上月の知られざる過去 - 第60話

「あ、あのっ」


 後輩の女子が、意を決したような一歩を踏み出してくる。


「ま、麻友先輩の、お友達の方ですよね!?」


 俺はあいつのお友達なのか微妙な間柄だが、とりあえずうなずいておく。


「先輩、見ませんでしたか!?」


 彼女はかなり緊張しているのか、ハワイで日焼けしたような顔が赤くなっている。口調も早口で、声色がもう少し高くなったら裏返りそうだった。


「さあ、どうだろ。今日はホームルームが終わったら、すぐに帰っちまったからな」

「そ、そうなんですか!?」

「弓坂は、上月見たか?」

「ううん。見てないよぉ」


 弓坂がふるふると首を横に振る。


「そうですか……」


 彼女は力なくこたえると、わかりやすいように落胆する。漫画だったら額に三本の縦線が入りそうな感じだが、だいじょうぶか?


 こんなに落ち込むんだから、よほど上月に会いたかったんだな。前にも何度か上月に会ってるみたいだし、ずいぶん熱心だよな。


「あいつに用があるのか?」

「はい。その、用っていうほどのことでも、ないんですけど……」


 本当に用がないんだったら、こんなにわかりやすく落ち込まないだろ。


「この前の、謝りたいって言ってたことぉ?」


 弓坂がさりげなくフォローすると、彼女がこくりとうなずいた。


「はい。……でも、先輩が、取り合ってくれなくて」


 おそらくだけど、なんらかの事情があって、上月はこの子に謝られたくないんだろうな。


 あいつがいかに強情なやつでも、こんな真面目そうな後輩を避け続けるなんて、ちょっと信じられないな。この子と喧嘩している感じでもなかったし。


 よほど謝られたくない理由でもあるのだろうか。


 しょぼくれる彼女のつぶらな目から一粒の光が反射する。気づけば泣く寸前みたいな顔になってるじゃないか。これはまずい!


「よく、わかんねえけど、話聞かせてくれないか?」


 こんな健気な子の涙なんて見せられたら、黙っていられないだろ。


「あいつ、かなり強情だから、普通に会っても話聞いてくれないだろ?」

「はい」

「でも、俺らがうまいことやれば、あいつを誘い出すことはできるかもしれない。だから、事情を少し話してくれないか?」

「……いいんですか?」


 彼女は泣き出しそうな顔で懇願するが、俺からしてもこれは渡りに舟だ。


 彼女のことをきっかけにすれば、上月との仲を修復することができるかもしれない。


 それに、こんな純朴そうな子を上月はどうして避けているのか、少し気になるからな


 俺は左手の親指で自分の胸もとを指した。


「こう見えても俺は、上月との付き合いはそこそこ長い。だから、それなりに協力することはできるはずだ」

「そうなんですか?」

「それにぃ、ヤガミンも、麻友ちゃんと仲直りしたいしねぇ」


 弓坂がとなりでうふふと笑い出す。それは図星だが、こんな公衆の面前でからかわないでくれよな。


 すると後輩の女子が大きな目を目いっぱいに開けて、身体を少しのけ反らせて、


「も、もしかしてっ、麻友先輩の、かか彼氏の方ですか!?」


 か、彼氏いっ!?


「ち、違う! 俺はあんなやつの、断じて彼氏じゃないっ!」

「わあ、ヤガミン、顔真っ赤っかあ」

「おいっ、弓坂! 横で変なこと言うなっ。余計誤解されるだろ!」

「はあ。ち、違うんですかぁ」


 後輩の女子は心の底からほっとしたのか、大きく息を吐く。なんか、わたしの先輩をとるな的な空気を感じたけど、それは俺の気のせいか?



  * * *



 駅前のカフェに行って話を聞こうと思ったけど、中学校って下校中の飲食を禁止してたよな。


 俺は中学の校則なんて無視して、帰宅中にコンビニに寄ったりしていたけど、後輩の彼女を悪の道に誘うわけにはいかないな。


 なら、仕方ない。近くの公園に屋根付きのベンチがあるから、そこで話を聞くことにしよう。俺は弓坂と彼女――名前は宮代みやしろしおりというらしい――を連れて、その公園に向かった。


 駅から少しはなれたその公園は、民家を三つか四つ合わせたくらいの広さの、ブランコと滑り台しかない小規模な公園だった。雨が降ってるから、遊んでいる子どもはひとりもいない。


