4話  服


 土曜日。

 居室で寝転がって新聞を読む。

 俺の家にはテレビがないので、時事の収集は新聞でするしかないのだ。


「女子中学生を強姦した疑いで逮捕、ねぇ」


 尻をぼりぼりと掻きながら記事に目を通していると、そんな内容が目に入ってきた。

 若い女が輝いて見えるのは分からないでもないが、やはり性的な目で見ることはできない。

 以前まではこれが普通の感覚なのかと思っていたが、未成年に対する性犯罪が度々報道されることを鑑みるに、意外と未成年の女に欲情する男は多いのかもしれない。


「俺は年上の方がいいけどなぁ」


 呟いて、新聞をめくる。


「ちょっと失礼するよー」


 居室でごろんと寝転がっていた俺の上を、洗濯物を抱えた沙優がまたいで通った。


「パンツ丸見えだぞお前」

「スカートなんだからしょうがないじゃん」


 ふと沙優に目をやると、彼女はいつものごとく制服を着たまま家の家事をこなしていた。


「そういや、お前ずっと制服だな」

「これしか持ってないし。洗濯はちゃんとしてるから汚くないし」

「にしたって部屋の中で制服ってのも変だよなぁ」


 言って、俺は身体を起こす。

 ビジネスバッグに入れたままの財布を取り出して、中身を見る。

 ああ、思ったよりはまだ残ってるな。

 頷いて、中から福沢諭吉の印刷された紙幣を取り出す。


「ほら、これでなんか買って来いよ。ウニクロとかなら全身揃えられるだろ」

「え、悪いよ」

「毎日パンツ見せられるのもいい気分しないんだよ」


 沙優はうーんと唸ってから、思いついたように手を叩いた。


「じゃあ一緒に買いに行こうよ」

「えぇ……」


 顔をしかめる。

 俺と沙優が並んで服を買いに行く様子を想像した。


「なんか、援助交際みたいで嫌だわ」

「はは、たしかに」

「一人で買って来いよ。その間に俺はお前の布団を買ってくる」


 布団、という単語に沙優は過剰反応した。


「え、いいよ! カーペットで十分寝れるし」

「起きたとき身体痛いだろ」

「そんなことない」


 どうしてそこまで遠慮するのだろうか。

 買ってやると言っているのだから素直にありがとうと言っておけばいいのだ。


「お前起きたときに毎回『いてて』って言ってるじゃねえか」

「え、言ってないよ」

「言ってるっての」


 無意識か。


「自分だけベッドで寝て、女を床で寝かせとくのもいい加減気が引けるんだよ」

「でも」

「俺が気になるから買うんだ。お前の意見は聞いてない」

「う……」


 まあそもそも、客用の布団も用意していない家というのも社会人としてどうなのかという話ではあるのだが。

 どうせ野郎と集まって夜通し飲むくらいしか、他人を泊めるようなことはないだろうとタカを括っていたのだ。

 それに、もし恋人を泊めるようなことがあれば、同じベッドで寝ればよいだけの話で。


「というわけで、今日はお前は服を買って来い」

「わかった」

「余った分はお前の小遣いにしていい」

「え」


 そこで、再び沙優は困惑の色を見せた。


「いいよぉ」

「でもお前金ないんだろ。こんなに何もない家で毎日遊ばずに過ごすのもしんどいんじゃないのか」

「泊めてくれてるだけで十分だって」


 どうも、こいつには大人に遠慮する癖があるようだ。

 今までどういう大人の家を渡り歩いてきたのかは知らないが、少なくとも遠慮が必要な相手だったことは手に取るように分かる。

 自然と、ため息が出た。


「俺がいいって言ってるんだから、良いんだよ。使わないなら使わないで、貯めりゃいいだろ?」

「でもさ……」


 沙優は納得できないというように、床に視線を泳がせた。


「ここまで良くしてもらっちゃったら……どうやって恩返ししたらいいのか分かんない」


 その言葉はあまりに素直で、俺は一瞬言葉を失ってしまった。

 沙優は、遠慮をしているわけではないのか。

 受けた恩を返す方法を、常に考えている。

 返しきれない恩は、受け取れないと思っている。

 そういうことなのか。


 うーん、と頭を掻く。

 どうしてこう……ガキのくせに。


「俺は」


 言葉を選ぶ。どうすれば、伝わるのだろう。


「割と忙しい。だから、家事とかに時間はあんまりとれないんだ」


 ゆっくりと、たどたどしく言葉を続ける。

 沙優はじっと俺の目を見ていた。


「でも、今は沙優が全部やってくれてるだろ。ここ一週間くらい家にいる時間はだいぶ楽できてるんだ。……それだけじゃ、ダメなのか」


 俺が沙優の目を見返すと、沙優は困ったように目を逸らした。

 そして、ぽつりと言った。


