The Otherside of the Borderline 68
「なるほど」
うなずき返して口を開きかけたところで横合いから甲高い大声が聞こえてきて、アルカードは顔を顰めてそちらに視線を向けた。
「ちょっと、ナツキ! あんたもこっちに来て
黒髪をショートカットにした、よく日焼けした快活そうな娘だ。ナツキと呼ばれた少年よりも、幾分か年上に見える――が、妖魔の人間態の外見年齢などあてに出来たものではない。
「ああ、はいはい。わかったよ」 面倒そうに言って、少年が手にしたポリ袋に武装の残骸をぞんざいに放り込む。それを見ながら、アルカードはシンに視線を向けた。
「こんなもん、魔術でどうにかすればいいんじゃねーの?」
「うちの魔術師は今、ほかの事後処理で忙しくてな」 言いたいことはわかるが、といった口調でシンがそう答えてくる。
「頼れん」
ふうん、と生返事を返してから、アルカードはあらためてシンを観察した。そういえばこいつ一応犬の妖怪どもの首領のはずなのに、なんで下っ端と一緒にこんなところにいるんだ?
「ほら、これ持って。まったく弟のくせに使えないったら」
「うるさいな、こっちはおまえのハジキの片づけまでやって疲れてんだよ!」
「だ・か・ら、弟のくせにお姉様に逆らってんじゃないわよ!」
「なにがお姉様だ! 陛下の前だと気持ち悪いデレ面晒してるくせしやがって!」
「なぁんですってぇ!?」
「……」
無言のまま、アルカードはシンに視線を向けた。シンはこちらも無言のまま、頭痛を堪えるかの様にこめかみを揉んでいる。生皮を剥がれた囚人の傷口に塩を塗る拷問吏になった様な気分で、アルカードはシンに質問を投げた。
「……なあ。あいつら、今いくつ?」
「百五十三歳と百四十二歳だ」
こめかみを揉みながら答えてきたシンに、
「落ち着きねえなあ」 短くコメントして、アルカードは再び彼らに生温かい視線を向けた。
「だいたいあんた、陛下が妬ましいならそう言いなさい! どうせ『抱かれたい男』の投票ビリッケツのあんたが陛下にかなうわけは――」
「職場で『恋人にしたくないアイドル』ナンバーワンのてめーに言われたかねーぞ!」
「……なに? おまえのとこ、そんなランキングあるの?」
脱力感でふらふらになっているシンに同情のこもった眼差しを投げ、アルカードはとりあえずそう尋ねた――それを聞いて、シンの気配がさらにネガティブな方向に澱んでいく。
「言うな」
「でもよ――」
「言うな、頼むから」
「これでも俺は学校で取り巻きの女の子が五人――」
それはまずいだろう、と胸中で突っ込んだとき、
「ふたりともうるさいっ!」 さらに向こうにいた娘が、不機嫌もあらわに怒鳴り声をあげた。
「疲れてるのはみんな一緒だ! 帰りたかったら黙って手を動かせ!」
「でも姉さん、こいつが――」
「でも姉貴、こいつが――」
街燈に掴まって崩れ落ちかけた体をかろうじて支えているシンを見遣って、アルカードは彼に声をかけた。
「なんで棟梁のおまえが、こんなところで下っ端の監督してるのかわかった。こいつらほっといたら働かないから、お目付役を押しつけられたんだろ」
どうやらそれが正解だったらしく、シンはどんよりとした表情で返事をしてきた。
「頼むからなにも言うな」
「もういいからさっさと働けよ、このストーカー女が!」
「なぁんですってぇ、このプレイボーイが!」
「うっせーな、プレイボーイにはもてるための努力ってもんが――」
たがいに唾を飛ばし合い罵り合うふたりを珍獣でも見る様な表情で眺めていると、かたわらで崩れ落ちそうになっていたシンが――ゆらりと――立ち上がった。
「色男のほうがもてない女よりましだ!」
「そうやって女遊びにばっかりお金使ってるから、小遣いにも困ってあたしや姉さんに泣きついてるんでしょうが!」
「うっせーな、もてないつきまとい女と違って、色男はスケジュールが厳しいんだよ!」
ふたりを宥めようとしていた『姉』がなにを見つけたのか、表情を引き攣らせながら後ずさった。それに気づいていない少年と娘は、いまだ不毛な罵り合いを続けている。
「やるかぁっ!」
ふたりが同時に声をあげて間合いを取り――武器のつもりなのか少年は刃物満載のポリ袋を振りかぶり、娘は笠神のコートを振り翳す。
ごう、という空気の唸る音とともに、ふたりの間の地面が向こう三十メートルにわたって引き裂かれた――少し離れたところで切断されたシーソーが地面に落下し、けたたましい音を立てる。
引き攣った表情でこちらを、正確にはシンを見遣るふたり。シンは抜き身の太刀を手に、ゆっくりと恫喝の声を発した。
「その色ボケ馬鹿部下とつきまといストーキング部下のせいで、私が今どれだけ恥をかいているか――貴様らにわかるか?」
強烈な威圧感に後ずさりながら、ふたりがこちらに視線で助けを求めてくる――娘のほうははじめてこちらの存在に気づいたのか、意外そうな表情を見せていたが。
「……ま、いいや。疲れたから俺帰るわ。じゃあな」 心底気が抜けたので、アルカードは適当に手を振った。
「ああ」 太刀を鞘に収めながら、こちらも脱力した口調でシンが答えてくる。
背を向けて足を踏み出し――三歩目を踏み出したところで、アルカードは足を止めた。
――ぎゃあァアぁアァあッ!
