河合隼雄「昔話と日本人の心」
河合隼雄「昔話と日本人の心」を読み終える。昔話には人間の持つ無意識の世界がよく反映されている。ユング派の心理学者である河合隼雄が日本の昔話を分析した本。といっても、ユングの学説は西欧の近代的な自我を前提としているため、この本では日本独自の心理的要素を見出すべく考察されている。
通常、退行というのはマイナスのイメージでとらえられるけれど、ユングは必ずしもそうではなくて、無意識のレベルに下りることで、そこから得るものがある、創造的退行があることを認めている。昔話の主人公たちは無意識という非日常の世界へと分け入っていくのである。
考察されるのは人間関係で、父―息子、母―息子、父―娘、母―娘といった親子関係や姉―弟、兄―妹といった兄弟関係。自我を確立させるには、これらの親子関係を一旦克服する必要がある。要するに、結婚することで親子関係を克服する……というところだろうか。
父権的な欧米の親子関係に対し、日本は母権的だとされる。父権的な親子関係は全てを裁断し、父なる神へと至る。三位一体をはじめとした完全たる構図である。それに対置する母権的な親子関係は全てを呑み込むもの(グレートマザー、日本では山姥がそう)であり、完全という概念に対して無という概念が見いだされる……というところか。
結婚を軸とした昔話として、異類婚姻譚が挙げられる。西洋のそれは人が魔法に掛けられて蛙や白鳥になったものであるのに対して、日本の場合は人ではなく動物は動物そのものである。また、「見るな」の禁止を破るモチーフも西欧と重なる面があるのだけど、西洋の場合は波の様に浮き沈みの激しい物語(結局は成功して結婚する)となるのに対して、日本の場合は「見るな」の禁止を破ったら、そこで婚姻関係は破れ、物語の始めの元の状態に戻ってしまう。波状ではなく円状に循環しているイメージで説明される。日本人はそこに「あはれ」の感情を見出すのである。
これは個人的な意見だけど、日本の昔話が無に帰るのは、日本の古典文学が無常観を通過しているからではなかろうか。日本人はどうやって末法の世という仏教的世界観を克服したのか知らないけれど、万物が流転する世界観を未だに持っているのではなかろうか。また、仏教の知識がないので分からないが、無という概念は仏教でいう空の概念に繋がるのだろうか。
余談
時折り水面の夢を見ることがある。水面は無意識の世界のことだろうけれど、僕の場合、それに身を浸しても潜ることができないのである。
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