆弾が爆発したかの様な衝撃が、視界を揺らす。なにが起こったのか理解するよりも早く、リーラの細い肢体は後方に吹き飛ばされ、背後にあった読書用の紫檀の机に背中から叩きつけられていた。

 衝撃に耐えかねて机がそのまま後方にずれていき、壁際にあった書棚に激突する――バサバサと音を立てて、本棚に収められていた大量の本が床に落下してきた。

 強烈な嘔吐感に襲われて、その場で激しく咳き込む。馬鹿な、今の技は――

浮嶽フガク――確かヴィルトールはそう呼んでいたな」

 攻撃の感触を確認する様に拳を握ったり開いたりしながら、グリゴラシュがそうつぶやいてゆっくりと笑う。

「なるほど、単純だが強力だな。とはいえ、結局のところ一度見ればマスター出来る。シンプルイズベストという言葉も、使いどころによるな」 満足げに笑って、グリゴラシュはそう嘯いた。 

「まぁもっとも――こんなものは俺とヴィルトールの戦闘では決定打にはならん。おまえと違って、あいつを相手にあんな最接近はそうそう出来まいよ」

 そう言って――アルカードを凌ぐ強烈な魔力強化エンチャントを施された長剣を手に、グリゴラシュはリーラに向かってゆっくりと歩き出した。

 

   *

 

 かん、かん――ハンマーで板を打つ様なそんな音が聞こえてきたのは、ショッピングセンターから帰ってきて、パオラの部屋でお茶を飲んでいるときのことだった。まだガスは来ていないからお湯は沸かせないので、アルカードに電気ポットを貸してもらったのだが。

「なにかしら?」

 裏側から聞こえてきたので、窓を開けて裏庭に顔を出す――はたして視界に入ってきたのは小さな作業用椅子に腰掛けたアルカードが、木製の犬小屋を組み立てている光景だった。

 ハンマーで板を打つ様な音はつまり、小さな樹脂製のハンマーで板を打っているために生じたものだった――まるで戸板の様な長く分厚い板に、直角になる様に何枚かの板を取りつけている。たぶんそれらが床板なのだろうが。

 仮留めした床板の位置を細かく直すために、仮留めの状態で樹脂製のハンマーで軽く叩いているらしい。

 リディアは玄関からサンダルを持ってきて窓から外に出ると、のほほんとした表情でのんびり作業しているアルカードのかたわらに歩み寄った。

 窓から出たリディアがさっき買ってきたばかりのサンダルを履いてこちらに歩いてきたのを見て取って、アルカードがこちらに視線を向ける。

「なにかお手伝い出来ることはありますか?」

「んー……無い」 短くそう答えて、吸血鬼がハンマーをレンチに持ち替える。ラチェットの切り替えを確認してから、アルカードは足元に置いたアルミ製のトレーからステンレス製の短いボルトを一本拾い上げ、ねじ穴に差し込んで締めつけ始めた。

 パオラも同様に窓から外に出て、こちらに歩いてくる。

「思ってたよりも大きいんですね」

「三匹ともここに住むとなるとな。仔犬のままならもっと小さくてもいいんだが」

 その言葉に、パオラが地面に放り出された平べったい段ボール箱に視線を向ける。

 そちらは格子を何枚か組み合わせた、可動式の囲いだった――アルカードはこの囲いで犬小屋を囲んで、その中で仔犬たちを放し飼いにするつもりらしい。

 足元にやってきてひっくり返った黒い仔犬のお腹をさすりながら、しばらくの間アルカードの作業を眺めてみる。

 犬小屋といっても三匹を入居させるためか、二階建てでプラス屋上があり、箪笥くらいの大きさがある。正直に言ってかなり邪魔そうだ。

「これ、どこに置くんですか」 というリディアの質問に、アルカードは塀の手前に置かれた簡易倉庫を指差した。その横に置く、という意味らしい。

「ほんとはこの窓の前に置こうと思ったんだけど、どう考えても邪魔そうだし」

「なんでこんなの選んだんですか?」 パオラの質問に、アルカードはかぶりを振った。

「認めたくないものだな、若さゆえの過ちというものを」

「若くないじゃないですか」 パオラの突っ込みに適当に肩をすくめ、アルカードは疲れてきたのか一度立ち上がって伸びをした。どうせほかにやることが無いからか、別に手早く終わらせるつもりも無いらしい。

「でもこれって、雨の日とかはどうするんですか」

 もともとが屋根の下に置かれるのが前提なのか、この犬小屋には雨よけになる廂のたぐいが無い――このアパートは全室が西向きだが、塀と背中合わせになっていれば西日は入らない。東からの日光はアパートの建物に遮られる――まぶしくも暑くもない半面、冬は寒そうだ。

「それな。そこの塀と窓の上の間にタープでもつけようと思ってる」 犬小屋の雨よけに――そう続けて、金髪の吸血鬼が逆の腕の肘を掴む様な仕草で腕組みする。

 説明書を手にとって簡単に内容をチェックしてから、アルカードは今度は犬小屋の背中側になるらしい上下二ヶ所に四角い開口部のある板を持ち上げた。高さは今地面に敷いている板と同じ程度だが幅が一・五倍ほどもあり、天然木なのでかなり分厚い。どうも二枚の天然木の板を張り合わせた構造になっていて、外側の板にはレールが取りつけられている。どうも外から開口部を開け閉めするための、言ってみれば窓を取りつけることが出来る様になっているらしい。裏側なので採光などの意味は無いが、主な目的は換気だろう。

