The Otherside of the Borderline 27

 

   †

 

 どん、と眼前の女の体が揺れた――寂れた地下駐車場に、逃れ得ぬ死と対峙した噛まれ者ダンパイアの絶叫が響き渡る。悲痛な叫び声を気にも留めずに、アルカードは銃剣で女の胴体を串刺しにしたままウォークライのトリガーを引いた。

 耳を聾する轟音とともに、どてっ腹に風穴を開けられた女の体が消滅する。衣服だけを遺して消滅した女の塵を見送って、アルカードは少しだけ首をかしげた。

 さて、この女の素性だが。

 昼間『主の御言葉』から空港に向かう途中、検問を敷いていた警察官の言葉を思い出す。

 それと同時に、昨日の朝刊の内容も。

 女の残した衣服を調べてみるが、着ていたジャケットの内ポケットから身分証らしきものは出てこなかった――が、まあ、一応の見当はついている。

 今朝、正確には昨日の朝の新聞に載っていた一連の吸血事件の被害者のひとりで、おそらくは国道で検問を敷いていた警察官が云うところの『病院から盗み出された死体』のひとつなのだろう。

 結論の裏づけを取るためにアルカードは携帯電話を取り出し、ふたつ折りの携帯電話を開いて電波状態を確認した。アンテナは三本。

 携帯電話やトランシーバーなどの電磁波を利用した無線式電気通信のインフラは意図的に妨害されない限り、結界内部でも問題無く使うことが出来る――まあ異空間でさえ使えるのだから、結界の一枚や二枚程度なら問題無いのだろう。意図的にそれを遮断する術式を組み込まない限り、電磁波は特に支障無く結界を通り抜ける。

 番号を呼び出して発信ボタンを押すと、一度目のコール音が鳴り終わるよりも早く相手が出た。

「はい、在東京ローマ法王庁大使館渉外局当直です」

「ヴィルトール『教師』だ」

「ああ、これはお疲れ様です、ヴィルトール教師」 アルカードが名乗ると、深夜に呼び出された渉外局の当直職員の口調が少々柔らかくなった。

 この番号は渉外局の専用の番号で、実際にこの番号に電話をかける人間は限られている――アルカード、『主の御言葉』の柳田司祭、ライル・エルウッドなど、国内で活動する聖堂騎士団関係者に限定される。

 しかし実際に頻繁に電話をするのは、『主の御言葉』ではなく大使館渉外局から直接支援を受けているアルカードひとりだけだろう――特殊現象対策課は公式な聖堂騎士団の窓口になっている『主の御言葉』に主に連絡するはずだ。

「課業時間外にすまないな――セバスティアン神田はまだいるか?」 ここのところ残業の多い弟子の名前を出してそう尋ねると、

「いいえ。すでに退勤しております」 向こうからはそんな返事が返ってきた。

「そうか――こんな時間で悪いが、調べてほしいことがある」

「少々お待ちください」

 そう返事をしてから、彼は通話を保留にはしないままややあって続きを促してきた。がさがさと音がしていたから、メモの用意でもしていたのだろう。

「どうぞ」

「日立から始まった連続殺人事件だが、被害者の顔写真を警察から入手してほしい。その中から今から言う特徴に当てはまるものをピックアップして、写真をメールで送ってくれ」

「わかりました。特徴をどうぞ」

「年齢は二十代前半、性別は女。身長は百六十センチ程度、髪は明るい茶色のセミロングだ。あ、それと左の眼元に泣き黒子が――」 気づいた特徴をほかにもいくつか羅列して、アルカードは電話を切って返答を待った。

 五分ほど経ったころ、メールの着信音が一度だけ鳴った。

 メールのタイトルは『これ一件だけでした』――本文は『氏名・島崎真美子、年齢・二十三歳』から始まる彼女のプロフィールで、画像が添付されている。ほかの特徴だけなら絞り込みも大変だっただろうが、殺した女の眼元の泣き黒子が決定打になったらしい。

「仕事が早いな」 そうつぶやきながら、アルカードは添附されている画像を開いた――あるいはレイル・エルウッドから渉外局に情報が行って、神田が事前に情報提供を警察に依頼していたのかもしれない。

