<甲二十二 ――――――>
第一次遣欧艦隊が碇を下ろしたポーツマスの日が沈んでから、だいぶ経った。
結局この日はずっと雨だった。
この場に集まってから、まる一日身動きできなかったことになる。
ただ、雨に阻まれて敵も手出しできないおかげで、ありがたいことに補給と応急修理だけがだいぶ進んだ。
夜中近くなり、ようやく雨が上がって雲間から月が見えかくれしている。
「ありゃなんだ? ああ、あれが噂の……」
当直だった若い参謀の津田が、雲の隙間に変わった形の飛行機を見た。ワトソンの操縦するツインハリファックスが帰って来たところだった。
「ここ何時間か、大西洋上から気象情報を飛ばして来てたのは、あれか」
そう言って津田がもう一度外を見ると、雲の間に消えてしまっていた。
その飛行機からの情報によると、大西洋からフランスのブルターニュ半島やビスケー湾にかけての雨雲は消えつつあるらしい。しかし、ポーツマスからドーバーにかけての海上は、しばらく大気が不安定だいうことが、英海軍の気象部からの知らせで分かっている。
「悪天候のおかげで、あっちでも助かってるみたいだけど」
津田は少し波の高い海面を見下ろした。
ドーバーでは、ドイツ上陸部隊が一斉に攻撃して来たものの、風雨と高波に阻まれて陸揚げに手こずっているらしい。英陸軍が徹底抗戦の構えをみせていることもあり、未だにまともな橋頭堡すら作れていないそうだ。
「雨が止んでしまったら、どうなるか分からないなぁ」
こうなると、時間との戦いになるのだろうか。
早いところ、敵艦隊を見つけなければ。制海権さえ握れば……。
そこに通信兵が、緊急電が記された紙を持って来た。
「なになに、『敵ハ、ぶれすとニアリ』だと! 急いでみんなを集めなきゃ!」
津田はその紙をポケットに入れると、司令部要員を起こしに走った。
補給と応急処置のためフランスのブレストに来たドイツ艦隊だったが、夜中まで作戦会議が続いていた。急遽フランス海軍の参加が決まったため、話が複雑になっていたためだった。
一旦休憩となり、シューマッハーが風に当たろうと外に出てみると、雲間から月が見えていた。
「ふん、晴れて来ちまったか。まあいい」
隣では、やはり風に当たりにきた艦隊総司令官のミューラー大将が空を見上げていた。まだ四十代半ばの若い大将だが、覇気に富み、判断も鋭い。
「明日は、忙しそうでありますか」
ミューラーに気付いたシューマッハーは、ありきたりなことを聞いてみた。
「間違いなく、忙しいな」
「晴れてしまいましたね」
「関係無い。はじめから天気などあてにしていては、勝てるものも勝てん。もっとも、利用はさせてもらったが」
この天気で、ドーバー上陸作戦は手こずっているが、代わりに補給が出来た。
「沿岸に引きずり込んで叩く、と言う方針を貫くだけですか」
「さよう。黄色い猿どもに、ユトラントの借りをかえしてやらんとな」
ミューラーの欠点は少々民族主義、差別主義なところだった。だがそれで戦術的判断を狂わせたことは無かったので、問題視されてはいない。
「ユトラント、か。私の叔父も、そこに沈んでしまいました。よく、お菓子を買ってくれた、優しい人だったんですが。そういえば、今日本から来ている金剛とかいう戦艦にやられたという話です」
「今また、同じフネに掻き回されてるかと思うと、腹が立つな。二十年前の、ロートル艦にだ。だが、フランスも手を貸してくれると言うことで、今度は戦艦の数で圧倒している。今なら、制空権さえ気をつけていれば、真正面から叩き潰せるはずだ。いや、叩き潰さねばならない。第二のバルチック艦隊にしてやるのだ」
「目的はロンドン、目標は英海軍……」
「その英海軍は、今や死に体だ。制海権をとれば、英国は干涸びる。そうなれば、欧州には我がドイツに敵するものはいなくなるのだ。大ドイツ帝国万歳!」
ミューラーはいつの間にか演説調になっていた。
戦略的には、いっていることは正しいかもしれない。
だが、シューマッハーにはどこか腑に落ちないところがあった。
――ロンドンを落とし、英国を干上がらせ、欧州を手にする。それからどうするつもりなんだろうか、我が総統閣下は。
翌朝、ジミーは夜明け前に起こされた。
外に出ると、星がきれいに瞬いていた。
「なんか、やたらいい天気だな。ちょっと寒いけど」
フネが風上に向かって走っているのか、もの凄い風だ。
そこへ、空母瑞鶴の飛行隊長である淵田が直々に荷物を持って来た。
「すまんね、トップエースを伝書鳩代わりにしちゃって」
「あはは。で、どうすれば」
淵田は「今、ここだ」と、まず海図の一点、ブレストの西南西六百キロあたりをさし、指示を続けた。
「目標は、ランズエンド岬の南東五十キロあたりで見つけられるはずだ。空が白くなり出したらすぐに出てもらい、できるだけ早く届けてほしい」
「全開ですっ飛ばせとおっしゃいますか」
「本当にずっと全開にしてたら、ガス欠になるかはさておき、さすがにエンジンが持たんよ。だが、二百ノット以上はキープしてほしい」
「わかりました。迎撃にあったらどうしますか」
「全速で逃げ回ってくれ。この距離じゃ、そう簡単にガス欠にならんし、それに……」
「それに?」
「まず、迎撃は来ないだろう。それどころではなくなるから」
そこまで話したところで、ジミーが乗る零戦がエレベーターでせり上がって来た。それがすぐに飛行甲板の前の方に移動されたかと思うと、エレベーターは次から次へと格納庫から飛行機を運び出して来た。
「攻撃隊発進の、どさくさにまぎれて行くわけですか。ということは、敵の居場所がわかったのですね」
「ああ、それで先制攻撃をかける。というわけでジミー、後がつかえちまう。すまんが、さっさと乗ってくれ」
ジミーはそう言われ、慌てて零戦に飛び乗った。見回すと、いつの間にか空が白みはじめている。
「こんどは、イギリスの美味い店を紹介してくれ!」
甲板から淵田が叫ぶと同時にエンジンがかけられた。
ジミーは「そりゃ、難しい注文だ!」と返したが、届いたかどうか。
そして、ちょっとだけ名残を惜しむように手を振り、エンジンのパワーを上げた。
機体は順調に滑り出し、強烈な向かい風を受け、燃料満タンでかなり重たいにも関わらず軽々と甲板を蹴って空中に飛び出した。
そして、一つ二つとゆっくり旋回しながら高度を取る。
「あれ? あんなに居た戦艦はどこに行ったんだろう。空母も少し足りない」
ジミーはゆっくりと明るくなる海上を見て思った。空母と護衛の駆逐艦以外見当たらない。
「戦いにいっちゃったんだな……」
ぼそりとつぶやいたジミーは、包囲を確認すると水平飛行に移り、スロットルを開いて高速巡行に入った
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