 彼は説明書を確認しながら大きな板を手で支え――たまたま側板の上に足を踏み入れたテンプラの頭上に、それまで板の上に置いていた工具が落下する。板を挟んで反対側にいるアルカードでは間に合わない――リディアのかたわらにいたパオラがさっと踏み込んで落下し始めた工具を爪先ですくい上げ、再び浮き上がったラチェットハンドルをアルカードが空中で掴み止めた。

「ありがとう」 そう言ってから、アルカードはラチェットハンドルの取っ手をジーンズの尻ポケットに突っ込んだ。パオラが彼のかたわらに歩み寄って、天然木の板に手を添える。

「わたしが持ってますから、今のうちに仮づけしてください」

「助かる」 リディアが反対側に廻り、姉に倣って板に手を添えると、アルカードがうなずいて身をかがめた。

 アルミ製のパーツトレーから、L字型アングルの金具と茸みたいな形状のボルトを拾い上げる。

 一階と二階の床、それに屋根――三枚のフロア板を下側から支える様にして、金具をあてがい金具一枚につき四本のボルトを締めてゆく。

 ボルトは六角の駆動部分が無く、六角形のくぼみがついている。代わりにアルカードの手にしたラチェットハンドルには、六角断面の黒い棒状の駆動部を持つソケットがついていた。

 六角凹型ヘキサゴンボルトだ。おそらくそのほうが犬が体を引っかけたり、ぶつけたりする危険が少ないからだろう――さらに言うと、室内に対する突出し量も小さくなる。これはアングルを取りつける作業性においても重要だ――ボルトヘッドの突出しが大きければ、それだけもう一方のボルトを差し込んだり締めつけたりする際の作業に支障が出やすくなる。

 アングル状の金具はフロアを下から支える様にして背面側に三ヶ所、両側面に二ヶ所――反対側の側面はまだ板を組んでいない。正面側にもあるのだが、これは一番最後だ――正面には大きな開口部があり、ここから作業を行える。もっとも左右の側面にも換気や採光のための開口部があるので、手を入れる場所にはまったく不自由しないが。

「アルカード、左手に怪我を?」

「否――そういうわけじゃないが」 話しかけると、側板に膝を突いて地面寄りの位置の金具を締めつけていたアルカードがそう返事をしてきた。

「でも、今朝からずっと左手を使ってませんよね。車の運転をしてるときも、左手はハンドルを押さえてるだけで、ハンドルをることは一度もありませんでしたし」

 アルカードは今日リディアが見ている限り、まともに左手を使っていない――指先になにか引っかけたり、掌で車のハンドルを押さえたりといったことはしているものの、左手の指を細かく動かす様な複雑な作業はしていない。ありていに言ってしまえば、今のアルカードは左腕を動かすことは出来ても、左手で物を掴んだり細かな操作をしたりは出来ない状態だとしか思えないのだ。

 それを聞いて、アルカードはかすかに苦笑した。

「君はなかなか観察眼が鋭いな」 そんなことを言ってくる。

「ちょっとした不具合をかかえ込んでるだけだ。どうということもない」

 そう答えて、アルカードは手元に視線を戻した。床板と背中側の板を固定したら、次は側板と背板を固定しなければならない。このアングルは結構長く、一枚につき八ヶ所をボルト留めする構造になっている。アルカードは側板側のボルトをを手早く仮づけすると、パーツトレーから長いボルトを四本取り出して背板側のねじ穴に差し込んだ。

 ボルトの首下は明らかに背板の厚みとほとんど変わらない――否、それはほかも同じだ。背板は二枚重ねだからほかのものより長いのだ。

 アルカードはパーツトレーからプレート状の金具を取り上げて、パオラたちのいる側に廻り込み、貫通したねじ穴にそのプレートをあてがった。短冊状のプレートには筒状の個所が四ヶ所あり、見たところその内側にねじが切られている。その筒状の部分を板のねじ穴に入れて、反対側からボルトで締めつけることで固定するのだ。そうすることで外側に突き出すナットが無くても締め込める様にするのだろう。

 フロア板二枚に屋上の板一枚、それに一方の側板と背板。これで正面と反対側の側板を除く部分が取りつけが終わったことになる。おそらく側板と背板の接合は今は地面に接している側板の外側でも同様のプレートで固定する構造なのだろうから、あとでまたひと手間必要だが。

「よし――九十度転がして、この背板を下にする。パオラは向こうから持ってくれ――リディアはすまないが、犬たちが下敷きにならない様にそっちに集めててくれないか」

 アルカードのその指示に、リディアは固定の終わった背板から手を離して反対側に廻り込んだ。

「みんなおいで」 そう声をかけると、人懐こい仔犬たちが足元に寄ってくる。アルカードはパオラとふたりで、作業用の段ボールの上で構造物を転がしにかかった。

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