日常
16話 先輩
「中卒! マジ?」
先輩はサンドイッチを棚に置く手を止めて、私の方を目をまんまるにして、見た。
「ほんとですよ」
「マジか、中卒! へぇー! パネぇわ! 沙優チャソ、パネぇ」
「パネぇですか」
「いや、イカしてると思うわ、中卒。魂感じるわ。あ、古いやつを前に出してから、新しいやつは奥から入れてく感じで、ヨロ」
「はい」
髪は金髪で、肌は小麦色に染まっていた。パッと見た感じ、これはサロンで焼いたのだと思う。髪と肌の“いかつさ”の割には、化粧は薄めで、目が少し細くてキリッとしているのが、かっこよかった。
最初は見た目と雰囲気に圧倒されたものの、仕事はかなり丁寧に教えてくれたし、なにより、話しやすかった。
「つか、なんで敬語なわけ。ウケる。ウチら同い年っしょ」
「いやぁ、バイトとしては結城さんの方が先輩なわけですし」
「そういうのいいって。あと、あさみでいいよ」
「あ、はい。……あ、うん」
私が首を縦にこくこくと振ると、あさみは口角をニッと上げて、再びサンドイッチを棚に入れてゆく作業に意識を戻した。
「なんで高校行かなかったん? なんかやりたいことある的な?」
「ああ、いや、うーん……なんとなく?」
「なんとなくかぁ、ま、そういうのもアリよな」
あさみは、私に基本的な仕事を教えながら、度々、私のことについて訊いてきた。その質問の温度は不思議で、私に興味津々というわけでもなく、かといって、興味がないのにとりあえず質問はしてみる、というわけでもなさそうだった。興味はあるけれど、ほどほどの踏み込みで、質問を投げる。そんな感じ。
中卒、と言ったのは、嘘だ。
高校に通っていたけれど、今はサボっていて、しかも高校からは遠く離れたところに一人でやってきている、という説明はどうも面倒だったのだ。それに、そんなことを正直に言ってしまえば、面倒な問答が始まるかもしれないという懸念もあった。でも、『中卒』という今の時代では信じられないほどにリスクの高い選択をしたということに対するあさみの反応を見る限り、本当のことを話したとしても、彼女は大して口を挟んでこなかったかもしれないと思った。
「基本、全部同じだから。古いのを前に出して、新しいやつは奥から入れる。簡単っしょ。ま、ほんとは商品棚に出す前に棚出しの登録したりすんだけど、そのへんは他の仕事覚えてからでオーケー牧場」
「わかった」
オーケー牧場、なんて言葉を使う女子高生を初めて見た。返事をしながらちょっとにやついてしまったけれど、本人は気付いていない。
そう、あさみも高校二年生なのだと言う。見た目はと口調から、なんとなく察することはできるけれど、典型的な“ギャル”というやつだと思う。
「で、沙優チャソはどのへんに住んでんの」
その、『チャソ』っていうの、笑いそうになるからやめてほしい。
「ここから歩いて5分くらいのところだよ」
「お、ウチもそんくらい。もしかして家めっちゃ近いんじゃね」
「ここから駅の方面に5分くらい歩いた方だよ」
「あー、駅の方行っちゃう系。じゃ、逆だわ」
あさみはぽりぽりと頭を掻いて、鼻をスンと鳴らした。
「ウチは駅と逆方面にこっから5分くらいのとこ。あ、でも、5分足す5分で、10分歩けば沙優チャソの家着くわけか。フツーに近いじゃんな、ウケる」
「ウケるのか」
曖昧に相槌を打ちながら、私は少し嫌な話の流れを感じ取ってしまっていた。
これ、どう考えても、あさみの次のセリフは。
「じゃ今度さー、沙優チャソの家行くわ」
まあ、そうなるよね。
「行ってもいい?」じゃなくて「行くわ」なのが、あさみらしさだと思う。
私は即座に当たり障りのない笑顔を作って、手をひらひらと振った。
「うーん、どうだろ。一緒に住んでる人がさ、いいって言うか分かんないな」
「ん? 一緒に住んでるヒト?」
ぴくりとあさみの眉が動いた。
「言い方的に、家族じゃない系? 彼氏と同居、的な?」
「いやいや、彼氏じゃないけど」
「彼氏じゃないけど、家族でもないってこと?」
妙に、ぐいぐいと訊いてくる。
私はどう答えたものか迷ったけれど、ふと、ずいぶん前に私を泊めてくれた男の言葉を思い出した。
『何かを隠すときは、最も隠したいものだけ隠して、他はおおっぴらにするんだよ。踏んだらヤバイ爆弾は一つに絞らないとね、いくら気を付けても、あっさり踏んじゃうからね』
その男は、数えきれないほど多くの女性と同時に交際をしていたけれど、誰にもバレずに上手くやっている奇妙な人だった。一日に何回も携帯電話が鳴って、しかもかけてきている相手は毎回違う女性だった。電話口では「好きだよ」だの「愛してるよ」だの何度も口にしていたのに、私に手を出すときは「かわいいね」としか言わなかったのを見て、なるほど、確かに不要な嘘はつかないんだなと納得したのを覚えている。