構築された
同じタイミングで、振り返ったシンが手にした太刀を鞘走らせる。
たがいに回避行動を取りながらの一撃だったので、たがいに鋒は相手に届かなかった――かすかに目を細め、口を開く。
「いい抜きっぷりじゃねえか」
「ふん」 太刀を再び鞘に収めながら、シンが鼻を鳴らす。
「せっかくだ、続きをやるか?」
「やめておこう。帰って寝たい」 シンの言葉に、アルカードは適当に肩をすくめた。
「同感だ」
いきなりの状況変化についていけていないのか、姉弟と思しき三人が目を白黒させている。そちらに一瞬視線を投げてから、アルカードは今度こそ歩き去った。
3
「……?」
ふと人の気配を感じて眼を醒まし、綺堂桜は瞼を開いた。窓のカーテンが揺れ、差し込む月明かりが翳る。
そこに人が立っているのだと気づいて、桜は身を起こした。綺堂邸の厳重なセキュリティを破って侵入出来る者が、そうそういるとは思わないが――
「……誰?」 まだ眠気の抜けきっていないまま、誰何の声を発する――陰になって顔はうかがえないが、目の位置で深紅の光がふたつ燈っているのを目にして、桜は戦慄した。
吸血鬼――
なるほど、本物の吸血鬼であるならば、セキュリティをすべてくぐり抜けて侵入するのも難しくはないだろう――だが、どうして吸血鬼がここに来るのか。
ナハツェーラーである綺堂の一族は、基本的にヴァンパイアとはかかわりを持っていない。彼らの一族の吸血鬼化は風土病感染患者のコミュニティのなれの果てで、本物の吸血鬼とは根本的に異なるものだからだ。
積極的にかかわりを持つことは無いし、当然敵対する理由も無い、はずだ。
だが、月之瀬将也の『改造』の件に関して、月之瀬兵冴は本物の吸血鬼に手を出した。それも人間社会に溶け込んで暮らしてきた土着の無害な吸血鬼ではなく、西洋から流れ込んできた本物のヴァンパイアにだ。
配下を殺された吸血鬼が、綺堂を含めた一族を丸ごと敵と看做して報復に来たのか――それは無いだろう、普通の吸血鬼はそんなウェットな感情は持ち合わせていない。だとすると、強力な手駒を量産出来ると考えて襲いに来たか。
この吸血鬼がもしも敵ならば、自分だけではおそらく勝てない。そう考えたとき、吸血鬼が発したのは聞き覚えのある声だった。
「――月之瀬将也は死んだ」
アルカード・ドラゴスが、静かな口調でそう言ってくる。彼は窓枠に片手をかけたまま、
「俺が
「……そう、ですか」
シーツを握り締めてそう返事を返すと、吸血鬼はうなずいた。
「空社陽響の配下とも何人か接触した。彼らと俺とで、奴の手駒は全滅したはずだ――魔術通信網を途中から『盗聴』していたが、彼らが奴の手駒を四人
「はい。あの……将也の遺体は?」
「無い。残りの手駒どもも含めて――
それは、月之瀬は決して雑魚ではなかったということだろうが――吸血鬼がこちらの心情にはかまわずに続けてくる。彼は左腕に引っ掛ける様にして持っていた血のついた外套をベッドの上に放ると、
「月之瀬の遺品だ。供養でもしてやるといい」
唇を噛んで、桜は謝辞を口にした。
「ありがとうございました、このお礼は日をあらためて必ず――」
「別にいらない――ただ、俺と君が接触したことを、シンという名の彼らの幹部のひとりが知っている。おそらく自分からそれを触れ回ることは無いだろう――が、厄介事を避けたければ、黙っていたほうがいい」
「わかりました」
桜がうなずくと――その気配を察したのか、それともこちらの動きを見ているのか、吸血鬼はうなずいた。窓の前に立っている彼の体に月明かりが遮られて、彼の位置からではここはかなり暗い陰になっているはずなのだが。
「用件はそれだけだ、俺はそろそろ行く。遅くに邪魔をしたな」
いいえ、と首を振る桜にはかまわずに、吸血鬼は窓から身を躍らせた。
†
綺堂桜の部屋の窓から躍り出ると、アルカードはそのまま壁を蹴って跳躍した――庭に着地すること無く、塀の外へと着地する。
数百メートル先に止めたS2Rのところまで歩いていってヘルメットを手に取ったとき、鋭敏になっていた聴覚が啜り泣く桜の声を捉えた。
ごめんなさい、将也、ごめんなさい――
悲痛な嗚咽が聞き取れなくなるレベルまで聴力を落とし、アルカードはヘルメットをかぶってS2Rにまたがった。
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