「吉田さんが、それでいいなら……それでいい」

「じゃあ、それでいいだろ」


 頷いて、俺は立ち上がる。

 こんなくしゃくしゃの寝間着姿で出かけるわけにはいかない。

 小さな備え付けのクローゼットを開けて、適当な服を見繕う。


「吉田さん」


 ガバッと上半身の寝間着を脱いだところで、沙優に声をかけられた。


「なんだよ」


 沙優に視線だけ寄越すと、沙優は口をきゅっと結んで。

 そして、すぐににへらと柔和な笑顔を見せた。


「ありがと」

「……おう」


 俺はスンと鼻を鳴らして、Tシャツを頭からズボッとかぶった。


 それでいいんだよ、それで。

 心の中で、一人ごちた。







「わー! ふかふかだー」


 沙優が布団の上でごろごろと転がる。

 彼女は制服を脱いで、ゆったりとした灰色のスウェットを上下に着ていた。やはり、部屋の中にいる分にはこちらのほうが馴染んでいるし、どう見ても過ごしやすそうだった。


「馬鹿、ホコリがたつだろ」


 俺が半笑いでやんわりと嗜めると、沙優が顔だけ持ち上げてこちらを見た。


「毎日お掃除してるからホコリないよ?」

「……そうだったな」


 俺はこくこくと適当に頷いて、手に持った缶ビールのプルタブを上げた。

 プシッと気持ちの良い音がする。


「布団、あった方がいいだろ」


 一口ビールを飲んで、沙優に訊く。


「うん。今日はよく眠れそ」

「そりゃよかった」

「吉田さん」


 沙優が俺をじっと見た。


「一緒に寝よ」

「ごふっ」


 完全に『ありがとう』と言われる心の準備をしていたので、予想外の言葉にビールを吹きかけた。

 口をぎゅっと閉じて、なんとか吹き出すのはこらえたが。


「げほっ」


 ビールを飲み込んで、慌てて咳をする。


「だ、大丈夫?」

「お前な……」


 俺は沙優に人差し指を立てた。


「安易に誘惑したら追い出すっつったろ」


 俺が言うと、沙優は『そう言われるのは想定済み』というようににんまりと口角を上げた。


「べつに、えっちなことするなんて一言も言ってないじゃん」

「あ? ……ああ、まあ、そうか」

「吉田さん、女子高生と一緒のお布団で寝たららえっちなことするのが当たり前だと思ってたってことでしょ」

「馬鹿、俺にそういう趣味はねぇっつの」

「えー、ほんとかなぁ」


 くすくすと楽しそうに笑って、沙優はまた無駄にごろごろと布団の上を転がった。

 その様子を横目に、俺は再び缶ビールに口をつけた。

 一人で飲むビールよりも、美味しく感じたのは気のせいだろうか。


「それで? 一緒に寝る?」


 ごろごろと転がっていた沙優が動きを止めてこちらに視線を送ってくる。


「嫌だね。俺はベッドで寝る」

「びびってんのかー」

「寝るときに狭いのは嫌なんだ」


 俺が言うと、沙優はいたずらっぽく笑って顎をくいと引いた。自然と、上目遣いになる。


「柔らかいよ? 抱き枕にどう」


 自分の身体を指さして、沙優が言った。

 俺は鼻を鳴らす。


「まじで追い出すぞ」

「冗談だってばぁ」


 けらけらと肩を揺らす沙優を見ながら、ぼんやりと今日の午前中の沙優を思い浮かべる。

 大人から与えられる優しさのようなものに慣れていない、あの不安そうな表情。

 不安になったとたんに、小さくなる態度と、声の音量。

 思い返すと、少し虚しい気持ちになった。


「お前さ」


 ビールを一口飲んで、口を開く。

 沙優が視線だけこちらに寄越してくる。


「笑ってるほうが可愛いぞ」


 言うと、沙優はきょとんとして、すぐに少し頬を染めた。


「なに、口説いてんの」

「だから趣味じゃねえって」


 沙優は軽口を言って、こちらに背中を向けた。

 照れてる、照れてる。

 何度も言うが、会話のペースを女に掴まれるのは好かないのだ。

 心中でほくそ笑んで、ビールを煽る。


 ガキは、笑っている方がいい。

 本心でそう思っていたし、なによりも。

 不安で縮こまっている彼女よりも、余裕たっぷりな態度で笑っている彼女の方がよほど可愛いと思えた。

 まあ、どのみち、ガキは好みではないのだが。



 空になってしまった缶ビールを持ったまま、冷蔵庫の前に向かう。

 冷蔵庫を開けて、中からもう一本ビールを取り出した。


「まだ飲むの」

「明日も休みだからいいんだよ」


 プルタブを上げながら、沙優に返事をする。

 そして、ぼんやりと思った。

 会話する相手が家にいるというのも案外悪くないものだ、と。




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