 画像を開いてみると、先ほど殺したあの女だと知れた。

 きちんとした衣服を着ているのは、そのほうが獲物漁りがしやすいからか目立ちにくいからか。いずれにせよ、それなりの知能は残っているらしい。

 これで警察官の言っていた事件と、月之瀬将也の関連性は決定的になった。礼文を送信してから、小さく笑う――彼はそこで、ふと顔を上げた。

 なかなか強力な魔力の気配が、ここから数百メートルほど離れた場所に移動しつつある――魔力の質が島崎真美子の気配にかなり近い。島崎真美子ははずれだったが、今度は当たりらしい。

 さて、なら殺しに行くか。

 胸中でつぶやいて、アルカードはいくつか首を斬り落とされた死体の転がった地下駐車場をあとにした。

 

   †

 

「キャァァァァァッ!」

 再び耳障りな声をあげながら、噛まれ者ダンパイアがガスボンベを振り下ろしてきている――この作業現場にあったガス溶接機から取りはずしたものだ。ネメアはあわてず騒がず、冷静に振るった剣の一撃で噛まれ者ダンパイアの攻撃を迎え撃った。

 環の魔術によって補強された長剣の物撃ちがボンベと衝突し――熱したナイフをバターに入れたときの様に、荊の刺刑Rosethorn Executeの剣身が火花とともにボンベの胴体を引き裂いてゆく。切り口がボンベの内壁にまで達して圧縮された酸素が噴き出すが、気にしないままネメアは長剣を振り抜いた。

 鋒から逃れて後退した噛まれ者ダンパイアを追って、剣を振るう――どのみちあそこに留まるわけにはいかない。高濃度の酸素が充満した空間は、酸素濃度が十八パーセントを切った空間と同じくらい危険だ。

 噛まれ者ダンパイアが手元に残ったボンベの切れ端を、迎撃のつもりか振り翳している。

 だが人参か大根の葉っぱを頭ごと切り取ったみたいに操作レバーに近い部分だけが手元に残った消火器など振り翳してもなんの役にも立つまい――実際にそんなものは意味を為さず、威嚇のための叫び声は次の瞬間には片腕を斬り落とされたことによる痛みの絶叫に変わった。

「あがぁぁぁぁっ!?」

 手首と肘の中間くらいのあたりから先が消失した左腕を抑えて、噛まれ者ダンパイアが耳障りな絶叫をあげる――それにこれっぽっちも同情を抱かないまま、ネメアは長剣の鋒についた汚らしい血を払った。

「てめぇ、よくもおれのうでおをををを!」

 涙と鼻水で馬鹿面をさらに醜悪にしながら、噛まれ者ダンパイアが地面を蹴る――足元に唾棄して、ネメアはわずかに重心を下げた。

「黙れ――耳障りだ」

 地面を鋒がかすめる様にして斬り上げた一撃が、無慈悲に噛まれ者ダンパイアの股下から左肩にかけて分断する。残った右手で傷口を押さえて悲鳴をあげる噛まれ者ダンパイアの背後に廻り込み、ネメアは背中から剣の鋒を噛まれ者ダンパイアの胴体に突き立てた。

 喀血に喉を掻き毟っている噛まれ者ダンパイアの状態を気にも留めないまま、ネメアは続けた。

「たまには――自分が側になってみたらどうだ?」

 そのつぶやきが終わるか終らないかのうちに――そこで荊の刺刑Rosethorn Executeが、賦与された魔術の効果を発現させる。

「――ぎゃぁァあァアァッ!」

 全身を喰い破りながら生長していく荊の感触に、噛まれ者ダンパイアの喉から絶叫がほとばしる――口蓋を突き破って飛び出した純白の蕾が真っ赤に染まりつつある花弁を開いた時点で、噛まれ者ダンパイアの悲鳴は途絶えた。

「下種が」 なんの憐憫も感じないまま、習い覚えた魔術を放って噛まれ者ダンパイアの肉体を焼き払う――もはや魔界の植物の苗床でしかなくなった噛まれ者ダンパイアの肉体を、青白い劫火が包み込んだ。

 もはや侮蔑の表情を浮かべる手間さえも惜しんで、彼は最後の噛まれ者ダンパイアを睨み据えた。アサカをはじめとした残るメンバーの半分が、その噛まれ者ダンパイアひとりに戦力を振り向けている。

 驚くほどのタフさだ――すでに百発以上の弾丸を受けているというのに、まだ人間の形状を保っている。

 下位の噛まれ者ダンパイアはさほど強力な再生能力を持たないはずだが、全身を撃ち抜かれてもまだ生きている――銃弾を撃ち込まれて挽肉同然にされた膝も、徐々にではあるが再構築されつつあった。


