異世界へ行きたくて

硯見詩紀

第一部

序章

第1話

 死ねば異世界へ行けるというのはおおよそ虚構の中での定説だ。そして、だいたい異世界へ行くのは地位が低く不幸な人間。そんな人間が異世界へ行って、勇者だ何だと持て囃されて活躍してモテモテになって幸せになる。ここまでが、異世界を題材にした物語の骨子である。


 しかし、それは虚構に過ぎず、実際は死ねばそれまで。人生終了。


 死んだって異世界へはいけない。そんなのはわかっている。


 だけど、俺は死にたかった。


 就活に失敗して親戚の口利きで地元の零細企業に入社して、入社できたことは幸運と割り切れるけど、入社した後が辛かった。零細企業で社員同士の距離が近い、つまりはアットホームな社風。言ってしまえばブラック企業のそれであった。社長は横柄で口が悪く、言っていることはいつも出鱈目。そんなことは自分で考えろと言うので自分で考えて仕事を進めれば、後になって「どうして俺に何も訊かなかったのか」「俺は何も聞いていない」と叱責をしてくる。


 今日だってそんな感じで叱られて、いよいよ転職を意識し始めるのだけど、親戚の紹介で勤めることになった会社ということもあり簡単に転職はできなかった。


 なんかいろいろな重圧とか期待とかその他諸々のストレスが俺を縛り付けて、俺は何もできずにいる。


 もういっそのことこの世界から消えてなくなってしまえれば、それはどれほど楽なことだろう。


 だから、俺は死にたい。


 数多あるライトノベルみたいに死んで異世界へ行って人生をやり直すみたいな展開になればいいのに。


 死ねばそれまで。それが常識だけど、実際、死んだ後に意識がどうなるかだとかそんなのは死なないとわからない。もしかすると死んだら本当に異世界へ行けるかもしれない。


 定時になって、俺は仕事を切り上げて帰宅することにする。こうやって定時で帰れることを考えればブラック企業ではないのかもしれないが、それ以外の人間関係とかがやはりブラックだ。やっぱりこの会社に勤めるのは辛い。


 車に乗り込み、エンジンを掛けて、走り出す。


 国道を走る。


 車内で溜息を一つ吐き、このままそこら辺の電柱に突っ込んだら死ねるだろうかと考える。


 死んだらどうなるのだろうか。無に還ってしまうのか。虚構みたく異世界へ行けるのか。


 車は通行帯の左側へ寄っていく。右へハンドルを切ろうとは思っていなかった。車は路側帯を超えて――ガタンと俺は車内にて激しい揺れに襲われる。車体がふわりと浮いた感覚。縁石に乗り上げたのか。ハッと驚きドッと冷や汗が溢れる。そして、目の前には電柱。


「……」


 高い音とか低い音とか、ガラスが割れる音とか金属がこすれる音とか、ぐちゃっと何かがひしゃげる音とか、それら様々な音が混ざり合って、一生のうちで絶対に聞くことがないであろう轟音が俺の耳を劈く。


 直後、俺の見ている景色は一気に暗転した。

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