「血は繋がってないんだけどね。小さいころから交流のあったお兄さんがいて」
「血の繋がってないお兄さん? それビミョーにヤバくね」
「ヤバくないよ。優しい人だから」
「優しいフリしてるだけかもじゃね」
小さいころから交流があった、というのはもちろん嘘だ。
ただ、『家族です』と言って紹介したら、必ずどこかでボロが出るような気がした。
「襲われたりしてない? 大丈夫?」
「大丈夫、大丈夫! そういうのは一切ないから!」
本当に、腹が立つくらい、そういうことはないのだ。
驚いたのは、あさみの貞操観念が思ったよりしっかりしているというところ。正直、彼女の見た目はだいぶ“チャラい”し、その見た目とのギャップに少し驚いた。そして、逆に、男性と二人で暮らすことに特に抵抗がなくなっている自分の感覚の方がおかしいのだろうな、とぼんやり思った。
「でもぶっちゃけ沙優チャソ、かなり可愛いじゃん? フツーの男ならムラムラ来るんじゃね。家族でもないんだし」
私も、そう思う。
「ううん、分かんないけど。本当に、そういうのはないんだよ」
「いやいや、絶対我慢してるだけだべ。いつか突然牙を剥く系だべ絶対」
なぜだか分からないけれど、あさみから見て吉田さんの信頼度はゼロだった。会ったことすらないのに。ただ、あさみの言いたいことはよく分かる。私も、今の彼との関係性は普通ではないと思う。
「まあとにかく、ちょっと事情があって、その人のところに泊めてもらってるの」
「へぇ……親はなんにも言ってこないわけ」
あさみは思い出したように、おにぎりを棚に置きながら訊ねてくる。
『親』という単語が出て、私は一瞬どきりとしたけれど、すぐに笑顔を作って、頷いた。
「放任主義だから、うちの親」
私がそう言って顔を上げると、横目でこちらを見るあさみと目が合った。
その目は、先ほどまでのあっけらかんとした色とは違い、少しだけ鋭い、何か含みを感じる色を発していた。
どきりとする。
「ふぅん、そういう系か。ま、親がそれなら、知らん人と住むのも、アリなんじゃね」
あさみはスッと私から目を逸らして、再びおにぎりを棚に出す作業に戻った。一瞬だけ鋭くなった雰囲気も、今は元の柔らかいものに戻っている。
一体、あの視線はなんだったのだろう。
少し、心拍数が早くなっているのを感じた。
「ま、どのみち、沙優チャソの家には行くわ」
あさみはぽつりとそう言って、私を見た。
「そのお兄さんがどんな人か、ウチが見極めてあげるし」
「あ、うん……」
頼んでないんだけども。
苦笑しながらも、彼女の中ではうちに来ることは確定のようだし、妙に断りづらい迫力が、あさみの言葉にはこもっていた。
「今日でいいっしょ」
「……うん?」
「今日バイト上がり時間一緒じゃん? ちょうどいいしさ」
「えっ、今日?」
私は冷や汗をかく。さすがに、急すぎる。
「そのお兄さん、社会人? それともニート系?」
社会人か、ニートか、という二択はどうも極端すぎる気もするけれど。
「社会人だよ。バリバリ働いてる」
「じゃ、帰るころには家にいない系?」
「いない系だね」
「じゃ、帰ってくるまで待つわ」
だから、どうして全部彼女が決めてしまうのだろうか。「行ってもいい?」とか「待ってもいい?」じゃないのだろうか。心中でツッコミを入れながらも、私はとにかく焦っていた。
吉田さんに、どう説明したものか。
正直、断ってしまいたいけれど、この話の流れで彼女の提案を断るのはどうもまずい気がする。「やっぱり、他人には言いづらい、やましい関係です」と認めているようなものだと思う。いや、実際にそういう関係なのであれば、それでもいいと思う。これ以上踏み込まないでくれ、と言うだけだ。ただ、吉田さんと私は本当に清潔な関係を保っているし、相手はたかがバイト先の先輩とはいえ、吉田さんの『品位』みたいなものを私が勝手に落とすのは非常に心苦しかった。
私は少し逡巡して、結果。
「まあ、いいけどさ」
なんとも、煮え切らない返事をした。
あさみはうんうんと頷いて、親指をグッと立てた。
「ウチに任せといて」
何を?
苦笑しながらも、私は曖昧に、首を縦に振った。
バイトが終わるのは18時。吉田さんが帰ってくるのは、だいたい21時前後。
バイトが終わったらすぐに、メッセージを入れておかないと。
吉田さんが携帯を買ってくれていて本当に良かった、と、心から思った。
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