 彼らは知る由も無かったが、彼らと噛まれ者ダンパイアは距離が近すぎた。

 ルーン文字の刻まれた弾頭は常に一定量の魔力を放出し続けており、体内に入り込んだ瞬間に全魔力を放出しているわけではない。

 したがって、ルーン文字を刻まれた弾頭は撃ち込まれた目標に対する対霊体破壊能力を持っているが、その破壊力は目標体内で停止してはじめて最大限に発揮される――弾頭に刻まれたルーン文字は弾頭が標的の肉に直接触れている間だけ、その時間に見合った量の魔力を対象に送り込むのだ。

 水を出しっぱなしにした水道の蛇口の下に翳したコップの中に、蛇口の下に置いている間しか水が溜まらないのと同じだ――それと同じ様に、ルーン文字の銃弾も体内にとどまっている間しか殺傷能力を発揮しない。貫通してしまっては、体内通過の瞬間に放出される魔力の量などたかが知れている。

 彼らのチームの使用していた銃はSR-16アサルト・カービンとM14SOCOM、いずれも野戦用のライフルで、それぞれ五・五六ミリと七・六二ミリのNATO標準規格の弾薬を使用する。

 彼らが使う銃の使用弾薬はいずれもCQBを想定した人体の内部で停止しやすい構造の弾薬ではなかったために貫通力が高すぎて、そのことごとくが噛まれ者ダンパイアの肉体を貫通していた。

 五・五六ミリと七・六二ミリのNATO標準規格の弾薬は弾速が速すぎ、また貫通力が高すぎて、かつ標的との距離は二メートルあるか無いか――超至近距離から撃ち込まれた銃弾はその貫通能力をいかんなく発揮して噛まれ者ダンパイアの肉体を針で紙を刺すがごとくに貫通し、敵の体内で肉に触れている時間がほとんど無かった。そのために撃ち込まれた銃弾は敵の体内でろくに魔力を放出出来ておらず――その結果噛まれ者ダンパイアの肉体は損壊していたものの、その活力の本質である霊体はほぼ無傷のままだったのだ。


「ネメアより全部署――俺が斬り込む、援護しろ!」

 魔術通信網に思念を飛ばし、ネメアは地面を蹴った。一気に間合いを詰めて、繰り出した必殺の一撃が噛まれ者ダンパイアの首を刎ね飛ばさんとして肉迫する。

 だが、並の人間なら反応はおろか認識すら出来なかったであろうその一撃を、噛まれ者ダンパイアは寸手のところで躱し切った――間合いが離れきっておらず体勢も整っていない噛まれ者ダンパイアに向かって、七・六二ミリ口径と五・五六ミリ口径の弾丸の雨が降り注ぐ。

 銃弾程度ではネメアの皮膚を貫通出来ないことはわかっているので、ネメアを巻き込むことに対して躊躇が無い――上等のスーツをずたずたに引き裂きながらも戦車の装甲より強靭な外皮に弾き返されていく弾頭の感触に、ネメアはゆっくりと笑った。

 四発に一発の割合で曳光徹甲弾ピアシング・トレイサーを混ぜ込んだ七・六二ミリ弾と五・五六ミリ弾の雨を受けて、全身を穴だらけにされた噛まれ者ダンパイアの喉から絶叫がほとばしる。

 もうあまり時間が無いので、ここで一気に仕留めなければならない――噛まれ者ダンパイアは自分の上位の吸血鬼と精神がつながっている。それは精神支配を行うためだけの絆だが、それがあるゆえに上位個体は即座に異状に気づく。

 つまりここにいた三人の吸血鬼のうち二名が死に、最後のひとりももうすぐ死ぬことになるこの状況は、上位個体にはすでに露顕しているのだ――こいつらの上位個体が何者かわからない以上、これ以上時間をかけて上位個体の奇襲を受けるわけにはいかない。

 彼に対してはなんの効果もない銃弾の雨を受けながら、ネメアは地面を蹴った。手にした長剣を、必殺の気合とともに振り下ろす。

 全身に鉛玉をぶち込まれてタコ踊りを踊っている最中の噛まれ者ダンパイアには、それを防ぐ術は無い――はずだった。

 った――

 勝利を確信して繰り出した一撃は、しかし意外な行動によって止められた――噛まれ者ダンパイアは両腕を交差させて、ネメアの一撃を受け止めたのだ。おそらくは両腕を犠牲にする覚悟で。

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