第4話 かつて果たせなかったこと

「……あれ?」

 僕は首を傾げた。

 さっきとそんなに変わっていない、記念講堂前。集団の数は少ないし掲示板も無いし声も小さい。違う所と言えばそんなところだ。

 ポケットからスマホを取り出してみると、2014年3月9日の午前10時50分を示していた。

「1年後……?」

「そうですよ。あれから1年後です」

 声のした方を見れば、またクロノスちゃんが隣に座っていた。ちなみに言えば、両手で大事そうに抱えながらちうちうと飲んでいるのは、いちごオレだ。これで何本目だっけ……よほど好きなんだろうか?

「あ、来たみたいですね」

 クロノスちゃんの言葉と相前後して、目の前の集団が騒がしくなった。合格発表が始まったんだろう。

 さて、今回はどのタイミングで僕が出てくるかわからないから気を付けないと……いや、前回もわかっていたとは言い難かったけど。

 集団から出てくる人をチェックしていると、不意にクロノスちゃんが僕の服を引っ張った。

「あれ、お兄さんのお母さまじゃないですか?」

「へ?」

 クロノスちゃんが指差す人を見ると、それはまさしく僕の母さんだった。自慢の黒髪を肩で切り揃え、グレーのスーツをきっちり着こなしている。節目のイベントに参加する時のお決まりの格好だ。自分の姿を探していたから、危うく見逃す所だった。クロノスちゃんがなぜわかったのかはこの際聞かないでおこう。

「今回は母さんに確認してもらったのか……」

 そう言えば、そうだった気がする。合格しているはずがないという、半ば確信めいたものがあったからだ。

 ベンチから立ち上がり、僕は母さんを追いかけた。さっきちらりと顔が見えたけど、泣いた後みたいだった。問題は、それが嬉しさと悲しみのどちらに起因する涙かということだ。

 母さんに追いつき、声を掛けようとしたところで困ってしまった。

 何と声を掛けたものか、自分の時よりもはるかに難しい。未来の息子だなんて言って信じてもらえるかというと微妙だし、そんな必要は無い気もする。

「あー、すみません」

 悩んだ末にとりあえず言ってみたけど、自分の実の母親だというのになんて他人行儀なんだろうか。とは言っても、いきなり馴れ馴れしく話しかけて変な人間に間違われるリスクよりかはマシだろう。

「は、はい?」

 答えた母さんの声は、若干涙ぐんだ声だった。

「あー、どうでしたか、息子さんの、その……」

 見ず知らずの人間じゃない(というか何度も言うけど実の親子)とは言え、入りが他人行儀だったせいで何とも聞きにくい。まあ、あの時の言葉でどう変わったのか、うまくいったのかやっぱり失敗したのか、それを確認するのが怖くて聞きにくいというのもある。

 そんな僕の心境を察してかどうか、母さんは満面の笑みで答えた。

「受かったんですよ! いやあ、自慢の息子です!」

「あ、そうですか。おめでとうございます」

「はい! それじゃあ失礼します」

 母さんは僕に会釈すると、そのまま立ち去った。意外と、勘付かれないものなんだな。

「受かった、か。あー、マジか……」

 母さんの言葉を思い出して、わしゃわしゃと自分の頭を掻いた。

 本当に、できたんだ。

 一度は諦めたこと、諦めなければできたんだ。

「おめでとうございます。お兄さん」

 振り向けば、いつの間にかクロノスちゃんが立っていた。

「ああ、ありがとう……」

 実感は無かった。まあ、それはそうだ。僕自身が努力したわけじゃない。それでも、過去の僕がやってのけたというのは嬉しい。やればできるっていうのはこういうことなんだな。初めて実感したよ。

 よもやあんなことでうまくいくとは思っていなかったけど。

「どうですか、騙されてやってみた感想は?」

 僕の隣に立って、クロノスちゃんが聞いた。

 僕は少しだけ考えて答えた。

「そうだね……たまには騙されてみるのも良いかもしれない」

「ふふ。そろそろ戻りますか?」

 クロノスちゃんが手を差し出した。

「そうだね」

 僕は三度手を重ねた。

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