「麻友先輩は、小学生のときからの先輩なんです」


 彼女――後輩だが宮代と呼び捨てにすればいいのか? この場合――は、鞄を木のベンチに置くと、すごく重たそうな口を開いた。


「小学生のときって言うと、サッカーのリトルリーグのことだよな?」

「あ、はい」


 俺と弓坂もベンチに腰かけて、彼女の話を促してみる。上月のサッカー部の後輩だろうとは思っていたけど、まさか小学校のときからの後輩だったとはな。


「麻友ちゃん、小学生のときからぁ、エースだったんだよねぇ?」

「はい」


 弓坂の問いに彼女が静かにうなずく。


「先輩、サッカーすっごくうまかったです。わたしは、小学校の二年生のときにリトルリーグに入ったんですけど、そのときから先輩はエースでした」


 それは俺も知っている。あいつの活躍は、俺の死んだ母さんから耳にタコができるほど聞かされたからな。


「先輩は、わたしの憧れでした。サッカーがすごくうまくて、優しくて、いつも凛としていて。わたしがサッカー部のキャプテンになれたのは、小学生のときから先輩がサッカーを教えてくれたからなんです。……それなのに」


 彼女の声がかすれて、だんだんと涙声になっていく。


「それなのに……わたし……っ」

「ああっ、泣かないでぇ」


 彼女が泣き崩れてしまったので、弓坂がたまらずにハンカチを差し出した。弓坂もつられて泣きそうになっている。


 ハンカチで顔をおさえて泣く彼女を見ていると、俺の無情な心まで強烈な力で締め付けられる。こんな我慢できなくなるほど泣いてしまうんだから、よほどの裏切り行為を上月にしちまったんだな。


 嗚咽が少し収まってきた頃に、彼女がハンカチを膝のあたりにまで降ろして、


「先輩は、うちの学校のサッカー部でもエースでした。一年生のときから先輩だけはレギュラーで、当時の三年生に混じって試合に出ていたそうです」

「そりゃあ、あいつは小学校のときから男子に混じってサッカーやってたんだからな。あいつのレベルだったら、中学のサッカー部なんて目じゃないだろ」

「はい。だから、先輩の他の同級生が、先輩を妬んで……」


 そういうことか。話の流れはだいたいわかった。


 俺は詳しく知らないが、上月がサッカーを辞めたのは、おそらく中学二年の一学期だ。


 同じ時期――中学二年の七月に俺の母さんが死んで、俺が一人暮らしをはじめた頃に、あいつは俺の前によく姿をあらわすようになった。


 そのときから、なんでサッカー部に顔を出さないんだろうって不思議に思っていたけど、そうか。部内のいじめに遭っていたんだな。


「麻友ちゃん、いじめられちゃったのぉ?」と弓坂。


 はい、と彼女も辛そうにうなずいて、


「かなりひどかったみたいです。部内で無視するのは当たり前で、学校のSNSに死ねっていう書き込みがたくさんあったり、机に花瓶が置かれることもあったそうです」

「そんなぁ……」


 あまりに衝撃的だったのか、今度は弓坂が堪えきれずに顔をおさえてしまった。俺はポケットからハンカチを出して、弓坂にわたした。


「わたしもうちのサッカー部に入って、それを目の当たりにしました。もう、言葉が出なかったです。……先輩、三年生よりもずっとうまいのに、試合に出させてもらえない状況で。可哀想でした」

「あいつもまた、言い訳とかしない性格だからな。もうちょっとこう、まわりのやつらに対して器用に接しられたら、うまいことできたかもしれないのに」


 上月はいつもストレートで、嘘とかつけないやつだから、まわりから理不尽なことをされてもひとりで耐えることしかできなかったんだろうな。


 いじめる方からしたら、上月ほど楽なやつはいないだろう。あいつはいくらいじめても他の生徒や先生に助けを求めないからな。


「わたしは、先輩を助けたかったんです。でも、そうすると……わたしまで、いじめられるから……それが、怖くて……」


 そこでまた彼女が言葉を止めて、ハンカチで顔をおさえてしまった。


 いじめられている上月を助けるのは、はっきり言って無理だろうな。俺だって、クラスでいじめられているやつがいたら、とても助けられる気がしない。


 上月の方からしても、そんなことがあったから、彼女と話しづらくなっちまったんだろうな。


 本心では決して避けたくないんだろうけど、いじめられているところを後輩に見られちまったんじゃあな。先輩として、かっこつかないよな。


 でもあいつだって、こんな気まずい状況は嫌なんだと思う。あいつは、こんな素直で性格のいい後輩を見捨てることなんて、できないんだろうから。


 ああ、なんとかしてやりてえな。でも、部外者の俺にできることなんて、あるのかな。

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