第15話 スペック

 ここは銀座の老舗しにせレストラン、風太堂ふうたどう。今日はそこへ三人の女性が集っている。


 「いや~百恵、本当に久しぶり。何年ぶりかしら?・・・」

 淳子の問いかけに、微笑む百恵。


 「百恵、ずっと海外に行っていたものねえ。三人で会うのは十年ぶりぐらいじゃない」

 話に昌子が割って入る。

 「あたしと昌子は時々お茶しているけどね」

 淳子が舌を出しておどける。


 大学時代からの親友だった淳子、昌子、百恵の三人がそろって再会するのは、卒業以来のことである。

 当時から活発な行動派の淳子、純日本風の出で立ちの昌子、そして振る舞いは物静かだがしんのある百恵。三者三様だが、何故か互いに気の合う友人であった。


 百恵はピンクのワンピースの裾に手をあてがうと、静かにイスに腰掛ける。その姿が何んとも上品である。


 「そう言えば百恵、あなた去年結婚したのよねえ」

 昌子の問いかけに、はにかみながら微笑む百恵。すぐに淳子が食いつく。

 「えーっ、何やっている人? 年は何歳なの? イケメン?・・・」

 矢継ぎ早の淳子の質問に、目を丸くする百恵。それでも、一つひとつ丁寧に話しを始める。


 「歳は私と同じで32歳。イケメンかどうかは分からないわ。もちろん私は好きよ・・・」

 「きゃーっ、『好きよ・・・』ですって」

 自分のことのようにと、はしゃぐ二人。


 「お仕事は? 何をしているの?・・・」

 どうやら淳子は、そこが気になるらしい。昌子が割って入る。

 「確か外資系のエンジニアだったわよねえ。百恵が海外へずっと行っていたのも、そのせいでしょ?・・・」

 コクリと恥ずかしそうに頷く百恵。

 「えーっ、外資系ーっ。ちょっとそれって、セレブじゃない百恵ーっ」

 言いながらも、淳子は鼻を膨らませる。


 そこに三人のオーダーが運ばれてきた。

 「イカスミのパスタの方は?」

 昌子がパッと手を上げる。


 「昌子らしいわね。日本風のパスタを頼むなんて」

 すかさず淳子が合の手を入れる。

 百恵がクスッと笑った。


 「ちょっと、イカスミのパスタは日本じゃなくて、ヴェネツィアの代表的なパスタよ。あなた知らないの?・・・」

 言い返す昌子に、もう一度微笑む百恵。

 

 「プッタネスカの方は?・・・」

 「へっ、ぷった・・・、何よそれ?」

 淳子を尻目に、百恵がコクリと頭を下げる。つまりは、それが自分のであるという意思表示である。


 「ちょっと百恵、何よそのぷった・・・」

 「プッタネスカって言うの」

 淳子の問いかけに、ナプキンをひざへ乗せながら彼女が答える。

 「ベースはトマトソースで、それにオリーブとアンチョビ、ケッパーが絡めてあるの。私、パスタの中では一番好きなの」


 「よっぽどお気に入りなのね。百恵にしては、珍しく言葉数が多いもの」

 昌子もナプキンを手に取る。

 「トマトベースってところは、私のと同じね」

 淳子はチラッとウエイターに視線を送る。


 この視線に、微笑み返すウエイター。微妙な表情で料理をテーブルへと置いた。

 「お待たせ致しました。ナポリタンソースでございます」

 満足そうな表情浮かべる淳子。すかさず彼に問いかける。


 「ナポリタンもイタリアのナポリが発祥はっしょうなんでしょ?・・・」

 困惑した表情を浮かべるウエイター。

 「ちょっと淳子、恥ずかしいわよ。ナポリタンは日本で生まれたの、それも発祥地と言われるのはあなたが住んでいる横浜よ」

 「ええっ!・・・」

 その昌子の声に、再び百恵が手で口を覆った。



 食事もデザートとなり、再び話題は三人のパートナー、つまりはそれぞれが結婚した夫の話となった。


 「昌子、自由が丘のお店はいかが?・・・」

 珍しく、百恵が話を切り出す。

 「えっ、お店って、昌子は何のお店をやっているの?・・・」

 「私じゃないわよ、旦那よ、だ・ん・な」 

 昌子はデザートのガトーショコラに目を落とすと、手にしたホークでそれを指す。


 「えっ、これって?・・・」

 淳子には、それが目の前のスウィーツであることにまだ気が付いていないようだ。

 「あれ、淳子にはまだ言ってなかったっけ? 私の旦那だんな、パシィシエやってんのよ」


 昌子に百恵が続く。

 「自由が丘で『les bijouxレ ビジュ』と言ったら、かなり有名ですものね」

 「えっ、れ・・・ 何ですって?・・・」

 「レ ビジュ、確かフランス語で『宝石』っていう意味よね」

 少しだが、百恵はフランス語も話せるようだ。

 「宝石・・・ ちょっと、それもプチセレブじゃないのよ昌子ーっ」

 言いながら、淳子はまたまた鼻を膨らませた。


 「そう言えば、淳子のハズは何をなさっている方なの?・・・」

 百恵の問いかけに、昌子は目を細めて微笑む。


 「は、はず?・・・」

 「ハズバンド、つまりあなたの旦那さんのことよ、淳子」

 昌子は手慣れたものである。


 「ああ、あたしの亭主のことね・・・」

 淳子は少しだけ身を乗り出すと、自慢するようにと百恵にしゃべり始めた。


 「彼はね、とてもたくましくって野性的なの。日に焼けた肌がとても魅力的で、笑った顔がチャーミングなのよ。それに彼、クルーザーも持っていて、いつも海に出掛けるの。ううん、私とじゃないけれどね。彼、自分で料理も作るのよ。お魚料理なんてあたしよりも上手かもね」

 淳子の機関銃のような言葉の羅列に、呆気あっけに取られている百恵。それでも一言、言葉を添える。

 「素敵なご主人みたいね、今度是非お会いしたいわ」


 「夕方以降なら、いっつも空いているわよ」

 「夕方以降?・・・」

 通常の会社勤務では考えられないような時間帯である。


 すると、昌子がしびれを切らしたように言葉を挟む。


 「淳子、百恵にはっきりと教えてやりなさいよ。あなたの彼の職業を! 褐色の肌は、いつも日に当たっている腕と顔だけ。それにクルーザーじゃなくて、あれは漁船というのよ。料理だって上手なはずよ、毎日何十匹もさばいているんだもの・・・」


 昌子の言葉に、あらためて驚いたようにと淳子を振り返る百恵。

 恥ずかしそうにボソリと呟く淳子。


 「そうなの、あたしの亭主、本当は漁師なの・・・」



【語彙】

スペック:「もの」に対する性能や仕様のことを意味する。

転じて、「人間」の場合はその人の能力や性格、仕事内容や肩書きなどを言う場合もある。

 

 

 



 

 

 


 

 

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