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「ほら、チビ。とりあえず黒木んとこ行くぞ」

「あい」



 おじさん達に絶対に二人にお互いが来ることを黙っているよう念を押して夏生さん達の所に戻った。


 そういえば、私はどこのお部屋なんだろう? 瑠衣さんと一緒のお部屋って聞いてるけど。



「キョロキョロよそ見してるとまた転ぶぞ」

「む」



 そうだった。ちゃんと前を向かねばね。



「こちらのお部屋でお連れ様がお待ちです。ご夕食は十八時頃に宴会えんかい場でよろしいでしょうか?」

「あぁ、頼む」

「では、ごゆっくりどうぞ」



 お婆さんは丁寧に深々とお辞儀じぎをし、どこかへ歩いていった。


 夏生さんがお部屋のふすまを開けると、中は和の空間が広がっていた。

 部屋の中央に置いてある机に向かい、黒木さんが急須きゅうすからお茶をそそいでいる。



「おぅ。早かったな、黒木」

「はい。思ったより用事が早く片付いたので」

「そうか。それはなによりだな。それより、急に誘っちまって悪かったな。こいつがどーしてもって聞かなくてよ」

「いえ、全然。雅ちゃん、僕まで招待してくれてありがとう」

「いーえ。くろきさんもひがしのなかまだからね!」

「そうですよ! いつでも戻ってきてくれるの待ってますから!」



 薫くんが黒木さんの前に駆け寄って食い気味に言葉を重ねた。一方の黒木さんはというと、その言葉に苦笑いで返している。


 そうだ!

 せっかくの機会だし、あのこと聞いちゃおう!



「くろきさん、ちょっとだいじなおはなしがあります」

「え?」



 黒木さんの隣に正座して、スッと背筋を正す。

 神妙しんみょうな面持ちでジッと自分の顔を見つめる私に、黒木さんは僅かに首を傾げた。



「きのう、いっしょにいたおんなのひとはだれですか?」

「昨日?」

「そう。きのうです」

「それは……雅ちゃんは知らなくていいことだから」

「……るいおねーちゃまのこと、もうすきじゃなくなったの?」

「え? ……あ、あーそういうこと」



 黒木さんは合点がてんがいったようで、すまなさそうな表情を浮かべて私の頭をでてきた。


 ちょっとちょっと! そんな顔するのはやめて!

 そんなの、そうなんですって認めてるようなものじゃん!



「瑠衣さんを好きじゃなくなることは絶対にないよ」

「え?」



 黒木さんの口から出てきたのは、幸いにも予想を良い意味で裏切るものだった。


 でも、それならなんで昨日、女の人といた時に無視したのさ。

 瑠衣さん、絶対に傷ついたよ?



「君に聞かせるような話じゃないけど、隠してるとどんどん悪い方に考えてしまいそうだから話すよ。でも、これから話すこと、彼女には内緒にできる?」

「ん。やくそくね?」

「うん、そうだね」



 指切りげんまん、嘘ついたら針千本のーます。指切った!

 さぁ、これでよし。

 あの女の人について、サクサクいてもらいましょうか。



「実は、うちの社員にいくつか引き抜きの話が来ていてね。引き抜きっていうのは簡単に言うと、今の会社を辞めてうちで働かないかって声をかけてきた別の会社に行くことなんだけど、分かる?」

「あい」

「それが僕の所にも来たんだ」

「そんな! よく知らないようなところに行くくらいなら、うちに戻って来てくださいよ!」

「薫、違うから。落ち着いて最後まで話を聞いてくれるかな? ……雅ちゃん達と会った時も、その引き抜き先の会社の人と一緒だったんだよ」

「……」

「あー、そんな目で見ないで。本当に僕は今の職場を離れるつもりはないよ。東と一緒で、とても居心地いごこちがいいからね」

「……それで?」

「それでね、別にこういうことはめずらしくもないし、社員の自由意思に任せるっていうのが瑠衣さんの考えなんだ。もちろんそうあるべきだって僕も思ってる。ただ、事はそう簡単にはいかなかったんだよ」

「え?」



 大人の社会って難しいんだね。

 仕事を見つけるにも辞めるにも、色んな制約がかかっちゃうなんて。



「実は、その会社の引き抜き方がなかなかに強引というか、あくどいというか、とりあえず、あまり褒められた引き抜き方じゃないんだよ」

「いほーなやつでしゅか?」

「違法だったら僕も対処のしようがあったんだけど、そうじゃなくってね。だから、ちょっとこっちから近づいてみたんだ」

「……そのことをなんでるいおねーちゃまにいわなかったの?」

「君はまだまだ彼女のことを分かっていないね。彼女に言ってごらん? 正義感の強い彼女のことだから、真正面から向こうの社長に直訴じきそしに行くよ。それこそ今まであまりよく知られていない、裏で何をしているか分からないような場所にさっさとね」



 あ、あー、うん。そうだね、確かに。

 瑠衣さんのそういうところ、簡単に想像できちゃうね。


 皆も当然だなってばかりにうなずいている。



「なんか手助けはいるか?」



 夏生さんが劉さんがれてくれたお茶を口元に運びながらたずねた。それに黒木さんは頭を振ってこたえた。



「何やら面白い話を向こうの方から山ほど聞かせてもらえましたので、こちらもそれ相応の礼はしようかと。ですが、お気遣きづかいは無用です」

「……そうか」



 ……むむっ。

 黒木さんてば口角を僅かに上げただけなのに、なんかいつもと違う。ちょっとブルッと来てしまったんですが。


 とりあえず、黒木さんが瑠衣さんのことをまだ好きなら、小難しい話はノーサンキュー。頭が痛くなるような話は大人だけでやってくれぃ。


 はしに正座でひかえる劉さんのところに行き、劉さんの腕を上げてひざの上に収まった。



「で? ちなみになんて言われたんだ?」

「どうやら向こうは僕の経歴を調べあげたらしく、東の料理長をしていたのに厨房の仕事を任されていないのは適材適所がなっていないだの、各所にコネがあるのにそれを生かせていないのは社長が何も考えていないからだの。フフッ。思い出したら笑えて来ますね」



 黒木さんの目の前に置いてあった湯呑ゆのみをスススーッと薫くんがけていく。

 避けなきゃいけないようなことを黒木さんがするなんて普段からは全然思えないけど、今ばっかりは薫くんグッジョブと思ってしまうんだからすごい。



「雅ちゃん、大事な話っていうのはもういいのかな?」

「ん? はい」



 もう十分です。

 私を気にせず、どうぞどうぞ。



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